藤原顕季 ふじわらのあきすえ 天喜三〜保安四(1055-1123) 号:六条修理大夫

歌道家六条藤家の祖。美濃守隆経の息子。母は藤原親国の娘、従二位親子(白河院乳母。「藤三位」の名で後拾遺集に入集)。大納言藤原実季の養子となる。長実・家保・顕輔の父。清輔の祖父。系図
承保二年(1075)、讃岐守に任ぜられて以後、受領を歴任し、天仁二年(1109)には大宰大弐となる。また白河院の信任厚く、別当に任ぜられ、側近として寵遇された。修理大夫・正三位に至る。
承暦二年(1078)の内裏歌合、寛治七年(1093)の郁芳門院根合、堀河百首などに出詠。藤原忠通主催の歌合ほかで判者を務めた。自邸でも歌合を主催。元永元年(1118)には、柿本人麿の図像を祭り歌を献じたが、これは史上最初の「人麿影供(えいぐ)」の記録とされる。その図像と歌学は子の顕輔に伝えられ、以後歌道家として世襲される。家集『六条修理大夫集』がある。後拾遺集初出。金葉集(二度本)には二十首を載せ、入集数第四位。勅撰入集計五十七首(金葉集は二度本で計算)。時代不同歌合歌仙。

  2首  2首  2首  4首 計10首

題しらず

霞しく木の芽はるさめふるごとに花の袂はほころびにけり(新勅撰53)

【通釈】いちめん靄(もや)をかけるように春雨が降り、木の芽をふくらませるごとに、花の袂はほころびて、もうじき美しい素顔を見せてくれそうだ。

【語釈】◇木の芽はるさめ 「はる」は、「芽が張る」「雨」の掛詞。◇花の袂 開花前の花を、花が袂で顔を隠していると擬人化した。

【参考歌】大江匡房「千載集」
よもの山に木の芽はる雨ふりぬればかぞいろはとや花のたのまむ

【主な派生歌】
乙女子が袖ふる山をきてみれば花の袂はほころびにけり(藤原清輔[続拾遺])

院北面にて、橋上藤花といふ題

うすくこくしづかににほへ下枝(しづえ)まで常盤(ときは)の橋にかかる藤波(六条修理大夫集)

【通釈】薄くとも濃くとも、穏やかに咲きにおえ。下枝まで常盤の橋にかかっている藤波の花よ。

【語釈】◇常盤の橋 陸奥の歌枕。一説に近江とも。

【補記】鳥羽院御所北面の侍所で催された歌会での作。この時同題で詠んだ大夫典侍の作が見える(参考歌)。第二句「のどかににほへ」とする本もある。

【他出】和歌一字抄、歌枕名寄、夫木和歌抄

【参考歌】大夫典侍「金葉集」
色かへぬ松によそへてあづまぢの常盤の橋にかかる藤波

【主な派生歌】
風は吹くとしづかに匂へ乙女子が袖ふる山に花の散る頃(*後鳥羽院)

鳥羽殿歌合に郭公をよめる

深山(みやま)いでてまだ里なれぬほととぎす旅の空なる()をやなくらむ(金葉104)

【通釈】深山を出て、まだ里に馴れていないほととぎすは、旅の空にある落ち着かない声で鳴いているよ。

【補記】永久四年(1116)四月四日、白河院鳥羽殿北面歌合。第四句「うはのそらなる」とする本もある。

【他出】鳥羽殿北面歌合、六条修理大夫集、定家八代抄、題林愚抄

【参考歌】「重之の子の僧の集」
槙の戸をあけてこそ聞けほととぎすまだ里なれぬ今朝の初声
  源俊頼「散木奇歌集」(先後関係不明)
郭公は山のすそを尋ねつつまだ里なれぬ初音をぞきく

【主な派生歌】
うちなびき春たちきぬと鶯のまだ里なれぬ初音なくなり(藤原顕輔[新後撰])
我のみやききてかたらむ郭公まだ里なれぬ暮の一こゑ(藤原定家)
五月まつほどとやしばし時鳥まだ里なれぬしのびねの声(後崇光院)
郭公まだ里なれぬ夕やみにしのびもあへずとぶほたるかな(香川景樹)

