藤原基俊 ふじわらのもととし 康平三〜永治二(1060-1142)

右大臣俊家の子。道長の曾孫にあたる。母は高階順業女。権大納言宗俊の弟、参議師兼・権大納言宗通の兄。
名門の出身でありながら、官途には恵まれず、従五位上左衛門佐に終わった。永保二年(1082)三月以前にその職を辞し、以後は散官。
長治元年(1104)成立の堀河百首の作者の一人。永久四年(1116)、雲居寺結縁経後宴歌合で判者を務める。この頃から藤原忠通に親近し、忠通主催の歌合に出詠したり判者を務めたりするようになる。源俊頼と共に院政期歌壇の重鎮とされ、好敵手と目された。保延四年(1138)、出家して法名覚俊を称した。また同年、当時二十五歳の藤原俊成を入門させている(『無名抄』)。家集『基俊集』がある。金葉集初出。千載集では俊頼・俊成に次ぎ入集歌数第三位。勅撰入集百五首。万葉集次点者の一人。古今集を尊重し、伝統的な詠風は、当時にあってむしろ異色の印象がある。漢詩にもすぐれ、『新撰朗詠集』を編纂し、『本朝無題詩』に作を残す。

「基俊集」群書類従255(第15輯)・私家集大成2・新編国歌大観3

  2首  5首  1首  4首  2首 6首 計20首

堀川院の御時、百首の歌奉りけるとき、春雨の心をよめる

春雨のふりそめしより片岡のすそ野の原ぞあさみどりなる(千載32)

【通釈】春雨が降り始めてから、片岡の山裾にひろがる野原は浅緑色になったのだ。

【語釈】◇片岡 奈良県北葛城郡王子町あたりの丘陵。聖徳太子が餓人の歌を詠んだ地。

【他出】堀河百首、定家八代抄、歌枕名寄

【本歌】凡河内躬恒「躬恒集」「新古今集」
春雨のふりそめしより青柳の糸の緑ぞ色まさりける

題しらず

春山の佐紀野のすぐろかき分けて摘める若菜にあは雪ぞふる(風雅14)

【通釈】春の草花が咲く丘、佐紀の野――野焼きで黒くなった草をかきわけて摘む若菜に淡雪が降りかかる。

【語釈】◇佐紀野(さきの) 奈良市佐紀町・歌姫町あたりに広がっていた野。平城京の北。◇すぐろ 煤黒。野焼きのあと、草木が黒く焦げ残っているところをいう。

【補記】煤黒(すぐろ)を歌に詠むこと自体珍しいが、若菜の緑、雪の白と、三色を取り合わせたのは意表を突く趣向。

【参考歌】曾禰好忠「好忠集」
春霞たちしは昨日いつのまに今日は山辺のすぐろ刈るらむ

題しらず

から衣たつ田の山のほととぎすうらめづらしき今朝の初声(続千載237)

【通釈】龍田山のほととぎすの、心ひかれる今朝の初声だことよ。

【語釈】◇から衣 「裁つ」から「龍田山」にかかる枕詞。◇うらめづらしき 「うら」は心、内面の意。心が惹かれていつまでも聞いていたい、ということ。

【補記】初二句は慣用句で、四・五句は古今集の本歌から僅かに改めただけ。歌枕「たつ田の山」と「ほととぎす」の取り合わせに必然性はなく、「ほととぎす」の「初声」を「めづらし」と聞くのは常套中の常套。新味はゼロ、内容的にもゼロに近いが、それゆえにこそ、古風な格調を重んじた基俊の主張が強く感じられる歌である。『中古六歌仙』に彼の代表作として採られたのもそれ故であろう。

【他出】基俊集、中古六歌仙、万代集、歌枕名寄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
わがせこが衣のすそを吹返しうらめづらしき秋の初風
  よみ人しらず「古今和歌六帖」
から衣たつたの山の萩よりも妹をぞ君はめづらしみせん

題しらず

風にちる花たちばなに袖しめて我がおもふ妹が手枕にせむ(千載172)

【通釈】風が吹き、橘の花が散る――その花の香りで袖を染み込ませて、恋しいあの子の手枕の代りにしよう。

【語釈】◇袖しめて (橘の香に)袖を浸透させて。

【補記】古今集の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」により、花橘の香と言えば懐旧の念と結びつくのが当時の常套で、今「我がおもふ」人への思いを詠むのは異例。

堀川院の御時、百首の歌奉りける時、五月雨の歌とてよめる

いとどしく(しづ)の庵のいぶせきに卯の花くたし五月雨ぞする(千載178)

