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だらだら日記

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4月編

4月26日(土)
 足の痛みはようやく引いてきました。捻挫でこんな長引いたの珍しい。

 千代田区は明日が区議選の為、今週は店の界隈をひっきりなしに選挙カーが通る。これがまだちゃんとした選挙演説なら許せるが、まあひたすら名前を連呼するだけで公約のかけらも喋らない。名前を連呼して選挙活動になると思っているならこれほど選挙民を馬鹿にした行為もないと思うのだが、どうやら多少効果があるところを見ると選挙民はやっぱり馬鹿らしい。あんまり五月蝿いんで頭にきている。店の表に模造紙貼って候補者の名前を書いて五月蝿い奴から×印でも付けてやろうかと思ったけど、やっぱり大人気ないだろうな。


4月13日(日)
 静岡清水地区超ローカル観光案内第4弾「静岡県立美術館裏の桜」

 『御衣黄』という緑色の桜。遠目に観るとちょっときれいじゃないけど、珍しいことは珍しい?

 この日、年甲斐もなくフリスビーで遊んでいて足を捻挫する。ちょっとというかかなり痛い( ̄▽ ̄;


4月12日(土)
 イラク戦争がとりあえず表面的には終結の方向に近づいている。この数ヶ月色んなメディアで膨大な情報が垂れ流しのようにあふれたが、金を掛け、即時性を謳う割には屑みたいな情報ばかりだった。ほとんどテレビは見ないのだが(平日は100%見ない)、ひとつだけ印象に残るテレビ報道があった。開戦直前だった開戦直後だったか細かいタイミングは忘れたが、それはアメリカの一般家庭(おそらくWASPだろう)に対するインタビューだった。その家庭に一人の少女(おそらく中学生か高校生)がいて、インタビュアーに対し「なぜアメリカだけが悪者みたいに言われるのか分からない・・・」ともらしていた。それを聞いたときは”もう少し現代史を勉強しろよなおねーちゃん”くらいにしか思わなかった。しかし後から考えるとあの発言はアメリカ人のごく一般的な感覚かもしれないと思った。
 アラモ砦の攻防というアメリカ人なら誰でも知っている歴史上の事件がある。日本でもジョン・ウェイン監督主演の映画”アラモ”で有名ではある。アメリカ人はこの攻防戦を”自己犠牲の精神はアメリカの魂”とか言って自己讃美するが、正直どこをどう見ても単なるメキシコへの侵略戦争に対する言い訳にしか思えない(大体がアメリカの歴史というのは侵略の歴史と言い換えても構わないのだが)。
 なんでこんなに認識にギャップがうまれるのか? それはおそらくアメリカのメディアが偏向しているからだろうと思う。日本人が国際情勢をメディアを通して観るときには、日本のメディアというよりはほとんど海外のメディアを通して観る事になる。だからさまざま方向に偏向したメディアを通して色んな意見を知ることになる。一般のアメリカ人が国際情勢を知るのはほとんどアメリカのメディアを通してしか知りえない。だから一方的に偏った感覚持つんじゃないだろうかなぁと思っている。


4月8日(火)
 午前中に京都での大市の荷物が届く。目当ての艶本と新書の束が落札した。とりあえずこれで交通費分の元は取れそう(^^;。新書は上値になってしまったが、艶本は中途の値で何とか落ちる。冷静になってみるとやはり仕上げの荒さが気になる。上値で落ちなくて良かった(^^;。

 ここのところ市場や客買いでかさばる物ばかりが入荷する。店舗も置き場所がなくて始末に困るようになる。仕入れるばかりでなく処分することも考えないとちょっとまずい状態。


4月4日(金)
 午前2時頃沼津着。停車中に煙草を一服。シートも災いしてかあまり眠れない。それでも静岡を過ぎた辺りからうとうとし始め名古屋を過ぎてからは座席もすいたので爆睡始める。午前5時55分大垣着。乗り換え客で混んでいるので一本やり過ごし、午前6時31分網干行きに乗る。午前8時23分山科着。時間つぶしを兼ねて駅前の喫茶店でモーニングサービスを食べる。う〜ん眠い( ̄▽ ̄;。普段はまだ熟睡してる時間だからなあ。9時頃喫茶店を出て山科から東山に向う。会場のみやこめっせは、東山駅からすぐそばの平安神宮のすぐ隣。十分時間をつぶしたつもりなんだけど、それでも開場30分前に着いてしまった。

 受付してー、バッチ貰ってー、早速入場。クラッとくるくらい大量に和本類がある。お目当ての艶本を求めてウロウロするが見つからない〜(T_T)。2時間ぐらい和本を重点に探し回るがさっぱり見つからない。眠さとだるさでふらふらして、たぶん推定うん百万の掛け軸に突っ込みそうになる。

