壬生忠岑 みぶのただみね 生没年未詳

忠峯、忠峰などとも書く。父は散位安綱。子に忠見がいる。
身分の低い武官の出身だったらしく、若い頃は六衛府の下官を歴任。左兵衛番長を経て、延喜初年頃、右衛門府生。その後、御厨子所預などを経て、摂津権大目。『古今和歌集目録』は最終官位を六位とするが、官歴からして位が高すぎると疑問視する説もある。また『大和物語』百二十五段には、藤原定国(醍醐天皇生母である胤子の弟で、大納言右大将に至る)の随身だったと見える。
歌人としては、寛平年間から活躍が見え、是貞親王家歌合や、五年(893)の后宮歌合などに参加。延喜七年(907)、宇多法皇の大井川行幸に献歌。
古今集撰者。家集『忠岑集』がある。また歌論書『和歌体十種』の序に忠岑の撰とあるが、偽作説が有力である。三十六歌仙の一人。勅撰入集計八十四首。

  3首  5首  7首  2首  11首 哀傷 5首  2首 計35首

平貞文が家の歌合に詠み侍りける

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)

【通釈】春になったと、そう思うだけで、山深い吉野山もぼんやりと霞んでいかにも春めいて今朝は見えるのだろうか。

【語釈】◇春たつ (暦の上で)春になる。◇吉野の山 奈良県の吉野地方の山々。京都からは南になるが、山深い土地であり、春の訪れは遅い場所と考えられた。その吉野でさえも霞んで見える、ということは、暦通りに、すっかり春になったのだろうか、と言うのである。

【補記】この歌は拾遺集巻頭を飾り、公任『九品和歌』に最高位の「上品上」の例歌とされるなど、古来秀歌中の秀歌として名高い。

【他出】古今和歌六帖、三十人撰、金玉集、深窓秘抄、三十六人撰、九品和歌、和漢朗詠集、忠岑集、前十五番歌合、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、梁塵秘抄、近代秀歌(自筆本)、秀歌大体、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、詠歌一体

【主な派生歌】
年のうちに春立ちぬとや吉野山霞かかれる峰の白雪(藤原俊成)
吉野山かすめる空を今朝見れば年はひと夜のへだてなりけり(藤原定家)
み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり(*藤原良経[新古今])
夏きぬといふばかりにやあしびきの山も霞の衣かふらむ(藤原良経)
春たつといふばかり見しいづくとて行手に霞むのべの曙(藤原家隆)
春たつといふばかりなる月日にてけふより空や霞みそむらん(藤原雅経)
花はただなほ白雲に霞みぬといふばかりにやみ吉野の山(〃)
うちきらし猶ふる雪も春たつといふばかりにや花とみゆらむ(藤原家経[玉葉])
春たつといふばかりには霞めども猶雪ふかしみ吉野の山(宗良親王)
桜花今やさくらむみ吉野の山もかすみて春雨ぞふる(後円融院[新後拾遺])

春のはじめの歌

春来ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ(古今11)

【通釈】春が来たと世間の人は言うけれども、鶯が鳴かないうちは、まだ春ではあるまいと私は思うよ。

【補記】鶯は春の到来を告げる鳥。暦の上では立春とは言え、まだ春の実体を伴っていないから、春とは認めない。俗世間に染まない風流の姿勢をささやかながらも示している。下句は強い調子だが、それも軽い洒落の気持から。

【他出】古今和歌六帖、忠岑集、三十人撰、九品和歌(中中)、詠歌一体

【主な派生歌】
冬きぬと人はいへども朝氷むすばぬほどはあらじとぞおもふ(曾禰好忠)
郭公なかぬかぎりはたちばなのにほふ垣ねぞ人だのめなる(兼好)

平貞文が家の歌合に

春はなほ我にてしりぬ花ざかり心のどけき人はあらじな(拾遺43)

【通釈】春という季節はやはりそうなのだと、我が身を顧みて知ったよ。花盛りの時に、心のどかでいる人などあるまいよなあ。

【他出】古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十六人撰、忠岑集

【参考歌】在原業平「古今集」
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

【主な派生歌】
ひとりぬる我にてしりぬ池水につがはぬ鴛鴦のおもふ心を(藤原公実[千載])
なぐさめぬ我にてしりぬよの人もかくやみるらむ秋のよの月(宗尊親王)
立ちかへり我にてしりぬうらみわびなやます花の心づくしを(木下長嘯子)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

