戻る?だらだら日記

 

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12月編






12月31日(月)
 ようやく一年が終わる。世間もそうだったが個人的にもなかなか激動の一年だった。この一年を振り返るついでにエンジニアだった18年も振り返っておこうと思う。人間の決心なんて弱いものだから、いつかどこかで決心が鈍ったときの再補強用にメモを残しておこう。

 中学から電気いじりを始めて、高校も工業高校の電子工学科へ進んだ。そう言う意味では、子供の頃からエンジニアになることしか考えていなかった。大学時代に初期のパソコンの洗礼を受け(当時CPUはまだ8ビットだった。クロックなんざ1MHzもなかった)、案の定はまり込み、そして結局NECの研究所系列のソフトウェア子会社に就職した。正直言って水が合った。配属先はNECグループ内の生産設備のソフトウェア開発。環境が良かったおかげもあって、半年経って段階でもういっぱしの仕事をさせてもらった。ちょっと思い出すだけで、ハードディスクのテスター、CDの原盤作成装置、FDの検査装置、放電加工機の検査装置、エキスパートシステムのユーザーインターフェース設計、回路CADのユーザーインターフェース設計、有機金属気相成長方式の半導体製造装置。わずか7年でホントにいろんなシステムのソフト設計をした。

 けれどやがて社内用の設備関係を続けることに飽きが出てきた。もっと一般の人間が使うソフトウェアの開発をしてみたくなった。そして転職を決意した。

 選んだ会社は、ファミコン用のゲームソフトやパソコン周辺機器を開発していたHAL研究所という中堅どころの会社だった。HALキャッチというパソコンに接続するファックス・アダプターを開発することになるが、やがてレーザーディスク・カラオケの開発に巻き込まれていく。この時期に月間300時間という訳のわからん残業をやるはめにもなった。詳細は話すのも嫌なのだが、不穏な開発体制に切れて、結局一年余りで辞めることとなる。そして半年位して、後の仕事を引き継いだ先輩が自殺したとの知らせを聞き、やがてHAL研究所は和議申請を提出し解散する。

 次ぎに選んだのがカシオだ。夢のはずだったコンシューマー向けの商品開発が出来るはずだった。だけどバブルの崩壊とともに自分の中に、コンシューマー商品の開発特性である大量生産方式に対する疑念がすでに起きていた。

 何のために作るのか。資本に裏打ちされた社会の正義が人の正義と連動するなどというたわごとを信じていたわけではない。ただ、大量生産によるコストダウンというのが限界点に近づいているのが見えた。ユーザーの嗜好が細分化しつづけるのも見えた。飽和した市場にさらに溢れる商品も見えた。

 PHSの開発をした。携帯との競合が起き、しばらくすると数万円の端末は1円で売られるようになった。1円になる市場論理は理解できても、納得は出来なかったし、ユーザーの値段に対する意識を破壊したという点で、着実に商品開発へのダメージはあった。そしてPHSや携帯の爆発的普及は、何よりもパブリックな空間へのプライベート空間の持込という言う点で画期的なまでに公徳心の喪失に貢献した。ハッキリいって俺は未成年のすねかじりのガキどもに、電車の中でぎゃあぎゃあと電話をさせる為にPHSを開発したわけではないのだ。

 オーディオの開発をした。性能追求してもユーザは音なんか聞きゃしねえのだ。デザインと値段しか気にはしないのだ。だからオーディオの主導メーカーは、新商品を売るために次々と新しい規格を打ち出す。でもユーザもそこまでバカじゃない。結局メーカは値段を下げることによって商品をゴミ化させ、新商品を作ることにより、旧商品をゴミ化させる。20年前にCDを聞こうと思えば装置は20万円はしたのだ。ところがいまでは5千円ですむ。20万円の装置なら修理もするだろう。しかし誰が5千円の装置に1万円の修理代を払うだろうか。そして数年もすれば旧規格の商品は使用できなくなるのだ。(俺のレーザーディスク・ソフトをどうしてくれる(怒))