 お目当て見つからないまま、お昼食べようとして一旦会場を出てけれど、あんまり食欲もないのでロビーでコーヒー飲んで煙草をふかしながら休む。目録を再度確認して会場に戻るが、それでも見つからない。仕方がないので主催者サイドの人間に目録を示して、どこら辺に置いてあるかを尋ね、ようやく見つけ出すことが出来た。

 一番お目当ての和本は、恋川笑山の『花月源氏』。極美本と記載されているが確かに程度は良い。画自体は派手さが先行してもうひとつなのだが、とにかく彩色と仕掛けが派手。仕掛けというのは艶本などで、何気ない人物や襖の画を開くとそこに別な画が仕掛けられているとか、今で言う綴じ込みグラビアのように大きな画が広がるものを言う。この『花月源氏』は大仕掛けで、普通見開き2図を開いてさらに4図になるというものが多いが、これはさらに開いて8図を使って一枚の画を構成している。さらに刷りも金や銀の顔料、艶出し(黒の印刷面を後から擦って艶を出す手法)、空刷り(紙表面に凸凹をつけて模様をつける手法)を多用している。そして初めてみたのだけど青貝散らし(青貝の薄片を散らす手法)が使われている。でも豪華さが先行しすぎて絵も刷りも仕上げが荒いのが気になる。でもこれだけ程度のいいものはナカナカ出てこない。大分迷った末(煙草3本分)ちょっとこの値段で落札したら嫌だな〜と思う金額まで入札する。

 他に3点ほど和本で検討したものがあったが、一点は軸装になっていて、おそらく手がつけられない金額だろうからあきらめて、他の2点は刷りが悪すぎたり焼け焦げがあっったので、安札を入れてくる。ここまで来たからにはマンガも仕入れなきゃと思い、山田美根子を含む古い新書の束と貸本少女マンガ短編誌の束にに札を入れる。

 なんやかやで3時半頃になり、会場を出る。せっかく京都まで来たので色々と人と会ったりもしたたかったのだけど、どうしても明日は店をやりたかったし宿泊費を捻出できるほど売上もないし( ̄▽ ̄;。てなわけで大阪の中心部でお会いできるTHE SEIJIさんとの用事だけを済ませる。依頼されていた資料を届けるのも兼ねているんですけどね。

 東山から京都駅に出るのに意外と手間取って、なんとか大阪駅までたどり着く。駅前に観覧車があるのが異様(^^;。いつの間にこんなの出来たの? 落ち合う場所は紀伊国屋で、大学時代散々行った場所なのに大阪駅からのルートが分からずに(大学時代は京阪電車を利用)少し迷ってしまう。携帯電話に電話して何とか合流。

 早速わがままを聞いてもらって、明石焼きを食べに行く。十数年ぶりの明石焼きはとても美味しかったです。その後、地下街の適当な創作料理居酒屋に入って一杯。本の話とかとかで歓談。でも新幹線(のぞみでなくこだま)の最終があるので大阪駅を8時には出なければならない。ゆっくりと話す時間も酔いがまわる間もなく、後ろ髪引かれつつ早々と後にする。

 20時43分新大阪発東京行ひかり。帰りは東京まで爆睡。やっぱり夜行列車なんか使うんじゃなかった(^^;


4月3日(木)
 23時55分品川発臨時列車大垣行きに乗る。京都で全古書連大市という古書の市場が開催されるのだ。事前に発行された目録を眺めていたら、昨日突発的に行きたくなってしまった。旅費をかけてまで行ってペイするかは微妙なのだが、何点か入札したい和本がある。そんなわけでいきなりの旅行なのだ。本来なら新幹線で行けばよいのだが、多少の旅費をケチろうと最初は夜行バスを探したのだがすでに予約が取れない。、まあ東京発のムーンライトながらという夜行列車に乗ればよいだろうと22時頃になって店を出て東京駅に向うが、東京・小田原間が全席指定ですでに満席状態になっている。小田原まで先発する在来線で行って途中から乗るという手も考えたが、座れるかどうかも確証が取れない。どうしようかと悩んでいたら品川から大垣行きの臨時列車が出るアナウンスがあったので、とりあえず品川まで行ってみると何とか座れる。でも意外と旧型の車両なんでリクライニングも出来ない。さらに出発間際になると通勤電車みたいに混み始める。まさか大垣までこの混み方が続くわけではないだろうとは思うのだけど・・・。とにかく学生乗りを発揮して夜行列車に乗ったことをちょっと後悔している(T_T)。さてどうなることやら。