暮るるかと見れば明けぬる夏の夜をあかずとやなく山郭公(古今157)

【通釈】日が暮れたかと見れば、たちまち明けてしまう夏の夜――その短さを不満だと鳴くのか、山ほととぎすよ。

【補記】「あかず」は「飽かず」で、満ち足りないということ。「明かず」と掛詞と見れば、まだ「明けていないと思ってか」の意も響く。

【主な派生歌】
暮るるかとおもへば明けぬ兼てよりいづら待ちつる秋の一よは(俊恵)
暮るるかとみれば明けぬる山のはにかたぶくほども夏の夜の月(後鳥羽院)
きのふとやけふとやいはむ暮るるかとみればあかしの浦の月影(藤原為家)
暮るるかとみしは霞のくもるにて夜になる程の雨ぞ日ながき(中院通勝)

はやく住みける所にて時鳥の啼けるを聞きてよめる

むかしべや今も恋しき時鳥ふるさとにしも啼きて来つらむ(古今163)

【通釈】昔が今も恋しいのか、ほととぎすよ。それでおまえは馴染みの古里に啼きながらやって来たのだろう。

【補記】昔住んでいた所で時鳥が鳴いたのを聞いて詠んだ歌。過去を懐かしみ、故郷を恋うる思いを時鳥と共有している。『忠岑集』では初句「いにしへや」。

【他出】忠岑集、定家八代抄、僻案抄

【参考歌】弓削皇子「万葉集」巻二
いにしへに恋ふる鳥かもゆづる葉の御井のうへより鳴き渡りゆく

【主な派生歌】
袖の香の花にやどかれほととぎす今も恋しき昔とおもはば(藤原定家)

題しらず

夢よりもはかなきものは夏の夜の暁がたの別れなりけり(後撰170)

【通釈】夢での逢瀬もはかないけれど、もっと果敢なく辛いもの――それは夏の短か夜が明けようとする頃の、恋人との別れであったよ。

【補記】『忠岑集』には詞書「しのびて女のもとにはべしに、いくばくもなくてあけはべしかば」とあり、もとは後朝の別れの歌。

【他出】忠岑集、俊成三十六人歌合、定家十体(幽玄様)、時代不同歌合

【参考歌】よみ人しらず「拾遺集」
夢よりもはかなきものはかげろふのほのかに見えしかげにぞありける

【主な派生歌】
三月かげはうつつながらにゆ夢よりもはかなきものと短夜の空(飛鳥井雅有)
夢よりもけにはかなしやおもひつつぬればとたのむ心よわさは(堯孝)
時しあれば夜を長月の夢よりもうつつはかなく暮るる秋かな(正徹)
夢よりもはかなき夢におき出でてかへる空にぞ鳥も鳴きける(三条西実隆)

右大将定国四十の賀に内より屏風調(てう)じてたまひけるに

おほあらきの森の下草しげりあひて深くも夏のなりにけるかな(拾遺136)

【通釈】「老いぬれば」と歌われた大荒木の森の下草だが、今は盛んに茂り合って、草深くなっている。そのように、夏も深まったことだなあ。

【補記】藤原定国の四十歳を祝う屏風歌。「おほあらきの森」は不詳。大和国または山城国の歌枕。奈良県五条市の荒木神社の杜とする説や、京都桂川河川敷の森とする説などがある。

【他出】寛平御時中宮歌合、忠岑集、古今和歌六帖、新撰朗詠集、秀歌大体

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
おほあらきの森の下草おいぬれば駒もすさめずかる人もなし

延喜御時、月次屏風に

夏はつる(あふぎ)と秋の白露といづれかまづは置かむとすらむ(新古283)

【通釈】夏が終わって扇を置き捨てるのと、秋の白露が草葉の上に置くのと、どちらが先になるのだろうか。

【補記】『忠岑集』の詞書は「延喜の御時の月なみの御屏風に、夏果つるに」。醍醐天皇の御代、「夏果つる」を題とする屏風絵に添えた歌。

【他出】忠岑集、和漢朗詠集、定家八代抄

【主な派生歌】
道柴の露にあらそふ我が身かないづれかまづは消えむとすらむ(藤原実頼)
白露とあらそひながら今日もまた扇はえこそ置かれざりけれ(肥後)
夏はつる扇に露もおきそめてみそぎすずしき賀茂の川風(藤原定家)
夏はつるあふぎのさきにおきそめて草葉ならはす秋の白露(藤原為家)
夏はつる扇の風にみを秋の涙の露や先におくらむ(足利義教)

