清原元輔 きよはらのもとすけ 延喜八〜永祚二(908-990)

内蔵允深養父の孫。父は下野守顕忠とも下総守春光ともいう。母は従五位上筑前守高向利生の娘という。清少納言の父。
天暦五年(951)正月、河内権少掾に任ぜられ、少監物・中監物・大蔵少丞・民部少丞・同大丞などを歴任し、安和二年(969)九月、従五位下に叙せられる。同年十月、河内権守。天延二年(974)正月、周防守。同年八月、兼鋳銭長官。天元三年(980)三月、従五位上。寛和二年(986)正月、肥後守。永祚二年(990)六月、任地にて死去した。八十三歳。
天暦五年十月、源順・大中臣能宣らと共に梨壺の和歌所の寄人に召され、万葉集の訓読と後撰集の編集に携わる。村上天皇代から多くの歌合に出詠し、小野宮家をはじめ権門の屏風歌や賀歌を多作した。源順中務能宣藤原実方ら多くの歌人との交流が窺える。家集『元輔集』がある。拾遺集初出。勅撰入集百八首。三十六歌仙の一人。

  2首  1首  4首  2首  5首  5首 計19首

小野宮の太政大臣、月輪寺に花見侍りける日よめる

()がために明日はのこさむ山桜こぼれてにほへ今日のかたみに(新古150)

【通釈】いったい誰のために明日まで花を残すのでしょうか。大臣殿のためにほかならないのです。山桜よ、霞の間から溢れて美しく映えなさい、今日の花見の記念に。

【補記】「小野宮の太政大臣(おほきおほいまうちぎみ)」は藤原実頼。『日本紀略』によれば実頼は左大臣であった康保四年(967)二月二十八日、洛北月林寺で花見を催している。同寺での花見には平兼盛・大中臣能宣ら著名歌人が参加して歌を残した。初句「たがたにか」とする本もある。

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
浅緑のべの霞はつつめどもこぼれてにほふ花ざくらかな

屏風に

物も言はでながめてぞふる山吹の花に心ぞうつろひぬらん(拾遺70)

【通釈】物も言わずに、ぼんやりと眺めて日々を過ごしている。山吹の花の色に私の心が染まってしまったのだろうか。

【補記】山吹の花を描いた屏風に添えた歌。下記参考歌を踏まえ山吹の花が「くちなし」色であるとの諧謔を隠しているが、趣意はあくまでも晩春の抒情にある。

【参考歌】素性法師「古今集」
山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなしにして

四月朔日よみ侍りける

春は惜し時鳥(ほととぎす)はた聞かまほし思ひわづらふしづごころかな(拾遺1066)

【通釈】春が去り行くのは惜しい。と言って、時鳥の声はやはり聞きたい。あれこれと思い煩い、落ち着かない「しづ心」であるよ。

【補記】拾遺集では雑春の巻に載せる(同巻は雑春・雑夏の歌を併録)。「しづ心」は沈着平静な心。

【主な派生歌】源有仁(花園左大臣)「金葉集」
春はをし人はこよひとたのむれば思ひわづらふけふのくれかな

天禄四年五月二十一日、円融院のみかど、一品の宮にわたらせたまひて、乱碁とらせたまひけるに、負けわざを七月七日に、かの宮よりうちの大盤所(だいばんどころ)にたてまつられける扇(あふぎ)に張られて侍りけるうすものに、織りつけて侍りける

天の川あふぎの風に霧はれて空すみわたるかささぎの橋(拾遺1089)

【通釈】天の川は、扇で煽ぐ風によって霧が晴れて、七月七日の夜空は澄み渡り、鵲の橋もくっきりと見える。

【語釈】◇負けわざ 乱碁に負けた資子内親王が、勝者を饗応する宴を催したことをいう。◇すみわたる 隅々まで澄む。「わたる」は橋の縁語。◇かささぎの橋 鵲の群が翼で天の川に橋を渡したという伝説に拠る。