 結局メーカは、際限なくゴミを作りつづけるために仕事をしているのだ。

 私はもう疲れたよ。物を作ることは大好きだったけど、大好きだった分だけうんざりもしたのだ。

 もし私が遠い将来、モノを作る仕事に戻ることがあったとしても、その時は自分のためだけに自分の必要と思うものだけを作ろうと思う。そのことだけは忘れずにいようと思う。
 



12月30日(日)
 久しぶりにコミケに行く。辰巳駅からタラタラ歩いて重役出勤するのは相変わらず。友人のブースによって挨拶して、即効でTHE SEIJIさんのブースへ向かう。初めてご尊顔を拝む(^^)。これからもよろしゅうに。挨拶もそこそこに他のブースめぐりを始めるが、久しぶりなので勝手が違う。だいいちカタログ・チェックしてねーし。それよりなによりカタログ買ってないし(爆)。

 たいして買うものもなく、ぶらぶらしてるとブースの宣伝用パネルに目を引かれる。B1位のサイズのパネルにモデリングペーストを厚塗りして、その上に水彩画材で羽娘の絵が描かれている。しばらく眺めていると「お気に召しますか?」と聞かれた。「なかなか好いね。これ売ります?」と聞いてみると、しばし考え込んだ後に「3万円で如何ですか。ちょっと高いかもしれませんが、自分も気に入っているので大事にして貰いたいから」との返事。2万円くらいかなと思っていたので、ちょっとびびったが、「じゃあ、買います」と言うと、相手もびびったみたい。作者は、名古屋の人で、亜綺椰響というペンネーム。Webで探してみたけど見つからない。亜綺椰さん、縁があったらまたどっかで会いましょうね。



12月29日(土)
 注文していたスチールラック13本が(分解状態で)搬入される。事前に組み立て用のソケットレンチを用意していたのだが、サイズが大外れ13mm(T_T)/。急遽近所の金物屋で工具を買い求めるも、ソケットレンチどころかメガネレンチもなくスパナのみ〜。

 友人と二人でせっせと組み立てるも途中ミスとか手順間違えとかあって、5時間かかって4本しか組めず。残りは来年持ち越しなり〜。

 酒を飲むが、このところ妙に廻りが早い。弱くなったのか疲れてるのか。



12月28日(金)
 午前中、瑞穂町にある中古什器屋に出かける。八高線の箱根ヶ崎という駅のそば(でも結構歩いた(^^;)。この駅にゲートなしのSUICAの出入札機があった。中身はハイテクなのに、外見は田舎の駅にもよく似合う(ケンカ売ってるつもりはない)いたってシンプルなもの。感度がちと悪いのはサイズによる能力の違いが出るのだろうか。
 中古什器屋で幅90cmで高さ90cmと150cmの二つのショーケースを購入。搬入は年明け。

 取って返して神保町へ。友人と待ち合わせ。レンタカー屋でハイエースを借りて、川口まで机と棚と椅子2個を頂戴しに行く。レンタカーは6時間借りたけど、結局3時間で戻って来れた。

 搬入終えてレンタカーを返すと、別な友人から電話が掛かる。近くの超大手出版社に仕事の打ち合わせに来たとの事。がらんとしたお店の中で、建物の不審な配線配管回りの話題で盛り上がる。

 不審といえば、この建物には謎の半地下室がある。什器のレイアウトは決めたけど、この半地下室はどう使うかはいまだ思案中。それにしても何でこんなものが作ってあるのかさっぱり理解に苦しむ。建てた当初は何に使っていたのだろうか?



12月27日(木)
 1ヶ月にわたる風邪引きが相変わらず抜けない。少し動くと身体がだるいのだが、収入の途絶えた身では休んでいるわけにもいかない。什器類の手筈は、ほぼ終わった。残るは年内の搬入。
 今日も役所に実印証明をもらって、そののち九段下の法務局へ。登記書を閲覧して”くだん書房”が商号として問題無いのは確認。しかしながら個人商店で商号登記の必要性は、ほとんど必要ない事も確認。係りのおっちゃんも頭をひねるくらいだからね。専用の用紙もないし。前回の説明は一体なんだったんだ〜〜〜(-_-#。