是貞のみこの家の歌合によめる

久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればやてりまさるらむ(古今194)

【通釈】月に生えている桂の木も、秋はやはり紅葉するので、このようにいっそう照り輝くのだろう。

【語釈】◇久方の 「月」の枕詞◇月の桂 月に桂が生えているとは唐土渡来の伝説。月の影になって見える部分を桂の木(とその枝を刈る男)に見立てたものかという。彼の地では桂花(キンモクセイの類。常緑樹で紅葉しない)を言ったらしいが、和歌では落葉高木の桂に擬え、秋の明月を紅葉と関わらせて詠んだ例が多い。

【他出】是貞親王家歌合、新撰和歌、古今和歌六帖、忠岑集、秀歌大体、定家八代抄

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
黄葉する時になるらし月人の桂の枝の色づく見れば

【主な派生歌】
夏の夜の月の桂の下紅葉かつがつ秋の光をぞ待つ(二条院讃岐[新続古今])
よひの間の月のかつらのうす紅葉照るとしもなき初秋の空(鴨長明)
久方の月の桂のしたもみぢ宿借る袖ぞ色にいでゆく(藤原定家)
紅葉する月のかつらにさそはれて下のなげきも色ぞうつろふ(〃)
ことわりの秋にはあへぬ涙かな月の桂もかはる光に(俊成女[新古今])
秋の色を払ひはててや久かたの月の桂に木枯しの風(雅経[新古今])
見るままに色かはりゆく久方の月の桂の秋のもみぢ葉(藤原資季[新勅撰])
ながめつつ月の桂の紅葉葉は時雨せぬにぞ秋まさりける(順徳院)
照りまさる月の桂のもみぢばはちらぬ高根に秋風ぞふく(正徹)

是貞のみこの家の歌合の歌

山里は秋こそことにわびしけれ鹿のなくねに目をさましつつ(古今214)

【通釈】山里は秋こそが取り分け侘びしいよ。鹿の鳴く声に毎朝目を覚まして。

【主な派生歌】
なく鹿の声にめざめて偲ぶかな見はてぬ夢の秋の思ひを(慈円[新古今])
山里は秋の寝覚ぞあはれなるそことも知らぬ鹿の鳴くねに(後白河院[続古今])
侘び人の秋の寝覚はかなしきに鹿の音遠き山里も哉(今出河院近衛[続千載])

是貞のみこの家の歌合に

松のねに風のしらべをまかせては龍田姫こそ秋はひくらし(後撰265)

【通釈】松がたてる音に風の奏でる曲調を任せて、秋という季節には龍田姫が琴を弾くらしい。

【補記】風が松の梢を響かせる音を、秋の女神である龍田姫が演奏していると見た。

【参考歌】紀貫之「拾遺集」、凡河内躬恒「躬恒集」
松のねは秋のしらべにきこゆなりたかくせめあげて風ぞひくらし

【主な派生歌】
琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(斎宮女御[拾遺])

朱雀院の女郎花合によみてたてまつりける

人の見ることやくるしきをみなへし秋霧にのみたちかくるらむ(古今235)

【通釈】人に見られることが辛いのだろうか。女郎花は、秋の霧に隠れてばかりいる。

【補記】「をみなへし」の「をみな」は美女・佳人の意。それゆえ人から注目されるのである。詞書にある「朱雀院の女郎花合(をみなへしあはせ)」は、昌泰元年(898)秋、宇多上皇の主催。女郎花の花に歌を添えて、花と歌の優劣を競った。

是貞のみこの家の歌合によめる

秋の夜の露をば露とおきながら雁の涙や野べをそむらん(古今258)

【通釈】鮮やかに色づいた野辺の草木を見れば、秋の夜の露を露として置いているものの、そのためにこれ程紅くなったとは見えない。とすれば、空を渡る雁の涙が落ちて、紅く染めるのであろうか。

