立原正秋 たちはら・まさあき(1926—1980)


 

本名=立原正秋(たちはら・まさあき)(金胤奎、キム・ユンキュ)
大正15年1月6日—昭和55年8月12日 
享年54歳(凌霄院梵海禅文居士)
神奈川県鎌倉市二階堂710 瑞泉寺(臨済宗)



小説家。朝鮮慶尚北道(韓国)生。早稲田大学中退。昭和31年『近代文学』に『セールスマン・津田順一』を発表し、文壇への一歩を踏む。39年雑誌『犀』を発刊。40年『剣ヶ崎』で芥川賞候補、翌年『漆の花』で直木賞候補となる。『白い罌粟』で41年度直木賞受賞。ほかに『薪能』『冬の旅』『帰路』などがある。







 私はおおねのところで自分の子がうまれるのがこわかった。自裁した父と母に去られた子を考えたのである。もし私が父のようになり、妻が母のようになったら……。妻を母にたとえるのはよくなかったが、しかし私には父の血が流れていた。臨済の家風が私を支えていたとはいえ、いつか父を追うことはないだろうか。十九年の秋、奈良を歩いていたとき、死はじつにかんたんだ、という思いに捉われたことがあった。どうすれば人間が死ねるかをすでに知ってしまった少年時代を通ってきた者にとり、この思いは格別のものではなかった。荒れた唐招提寺の人影のない境内で、秋の陽の光が拡散しているなかを、ときおり落葉が音もなく舞いおりていた昼すぎだった。私がそのとき死について思いめぐらしたのは、戦争という時代のせいではなかった。私はこの戦争で日本が滅び朝鮮が滅ぶのを希いながらも、一方では戦争の外側を歩いてきていた。世相がつらいのではなく、よるべのない境遇がつらいのでもなかった。少年時代のあの冬の季節、ひとり病んで、生きているのをつらいと思ったことがなんどかあったが、そのつらさはまだ私の裡でつづいていた。それは、つきつめて行くと、この世に生を享けた者のつらさだったのだろうか。
                               
(冬のかたみに)



 

 立原正秋は「金胤奎/キム・ユンキュ」として韓国安東郡の禅寺・鳳停寺で生まれた。自筆年譜には両親共に日韓混血、父は李朝末期の貴族の出とあるが、実際にはその事実はない。しかし年譜をも創作しなければならなかった彼の孤絶した深淵は計り知れないものがある。
 「滅ぶ」ことによってのみ「花」は咲くのだ。中世の世阿弥『風姿花伝書』や能、謡曲などを強く意識して文学活動に邁進し「純文学と大衆文学の両刀使い」を自任、流行作家にもなった。
 昭和55年八月12日夏の午後、食道がんのため東京・築地の国立がん研究センター中央病院で逝った彼の密葬・出棺の際、長男である潮氏が挨拶した。〈父は今日のこの風に乗って、生まれ故郷の鳳停寺へ還りました〉。



 

 鎌倉公方の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹とされた瑞泉寺の仏殿背後には昭和45年に発掘、復元された夢窓国師の庭園があり、四季折々の花が彩る鎌倉随一の「花の寺」としても知られている。紅葉ヶ谷と呼ばれるこの谷戸の墓地を真直に突っ切っていく。裏山の新緑を背に建つ墓碑を見上げながら数十段の石段をのぼっていくと、ひな壇の中途に17回忌の板塔婆をはさんで「立原家之墓」と五輪塔が並んで建っていた。
 人気作家であったがゆえ、墓参の絶えない墓という印象をもっていたのだが、今日は一輪の供花もなく、ただこの墓域を包み込む湿気の多い陽光を一身に集めて、沈んでいく谷戸の林立する墓石群の宙に、たった一人の私は浮かんだ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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