W e b m a s t e r リ ソ ー ス 使 用 率 (日 記)
※日付はWebmasterの気分に因るモノであり、実際の編集日とは異なる場合が良くあります.
Webmasterの意向により、ほったらかしになるトピックもあります(^^;
・スターボ設置のナゾ(12/30)
・近頃のカーナビ論(12/31)
・中国特集(特別服務も半年間ほったらかしなのだが(^^;)(1/21)
・ケータイより安い国際電話?(1/20)
・TDL2001事情(1/24)
・JONARDA復帰(1/25)
・アパルシュをやってみたぞ(1/27)
・もう台湾の事は忘れましたので、ヤメます(笑)。今度はマレーシアにします。
5 Aug.2001(星期日)激雨普通晴曇(謎)
・最近Webmasterはタイに夢中である。と言うのはタイからやってきた女性と知り合う機会があり(え?シンガポールの一体何処で?と言う
声が出てきそうだが、この辺の事情に精通しているムキなら大体予想が出来ると思うので省略(笑)。第一、声を大にして言うのは恥ずかし
いと言うのもある)、彼女を含む多くのタイの女性はとても人懐っこいのと、あの愛くるしい笑顔にWebmasterはすっかりマジ吸い込まれて
しまったのである(笑)。年齢はWebmasterと同じ25歳,最初は2518年生まれとか言っているのでこの人は未来からやってきた娘なのか!?と
思ったが、どうやらタイは西暦では無く、仏歴を使用しているらしいので西暦+543年した値が仏歴となる。パスポートを見せて貰うと、
そこには1975と書かれている。従って彼女は西暦1975年生まれだ。9月生まれなので、Webmasterより3ヶ月程お姉さんである。おねぇさま
ぁ〜(爆)。名前はノーンちゃん。アルファベットでは"None"となるらしいので、“無し”なのである。つまり存在そのものが架空のモノ
なのか?とある文献によると、タイの人々は本名と別にアダ名を親から銘々して貰うらしい。日常生活ではそのアダ名を常用し、本名は
それなりに親しい人ぐらいにしか教えないと言う。しかし、そのアダ名と言うのがやっかいで、ライブラリリソースが極端に少ないらしい
のである。男女それぞれ5〜6種類しかメジャーな名前が無いらしい。よってあちこちに同じ名前の人がいるので、区別が付きづらいらし
いのだ。
・そしてそのノーンちゃんは、先月の末にシンガポールに来たばっかりである。英語が全く通じない。アルファベットも書けない。書ける
のはプリント基板のパターン状のタイ語。なんちゅうか、タミール語より解りにくそうである。初めて彼女に会ったときは、タイ語なぞ
サワッディーカッ(こんにちは)しか知らなかったので、これまた非常に苦労した。まずは紙に色々書いてコミュニケーションを取った。
数字なら彼女は読める。その数字の発音の仕方を教えて貰った。数字は、中国語のそれより、幾分か発音しやすく、覚えやすい。以前、
Webmasterが中国の知り合いに数字読みを中国語で喋ってみたが、「全然ダメェ〜」と笑われていた。しかし、数字だけでは何のコミュ
ニケーションも取る事は出来ない。これ程まで言語が大事だとは思いもしなかった。しかし、Webmasterの性格からして、この逆境こそ燃
えるのである(笑)。何とかいろいろな持ち物を駆使してコミュニケーションを取っていると、彼女のアウトラインが見えてきた。まず、
住んでいる場所は首都バンコクのプラトゥーナーム。プリクラみたいな写真を持っていた。それにはいかにもタイ人らしい美男子と言える
男性が一緒に写っている。これは夫らしい。で、赤ん坊の写真もあった。これは1歳半程の自分の娘らしい。で、夫とは死別したと言う。
娘を残して死別とは...今は家族(母親・父親・兄2人・妹2人)と暮らしていると言う。自分の娘と自分も入れると実に8人家族じゃない
か!そして部屋の大きさは解らないが、アパートに住んでいると言う。何となくアジア的な雰囲気が伝わってくるねぇ〜。その夫はどう言
う訳かイヴーン(日本)で死んだらしい。この辺はタイ語.dllのリソース不足によりこれ以上の事は理解不能。何というか、本当に死んだ
のかな?と言う疑問もある。日本の何処で死んだのかも知らないらしい。これは悲惨である。ベトナム最前線で戦死して遺体が帰らなかっ
たのと同じぐらいの感慨ではないだろうか?そして、彼女はバンコクではマッサージの仕事をしていたと言う。つまりはマッサージ・パロ
ール(タイ語では“アープナム”と言う)で働いていたのだろうか?やはり売春婦だな。Webmasterのイメージは、バンコクは世界最強
の風俗スポットで、風俗そのものが日本の自動販売機ぐらいに生活に溶け込んでいると思っている。つまり、街を闊歩する女性に普通に
声を掛け、「幾らだい?」と聞いて即個室へゴーがOKと言う国なのでは無いか?(これには大きな誤解があるカモしれないので、信用しな
い様に)まぁとにかく、この様な彼女の状況に、Webmasterは益々愛しさを感じてしまったのである...