【補記】夜露が草木を色づかせるという当時の常識と、雁の涙を詠んだ下記参考歌を踏まえての作。悲しげに啼く雁の声から、その紅涙が落ちて草葉を染めたと想像した。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
なきわたる雁の涙やおちつらむ物思ふ宿の萩のうへの露

【主な派生歌】
袖におく露をば露と忍べどもなれゆく月や色を知るらむ(源通具[新古今])
今よりの露をばつゆと荻の葉に涙かつ散る秋風ぞ吹く(津守国助[続拾遺])
袖の上の露をばつゆと払ひても涙数そふ秋の夕暮(道応[新後拾遺])

是貞のみこの家の歌合の歌

山田もる秋のかりいほにおく露はいなおほせ鳥の涙なりけり(古今306)

【通釈】山裾の田を見張る秋の仮庵に置いている露は、稲負鳥(いなおほせどり)の涙であったよ。

【補記】「いなおほせ鳥」は古今伝授の三鳥の一つ。秋、田のそばで鳴く鳥として歌に詠まれることが多い。今のどの鳥に当るかは不明。近世では鶺鴒(せきれい)とするのが通説であった。

【主な派生歌】
秋くればいなおほせ鳥の涙かも草の葉ごとに露ぞこぼるる(二条太皇太后宮大弐)
露けさもおのが涙か秋の田のいなおほせ鳥はなかずもあらなむ(藤原為家)
露ならぬいなおほせ鳥の涙さへさもひちまさる秋の袖かな(藤原知家)
秋の田は涙ならでも置く露をいなおほせ鳥におほせつるかな(宗良親王)

右大将定国の家の屏風に

千鳥鳴く佐保の川霧たちぬらし山の木の葉も色かはりゆく(拾遺186)

【通釈】千鳥の鳴く佐保川の川霧が立ちのぼったらしい。周囲の山々の木の葉も色が変わってゆく。

【語釈】◇千鳥鳴く 「佐保」の常套的修飾句で、枕詞に近いもの。◇川霧たちぬらし 秋の冷たい霧が木の葉の色を変えたと見た。

【補記】古今集巻七賀歌に作者名不明記、末句「色まさりゆく」として載る。『忠岑集』も同様。

寛平御時きさいの宮の歌合の歌 (二首)

み吉野の山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ(古今327)

【通釈】積もった白雪を踏み分けて吉野の山深く入って行った人が、その後は便りも寄越さない。

【補記】出家して冬の吉野山に入った人が、俗世間との交渉を絶ち、修行に専念していることに対する感慨を詠む。

【主な派生歌】
霞分け入りにし人の音信も花にほどふるみよしのの山(藤原家隆)
芳野山今朝ふる雪やつもるらむ入りにし人の跡だにもなし(土御門院[新続古今])
よしの山いりにし人のおとづれもたえてひさしき雪のかよひ路(順徳院)
吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき(静御前)
さきいでて花に世やうき吉野山入りにし人のあとうづむなり(正徹)

 

しら雪のふりてつもれる山里はすむ人さへや思ひきゆらむ(古今328)

【通釈】白雪が降り積もった山里は、心が沈んでゆくようで、住む人さえも思いの火が消えるのであろうか。

【補記】「思ひ」の「ひ」に「火」を掛け、「きゆ」と縁語になる。

春日のまつりにまかれりける時に、物見にいでたりける女のもとに、家をたづねてつかはせりける

春日野の雪まをわけておひいでくる草のはつかに見えし君はも(古今478)

【通釈】春日野の雪の間を分けて芽生え、育ってくる草のように、ほんのちょっとだけ見えたあなたですことよ。

春日野
春日野 奈良県奈良市。御笠山・若草山の麓に広がる野。

【補記】春日神社の春祭りに行った時、見物に来ていた女のもとに、その後家を探し当てて贈った歌。

【他出】忠岑集、古今和歌六帖、五代集歌枕、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】
かた岡の雪まにねざす若草のほのかに見てし人ぞ恋しき(曾禰好忠[新古今])
跡をだに草のはつかに見てしがな結ぶばかりの程ならずとも(和泉式部 〃)
下もゆる雪間の草のめづらしく我が思ふ人にあひ見てしがな(和泉式部)
山の端に待たれて出づる月影のはつかに見えし夜半の恋しさ(藤原定家)
枕とて草のはつかに結べども夢もみじかき春のうたた寝(〃)
春日野の草のはつかに雪消えてまだうらわかき鶯の声(藤原良経)
さを鹿のつめもかくれぬ春草のはつかに見えて逢はぬ君かな(*雅成親王)

