谷川 雁 たにがわ・がん(1923—1995


 

本名=谷川 巌(たにがわ・いわお)
大正12年12月25日—平成7年2月2日 
享年71歳(流水院釈磐石居士)
熊本県宇城市松橋町松橋1242 円光寺(浄土真宗)



詩人。評論家。熊本県生。東京帝国大学卒。昭和22年共産党入党、のち離党。29年第一詩集『大地の商人』、31年『天山』を刊行。33年サークル村を結成し、大正炭鉱争議を指導。その後上京し、ラボで英語教育活動に力を注ぐ。詩集に『定本谷川雁詩集』、評論に『工作者宣言』『原点が存在する』などがある。







おれは大地の商人になろう
きのこを売ろう あくまでにがい茶を
色のひとつ足らぬ虹を

夕暮れにむずがゆくなる草を
わびしいたてがみを ひづめの青を
蜘蛛の巣を そいつらみんなで

狂った麦を買おう
古びて大きな共和国をひとつ
それがおれの不幸の全部なら

つめたい時間を荷造りしろ
ひかりは桝にいれるのだ

さて おれの帳面は森にある
岩陰にらんぼうな数字が死んでいて

なんとまあ下界いちめんの贋金は
この真昼にも錆びやすいことだ                                    

(商人)



 

 昭和35年刊行の『谷川雁詩集』あとがきで〈私のなかにあった「瞬間の王」は死んだ〉と書いて詩人廃業を宣言する。その6年後には、〈詩は滅んだ〉と文壇・論壇からも遠のいて以降、伝説の人となって久しかった。信州黒姫に移っていた谷川と丸山豊、安西均の間で交わされた私的な「リレー通信」のなかで、61歳になった彼は〈ようやく死・葬・墓・空っぽを語って、あまり頬を赤らめずにすむ齢となりました。私はこれがうれしい。〉と書いている。
 黒姫山麓でのラストワーク、十代のための合唱曲集『白いうた 青いうた』の作詞に勤しんでいた平成6年10月、東京清瀬の国立東京病院で右気管支に悪性腫瘍が発見され、翌年の2月2日、川崎市の病院で肺がんのため永眠した。



 

 〈「段々降りてゆく」よりほかないのだ。飛躍は主観的には生まれない。下部へ、下部へ、根へ根へ、花咲かぬ処へ、暗闇のみちるところへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギイがある〉。
 自らの生のよりどころである原郷。2歳の幼児であった谷川が家庭の事情から両親と離れて暮らした熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)。閑散とした駅前通りのしばらく先にある寺の小ぶりの二層門をくぐる。〈近年その境内に階下がお斉の場所、階上が納骨堂という新形式の建物ができ、父母や兄たち用の仏壇と背中あわせに、雁分家用のロッカー風安置所を得ました。〉と記した谷川雁の鎮まる所、光明灯のやわらかな光に照らされた阿弥陀如来画像を中央に息子空也と雁、大小の位牌が前後に並んでいる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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