・何とか彼女とコミュニケーションを取りたい。そう思ったWebmasterは、出来る限りのタイ語をひたすら覚える事にした。しかし、タイ語
ってタイでしか役に立たないし、アラビア語の次ぐらいに利用範囲が狭いのではないか?ただでさえ最近物覚えが悪いのに、ここでタイ語.dll
をインストールすると言うのはメモリ不足を起こしかねない。英語ですら最近やっとマトモ(と言ってもシンガポール式英語だけど)に
話せる様になってきたかな〜と思う程度なのに、それでもタイ語にリソースを割り当てると言う強行手段と取る程に、思い入れが強いらしい。
しかし、人間とは目的があると学習も早いようだ。何とかこれでノーンちゃんと楽しく話が出来ればいいな〜と思っていたのである。
・とある日、突如携帯が鳴った(ジワジワ鳴る携帯があるんかい?)。ノーンちゃんである。あなたの休みはいつなの?と言っている様だ。
えーと、ワンサオとワンアーティット(土曜・日曜)だよ。どうやら一緒に買い物に行きたいらしい。ヤハリ日本人なので金持っていると
言うしたたかな考えなんだろう。まぁいいや。タイ語の勉強にもなるし、多分生活の水準からしてちょっとしたようなモノを買ってあげて
も大層喜ばれるだろう。それならそれでちょっとはツッチーモード(←かなりマイナー語だな)になっても良いかなと思っていた。「じゃ
あ、土曜日に迎えに行くからね」と伝えて、それからはまた更にタイ語の勉強。仕事中も、頭の中は全部タイ語。食事中も、タイ語。
・当日、朝10時、彼女のホテルまで迎えに行った。ありゃ!明るいところで顔を見たのは初めてだけど、ちょっと幻滅。いや。そんな事
は無い。Webmasterは彼女の純粋な心に惚れたのであり、顔に惚れたのではない(本当か?)。そしたら、彼女はいつもの笑顔が無い。Webmaster
が質問する間も無く、“マイ,サバーイ”と連呼していた。えーと、サバーイは気分とか、具合と言う意味で、頭にマイが着くと、それに
NOT(INVERTED)ゲートが加わるので、「具合が悪い」と言う事になる。ありゃ〜。これはNGである。確かにシンガポールは、間違いなく風邪
を引きやすい国である。外が暑いのに、店やホテル等の部屋はガンガンにエアコンを効かせている。ちょっと昔までは、「エアコン=高級」
と言うイメージがあったので、効かせられるモノなら−273℃にして、最高級にでもしてやろうと言う心意気なのである。シンガポール
の人は加減と言うモノを知らないのだ。この10度以上の温度差の中を行き来していると、大抵1ヶ月に1度は熱発が起こる。話を戻すと、
今日はせっかくオルチャルド(笑)辺りまで買い物に行こうかと思っていたのに、風邪を引いて熱があるらしいので、これで連れ回すのも
大変失礼なので、仕方なく、Webmasterのマンションへ。一応このマンションは会社で契約しているモノなので、家賃・電話・水道全てが
タダである代わりに、第三者の連れ込みはダメらしい。特に異性はウルサイ。何故異性だと世間的に非難されるのだろうか?入り口のガ
ードマンが怪訝そうに見ていた。こうなったら「文句あるんか〜」ぐらいの気持ちで堂々と行くしかない。で、このガードマンはWebmaster
の社長秘書に「いや〜お宅の社員さんが、こないだ部屋に女性を連れ込んでいたねぇ」とチクりを入れるのである。頼むから放っておいて
ほしい。部屋に入ると、ノーンちゃんは風邪薬を飲み、Webmasterのベットの枕を抱いてぶっ倒れて寝てしまった。うーむ。これは思いも
しない展開。枕を抱くなら代わりにWebmasterを...あ、でも風邪うつされるのもな〜
・結局、ノーンちゃんは夕方5時ぐらいまで寝ていた。良く、知り合って間もない、しかも国籍も違う日本人の家の部屋で爆睡出来るなぁ
と感心しつつ、Webmasterはローカルのかなりつまらないテレビ番組や、パソコンでメールを打ったりしていた。さて、夕方5時に起きた
ノーンちゃんは、今からオルチャルドに行くのも何だから、来週にまた行きましょうと言う事にして、今日はマンションの近場をうろつく
事にした。近場にもちょっとしたデパートはあるし、キンカーオ(ご飯食べる)とか言っているので、ご飯をご馳走しようと思った。
行った所は、以前先輩に連れて行って貰ったタイ料理のお店(何か安直だな)。最初は2$のホッカセンターの飯にしてみようかな〜とも
思ったのだが(笑)。しかし、そのタイ料理のお店はメニューがタイ語で記述されていない。英語と中国語だけである。これはしまった。
しかし、写真も載っていたので、何とかお目当てのモノは見つかったらしい。Webmasterはまだ自宅に日本の食材がいっぱい余っており、