寛平御時きさいの宮の歌合の歌

かきくらしふる白雪の下ぎえにきえて物思ふころにもあるかな(古今566)

【通釈】空をかき曇らせて降り、盛んに地面に積もる雪が、下の方から融けて消えてゆくように、心の底では消え入りそうな思いをしながら過ごしているこの頃であるよ。

【補記】人に知られまいと表面には出さないが、心の奥底では死にそうなほど苦しんでいる恋。

題しらず

秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人の恋しかるらむ(古今586)

【通釈】秋風の吹く中、どこかでかき鳴らす琴の音が聞こえるのにつけても、あの人が恋しくなるのだ。むなしいと分かっているのに、どうしてなのだろう。

【他出】忠岑集、古今和歌六帖、色葉和難集

題しらず (二首)

風吹けば峯にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か(古今601)

【通釈】風が吹いた途端、峰から離れてゆく白雲のように、全く素っ気もないあなたの心であるよ。

【補記】「たえて」は普通下に打消の語を伴って「全然…ない」の意になる。また「(私との仲が)絶えて」の意を掛けるか。

【他出】貫之集、忠岑集、古今和歌六帖、定家八代抄、詠歌一体
(貫之集・古今和歌六帖など、結句を「人の心か」として載せる本もある。)

【主な派生歌】
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空(*藤原定家[新古今])
桜花夢かうつつか白雲の絶えてつれなき峯の春風(家隆 〃)
横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆる初雁の声(西行 〃)
風ふかば峯に別れむ雲をだにありし名残の形見とも見よ(家隆 〃)
あひ見ても峯にわかるる白雲のかかる此の世のいとはしきかな(源季広 〃)
うつりゆく人の心は白雲のたえてつれなき契りなりけり(藤原良経[新続古今])
暁やまだ深からし松のうれに別るともなき嶺の白雲(藤原為基[風雅])

 

月かげにわが身をかふる物ならばつれなき人もあはれとや見む(古今602)

【通釈】誰しも月を賞美するから、月に我が身を変えることができるならば、無情なあの人もいとしいと思って私を見てくれるだろうか。

【語釈】◇月かげ 月の光。ここでは月そのものを言う。

【主な派生歌】
月影に身をやかへましあはれてふ人の心にいりてみるべく(*源計子)

題しらず

命にもまさりて惜しくあるものは見はてぬ夢のさむるなりけり(古今609)

【通釈】命にもまさって惜しいのは、すっかり見終わらないうちに夢が覚めてしまうことであったのだなあ。

【補記】家集では詞書「昔ものなどいひはべりし女のなくなりにしが、あか月がたに夢にみえはべりしかば」とある。

【主な派生歌】
山桜命にかへて惜しめとや見はてぬ夢と花の散るらむ(*本居春庭)

〔題欠〕

わが玉を君が心に入れかへて思ふとだににも知らせてしがな(忠岑集)

【通釈】私の魂をあなたの心に入れ替えて、恋しく思っていることだけでも知らせたい。

【補記】玉葉集に第五句を「言はせてしがな」として入集。

〔題欠〕

日暮るれば山のは出づる夕づつの星とは見れどはるけきやなぞ(忠岑集)

【通釈】日が暮れると山の端から現れる宵の明星――その「ほし」ではないが、「欲し」とあなたを見るけれど、遥かに遠いのは何故か。

題しらず

有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし(古今625)

【通釈】有明の月が、夜の明けたのも知らぬげにしらじらと空に残っていた、あの別れ以来、暁ほど厭わしいものはなくなった。

【語釈】◇有明 月が空に残っているまま、夜が明けること。また、その頃の時間を言う。◇つれなく見えし 冷淡に見えた。「つれなし」は、自分の意に反して、相手の態度が冷淡であったり無情であったりするさまを言う。何が「つれなく見え」たのかについては、月とする説、女とする説、また月・女両方を兼ねるとみる説がある。◇別れ 後朝(きぬぎぬ)の別れ。但し、明け方まで女に逢えないまま帰った、と解する説もある。◇あかつき 夜が明けようとする頃。古くは「あかとき(明時)」と言った。◇憂き 嫌な・辛い・憂鬱な。

