谷川俊太郎 たにかわ・しゅんたろう(1931—2024)


 

本名=谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)
昭和6年12月15日—令和6年11月13日 
享年92歳(宙心院俊水好声居士) 
神奈川県鎌倉市山ノ内1367 東慶寺(臨済宗)

 



詩人・翻訳家。東京府生。東京都立豊多摩高等学校卒。父は哲学者谷川徹三。昭和27年『二十億光年の孤独』で詩壇に登場。「櫂」「歴程」などに参加した。試作にとどまらず、わらべうた、童話、戯曲、エッセー、翻訳など、さまざまな領域を横断して活躍した。昭和58年『日々の地図』で読売文学賞、平成5年『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞受賞。ほかに『六十二のソネット』『シャガールと木の葉』、訳詩集に『マザー・グースのうた』などがある。




 



人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか僕は知らない
(或はネリリし キルルし  ハララしているか )
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまつたくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしやみをした

(二十億光年の孤独)

 


 

 18歳の時、「文学界」に発表し、20歳で刊行した第一詩集『二十億光年の孤独』に三好達司が寄せた序〈この若者は/意外に遠くからやってきた/そしてその遠いどこやらから/彼は昨日発つてきた/十年よりさらにながい/一日を彼は旅してきた〉との賛辞は大袈裟でもなく、溌剌と生命感に溢れた言語センスを持つ戦後詩の新人として世に出てから三千編にも上る「ポップスのような」と自身が呼ぶわかりやすい詩作品のみならず、絵本、翻訳、エッセーや童謡の歌詞、朗読など、半世紀以上にわたって活躍して幅広い層に親しまれ、現代日本で最も有名かつ、ただ一人の職業詩人と言われた谷川俊太郎、令和6年11月13日午後10時5分、老衰のため東京・杉並区内の病院で92年の生涯を終え、どこへやら遠いところへ帰っていった。



 

 父徹三と母の遺骨を納めた「谷川徹三/たき」の墓に令和8年2月24日、雨の中、俊太郎の遺骨も納骨された。私の住まいに近く「一東京人の住・私史」に記述がある俊太郎と岸田衿子の住まい〈台東区谷中初音町の焼け残った古風な下町にあるその女性の持ち家に住む。二軒つづきの長屋の一軒の内部を、洋風の居間と寝室に改装した小さな家〉、今はさらに改装されたと思われるその家の前を何回かうろうろしたことがあったことを思い出しながら、梅雨真っ最中の一日、三十年来馴染みのある北鎌倉・東慶寺のずっと奥まったところにある谷川家の墓所に詣でる。雨で洗い清められた墓石を眺め、マザー・コンプレックスを告白していた俊太郎が、今もきっと母に抱かれながら眠っているのだろうかなどと思ってみた。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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