保田與重郎  やすだ・よじゅうろう(1910—1981)


 

本名=保田與重郎(やすだ・よじゅうろう
明治43年4月15日—昭和56年10月4日 
享年71歳 ❖炫火(かぎろひ)忌  
滋賀県大津市馬場1丁目5–12 義仲寺(単立)
奈良県桜井市桜井976 来迎寺
(融通念仏宗)



評論家。奈良県。東京帝国大学卒。大学在学中に同人誌『コギト』を創刊して文筆活動に入る。昭和10年亀井勝一郎らと雑誌『日本浪曼派』を創刊、民族主義と反近代主義を標榜して昭和10年代の指導的評論家になる。『日本の橋』『近代の終焉』『現代畸人伝』などがある。



 義仲寺の墓

 奈良県桜井市・来迎寺の墓


  

 名古屋熱田の町を流れてゐる精進川に架せられた執断橋は、もう昔のあとをとゞめないが、その橋の青銅擬宝珠は今も初めのまゝのものを残しが鏤められてゐるのである。(略)

 てんしゃう十ねん二月十八日に、をたはらへの御ぢんほりをきん助と申、十八になりたる子をたゝせてより、又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじゃうぶつし給へ、いつかんせいしゅんと、後のよの又のちまで、此かきつけを見る人は念仏申給へや、卅三年のくやう也。

 銘文はこれだけの短いものである。(略)私はこの銘文を橋に雕み、和文で描いた女性のいさゝかもといふととばを愛した。稚な心にものあはれ、と詩神の天一賦の選ぼれた人聞のもつ表情である。た女性のいさ了かも巧まうとはしなかった叡智の発生を思ふとき、今も感動に耐へない。(略)わが誇りをゆきて同胞を伝へよといふのではない。光栄を語りつげよと説くのでもない。この勇ましい若武者の母はあはれにも美しく、念仏申し給へやとかいたのである。名もない町の小川に架けられた橋はおそらく代々の風流の士に限りなく有難い涙をもよほさせたであらう、歳月が過ぎて三百年を数へようと、たゞその永劫に美しい感傷、一切人文精神の地盤たる如きかゝる感傷にふれるとき今宵も私は理智を極度にまで利用してみつゝなほつひに敗れて愚かな感動の涙にさへぬれ、この一時の瞬間をむしろ尊んでは、かゝる今宵の有難さと、むかし蕪村が稀有の機縁を嘆じて歌った詩にかりて思ってみる。それこそ最後の理智と安んじたい我らのなさけない表情であらうか。


(日本の橋)



 

 昭和10年代、ドイツ・ロマン派から学んだイロニッシュな文体で呼びかけた保田與重郎の標榜する〈日本主義〉〈日本的なものへの回帰〉〈敗北の美学〉などは第二次大戦下の青年層に大なる影響をあたえ、多くの若者は安んじて戦場に散っていったが、戦後、そのことによって向けられた糾弾の嵐にも自説について一切のいいわけをせず、のちに〈私の文章によって、己の決意をたしかめ、生死を超越した若者の心を、私は自身の負目として考へつづけ、又生きつづけてゆくべきである。〉とした保田の潔さをいまは諾としよう。後年は京都・鳴滝に住み、超俗の暮らしを楽しんでいたのだが、56年10月4日午前11時45分、肺がんのため京都大学胸部研究所附属病院で家族や弟子に見守られながらひそかに世を去った。 



 

 農耕に没頭した戦後の沈黙を破って〈紙無ケレバ、土ニ書カン。空ニモ書カン。〉と絶唱した〈隠遁詩人〉保田與重郎の墓は密葬の行われた大津市の義仲寺にある。昭和40年、荒廃した現状を憂い、保田らの尽力によって再建がなったこの寺には木曾義仲は無論のこと、俳聖松尾芭蕉の亡骸も埋葬されている。狭小な境内の無名庵の奥に建つ分骨を埋葬した「保田與重郎墓」。赤みがかった自然石の碑が少し左に首をかしげているのが心和む風情であった。保田家の墓は生家菩提寺の奈良県桜井市にある来迎寺と鳥見山山麓の市営外山区共同墓地霊園にあり、市営墓地には與重郎の墓があるということだが、私は未だ訪れる機会を得ていない。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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