本名=矢川澄子(やがわ・すみこ)
昭和5年7月27日—平成14年5月29日
享年71歳
東京都八王子市上川町1520 上川霊園6区1番446号
小説家・詩人・翻訳家。東京府生。東京女子大学・学習院大学卒。昭和34年岩波書店時代に知り合った澁澤龍彦と結婚。重要な協力者としての役割を担ったが、43年離婚。以後、英仏独の翻訳家としても活躍。『ことばの国のアリス』『失われた庭』『アナイス・ニンの少女時代』などがある。

とぶこと。天翔けること。死すべぎ人の身をもちながら、天上にあこがれ、彼方の、不滅の生命を夢みること。それは畢竟、わが身のほどもわきまえぬイカロスの、あさはかな思いあがりにすぎないかもしれません。けれども、それにともなうあの恍惚、なにものもおよびがたいあの爽やかさを、ひとたび骨身にしみて味わい知ってしまった以上、わたしはもはや、この世の幸ではついにみたされぬ、タンクロスの渇きを負うたもおなじなのです。
でもね、女がひとりでとぶということは、どうしてこれほどにもむずかしいのでしょう。いたずらに気張ってみたところで、せいぜいが、むなしい足掻きのはてにわずかに宙にうきあがるくらい。わたしの直観に狂いがなければ、女はおそらくひとりぽっちではとべないものなのよ。だれかの目、だれかのぎびしいまなざしに、たえずくまなく見張られ、支えられているのでないかぎり。
(兎とよばれた女)
〈生まれてすでに生きてしまっている人間にとって、生を芸術化する手段がどこかにのこされているとすれば、おそらく死にかたに凝ること、しゃれた死にかたを心がけることしかないのかもしれません〉と綴った矢川澄子。あるいはまた〈死はやはり終焉であり、寂滅でしかないのでしょうね。だからこそ煩悩からの解放であり救いでもあるわけで、またそうであってくれなければ困る。なぜってさもなければわたしたち、自殺することさえできなくなってしまいますものね〉とも。
平成14年4月、長崎市内にある父の墓を訪れ、帰途、神戸で闘病中の多田智満子を見舞うのだが、そのわずか1か月あまり後の5月29日、黒姫の自宅で縊死しているのが発見された。
永遠の少女の瞳には黒姫の新緑の宙が映っていただろうか。矢川澄子の自死の理由は凪いだまま、祥月命日の数週前にこの霊園にやって来たのだった。八王子山系の懐に溜まっていた初夏の熱気を、吹き飛ばすような強い風の吹く日だった。風はあっても日差しは痛い。うっすらと汗をかきながら霊園の曲がり道をのぼっていく。振り返ると山系の稜線が折り重なって濃淡の波を打っている。
風と陽の下にある黒御影の碑。「地下水ノ如クニ」と碑に銘してあるのは教育者であった父矢川徳光の好きだった言葉であろうか。裏面に父母と澄子の名がある。「おにいちゃん」と呼んだ澁澤龍彦との離婚、谷川雁との恋、もつれたままの絆を手に絡めて悄然と逝った「少女」と呼ばれた人の眠る墓である。
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