【補記】拾遺集雑秋。天禄四年(973)、円融天皇が姉の資子内親王の御所に赴き、乱碁(碁石を用いた遊戯のことと言う)をした。同年七月七日、内親王が負けわざ(敗者が勝者を饗応すること)を主催し、宮中の台盤所に扇を献上した。その扇に張られた薄布に織りつけてあったという歌。元輔の歌は中務の「天の川河辺すずしきたなばたに扇の風をなほや貸さまし」に続けて載っている。

【他出】円融院扇合、古今和歌六帖、元輔集、和漢朗詠集、三十人撰、定家八代抄

題しらず

いろいろの花のひもとく夕暮に千世まつ虫のこゑぞきこゆる(後拾遺266)

【通釈】色様々の花の蕾がほころびる秋の夕暮に、千年も生きるという松の名に因む松虫の声が聞えるのだ。なんとめでたく、情趣深いことだろう。

【語釈】◇ひもとく 紐解く。蕾がほころびることを人事に喩えて言いなした。◇千世まつ虫 「まつ」に「松」「待つ」を掛ける。祝賀の意と、恋の風趣を添える。

【主な派生歌】
我が君をいのるにつけて神ぢ山千代松むしの声ぞ聞ゆる(藤原為家)
君ぞみむ千世まつむしのねにたてて秋をかぎらぬやどの月かげ(九条隆博)

津の国にまかりて、いさりするを見たまへて

いさり火のかげにもみぢて見ゆめれば浪の中にや秋をすぐさん(元輔集)

【通釈】漁火の光に海が紅葉したように見えるのだから、漁師たちは波の中に秋を過ごすのだろうか。

【補記】山のものであるはずの紅葉が海にも見えると興じた。

【参考歌】文屋康秀「古今集」
草も木も色かはれどもわたつうみの浪の花にぞ秋なかりける

内裏御屏風に

月影の田上川にきよければ網代にひをのよるもみえけり(拾遺1133)

【通釈】月の光が田上川に清らかに反映しているので、網代に氷魚が寄っているのも見えるのだなあ。

【語釈】◇田上(たなかみ) 近江国の歌枕。紅葉・網代などの名所。◇網代(あじろ) 「ひを」(氷魚。鮎の稚魚)などを獲るための仕掛け。普通、冬季のみ用いられる。◇よるもみえけり 「よるも」は「寄るも」「夜も」の掛詞。

【補記】天禄四年(973)九月の内裏屏風歌。拾遺集では雑秋の部に載せ、晩秋の歌として配置している。

【参考歌】作者不明「古今和歌六帖」
ながれくるもみぢの色のあかければあじろに氷魚のよるもみえけり

【主な派生歌】
いかがする網代にひをのよるよるは風さへはやき宇治の川瀬を(藤原定家)
一むらの氷魚かと見えて網代木の浪にいさよふ月の影かな(香川景樹)

題しらず

冬をあさみまだき時雨とおもひしをたえざりけりな老の涙も(新古578)

【通釈】冬は浅く、時雨には早すぎると思ったけれども、絶え間なく降り続くことだなあ、老いを嘆いて泣く私の涙と一緒に。

【補記】『元輔集』には詞書「かへり侍りてまたの日、かの大将の家にしてしぐれし侍りしに」とあり、ある年の九月下旬、大将(藤原済時か)にお供した嵯峨野遊覧から帰った翌日、大将邸でんだ歌。第二句「またく時雨と」「まだき時雨を」とする本もある。

【他出】元輔集、定家十体(幽玄様)

恒徳公家の屏風に

高砂の松にすむ鶴冬くればをのへの霜やおきまさるらむ(拾遺237)

【通釈】高砂の松に住む鶴は、冬が来れば尾羽に霜が置いて、色がいっそう美しく見えるのだろうか。

【語釈】◇恒徳公 後一条太政大臣藤原為光。◇高砂 播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市。松の名所。◇をのへ 「尾羽の上に」の意に、高砂の縁語「尾上」を掛けている。◇置きまさるらむ 霜が置いて色がまさる。鶴の羽毛がいっそう白く見える、ということ。

【他出】拾遺抄、元輔集、古来風躰抄、秀歌大躰、定家八代抄

【主な派生歌】
冬来ては入江の葦のよをかさね霜おきそふる鶴の毛衣(藤原定家)
みなせ山松にすむつるいく千代か月のうはげに冬をかさねむ(藤原家隆)
高砂の松にすむ鶴あらはれて月にぞ千世のためしをもみる(藤原範宗)
色かへぬ松にすむ鶴わがきみの千代にちとせをかさねてやなく(藤原為家)

