壬生忠見 みぶのただみ 生没年未詳

忠岑の息子。幼名は名多(なだ)といった(『袋草紙』)。
長く摂津国に沈潜していたが、天暦初年頃、村上天皇に召され、御厨子所に官職を得ると共に、都の歌壇で活躍をみせるようになった。天暦七年(953)の内裏菊合、天暦十年の麗景殿女御歌合に出詠。天徳二年(958)、摂津大目。天徳四年(960)、内裏歌合に出詠した時、平兼盛の歌と合わされて敗れた話は著名(但しそれが原因で病を得て死んだとの説話は事実ではないらしい)。
後撰集初出。勅撰入集三十七首(金葉集三奏本の一首を除く)。三十六歌仙の一人。家集『忠見集』がある。

  3首  2首  3首  3首 計11首

天暦御時、麗景殿の女御の歌合に

あさみどり春は来ぬとやみ吉野の山の霞の色に見ゆらむ(続後撰3)

【通釈】うっすらと青く――春が来たというわけだろうか、吉野の山が霞の色に見えるのは。

【語釈】◇あさみどり 薄い藍色を言う。浅い緑色ではない。◇み吉野の山 大和国吉野郡の山々。山深く、都より春めくのが遅れるため、そこに霞がたつことは春の確実な訪れとしてめでられた。接頭語「み」に「見」を掛け、「見佳し」の意が響く。

題しらず

焼かずとも草はもえなむ春日野をただ春の日にまかせたらなむ(新古78)

【通釈】野焼きをせずとも、草はもえるだろう。春日野を、ただ春の日の光に任せてほしい。

【補記】「もえ」が「燃え」と「萌え」、「ひ」が「日」と「火」の両義を持つことを活かして、若草萌える春の野を焼かないでほしいとの心を詠んだ。同じ歌が源重之の家集にも見える。なお春日野(かすがの)は大和国の歌枕。春日山・若草山の麓の台地。

春のわかれを惜しむ

はかなくも花のちりぢりまどふかな行方もしらぬ春におくれて(忠見集)

【通釈】たよりなくも花は散り、舞い乱れているなあ。どこへ行くとも知れぬ春に去られて。

天暦御時の歌合に

さ夜ふけて寝ざめざりせば時鳥(ほととぎす)人づてにこそきくべかりけれ(拾遺104)

【通釈】夜が更けて目を覚まさなかったら、時鳥の声を人づてにばかり聞いていただろうなあ。

【補記】実際には寝覚めしたので、ホトトギスの声を直接聞けたのである。

【他出】天徳内裏歌合、拾遺抄、金玉集、前十五番歌合、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、和漢朗詠集、新時代不同歌合

【主な派生歌】
ほととぎすねざめざりせばとばかりも思ひもあへずすぐる一声(藤原雅経)
さ夜中にねざめざりせば初雪のふりにけりともあすぞしらまし(飛鳥井雅有)
さ夜ふかく寝覚めざりせばきかましや人よりさきの秋の初風(宗良親王)

天暦御時御屏風に、よどのわたりする人かける所に

いづ方になきてゆくらむ郭公淀のわたりのまだ夜ぶかきに(拾遺113)

【通釈】どちらの方へ啼いて行くというのだろうか、時鳥は。淀の渡りのあたりはまだ深夜で真っ暗なのに。

【語釈】◇淀のわたり 歌枕。山城国の淀川の渡船場。「わたり」には「辺り」の意も掛けるか。

【本歌】「伊勢物語」第五十三段
いかでかは鳥のなくらん人しれず思ふ心はまだ夜ぶかきに

天暦御時歌合

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか(拾遺621)

【通釈】恋をしているという私の評判は、早くも立ってしまった。人知れず、ひそかに思い始めたのに。

【語釈】◇恋すてふ 「てふ」は「といふ」の縮約。◇わが名 私についての評判・噂。◇まだき 早くも。時期が早すぎるのに。◇立ちにけり 表立ってしまった。◇人しれずこそ… このコソ+已然形は逆接。下句が上句にかかる倒置形。◇思ひそめしか 「しか」は過去回想の助動詞「き」の已然形。