日本に帰国するまでの間に消費しなくてはいけなかったので、ちょっとだけ頼む。ノーンちゃんはトムヤムスープと色々な種類のご飯が
盛られている炒飯の様なもの(一見すると、マレーシア料理的だが)を頼んだ。普段はカップラーメンばっかりみたいなので、美味しそう
に食べると思いきや、あまりそういう風には見えない。しかもキュウリみたいなモノを残しやがった。ちょっとムカつく。Webmasterは日頃
自炊しているマズい飯ばっかりなので、外食のモノは旨いのでバクバク食っていたのとは対照的である。なんか俺のほうがよほど貧乏人だ
な... 会計は大して食べなかったので、$44。何とそこで彼女は$50札自分から出してきた。この対応は、可愛いと見るか、可愛くないと見
るべきか、判断に大いに苦しむ所である。僕はすかさず$50札を彼女に渡したが、受け取らない。いいよ。勿論僕が出すよ。と言う素振り
を見せると、ようやく受け取ってくれた。で、食後はそのデパートで買い物。一体どんなモノを欲しがるのかと思いきや、やっぱり洋服で
ある。でもそんなに高いモノではない。買ってあげようかと思ったが、これまた勝手に(と言うか、それが普通か?)彼女は自分で支払っ
た。もう面倒くさいので、放っておいた。その後も、定番とも言えるアクセサリのお店とかで小物を。Webmasterはアクセサリのお店と若松
通商及び千石電商がいつも若干ラップして見えるのだが、アキバ野郎としての意見は如何だろうか?(笑)。
・さて、帰る事にした。まだ彼女は“ヤング,マイ,サバーイ”(ヤングが付くと、「未だ」という意味になるらしい)らしいし(笑)。
タクシースタンドはこの時間は長蛇の列である。従ってWebmasterはロットメー(バス)に乗る事にした。バスの中では殆ど会話無し。何と
なくあまり大した会話も出来ないし、もうこれ以上話したい事も無かったのである。ホテル付近のバス停に到着した頃には、辺りは激しい
スコールであった。傘も無いので暫くバス停で待つ。ちょっとおさまってきたところで小走りでホテルに向かう。でもやっぱりズブ濡れ
になってしまった。Webmasterは彼女のホテルの前で「じゃあ又ね」と言うと、雨が止むまで部屋に居たら?と言う。じゃあお言葉に甘えて
お邪魔しますよ。すると部屋には、何ともう一人友達が居た!彼女も可愛い顔立ちである。嬉しい事に、その友達は少し英語が話せる。
そう言えば、前にホテルに電話した時に、別の女の子が出たな。多分この娘がそうなのだろう。名前はナーンちゃん。ノーンもナーンも、
僕からすれば同じ名前に聞こえるよと言うと、笑っていた。Webmasterはこれまで言いたくても言えなかった事を破裂したかの様に話しまく
った。うーむ。やっぱり話せるって素敵。狭いホテルの部屋で、彼女ら二人と色々話す事が出来た。Webmasterが片言で覚えたタイ語を話
すと、その一言一言で笑う。多分イントネーションとしても滅茶苦茶なのだろう。まぁ良い。彼女にウケるのなら、何でも良い。それより
、そのタイ語が一応間違えていないと言う事さえ解れば十分である。数十分の間だったが、今度僕はバンコクに行く事や、8月末には日本
に帰国してしまう事を伝えて、それまでにまた会えたらいいねと言う事にしてWebmasterは自宅に帰った。この数十分間が今日で一番楽し
かった瞬間である。
・さて、来週Webmasterは彼女に再度会うだろうか?多分NOである。勿論、会いたいと言う気持ちも募るが、所詮Webmasterはもうすぐ日本
に帰ってしまうし、これ以上情が入るとまた寂しい事になる(2年前にシンガポールに来た時も、ミャンマーの娘で自爆した。涙のチャン
ギ空港になってしまったのである)。もし、彼女から電話があれば、行くと思うけど。特に今回は前回のミャンマーよりは相手が冷静であ
るし、何と言っても言葉の壁が大きい。恐らく向こうも若干嫌気がさしたと思う(実際Webmasterも、畜生!何で通じないんだよ、と思っ
た瞬間があった)。これはこれで良い思い出として閉まっておき、ついでながらこんな短期間にここまでタイ語を覚える事が出来たという
メリットもあったし、ノーンちゃんのバンコクの住所と連絡先を教えて貰ったので、その気になれば、何とかまたバンコクで再会できるだ
ろう。やはり、アジアンガール(AG)には何とも言えない吸い込まれやすさがあると思う(少なくともWebmasterにとっては)...
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