 結果、屋号は”くだん(件)書房”でゴー。

 東京ミレナリオに寄る。普段丸の内になんか絶対来る事ないような子連れのおばさん連中がうようよ。うんざりするほどの人込み。いやんなっちゃう(-_-;。もう二度と来ない。

 ASAHI−NETとの契約が完了。AirH”を利用しての接続も完了。そろそろホームページの引越し作業。



12月24日(月)
 クリスマス・イブだけど個人的にはさっぱり何にも縁がない(笑)
 昨日から店舗用の什器を探してうろうろ。ショーケースは中古屋で、本棚はスチール棚を安売り屋で調達のめどがつく。まあ他人をあてにせず、なるべく自分の出来る範疇でぼちぼちやろうと思う。



12月22日(土)
 サラリーマンを辞めた、という実感は意外とわかない。辞める際にいろんなひとに挨拶をしていったが、思いのほか多くの人の感想が、うらやましいということだ。しかし、現時点でも言えるが、サラリーマンを続けられるのならサラリーマンでいたほうがどんなに楽か知れないということだ。自営業というのは一人で何でもしなければいけないのだ。助けてくれる人間は基本的にはいないのだ。私の場合、エンジニアを辞めてサラリーマンを続けていく才能もこだわりも持つことが不可能だと判断できたから、サラリーマンを辞める決心がついたのだ。40を過ぎたエンジニアほど役に立たないものはないと思う。

 最近になって思うことだが、やたらと愚痴を聞かされるケースが多い。基本的に人の意見には口を挟まず黙って聞いてやるほうなので、相手からすれば愚痴りやすいのかもしれない。しかしながらハッキリ言って、私は愚痴をこぼすのも愚痴聞くのも大嫌いなのだ。愚痴るくらいなら自分のやりたいことを自分のやれる範囲でさっさとやれよ、と言いたくなる。時間が無いとか(寝る間を惜しんで時間作れよ)、金が無いとか(節約しろよ)、才能ないとか(努力しろよ)、聞くたびにうんざりする。ましてや人を羨ましがる話とか妬みの話なんか聞くと、ちゃぶ台ひっくり返したくなる程、腹が立つ。そーゆー奴ほど、努力するなんて言葉を知らない。大体私は宝くじを買うような人種が嫌いなのだ。



12月21日(金)
 底冷えするような寒い日だなと思ったら、昼過ぎからは雪が降り出した。産まれ育った清水の町はめったに雪が降らない場所だった。東京に出てきてけっこう雪が降るのに驚いたのも、もう昔のことだ。東京に出てきて何度目の雪になるだろう。

 昨夜、退職最後の日だというのに組合執行部との懇親会があった。組合がわざわざ出張ってくるのでどんな話かと思いきや、たんなる茶飲み話の域をでない。組合側の会社の現況認識に関しては、愕然とするほど大甘で、発言する気にもなれなかった。みんな日々の仕事や生活に追われるだけで社会や会社の状況なんてじっくり考えることもないのだろうね。しかし仮にも組合執行部なら会社の決算書ぐらい把握しとらんのか。この程度の人間が組合執行部なんてやっているから会社も駄目になるのだろうな。昨日までいた会社もけっこうな大企業だったが、そのときに付合いのあった巨大企業の社員は、もっと危機感を持って自分の会社の状況を把握していたぞ。こういうご時世では末端の社員まで危機感を持って仕事に取り組む必要があるはずだ、それが出来ないで大丈夫大丈夫なんて上層部がぬかしている会社は、あっさりと潰れるだろうね。

 神保町に行って、店の造作を確認する。シャッターの中央の支柱がびくともせんなぁ。随分長いこと外さなかったのだろうな。床が冷え切っているためエアコンの効きがよくわからない。
 古書店に行って「実検作法書」という写本を購入。実検というのは首実検のことで、大将の首の扱い方、台の寸法、唱える咒文が乗っていたりする。図がないのが惜しいけど、面白い。

 国立によって、紀伊国屋でケーキの材料を買う。この店は品揃えは良いけど高いのが難。冷静に考えると自分で作るより買ったほうが安い。まあ、そんなことで冷静になっても仕方がないので忘れてしまおう。

