柳原白蓮 やなぎわら・びゃくれん(1885—1967)


 

本名=宮崎燁子(みやざき・あきこ)
明治18年10月15日—昭和42年2月22日 
享年81歳(妙光院心華白蓮大姉)
神奈川県相模原市緑区寸沢嵐2888 顕鏡寺(真言宗)



歌人。東京府生。東洋英和女学校(現・東洋英和女学院中学部・高等部)卒。明治33年佐佐木信綱に師事。大正4年処女歌集『踏絵』を刊行。再婚し炭鉱王の妻となったが、白蓮事件といわれる騒動のあと2度目の離婚、10年宮崎龍介と結婚した。歌集『幻の華』、詩集『几帳のかげ』、自伝的小説『荊棘の実』のほか戯曲、随筆の著書などがある。






  

あなたなる夜雨の葛のあなたかな

おとなしく身をまかせつる幾年は親を恨みし反逆者ぞ

ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身

踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故いだき立てる火の前

ともすれば死ぬことなどを言ひ給ふ恋もつ人のねたましきかな

我歌のよきもあしきものたまはぬ歌知らぬ君に何を語らむ

ひるの夢あかつきの夢夜の夢さめての夢に命細りぬ

君故に死も怖るまじかくいふは魔性の人か神の言葉か

わたつ海の沖に火もゆる火の国にわれあり誰そや思はれ人は

女とて一度得たる憤り媚に黄金に代へらるべきか

月影はわが手の上と教へられさびしきことのすずろ極まる

そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ



 

 大正10年秋、狂おしい恋に焦がれた白蓮は九州の立志伝中実業家であった夫伊藤伝衛門のもとから失踪する。白蓮36歳、恋の相手は革命家宮崎滔天の子龍介29歳。幕府最初のアメリカ使節団代表の外国奉行新見豊前守正興の娘でありながら維新に零落した娘として柳橋の売れっ子芸者となった生母をもち、大正天皇の御生母柳原愛子の実家伯爵柳原家の次女とされた白蓮。出生の秘密を背負って幾多の苦悶もあったのだが、人生は変わった。二人の子を育て、結核という病を得た龍介を助けながら文筆で家計を支えた。
 愛児香織は終戦4日前に戦死、晩年は緑内障で両眼失明、歌を詠むことだけが命の縁であった。失踪から46年後の昭和42年2月22日、81歳で白蓮は逝った。



 

 相模湖の裏側に位置する石老山にある山寺、津久井観音霊場第14番札所顕鏡寺は東海自然歩道のコースにもなっているようで、時を告げる梵鐘が山中の杉木立にこだまして、前夜来から滞っていたうっすらとした湿り気を山頂に吹き払ってゆく。秋の陽は和らかだ。野道のような参道、銀色のススキ穂や蔦葉、白菊、飛び石の砂利庭に一群れのケイトウが咲いている。花言葉は「色あせぬ恋」。
 平らかに建つ「宮崎家之墓」、〈盛りなるほこりもやがて生終へて土にかへるか春の花片〉と詠んだ白蓮、筑紫の女王と揶揄され、佐藤春夫が「におい立つような女」と形容した奔放な恋のヒロインも、二人の子供や白蓮の死の4年後に78歳で逝った龍介とともに永久の眠りにある。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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