実行卿の家の歌合に夏風の心をよめる

夏衣すそ野の草葉吹く風に思ひもあへず鹿やなくらむ(金葉144)

【通釈】山裾の草原の葉を靡かして吹く涼しい風に、鹿が鳴く。秋になるのを待ちかねて鳴くのだろうか。

【語釈】◇実行卿 藤原実行(1080-1162)。◇夏衣 「裾」の枕詞。夏の意をかけ、「夏の山の裾野」の意を含ませる。◇思ひもあへず 思い余って。「おもひもかけず」とする本もある。

【補記】普通、鹿は秋に妻を恋うて鳴くものとされた。夏の野に吹いた涼風に、秋を待ちきれずに声をあげたのか、という趣向。

贈左大臣の家に歌合し侍りけるによめる

種まきしわが撫子の花ざかりいく朝露のおきて見つらむ(詞花72)

【通釈】自分で種を蒔いて育てた撫子が、花盛りになった。こうなるまで、朝露の降りた花を何度早起きして見ただろう。

【語釈】◇贈左大臣 藤原長実◇おきて 置きて・起きての掛詞。

行路秋花といふ事を

霧はれぬ花野の小萩咲きにけり行きかふ人の袖にほふまで(新続古今399)

【通釈】霧が晴れずによく見えない花野だけれども、萩は咲いたのだな。行き交う人々の袖が花の汁に染まって美しく映えるほどまでに。

【補記】霧の中、野を往き交う人の袖が萩の紅に染まって映えている。その景によって、萩が咲き乱れているさまを髣髴させる、という趣向。

中院右大臣、中将に侍りける時、歌合し侍りけるによめる

夜とともに行くかたもなき心かな恋は道なきものにぞありける(千載790)

【通釈】夜になるのと同時に、私の心は行くべき場所も分からなくなる。「恋路」などと言うけれど、恋というものには道などないではないか。

【語釈】◇中院右大臣 源雅定

百首歌中に恋の心をよめる

わが恋は烏羽(からすば)にかく言の葉のうつさぬほどは知る人もなし(金葉412)

【通釈】昔、高麗の人が烏の羽に手紙をしたためたが誰も読めず、王辰爾(おうじんに)が羽を蒸して布に圧し当ててやっと読めたという。私の恋も烏の羽に書いた文のように、何かに写さないうちは誰も知る人がいないのだ。

【語釈】◇烏羽にかく言の葉 日本書紀に記された敏達天皇代の故事を踏まえる。

俊忠卿家にて恋の歌十首人々よみけるに、「立ち聞きて恋ふ」といへる事をよめる

わぎもこが声たちききし唐衣その夜の露に袖はぬれにき(金葉433)

【通釈】恋しいあの子の声を物陰で立ち聞きした――その夜おりた露に、衣の袖は濡れてしまった。

【語釈】◇唐衣 もと外国製または外国風の衣裳を言うが、ここでは衣服一般。「たち」(裁ち)と縁語になる。◇露 垣根などの物陰から立ち聞きしたので、露に濡れたのである。同時に、露は涙を暗示し、恋しさに涙を流したことを暗に含めている。

権中納言俊忠家恋十首のうちに、誓ふ恋といへる心をよめる

うれしくはのちの心を神も聞けひく標縄(しめなは)の絶えじとぞ思ふ(千載709)

【通釈】この誓いを快く諒承して下さるなら、神よ、後々の心までお聞き下さい。決してあの人への思いが絶えることはあるまいと存じます。

【語釈】◇うれしくは 神が快しとするのであれば。◇のちの心 恋が成就して後の心。◇神も聞け 神に対して誓願をする時の極り文句。◇ひく標縄の 「絶えじ」を起こす序。標縄は神聖な領域を限る縄で、紙幣(かみしで)を垂らしたもの。「神」の縁語。

【補記】神に対し恋の永続を誓う。藤原俊成の父俊忠の二条の家で催された歌会での作。

【他出】六条修理大夫集、時代不同歌合、題林愚抄

【参考歌】久米禅師「万葉集」巻二
梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人ぞ引く


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年09月04日