 晩は送別会。お鮨屋。自宅のすぐそばなのでとっても楽(^^)

 夜中、せっせとケーキ作る。レアチーズケーキ、フルーツデコレーション。

 「チキタ・グーグー 2巻」TONOを読む。相変わらず上手いなぁ。


12月20日(木)
 泣いても笑っても今日が最後のサラリーマン稼業。会社に勤めて18年と8ヶ月、今の会社で10年と半年。いろんな思いはあるけれど、いろいろありすぎて、いまは逆に語るのは難しい。
 古本屋をやりながら、ゆっくりとこれからの事といままでの事を考えてみたい。

 これからは、サラリーマン時代より忙しくなるだろう。青色申告の勉強もしなくちゃ(^^;。



12月19日(水)
 神田警察署に古物商の申請書を提出に行く。防犯係の窓口担当者は随分と物腰の柔らかい人。会計行って19000円支払って、無事受付は完了。許可証がおりるのは40日後とのこと。ずいぶんと時間が掛かるなぁ。まあ、担当者に文句言っても仕方がないけど。
 あとは保険関係の引き落としの変更せねばなぁ。

 しりあがり寿「ア○ス」を購入。穴ぼこだらけの装丁が、ちょっとだけ”夢魔”に似てるなぁと思う。でも”無意味さ”という点で完璧に負けている。私はまだ意味を求めている。この手の小説に意味を込めてはいけないのだと、痛切に思う。



12月18日(火)
 本日店舗の契約。立川によって銀行から180万円下ろす。持ちつけない大金もつと落ち着かなくていやだね。最高300万円までおろしたことがあるけど、そのときは車で移動したからなあ。大金持って人ごみ歩くのは緊張するな。
 不動産屋に着いて契約書確認して、判子ペタペタ押して、お金数えて、一時間半程度で終了。
 賃貸契約がすんだので早速電話移設の申し込みへ。窓口のおばちゃんも驚くほどの覚えやすい電話番号を確保。ついでにフレッツADSLの申し込みも済ませる。
 さあ、残るは古物取引の申請とこまごまとした引き落とし関係だけ〜。



12月17日(月)
 午前中は、役員へ退職の挨拶。古本屋を始めるというと大抵の人間は驚くか面白がるなあ。まあ、いいけど(^^;。

 午後は、法務局行って”登記されていないことの証明書”というタイトルでは何の事だかわからない証明書を貰いに行く(ちなみにこの登記とは会社登記とは全然関係ない。被成年後見人に関する登記ってやつ)。いがいとすんなり発行されて時間が余ったので、ついでに会社登記に関する窓口行って、商号登録に関する相談をした。相談窓口には生き字引みたいな、じっさまが座っている。
 私 「法人ではない個人商店でも商号登記って必要ですか?」
 相談員 「もちろん必要です。類似商号の問題がありますので。ちなみに業種は?」
 私 「古書籍販売。古本屋ですね」
 相 「えーと」
 登記に関する適格性の一覧みたいな項目が載っている本で業種を調べ始める。
 相 「アレ!?」
 相談員、頭抱えながらそこら辺にある本を片っ端から調べ始める。5分経過。
 相 「神田辺りの古本屋さんて、どういう業種で登録してるんですかねぇ?」
 私 「はぁ。わかりませんけど。(俺に聞くんじゃねえ!!)」
 相談員、更に調べて5分経過。
 相 「よくわからないけど、古物の売買で良いんじゃないですかね」
 私 「はぁ。(おまえ、本当にそれでいいのか!!)」
 気を取り直して
 私 「申請書ってあります?」
 相 「これが商号登録の申請書。これが印鑑の届出書」
 貰って帰るが、いまいち釈然としない。ひょっとしたらしなくても全然問題ないんじゃないか、という疑念付きまとう。

 晩、中野に行って原画を引き取る。カラーで綺麗だけど値段も良いので商売に使うには微妙。
 



12月14日(金)
 市役所行って、神保町行って、会社に戻って、古巣の事業所へ。今日も飛び回る。

 公的書類関係を頻繁にとらなければならないのだが、役所に行くたびに思うのは、お役所仕事のあまりの非効率さかげん。作業も非効率だが、それ以上にもともとの書類の効率が悪すぎる。だいたい本籍地というものになんの存在価値があるのかさっぱりわからない。さらに印鑑および印鑑証明。なんでそんなものに法的根拠を持たせるのか、さっぱり理解に苦しむ。
 役所もリストラしなさい!