【通釈】ただでさえ卑しい身分の我が家は鬱陶しいのに、この季節、卯の花を腐らして五月雨が降りつづき、いっそう気分がふさいでしまうよ。

【語釈】◇しづの庵(いほり) 卑しい身分の者が住む庵。ここでは官位に恵まれず不遇に過ごす自分の住居を卑下して言う。◇卯の花くたし 万葉集巻十に見える語句。卯の花を腐らせてしまうほど長く降り続ける雨を言う。

卯の花腐し
雨に濡れた卯の花

雨中木繁といふ心を

玉柏しげりにけりな五月雨に葉守の神の(しめ)はふるまで(新古230)

【通釈】みごとな柏の木は、降りつづく梅雨に、繁りに繁ったものだ。葉を守る神が、結界を張ったかのように見えるまで。

【語釈】◇玉柏(たまがしは) 立派な柏の木。「玉」は美称。◇葉守(はもり)の神 「木の葉をまもる神の、木にはおはするなり」(『俊頼髄脳』)。◇標はふる シメは占有や立ち入り禁止の標識。ハフルは這わせる・延える。注連縄などを延ばすことを言う。この歌のシメハフルは、葉の繁った枝が伸びて、樹下への侵入を遮っているように見えることを言うか。

【本歌】「大和物語」
柏木に葉守の神のましけるを知らでぞ折りし祟りなさるな

公実卿の家にて対水待月といへる心をよめる

夏の夜の月待つほどの手すさみに岩もる清水いくむすびしつ(金葉154)

【通釈】夏の夜、清水のほとりで月の出を待っている間、なんとなく手持ち無沙汰なもので、岩の隙間から漏れてくるその水をすくっては、喉を潤していた。いったい月が出るまで、何度手にすくったことだろう。

【他出】基俊集、和歌一字抄、中古六歌仙、古来風躰抄、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、題林愚抄

【主な派生歌】
ひとりのみ岩井の水をむすびつつ底なる影も君を待つらし(*二条院讃岐)
水の音にはては心もすむばかり岩がね枕いくむすびしつ(加納諸平)

堀河院に百首歌奉りける時

秋風のややはださむく吹くなへに荻のうは葉の音ぞかなしき(新古355)

【通釈】秋風がだんだんと肌寒く吹くようになるにつれて、荻の上葉のたてる音が悲しげに聞えてくるよ。

【補記】長治二年(1105)から同三年の間に奏覧された堀河百首。

【他出】堀河百首、定家八代抄、題林愚抄

【参考歌】紀貫之「後撰集」
秋風のやや吹きしけば野をさむみわびしき声に松虫ぞ鳴く
  曾禰好忠「好忠集」
涼みせし 夏の暮れにし 夕べより 野辺の草葉を かきわけて 四方に吹きくる 木枯しの ややはださむく なるまでに〔後略〕

【主な派生歌】
秋風はややはださむく成りにけりひとりや寝なん長きこの夜を(源実朝)

時雨

晴れくもりさだめなければ初時雨いもが袖笠かりてきにけり(堀河百首)

【通釈】初時雨の季節で、晴れたり曇ったり、天気が変わりやすいものだから、妻の袖を笠に借りてやって来たよ。

【語釈】◇袖笠 袖を笠代りにすること。この歌の場合、連れ立って歩いていた妻の袖を笠に借りたことを言う。

法性寺入道前関白太政大臣家の歌合に、野風

高円の野ぢの篠原すゑさわぎそそや木枯けふ吹きぬなり(新古373)

【通釈】高円(たかまど)の野道を行くと、群生する篠の尖端がざわざわと音を立てる。そうか、木枯しが今日から吹き始めたのだ。

【語釈】◇高円 奈良市、春日山の南の丘陵地帯。万葉集以来、萩が詠まれることが多い。◇そそや 「それそれ」と注意を喚起したり、「そうか」と納得したりする時に発する語。荻の葉が風に騒ぐ擬声語を掛けている。

【補記】第四句を「そらや木がらし」とする本もある。

【他出】定家十体(面白様)、定家八代抄、時代不同歌合、歌枕名寄、愚見抄、井蛙抄

題しらず

霜さえて枯れゆくを野の岡べなる楢の広葉(ひろは)に時雨ふるなり(千載401)