【補記】この歌は天徳四年(960)の内裏歌合で平兼盛の歌「しのぶれど…」と合わされて負けた。『沙石集』などには、その心理的衝撃から忠見が「不食の病」を得て死んだとの説話を載せる。平兼盛の歌も参照されたい。

【他出】天徳内裏歌合、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、定家八代抄、百人一首、新時代不同歌合

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
色にいでて恋すてふ名ぞたちぬべき涙にそむる袖のこければ

【主な派生歌】
恋すてふなき名やたたん郭公まつにねぬよの数しつもれば(源有仁[金葉])
はかなくも人に心をつくすかな身のためにこそおもひ初めしか(〃[千載])
恋すてふ名をだにながせ涙河つれなき人も聞きやわたると(読人不知[金葉])
人しれずしのぶの浦に焼く塩のわが名はまだき立つ煙かな(藤原家隆[新勅撰])
音に聞く田子の浦波それならで恋すてふ名のたたぬ日ぞなき(静仁法親王[新続古今])
恋すてふうき名は空に立つ雲のかかるつらさに消えや果てなん(花山院師継[続千載])
恋すてふ我が名な立てそ東屋のあさぎの柱くちははつとも(宗尊親王[続後拾遺])
恋すてふみほの杣人朝夕に立つ名ばかりはやむ時もなし(西園寺実兼[続千載])
もらさじとなに忍ぶらん数ならぬ身をしらでこそ思ひそめしか(則祐[新拾遺])
なくこゑにわが名はまだき立つ千鳥人知れぬ奧の海にすめども(正徹)

天暦御時歌合に

夢のごとなどか夜しも君を見む暮るる待つまもさだめなき世に(拾遺734)

【通釈】まるで夢のように、なぜ夜に限ってあなたを見るのだろうか。日が暮れるのを待っている間さえ、どうなるか分からないこの世にあって。

【補記】この歌は新拾遺集に重出している。

あはぬ恋

暮ごとにおなじ道にもまどふかな身のうちにのみ恋のもえつつ(忠見集)

【通釈】夕暮になるたび、あの人のことを思っては、堂々巡りを繰り返しているのだなあ。我が身の内だけで恋の火が燃えつづけて。

【補記】麗景殿女御歌合での詠。第四句「わがみのうらに」とする本もある。

播磨のゆめさき川をわたりて

渡れどもぬるとはなしに我が見つる夢前川(ゆめさきがは)を誰にかたらむ(忠見集)

【通釈】渡っても濡れることなしに、寝たわけでもなしに見た夢のような夢前川――この不思議を、誰に語ろうか。

【語釈】◇ぬるとはなしに 「ぬる」は「濡る」「寝る」の掛詞。「寝たわけでもないのに」「濡れることもなく」といった両義が響く。◇夢前川 兵庫県内に夢前川という名の川がある。飾磨郡夢前町から姫路市西部を流れて瀬戸内海に注ぐ。

【補記】『夫木抄』『歌枕名寄』では初句「わかれても」。

天暦御時、菊のえん侍りけるあしたに、たてまつりける

吹く風にちるものならば菊の花雲ゐなりとも色は見てまし(拾遺1121)

【通釈】空を吹く風に花が散ってくるものでしたら、たとえ雲の上でしょうと、菊の花を賞美したいものでした。

【補記】「雲ゐ」は殿上をあらわす。菊の宴の翌朝、身分が低いために参加できなかったことを歎く。忠見集、第五句「けさはみてまし」。

歌たてまつれとおほせられければ、忠岑がなどかきあつめてたてまつりける奥にかきつけける

ことのはの中をなくなくたづぬれば昔の人にあひみつるかな(新古1729)

【通釈】遺稿の中を涙ながらに探し求めると、亡き人に逢うことができましたよ。

【補記】天皇より歌を献るよう命ぜられ、父忠岑の残した歌稿などを集めて、その奥に書き付けた歌。


公開日:平成12年06月07日
最終更新日:平成16年05月18日