山本七平 やまもと・しちへい(1921—1991)


 

本名=山本七平(やまもと・しちへい)
大正10年12月18日—平成3年12月10日 
享年69歳 
東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園1区8側21番


 
出版人・評論家。東京府生。青山学院専門部(現・青山学院大学)卒。昭和22年マニラの捕虜収容所から帰国。33年キリスト教書専門出版社「山本書店」を創立。45年イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』を翻訳刊行、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。以後評論家として活躍。『日本資本主義の精神』『勤勉の哲学』などがある。






  

 

 そして上記の奇妙なバランスは戦後の日本にもある。しかしそれは決して本物ではあるまい。というのは、それがあたかも本当に絶対であるかの如くに振舞われた戦争中さえ、実は本物でなく、終戦と同時に一億総転向をしているからである。あの大変革のとき方孝濡はいたのか。いたかいなかったかが問題ではない。たとえいても、だれも消そうとしなかったのに、消えてしまったからである。それでいて日本人は、常に、政治的絶対主義を尊敬し、そうでない自分を劣れる者と見なしたがる。これもまた徳川時代にはじまる伝統である。そのために常に「現人神」を求めつづけ、時にはスターリンに、また毛沢東に求め、それが消えると落胆して、また他に求めるのである。これは、元来は「政治が宗教ではない世界」が、「政治が宗教である世界」に抱く羨望であろう。

(政治が宗教になる世界)



 

 昭和31年、世田谷の自宅でキリスト教書専門出版社『山本書店』を創立。45年、神戸生まれと称するユダヤ人、イザヤ・ベンダサンの著書『日本人とユダヤ人』が大ベストセラーとなり、翻訳者として衝撃的にあるいは華々しく世に登場した山本七平は、多くの日本人に「日本人」、「日本教」について鋭く問題定義をしたが、イザヤ・ベンダサンとは果たして何者なのかという疑問が各方面から取りざたされ話題になった。
 ——平成3年12月10日午前8時30分、膵臓がんにより東京・千代田区四番町の自宅で死去。遺骨の一部はイスラエルで散骨された。山本の死後10年以上経過してからは、ベンダサン名の著作が事実上山本のものとして扱われるようになった。



 

 『日本人とユダヤ人』がベストセラーとなったことによって、ユダヤ人に関する記述の不正確さや著者名への疑問など、方々に予期せぬ波紋が広がっていったが、イザヤ・ベンダサンを介して日本および日本人論を独自の見解で展開したかったのであろう山本七平の真意はあやふやなまま、武蔵野外れの霊園に「吾等之高櫓也」と刻まれた墓石が建つ。白い玉石のあいだから這い出した雑草の全ては枯れ果てようとしていたが、勢いよく伸びた数株のすすきの穂は薄陽の中に入り、白金の輝きを放っている。
 暮れかかろうとする聖域の一隅で、幾層にも積み重なってきた私の記憶も肉体も、その光沙に清められ、澄み切った宙天にふわりと差し上げられて行くような気がして、心地よい時を味わっていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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