山本有三 やまもと・ゆうぞう(1887—1974)


 

本名=山本勇造(やまもと・ゆうぞう)
明治20年7月27日—昭和49年1月11日 
享年86歳(山本有三大居士)❖一一一忌 
栃木県栃木市万町22–4 近龍寺(浄土宗)



小説家・劇作家。栃木県生。東京帝国大学卒。大学在学中、芥川龍之介らと第三次『新思潮』を創刊。大正10年戯曲『生命の冠』で文壇に登場。『嬰児殺し』『坂崎出羽守』などの戯曲で注目される。大正末には小説にも手を染め『波』など新聞小説で公表を得る。昭和40年文化勲章受章。『真実一路』、『路傍の石』などがある。






  

 今、浜べにうち寄せている波は、いつからともかぞえられないほどの、遠い昔から、同じ調べをくり返している。かぞえられないほどの、遠い昔から今日まて、同じ調べをくり返している波は、じつに、のんびりしたものてある。よくもあゝ続くと思えるくらいてある。単調てはあるが、屈託がない。おそらくは自然のまゝに動いているからであろう。もっとも、時には、おゝ波が打ち寄せたり、つなみか襲ったりすることもあるが、それは常のことではない。そして、それもまた、自然の一つのあらわれだと思うと、どこにも不服は言えない。自然には、たくらみがないからである。権カを振りまわしたり、利をむさぼるということがないからである。それだかり、自然に対すると、おのずから心がなごむのであろう。人の立ちまじらないところは、たいてい無事である。人が飛びだすと、とかく無事でなくなる。
 だか、それだからといって、人のいない世界がいいとは思えない。そんなことは、全く意味のないことである。学者の説によると、なん十万年か前には、人間は地上に存在しなかったという。しかし、進化の理法によって、ひとたび、人間か地上にあらわれた以上、人間のいない、自然だけの世界なぞというものは、もう考えられない。けれども、人類か発生してから、すでになん十万年もの歳月がたっているというのに、どうして人間は、こうも進歩しないのであろう。さまざまな発明、発見があり、生活の向上があったとしても、人類の今日の、このありさまは、なんということてあろう。
 「毎日、働いてたら、無事ってことにいかねえもんでしょうかねえ。」為さんの言った単純なことばが、今さらのように胸を打つ。
 宇多は、手すりにもたれたまゝ、夜あけの前の大気の中に立っていた。春とは言いながら、指さきがかじかむほど寒かった。
                                        
(無事の人)



 

 端的に言えばわがままな人であった。他の人に対しては温厚であったのだが、家族にとっては常に自分本位であった。それはなによりも作品が第一であるということなのだろう。
 ——〈世の中で人間の到達しうる唯一の安定は、コマもしくは自転車のもつあの安定感である〉と表現しているが、「座りを念として進みたい」という、〈無事の人〉有三の出発点はここにあるのかもしれない。
 昭和49年1月11日午前5時、肺炎が悪化、脳梗塞急性心不全のため国立熱海病院(現・国際医療福祉大学熱海病院)で逝った有三の〈金剛杖を力〉に〈ふくらはぎの太い重たい足で〉歩いてきた道筋に、目指していた正しい答えはあったのだろうか。



 

 蔵の街栃木、生家があった横町の奥に山本家の菩提寺近龍寺がある。下野三十三か所札所、勾配の強い独特の谷根を持った寺の境内に秋葉権現堂、有無両縁塔、納骨堂を兼ねた鐘楼堂が配され、大銀杏の幹に隠れるような六地蔵が並んでいる。本堂裏北墓地、荒肌を持った丸みのある筑波の御影自然石に「無事の人」の一節から〈動くもの 砕けるものの中に 動かないもの 砕けないものが 大きくからだに伝わってくる〉と刻まれていた。
  〈たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか〉と生き、86年と6か月、〈今ここで死んでたまるか七日くる〉という辞世句をのこして死んだ山本有三の墓。晩夏の空には筋雲が高く靡いている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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