しのびて懸想し侍りける女のもとにつかはしける

音なしの河とぞつひにながれける言はで物おもふ人の涙は(拾遺750)

【通釈】音無の川となって、とうとう流れてしまった。口に出して言わずに恋の悩みをかかえている人の涙は。

【語釈】◇音なしの河 紀伊国の歌枕。恋心を声に出して言わなかったことを暗に含める。◇ながれける 「泣かれける」が掛かる。◇人 詠み手自身を暗に指す。

【異文】「三十六人撰」「五代集歌枕」など、初二句「おとなしのたきとぞ」とする本もある。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」(「深養父集」によれば作者は清原深養父)
河と見てわたらぬ中にながるるはいはで物思ふ涙なりけり

【主な派生歌】
くちなしのいはで物おもふ秋のよはをみなへしにや色をかこたん(藤原定家)
おとなしの名をやからまし人しれずいはでものおもふ袖のたきつせ(宗尊親王)

ある女に

うつり香のうすくなりゆくたき物のくゆる思ひにきえぬべきかな(後拾遺756)

【通釈】あなたの移り香が薄くなってゆく――その微かな薫物(たきもの)の匂いのように、あなたを恋い焦がれる思いに今にも消え入ってしまいそうです。

【補記】「おもひ」のヒに火を掛ける。「薫物」「くゆる」「消え」は縁語。「くゆる」は、くすぶってほのかな匂いをたてる意。恋に焦がれる意を掛ける。

題しらず

大井川ゐぜきの水のわくらばに今日はたのめし暮にやはあらぬ(新古1194)

【通釈】大堰川の井関の水が「沸く」ように、今日は「わくらば」に約束して、逢えることを期待させた夕暮ではないのですか。

【語釈】◇大井川ゐぜきの水の 水が沸く(泡立つ)から、「わく」を導く序。大井川は京都嵐山を流れる桂川。◇わくらばに たまたま。稀に。◇たのめし 逢えると期待させた。

【他出】元輔集、俊成三十六人歌合、定家十体(有一節様)、時代不同歌合、歌枕名寄

【主な派生歌】
名にしあふ秋ののちせの大井川今日はたのめし浪の月かげ(烏丸光広)

八月ばかりに、桂といふ所にまかりて、水に月のうつりて侍りけるを、もろともにみし人に、後につかはしける

思ひいづや人めなかりし山里の月と水との秋のおもかげ(玉葉1989)

【通釈】あなたは思い出しますか。人目のない所で二人で見た、山里の月との秋の美しい風景を。

【補記】「桂」は山城国葛野郡、桂川の畔の里。今の京都市西京区。元輔集には次のように載る。
   まかりかへり見侍りし人のもとに遣はしし
 思ひ出づや人めながらも山里の月と水との秋の夕暮

心かはりて侍りける女に、人にかはりて

ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(後拾遺770)

【通釈】約束しましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を決して波が越さないように、行末までも心変わりすることは絶対あるまいと。

【語釈】◇ちぎりきな 「ちぎり」は夫婦の約束を交わすこと。「き」はいわゆる過去回想の助動詞「し」の連体形、「な」は相手に確認を求める心をあらわす助詞。◇かたみに 互いに。◇末の松山 古今集巻二十に「みちのくうた」として「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波も越えなん」があることから陸奥国の名所歌枕とされている。比定地としては多賀城付近とする説などがある。◇浪こさじとは 末の松山を波の越すことがないように、心の変わることはあるまいと。初句「契りきな」に返して言う。