【補記】有明の別れと言えば、後朝(きぬぎぬ)の別れ(共に一夜を過ごした後の別れ)と解するのが王朝和歌の常識である。ところがこの歌、古今集では「逢はぬ恋」の歌群にあり、男が女のもとへ行ったものの思いを遂げられずに帰った歌と解釈するほかないようだ(忠岑は古今集の撰者の一人である)。すなわち「つれなく見え」たのは女であり有明の月でもあった、と見るのが妥当であろう。但し『顕註密勘』(顕昭の古今集注釈書『古今秘注抄』に藤原定家が説を付加した書)の顕昭の注には「これは女のもとより帰るに、われはあけぬとて出るに、ありあけの月はあくるもしらず難面(つれなく)みえしなり」とあり、後朝の別れの歌で、つれなく見えたのは月であるとする。定家もこの説を肯定し「つれなく見えし、此心にこそ侍らめ」と注している。続けて定家は「此詞のつづきはおよばず艶にをかしくもよみて侍るかな。これ程の歌一つ読み出でたらん、この世の思ひ出に侍るべし」と絶賛の詞を綴っている。

【他出】古今和歌六帖、忠岑集、新撰朗詠集、俊成三十六人歌合、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、近代秀歌(自筆本)、詠歌大概、八代集秀逸、別本八代集秀逸(後鳥羽院・家隆・定家撰)、時代不同歌合、百人一首

【主な派生歌】
有曙のつれなく見えし浅茅生におのれも名のみまつむしのこゑ(藤原家隆)
おほかたの月もつれなき鐘の音に猶うらめしき有明の空(藤原定家)
花の香も霞みてしたふ有明をつれなく見えてかへる雁がね(〃)
面影も待つ夜むなしき別れにてつれなく見ゆる有明の空(〃)
有明のあかつきよりも憂かりけり星のまぎれの宵のわかれは(〃)
有明のつれなく見えし月は出でぬ山郭公待つ夜ながらに(藤原良経[新古今])
つれなさのたぐひまでやはつらからぬ月をもめでじ有明の空(藤原有家 〃)
契りきやあかぬ別れに露おきし暁ばかり形見なれとは(通具 〃)
おもかげを幾夜の月にのこすらむつれなくみえし人の名残に(後鳥羽院)
有明のつれなく見えし空のみやなれし名残のかたみなるべき(〃)
起き別れつれなくみえしあかつきの憂かりし空ぞかたみなりける(藤原秀能)
更にまた暮をたのめと明けにけり月はつれなき秋の夜の空(*源通光[新古今])
別れ路の有明の月のうきにこそたへて命はつれなかりけれ(藤原為家[続拾遺])
つれなさのたぐひならじと有明の月にしも鳴く時鳥かな(西園寺実兼[新拾遺])
つれなくて世に有明の月もみつただ我ばかり憂きものはなし(玄忠[続千載])
私語(ささめき)の尽くべき秋の一夜かは七夕ばかり憂き中はなし(*耕雲)
つれなくて有明過ぎぬ郭公この三か月にきえし一こゑ(正徹)
つれなさの面影かくせ三か月のわれて又みる有明の雲(〃)
しの薄つれなく見えし夕かな月もほのめくあだし野の露(肖柏)
夢さむる老の枕に有明のつれなきかげは我もさながら(下冷泉政為)
待ちいづる月は有明の窓のうちにしひてつれなき夜の灯(三条西実隆)
待つほどはつれなくみえし山のはも月の麓にとほざかりつつ(霊元院)
待出でて帰るこよひぞつれなさは人に見はつる有明の月(後水尾院)

題しらず

思ふてふことをぞねたく(ふる)しける君にのみこそ言ふべかりけれ(後撰741)

【通釈】「思う」という詞を、悔しいことに、使い古してしまいました。あなたにだけ言うべきでしたのに。

【補記】『忠岑集』の詞書は「女にはじめてあひて侍しに、いみじうあはれに侍しかば」。

題しらず

もろくともいざしら露に身をなして君があたりの草にきえなむ(新勅撰883)