 晩、古巣その2の送別会。さすがに飲み疲れて来た。



12月13日(木)
 本来なら有給休暇消化モードでゆっくり出来るはずなのだが、じつはやたらと忙しい。
 人事からは戸籍抄本もってこいとか、やたらと大量の書類関係渡されるわ、店の賃貸契約は進めなければならないわ、神田警察署に行って古物取引の許可証の申請はせにゃならんわ、この上法務局まで行かねばならない。さらに送別会やら、実家に戻って連帯保証人の手続きやら〜(T_T)/。風邪がひどいので本当は寝ていたいのだが〜。
 このうえ書籍の整理、引越し、引越しに伴う手続き、銀行口座の変更、ホームページの引越し。あ、眩暈してきた。

 昼過ぎからは、業界団体の役員の引継ぎ。晩は渋谷の高層ホテルで一杯。夜景はきれいだがテーブルチャージが、ちと辛い。

 本日、短編”夢魔”をアップ。次は1年半もほったらかしだった”ミッドマイヤーの遺産”をそろそろなんとかしなきゃ(大汗)。



12月12日(水)
 屋号のくだん書房の”くだん”に関して質問があったので、ここでちょっと回答。
 くだんというのは人面牛身の怪物で”件”と書く。この怪物に関する説話のひとつに、くだんは災厄とともに生まれ、予言を行うというものがある。このパターンの説話は、小松左京の短編”くだんの母”でとみに有名になった。これは小松左京が神戸地区に残る伝承をもとに書き上げたとの事だが、この伝承がいつ頃どのような経緯で成立したかは、つまびらかではない。
 ある説によれば、江戸時代の証文などの末尾にある”仍如件(よってくだんのごとし)”(したがって前に述べた通りである、の意)から、前に述べた通りに予言が実現するという意味と”件”の文字が”人”と”牛”から出来あがっていることを合わせて、洒落で人面牛身の怪物が作られたのではないか、それに尾ひれがついて災厄との重ね合わせが出来たのではないか、と言われている。明治以降に成立した話ではないかとの説と江戸時代からあったとする説がある。いつ頃から”くだん”という具体的な怪物のイメージが出来あがったのかは、いまのところ判然としないが、ベースとなった説話に関しては中国由来のものである可能性が高い。
 個人的な見解では、”捜神記”およびその参照文献である”京房易伝”に由来しているのでは、と考えている。この書物に具体的に”くだん”の名が表れるわけでも、人面牛身の怪物が出てくるわけでもない。ただ、この書物には”くだん”に類すると思われる幾つかの説話が載っている。
1)牛が人の言葉をしゃべり国が滅ぶのを予言する(捜神記7巻204)
2)人が異形のものを産むのは天下に大乱が起きる凶兆の徴である(捜神記7巻208)
3)二首一身の牛が産まれるのは、天下分裂の徴である(7巻217)
 こうした幾つかの説話が最終的に”くだん”という怪物を生み出したのではないかと考えている。
 長くなるので続きは、またそのうちに・・・・・

 晩は新宿で以前の同僚と飲み。



12月10日(月)
 現在のところ決まっているのは、屋号が”くだん書房”ということと、場所が神保町界隈だということくらいだ。今日も不動産屋へゴー。
 9坪15万円、保証金150万円、場所も広さ(実際には、壁芯やら共有スペースやらで9坪は無いのだが)も手ごろなので、とりあえず仮契約へ。

 午後会社へ戻り、賞与の明細を確認(ちゃんと出てた)してると、部下の訃報の連絡あり。ぼーぜんとする。まだ30過ぎたばかりの若いやつで、先週までピンピンしていたので、にわかには信じられない。とりあえず総務や人事と連絡を取り合って、斎場へ向かう。冠動脈に狭窄があって、その上に重症の不整脈が襲ったようだ。あっという間だったらしい。まだ2歳と4歳の子供が居るかと思うといたたまれない。合掌。