【通釈】草にひえびえと霜が置いて、枯れてゆく野――小高くなったあたりに楢の木が生えていて、その広葉に時雨が落ちてあたる。なんと寂しげな音が聞えてくることだ。

【語釈】◇を野の岡べ 「を野」はここでは普通名詞。「野」はふだん自然のままに放置された広がりのある土地、特に山裾の傾斜地などを言う。

【他出】基俊集、中古六歌仙、定家八代抄、和漢兼作集

【主な派生歌】
蝉のこゑは風にみだれて吹きかへす楢の広葉に雨かかるなり(尊胤法親王[風雅])

山家雪

雪のうちに今日も暮らしつ山里は妻木のけぶり心ぼそくて(風雅824)

【通釈】一日中雪が降りやまないまま、今日も暮れていった。冷え込む山里の夕べ、薪は尽きかけていて、細ぼそとたちのぼる煙に心細い思いをしながら私は過ごしている。

【語釈】◇妻木 手で折り取った木の枝を言う。

【他出】基俊集、万代集、題林愚抄

月前旅宿といへる心をよめる

あたら夜を伊勢の浜荻をりしきて妹恋しらに見つる月かな(千載500)

【通釈】もったいないような月夜なのに、私は伊勢の海辺で旅寝するために葦を折り敷いて寝床に作り、都の妻を恋しがりながら、こうして月を眺めることよ。

【語釈】◇伊勢の浜荻 伊勢の浜辺に生えている葦。「伊勢国には、葦を浜荻と云ふなり」(仙覚抄)。

【他出】基俊集、続詞花集、月詣集、中古六歌仙、定家八代抄、近代秀歌、別本和漢兼作集、歌枕名寄、桐火桶、井蛙抄

【本歌】碁檀越の妻「万葉集」巻四
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に
(「人丸集」「新古今集」などにも見える)

【主な派生歌】
狩りくらし交野の真柴折り敷きて淀の川瀬に月を見るかな(*藤原公衡[新古今])
玉だれのこすのひまもる秋風はいもこひしらに身にぞしみける(源実朝)
浜荻を妹こひしらにをりしきて幾夜かいとふ袖の潮風(順徳院)
唐衣うらみわぶらん一夜ねしいも恋ひしらに天の川風(肖柏)

権中納言俊忠の家の歌合に、恋の歌とてよめる

みごもりにいはでふる屋の忍草しのぶとだにも知らせてしがな(千載655)

【通釈】思いを胸に秘め、口には出さずに過ごしてきた。俺はまるで陸奥の岩手の古屋に生える忍ぶ草だな。せめて、怺えているってことだけでも、あの人に知らせたいよ。

【語釈】◇みごもりに 水隠りに。水中に隠れて、の意から、心の中に秘めて外にあらわさないでいることを言う。◇いはで 「言はで」と地名「岩手」の掛詞。「いはて」「しのぶ」はともに陸奥の地名で縁語。◇ふる屋 「経る」「古屋」の掛詞。

【本歌】藤原通頼「後拾遺集」
ひとりして眺むる宿のつまにおふる忍ぶとだにも知らせてしがな

初雁の心そらなる旅寝にはわが故郷ぞ夢にみえける(堀河百首)

【通釈】初雁が故郷へ帰ってゆくのを空に聞きながら、うわの空で旅寝をする。そんな夜には、なつかしい故郷の夢を見るのだった。

堀河院御時、百首歌たてまつりける時、述懐の心をよめる

唐国にしづみし人も我がごとく三代まであはぬ歎きをぞせし(千載1025)

【通釈】唐の国で不遇に沈んだ人、顔駟(がんし)も、私のように三代にわたって、取り立ててくれる天子に出逢えない嘆きをしたのだ。

【語釈】◇唐国にしづみし人 文選思玄賦注にみえる漢の顔駟。三代の皇帝のもと不遇に過ごした後、ようやく武帝に抜擢された。

【他出】堀河百首、和歌童蒙抄、和歌色葉、定家八代抄、題林愚抄

【主な派生歌】
人しれぬ袖の涙のしらたまも三世まであはぬためしとやみん(元政)

律師光覚維摩会(ゆいまゑ)の講師の請を申しけるを、たびたび洩れにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、しめぢの原のと侍りけれども、又その年も洩れにければ、よみてつかはしける

契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり(千載1026)

