山之口 貘 やまのくち・ばく(1903—1963)


 

本名=山口重三郎(やまぐち・じゅうさぶろう)
明治36年9月11日—昭和38年7月19日 
享年59歳(南溟院釈重思居士)
千葉県松戸市田中新田48–2 八柱霊園8区108側38号


 
詩人。沖縄県生。旧制沖縄県立第一中学校(現・首里高等学校)中退。大正11年上京するが、翌年関東大震災のため帰郷。13年再度上京後、様々の職業を経て、昭和13年初の詩集『思辨の苑』刊行。第三詩集『定本山之口貘詩集』で高村光太郎賞受賞。ほかに『山之口貘詩集』『鮪に鰯』などがある。






  

僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ

僕はいつでも詩が要るのだ
ひもじいときにも詩を書いたし
結婚したかったあのときにも
結婚したいという詩があった

結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た

おもえばこれも詩人の生活だ

ぼくの生きる先々には
詩の要るようなことばっかりで

女房までがそこにいて
すっかり詩の味おぼえたのか
このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして
僕にひとつの詩をねだるのだ

子供が出来たらまたひとつ
子供の出来た詩をひとつ

(生きる先々)



 

 山之口貘の処女詩集『思辨の苑』に寄せた佐藤春夫の序詩。
 〈家はもたぬが正直で愛するに足る青年だ 金にはならぬらしいが詩もつくつてゐる。 南方の孤島から来て 東京でうろついてゐる。風見たいに。 その男の詩は枝に鳴る風見たいに自然だ しみじみと生活の季節を示し単純で深味のあるものと思ふ。 誰か女房になつてやる奴はゐないか 誰か詩集を出してやる人はゐないか〉。
 まことにもって寡作な詩人であった。たとえるなら千歩あるいて一文字記し、一服してはまた千歩、ぐるぐる回って吸い殻の山、そのうち最初に書いた文字を消してしまってまた千歩、こんな詩人を愛したい。昭和38年7月19日の夜、4か月もの闘病の末に放浪詩人は胃がんで死んだ。



 

 なだらかな丘にある公園のような墓原。和らかに芽吹きを始めた春の樹々、あちらこちらに小鳥のさえずりうきうきと、花をかざした幼子のよちよち歩きが眩しいほどに「山口家之墓」は野にあった。
 こんなに気持ちの良い日は滅多にない。ほらほらそこに貧乏詩人の漠さんも、借金なんぞはなんのその、片肘ついて寝っ転がっているではないか。〈精神の貴族〉なんぞと呼ばれたって、ちっとも借金は減りゃしないけど、眠ってしまえば俺のもの。隣の墓を掃除する母と娘の後ろ姿からのんびり伸びてくる午後の日影が、枯れ草に転がった墓畔の石塊に一休み、一日でも二日でも、なんなら百年と願ってもいい、時間はたっぷりあって、私もまたくつろいだ気分になった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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