田中小実昌 たなか・こみまさ(1925—2000)


 

本名=田中小実昌(たなか・こみまさ)
大正14年4月29日—平成12年2月26日 
享年74歳 
広島県呉市東三津田町11–11



小説家・翻訳家。東京府生。東京大学中退。牧師の父を持つ。戦後の混乱期に風俗の世界など、さまざまな職業を経て昭和30年頃からチャンドラーなどの翻訳をはじめる。46年『自動巻き時計の一日』が直木賞候補、54年『浪曲師朝日丸の話』『ミミのこと』で直木賞を受賞。ほかに谷崎潤一郎賞の『ポロポロ』や『ないものの存在』などがある。








 愕然として気がつくのだが、哲学をする者にはすべてが哲学だろう。たまに哲学をのぞいてみることなんてできやしない。また、たまには哲学からはなれ、息ぬきをするなんてこともない。哲学に息ぬきはない。宗教にも息ぬきはない。イエスとアメンにどこに息ぬきがあるか。
 ともかく、哲学の本を読んでいて、なにかのような気がするでは、おもしろくない。げんに、存在が明晰にわからないぼくは、たいへんもどかしく、おもしろくない。
 存在は、いるではなくあるのだろうか。でも、それはただ言いかたのちがいではないのか。存在を無にするような生成なんてことをニーチェに関してきいたことがある。しかし、ないものが生成するだろうか。存在しないものなんて存在は、存在のうちにははいらないのか。
 ぼくたちがそのなかにいる世界、みたいなこともぼくは言ったが、世界というのもわからない。だかr、ぼくたちが世界のなかにいるのかどうかもわかりやしない。まさか、ある部屋や建物のなかにいるように、世界のなかにいるわけではあるまいが、世界のそとにいるのでもあるまい。


                               
(ないものの存在)



 

 プロテスタントのどこの派にも属さない独立教会の牧師だった父のもとに生まれた田中小実昌。はげ頭に手編みのちょんちょこりん帽をかぶり、いつもとぼけた表情で唇をとんがらせてしゃべる。愛称は「コミさん」。家庭を持ってもふらふらと、いつ何処へともなくでかけて、いつ帰ってくるかも知れない。風来坊そのものであった。バスにのって、映画を見て、酒を飲んで、自分とは離れた世界を自由奔放に彷徨った小実昌だったが、平成12年1月10日に渡ったロサンゼルスで、2月24日に心臓発作を起こし、南カリフォルニア大学メディカルセンターに入院するも、2月26日午後5時(日本時間27日午前10時)同病院で肝不全のため死去した。



 

 軍港の町・呉の西北、斜面にへばりつくように段々に建っている家々の間の曲がりくねった細い坂道や階段をどこまでものぼって行く。砂防ダムの前の小さな石橋を渡ってなおのぼって行くと〈町をとりかこむ山々の南の斜面に教会の建物はあった。秋になるとドングリの実がおちる雑木のなかにある日本家屋で、その屋根の上のほうには桜の大木の枝がのびていた〉と小実昌が述べた十字架のない教会の聖域があらわれた。家族の住んだ家や教会の家屋、もっと上にあった家を移築した父種助の死んだ家。著書『アメン父』の記述通りだ。家族の住んだ家を仰ぐ30段ほどの石段の右前に2004年1月に「アメンの友」によって建てられた墓碑。「主は偕にあり」とある。ここに父や娘のりえとともに小実昌も眠っている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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