【通釈】(詞書)律師光覚が維摩会の講師を請い願ったのに、たびたび人選に洩れたので、法性寺入道前太政大臣(藤原忠通)に不平を申したところ、「しめぢの原の(委せておきなさい、の意)」と返答があったけれども、その年もまた洩れてしまったので、(忠通に)詠んで贈った歌
(歌)「なほ頼めしめぢが原のさせも草」と、貴方はあれほどはっきりお約束してくださったのに。「させも草」に置く露のようにあてにならないではありませんか。それでも私はそのはかない露を、命の綱と頼むしかないのです。ああ、こんなふうにして、今年の秋もむなしく過ぎてゆくようです。

【語釈】◇律師光覚 基俊の子。◇維摩会 興福寺の維摩経講読の法会。毎年陰暦十月に催された。◇法性寺入道前太政大臣 藤原忠通◇しめぢの原の 基俊の依頼に対し、忠通が「しめぢの原の」と答えたのである。清水観音の歌と伝わる「なほ頼めしめぢの原の…」(下記参考歌)を踏まえ、「まかせておきなさい」と請け合ったわけである。◇契りおきし あなたが約束しておいてくれた。作者が藤原忠通を通じ、息子を維摩会の講師にしてほしいと頼んだのに対し、忠通が請け負ってくれたことを指す。「おき」は「露」の縁語。◇させも させも草。ヨモギの別称という。「さしも」(あれほど)の意を掛ける。

【補記】『基俊集』には「九月尽日、惜秋言志詩進殿下、光覚豎義事、有御約束遅遅比、しめぢがはらのと被仰」の詞書がある。

【他出】基俊集、続詞花集、定家八代抄、近代秀歌(自筆本)、八代集秀逸、百人一首、色葉和難集、和漢兼作集、桐火桶、井蛙抄、六華集

【参考歌】清水観音御歌「新古今集」
なほ頼めしめぢが原のさせも草我が世の中にあらむかぎりは

【主な派生歌】
あはれことし我が身の春も末ぞとはしらで弥生の花を見しかな(*宗尊親王)
老が世はけふかあすかの露の間をいそがしがほに秋もいぬめり(三条西実隆)
朝日影させもが露を命にてかきねの霜に残る虫の音(松永貞徳)
置きかへむ霜夜やうらむ蛬させもが露をいのちばかりに(望月長孝)

長月のつごもり頃、わづらふことありて、たのもしげなく覚えければ、久しく問はぬ人につかはしける

秋はつる枯野の虫の声たえばありやなしやを人のとへかし(千載1093)

【通釈】秋も果てた頃、枯野の虫の声が絶えるように、私の消息が途絶えたら、生きているかどうかくらいは、尋ねて下さい。

【他出】基俊集、続詞花集、中古六歌仙、定家八代抄

【本歌】赤染衛門「後拾遺集」
消えもあへずはかなきころの露ばかりありやなしやと人の問へかし

【主な派生歌】
秋はつる枯野の虫の初霜にむすぼほれゆく声のはかなさ(後鳥羽院)

公実卿かくれ侍りてのち、かの家にまかりたりけるに、梅の花さかりに咲けるを見て、枝に結びつけて侍りける

むかし見しあるじ顔にも梅が枝の花だに我に物がたりせよ(金葉604)

【通釈】昔、この家でお会いしたご主人のような顔をして、梅の花よ、せめておまえだけでも私に昔話をしてくれ。

【補記】権大納言藤原公実の死後、その邸の梅の枝に結びつけた歌。『基俊集』に拠れば、公実が亡くなった翌年、嘉承三年(1108)春の作。また同集に拠れば花は紅梅であった。

基俊に古今集を借りて侍りけるを、返しつかはすとて  皇太后宮大夫俊成

君なくはいかにしてかは晴るけまし(いにしへ)(いま)のおぼつかなさを

【通釈】先生がおられなければ、どうやってこのもやもやを晴らすことができたでしょう。昔と今の歌で、どれが良いのか区別することも覚束なかったでしょうし、古今集の正しい姿をはっきり知ることもできなかったでしょう。

【補記】俊成は保延四年(1138)、二十五歳の時、基俊に入門した。その頃の作であろう。俊成の家集『長秋詠藻』の詞書は「前左衛門佐基俊といひし人に古今の本をかりてかへすとて」。

返し

かきたむる(いにしへ)(いま)の言の葉をのこさず君につたへつるかな(風雅1841)

【通釈】書き集めておいた昔と今の歌々を、一首残さずあなたに伝えたことだよ。しっかりと後世にこの歌風を伝えておくれよ。

【語釈】◇古今の言の葉 古今集の名を詠み込んでいる。


更新日:平成16年04月26日
最終更新日:平成23年10月24日