山口誓子 やまぐち・せいし(1901—1994)


 

本名=山口新比古(やまぐち・ちかひこ)
明治34年11月3日—平成6年3月26日 
享年92歳 ❖誓子忌 
兵庫県芦屋市朝日ケ丘町37–17 芦屋市営霊園23地区 



俳人。京都府生。東京帝国大学卒。高浜虚子に師事。水原秋桜子らとともに〈四S〉と呼ばれた。昭和7年第一句集『凍港』刊行。10年『馬酔木』に参加。水原秋桜子と共に新興俳句運動の中心的存在となる。23年『天狼』を創刊、主宰。句集『黄旗』『遠星』などのほか入門書、研究書、俳論集など多数の著書がある。






  

学問のさびしさに堪へ炭をつぐ      

玄海の冬浪を大と見て寝ねき

陵さむく日月空に照らしあふ       

夏の河赤き鐵鎖のはし浸る   

秋夜遭ふ機関車につづく車輛なし     

海に出て木枯帰るところなし       

悲しさの極みに誰か枯木折る      

一輪の花となりたる揚げ花火



 

 高浜虚子門下の〈四S〉と呼ばれたうち、水原秋桜子、阿波野青畝、高野素十はすでに亡かった。山口誓子は90歳を過ぎてなお海外旅行にも出かけるほどであったが、平成5年、主宰誌『天狼』を体調不良のため九月号で休刊する。11月には門下生にあてた通告があった。〈最近、体力と視力が低下しましたので、『天狼』の選をやめて『天狼』を終刊します。『天狼』に満ちてゐた私の俳句精神を皆様で受け継いでお励み下さい。『天狼』の名称は、これを限りとします〉——。
 しばらくの小康を得たのち自宅静養をしていたが、平成6年3月26日午後4時30分、呼吸不全のため神戸市内の病院で天寿を全うした。誓子の死によって昭和俳句史を彩った〈四S〉の時代は完全に幕を閉じた。



 

 平成4年夏、誓子はサハリン吟行となる海外へ旅に出た。両親との縁薄く外祖父母に育てられ、12歳から17歳まで、5年間の樺太で暮らした。それ以来70数年年ぶりの再訪であった。その時の作品が『天狼』誌上最後の句として掲げられた。
 サハリンに太くて薄き虹懸る
 カラカラに渇いた参り道は亀甲模様の亀裂が無数に入っているが、一寸目線をあげれば新緑の樹葉が一面に広がって涼やかな風が吹き上がってくる。汗を拭き拭き登りついた聖域に、そんな北の海風が吹き上がってくるはずもないのだが、石段に腰掛けてそのようなことを想像していると、体中にまとわりついていた熱気が一瞬に飛び散っていくようだった。「山口誓子之墓」、「山口波津女之墓」は夏まっただ中である。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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