【通釈】もろい命であろうと知ったものか。さあ白露にわが身をなして、あなたの近くの草の上で消えたいよ。

【補記】「いざしら露」に「いざ知らず」の意を響かせている。

哀傷

あひしれりける人の身まかりにける時によめる

ぬるがうちに見るをのみやは夢といはむ儚き世をもうつつとはみず(古今835)

【通釈】寝ている間に見る物ばかりを夢と言おうか。いや、はかないこの世にしたところで、現実とは思えないのだ。

【主な派生歌】
大かたのうつつは夢になしはてつぬるがうちには何をかもみむ(後鳥羽院)
過ぎぬればうつつも夢にかはらぬをぬるがうちとも思ひけるかな(源具房[続古今])
ぬるがうちに逢ふとみつるも頼まれず心のかよふ夢路ならねば(長舜[風雅])
ぬるがうちに見るより外のうつつさへいやはかななる夢になりぬる(為基 〃)
春や夢さきそめしよりぬるがうちにみるにもあらぬ花ぞ散り行く(正徹)

あねの身まかりにける時によめる

瀬をせけば淵となりてもよどみけり別れをとむるしがらみぞなき(古今836)

【通釈】瀬の流れを塞き止めると、淵となって淀みができます。しかし、この永遠の別れを止める柵などありません。

【補記】水の流れは塞き止められても、時の流れは止められない。

【主な派生歌】
忍ばじよ岩間づたひの谷川も瀬をせくにこそ水まさりけれ(藤原公継[新古今])
冬川の淵ともならで淀めるはいかに瀬をせく氷なるらむ(藤原実伊[続古今])
もらさじと思ふ心やせきかへす涙の川にかくるしがらみ(藤原兼宗[続拾遺])
みな人のつひに行くなるみつせ河その瀬にかへるしがらみぞなき(藤原光俊[新千載])
思ひせく涙の川の淀はあれど絶えむ命のしがからみぞなき(惟賢[新続古今])

紀友則が身まかりにける時よめる

時しもあれ秋やは人のわかるべきあるを見るだに恋しきものを(古今839)

【通釈】時もあろうに、秋に人と別れるなんて、そんなことがあってよいものだろうか。生きている姿を見ているだけでも、恋しいものなのに。

【補記】紀友則の亡くなったのはおそらく延喜五年(905)秋。古今集撰者に任命されて後まもなくのことであったと思われる。

【他出】忠岑集、三十六人撰、定家八代抄

【主な派生歌】
この秋ぞつひの別れとなりにけるあるを見るだに悲しかりしを(石川依平)

ちちがおもひにてよめる

ふぢ衣はつるる糸はわび人の涙の玉の緒とぞなりける(古今841)

【通釈】喪服のほつれた糸は、悲しみに心を乱す人の涙を貫きとめる緒となったことです。

【補記】父の喪に服していた時の歌。「ふぢ衣」は喪服を意味する歌語。

おもひに侍りける人をとぶらひにまかりてよめる

墨染の君がたもとは雲なれやたえず涙の雨とのみふる(古今843)

【通釈】薄墨色のあなたの袂は雲でしょうか。絶えず涙が雨のごとくに降っています。

【補記】喪に服している人の家を訪ねて。

題しらず

東路のさやの中山さやかにもみえぬ雲ゐに世をやつくさむ(新古907)

【通釈】東国への道中にある佐夜の中山の、はっきりと、見えないこの雲の中――都から遠く離れたこんな所で、一生を終えるのだろうか。

【補記】「さやの中山」は遠江の歌枕で、東海道の難所。同音から「さやか」を導く。「雲ゐ」は雲であり都から遥かに離れた所。新古今集では羇旅歌であるが、『忠岑集』では恋歌に部類されている。

【参考歌】紀友則「古今集」
あづまぢのさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ

【主な派生歌】
東路のさやの中山さやかにもみぬ人いかで恋しかるらむ(香川景樹)

題しらず

君が代にあふさか山の岩清水こがくれたりと思ひけるかな(古今1004)

【通釈】めでたい我が君の代に逢っているのに、逢坂山の岩清水が木隠れているように、卑しい身分のまま世間に埋もれている我が身と思うことです。

【補記】古今集巻十九雑体、長歌(略)の反歌。長歌では、勅撰和歌集の撰者に召された喜び、宮仕えの不遇、老いの嘆きなどを詠んでいる。


公開日:平成12年04月13日
最終更新日:令和4年05月18日