12月9日(日)
 部屋の片付けはなかなか進まない。やればやるほど足の踏み場が無くなって来るのは、やはり片付けの基本手順を間違えているのか(^^;。

 片付けていて思うのは、思ったより本の傾向が偏っていること。自分では、なるべく広く浅くを心がけてたつもりだったが、整理してみれば作者や出版社による傾向は如実。マンガなんかで言えば講談社は確実に少ない。少年雑誌でいえば、サンデー、ジャンプはあってもマガジンは少ない。少女雑誌でいえば、少コミ、マーガレット、リボンはあってもフレンド、なかよしは少ない。
 しかしながら最も多いのは、マイナー系出版社だったりするところが我ながら怖い(^^;



12月7日(金)
 古巣の部署で送別会。
 餞別に写真入フンドシをもらう。相変わらず洒落がきつい連中(^^)


12月6日(木)
 日記がご無沙汰なのは、体調悪いわけでも、気力がないわけでも、うんざりしたわけでもなくて、単に書き忘れてただけです(笑)

 最近、うめちゃんさんのところで鴎外の話をしている。そこでこんな事を書かれていたので、わしもひとつ鴎外について。

  探求本の依頼を受けて数日後。一誠堂書店(神田で1,2位を争う気合の入った古書店。つーことは日本で1,2位か、世界で1,2位かも知れぬ)から目録が届く。
 目録を繰ると「鴎外全集 岩波書店 昭46年 38巻 9万円」とある。全38巻も一体何を書いたんだ、という気もするが、きっと森林太郎署名の医学論文やら随筆やら日記やらがきっと満載されているのであろう。
 実のところこっそりと正直に告白すると、森鴎外の著作は恥ずかしくなるほど読んでいないのだ。こんな輩が古本屋を始めるなんざ、ちゃんちゃら可笑しいのだが、実のところやっぱりそんなもんなのだ。
 まこと人に与えられた時間こそは平等で、その中で仕事して飯食ってトイレ行って風呂入って本読んでマンガ読んでと遣り繰りするわけだ。ようは、鴎外に割り当てる時間がちょこっと足りなかったと言い訳したいわけだが、これは単に言い訳に過ぎない。実のところ「寒山拾得」なんぞは、結構気に入っていたのだ。うめちゃんさんの言う”出来の悪い落語”みたいで、何やらさっぱり合点が行かないのが良かったし、子供に言い訳する後日談には笑わせてもらった。
 しかしながら実のところ次に読んだ「舞姫」。これがいけなかった。頭がくらくらするような美文調に本気で眩暈起こしかけた(^^;。ついで思ったのは、この作者はドイツくんだりまで行って一体何をしてたんだ(所詮他人の人生なので余計なお世話だが)ということである。
 この文章で、ようは何が言いたいのかと言うと。私は鴎外をろくに読んでいません。ごめんなさい。てなことです。
 この調子だと志賀直哉でも言い訳せねばならんなぁ(笑)

 

 本日、青木建設倒産。いよいよ始まるなぁ。


12月1日(土)
 店舗探しで神保町。なかなかピンとくる物件が見つからない。

 ついでに依頼された本を探す。70年代後半から80年代前半の少女漫画はいますごく探しにくい状況にある。どんな書籍でもそうだが、出版されてから20年くらいの時期は本が古書市場に出回りにくくなる。逆にいえばそのくらい寝かしておけば商売になるのだ。でもまあ、現実的には20年も在庫抱えるわけにはいかないのだがねぇ。

 中野で某漫画家の原画の抽選を申し込む。さてさて何点落ちるかな?

 いつものように国立に寄った後、立川中華街の陳健一麻婆豆腐の店で晩飯。ここの舌が痺れる山椒味の麻婆豆腐もなかなかいけるのだが、それよりなにより杏仁豆腐が最高に美味しい。日本で食べる杏仁豆腐の大半はアーモンドエッセンス入り牛乳寒天のフルーツポンチなのだが、この店のは本物。