藤原仲実 ふじわらのなかざね 天喜五〜元永元(1057-1118)

藤原式家。越後守能成の息子。母は源則成女。蔵人・三河守・備中守・紀伊守・越前守を経て、正四位下中宮亮に至る。
承暦二年(1078)内裏歌合、永保二年(1082)前出雲守経仲歌合、承暦四年(1080)及び永保三年(1083)の篤子内親王侍所歌合、康和二年(1100)宰相中将国信歌合、長治元年(1104)左近衛権中将俊忠歌合、天永元年(1110)帥時家歌合、永久四年(1116)の鳥羽殿北面歌合・六条宰相歌合・雲居寺結縁経後宴歌合などに出詠。「堀河百首」「永久百首」作者。堀河院歌壇の中心メンバーの一人として活躍した。『綺語抄』『古今和歌集目録』『類林抄』などの著がある。金葉集初出。勅撰入集二十三首。

これは金葉集頃の歌人たちの多くに共通する特色でもあるのだが、一種の歌語辞典とも言える『綺語抄』の著者だけあって、仲実はことに語彙に対する関心が強いように見える。時には衒学趣味をひけらかす気味もあり、時には殊更新奇な言葉遣いを楽しんでいるようにも見える。語彙を広げることは、和歌の題材を押し広げることにつながり、その点彼も当時の新風に与したと言えよう。しかし詞が先行して心(情趣)が追いついていなかったり、題材にもたれかかったりしている作例が少なくない。これもまた、院政期初め頃の歌人たちに見られる一般的な傾向であった。

堀河院に百首歌たてまつりける時、残の雪のこころをよみ侍りける

春来ては花とも見よと片岡の松のうは葉にあは雪ぞふる(新古19)

【通釈】春になったのだから、花として見よというように、片岡に生えている松の、高い方の枝の葉に淡雪が降り積もっている。

【語釈】◇片岡 なだらかに続く丘陵地を意味する「岡」に対し、野中にぽつんとあるような小丘や、山へとつながっている傾斜地などを「片岡」と言った。但し大和の歌枕片岡山とみる説もある。

【補記】長治二年(1105)から同三年の間に奏覧されたと見られる堀河百首の一首。

摂政左大臣家にて、紅葉隔墻といへる心をよめる

もずのゐる(はじ)立枝(たちえ)のうす紅葉たれ我がやどの物と見るらむ(金葉243)

【通釈】百舌が止まっている櫨(はぜ)の木の高く伸びた枝の葉は、薄く紅葉している。誰が自分の家のものとして眺めるのだろうか。

ハゼの紅葉
櫨紅葉 初めは明るい橙色で、やがて深紅になる。ハゼノキはウルシ科ウルシ属。

【補記】藤原忠通邸歌会。どこかの屋敷の垣根越しに美しい紅葉を見た、という設定。庭の櫨の紅葉を独占して見れる人を羨ましがっている。百舌も櫨も当時は珍しい題材。

【他出】和歌一字抄、古来風躰抄、題林愚抄

【参考歌】坂上定茂「後拾遺集」
よそながらをしき桜のにほひかな誰わがやどの花とみるらん

【主な派生歌】
もずのゐるはじの立枝のひと葉よりさそひそめぬる秋の木がらし(伏見院)
もずのゐるはじの立枝は色付きて岡辺さびしき夕日影かな(飛鳥井雅親)

堀河院御時、百首歌たてまつりける時、よめる

山里はさびしかりけり木枯の吹く夕暮のひぐらしの声(千載303)

【通釈】秋も半ばを過ぎた山里の夕暮はさびしいものだなあ。冬も間近いことを思わせる木枯しが吹いて、命も終りに近い蜩の鳴く声がする。

【補記】冬の近いことを告げる「木枯し」と、初秋の風物「ひぐらし」の取り合わせは意表を突く。堀河百首。題は「虫」。

堀河院御時、百首歌たてまつりける時、初冬の心をよみ侍りける

泉川水のみわたのふしづけに柴間のこほる冬は来にけり(千載389)

【通釈】泉川の水曲(みわた)に柴漬(ふしづけ)が沈めてある。冬になると、その小枝の隙間に氷が張る。そんな厳しい寒さの季節になったのだ。

【語釈】◇泉川 木津川の古称。鈴鹿山脈に発し南山城を流れ巨椋池に注いでいた。◇みわた 水曲。川などの流れが曲って淀んでいるところ。◇ふしづけ 冬の間、川に柴を束ねて沈め、魚を獲る仕掛け。

不遇恋

たたらたて吹けば真金(まがね)もわくものを恋にとけせぬ人や何なる(堀河百首)

【通釈】踏鞴(たたら)を働かせて空気を吹き送れば、あの堅い鉄も熱で溶けるものなのに。恋しいといくら言っても心を解いてくれない人というのは、一体なになのか。

堀河院中宮の歌合に、恋

思ひかねつれなき人のはて見んとあはれ命の惜しくもあるかな(玉葉1346)

【通釈】あの人が恋しくてどうしようもなくて…。せめて、私につらくあたるあの人の最期を見届けたい。ああ、それだけのために命が惜しく思えるのだ。

【語釈】◇堀河院中宮 後三条天皇第四皇女、篤子内親王。寛治七年(1093)、堀河天皇の中宮となる。承暦四年(1080)及び永保三年(1083)に侍所歌合を主催した。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成19年09月30日