【補記】この歌は『惟規集』に「をんなに」の詞書を添えて載っており、元輔が藤原惟規(?-1011)のために代作したものかと思われる。因みに惟規は紫式部の弟である。

【他出】元輔集、惟規集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、百人一首

【本歌】よみ人しらず「古今集」
君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波も越えなむ

【主な派生歌】
思ひ出でよ末の松山すゑまでも波こさじとは契らざりきや(藤原定家)
忘るなよ宿る袂は変はるともかたみにしぼる夜半の月影(藤原定家)
浪こさむ袖とはかねて思ひにき末の松山たづね見しより(藤原定家)
ちぎりきなさてやはたのむ末の松まつにいく夜の波はこえつつ(藤原雅経)
代々かけて波こさじとは契るともいさや心の末の松山(二条為氏[新後撰])
ちぎりきな有明の空をかたみにて月見むことにおもひでよとは(飛鳥井雅有)
たちわかれけぶりの末もあふことはかたみに袖をしほがまの浦(木下長嘯子)

贈皇后宮の御産屋の七夜に、兵部卿致平の親王の雉の形(かた)を作りて、誰ともなくて歌をつけて侍りける

朝まだききりふの岡にたつきじは千代の日つぎのはじめなりけり(拾遺266)

【通釈】早朝、霧が立ち込める「きりふ」の岡にあらわれる雉は、千年にわたって続く貢物の始めであったのだ。

【語釈】◇贈皇后宮 冷泉天皇女御で花山天皇の母、懐子かという(岩波新古典大系本)。◇致平の親王 村上天皇の皇子。◇きりふの岡 未詳。『能因歌枕』によれば肥後国の歌枕、『夫木和歌抄』によれば近江国の歌枕。『歌枕名寄』は未勘国とし、「切蒲岡」「桐生岡」の字を仮に宛てている。◇日つぎ 日次。日毎に献る貢ぎ物。日嗣(皇太子)の意を掛ける。

【補記】師貞(もろさだ)親王(のちの花山天皇)の出生を祝う歌。

初瀬の道にて、三輪の山を見侍りて

三輪の山しるしの杉はありながら教へし人はなくて幾世ぞ(拾遺486)

【通釈】三輪山の目印の杉は今もあるけれども、そのことを歌に詠んで教えてくれた人は、亡くなって何年経つのだろうか。

【語釈】◇三輪の山 奈良県桜井市の三輪山。三諸(御諸)山とも。神体山で、祭神を大物主神とする大神(おおみわ)神社がある。◇しるしの杉 古今集の読人不知の歌「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」に拠る。◇教へし人 上記の古今集の歌を詠んだ人。元輔がこの読人不知歌を相当昔に作られた歌と認識していたことが判る。

天暦の帝かくれおはしまして、七月七日御忌はてて、ちりぢりにまかり出でけるに、女房の中におくり侍りける

けふよりは天の河霧たちわかれいかなる空に逢はんとすらん(詞花399)

【通釈】今日より後は、天の川の川霧が「立つ」ではないが、皆「立ち別れ」、どこで再び逢おうというのだろうか。

【語釈】◇天暦の帝 村上天皇。康保四年(967)崩御。◇天の河霧 「たちわかれ」の序。◇いかなる空に逢はんとすらん どこで再び逢おうというのか。空は天の川の縁語として言う。

小一条のおとどのなくなり侍りて後、桜の花面白きをもてあそび侍る日、帰る雁といふことを

かへる雁君もし逢はばふるさとに桜惜しむとなきてつげなむ(元輔集)

【通釈】帰る雁よ、おまえがもし亡き左大臣に逢ったなら、私は故郷の京で桜の花を惜しんで啼いてますと告げてほしい。

【語釈】◇小一条のおとど 左大臣藤原師尹。◇君もし逢はば おまえが君(亡き左大臣)に逢ったなら。雁に呼びかける。

【補記】「桜をしむ」とは、この春の桜を見られない亡き人を哀惜するということ。天延三年(975)、一条大納言(藤原為光)家歌合。

肥後守にて、清原元輔くだり侍りけるに、源満仲、餞(せん)し侍りけるに、かはらけとりて

いかばかり思ふらんとか思ふらむ老いてわかるる遠き別れを(拾遺333)

【通釈】私がどれほど悲しいと思っていると、あなたは思っているだろうか。年老いて遠くへと別れるこの別離を。

【補記】拾遺集巻六、別歌。満仲の返しは「君はよし行末とほしとまる身のまつほどいかがあらむとすらん」。


更新日:平成16年05月20日
最終更新日:平成22年08月26日