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川口大三郎君追悼資料室
 
 
瀬戸宏作成・管理
 
2014年04月14日開設
2018年04月13日更新
 
このサイトは、瀬戸宏の個人サイト「電脳龍の会」の下位サイトです。
 
管理人は1971年4月に早稲田大学第一文学部に入学、二年生の1972年11月8日、川口大三郎君虐殺に遭遇しました。それまで川口大三郎君と面識はなかったのですが、虐殺糾弾・自治会再建運動に参加する中で、その後の人生を決定する強い影響を受けました。このサイトを開設するに至ったいきさつ・心境は、「管理人の感想」の「『2013年川口大三郎さんを偲ぶ会』に参加して」「川口大三郎君の墓参り」をご覧ください。
 
このサイトは、管理人の視点に基づいて作成されます。別の人が作れば、また別の視点があるでしょう。運動の中にさまざまな要素があったように、資料収集にもさまざまな立場があっていいと思います。私以外にも、事件・運動の資料収集をめざす動きもあるようです。
 
開設したばかりで、今はまだごくわずかな資料しかないのですが、これから少しずつ充実させていきます。
 
なお、管理人の一般的な経歴に関心のある方は、「電脳龍の会」の「経歴」をご覧ください。(2014.4.14)
 
 
 
川口大三郎君虐殺糾弾運動の資料
 
当時のビラ類−C水資料 
 C水光幸氏保存の一文を中心とした当時のビラ類数百点の目録。自治会再建運動1973年5月末まで現物をPDF化 NEW
 
早稲田大学第一文学部11.8川口大三郎君追悼集編集委員会編
『声なき絶叫』(1973)附:全文PDF
 行動委員会関係者編集の資料集
 
早稲田大学サークル連合機関誌『早稲田文化』第四号
 特集 川口君とその死(1973.7)、附:関係ページPDF
 勝共連合系資料集。川口君はこの系統のサークルとも接触があった。写真などが貴重。
 
早稲田キャンパス新聞川口君事件記事タイトル一覧
 (1972.11.10-1974.5.10)、附:記事ページPDF
 中立リベラル系早大学内新聞の事件関係記事
 
朝日新聞川口君事件記事タイトル一覧(1972.11.9-1976.3.19)
 
読売新聞川口君事件記事タイトル一覧(1972.11.9-1976.3.19)
 
 
運動関係者の回想・感想
樋田毅「会うことのなかった奥村真先輩に捧ぐ」(後半)
再建一文自治会委員長・樋田毅氏の2014年時点での運動回想。2017年12月4日掲載。
 
管理人の感想
「2013年川口大三郎さんを偲ぶ会」に参加して(2013.11.11)
2013年11月8日開催の文学部メンバーの偲ぶ会参加記。始めて実名・公開で川口君事件を語った文章。
 
 
川口大三郎君の墓参り(2014.2.2)
2014年1月30日に行った川口大三郎君墓参記。
 
 
川口君事件の記憶
 −松井今朝子『師父の遺言』と村上春樹『海辺のカフカ』  (2014.11.10)
直木賞作家松井今朝子の自伝エッセイ『師父の遺言』と村上春樹『海辺のカフカ』の川口君事件に触れた部分を紹介し論評。
 
川口君事件の記憶(2)−桐野夏生『抱く女』
(2015.7.12)
直木賞作家桐野夏生の小説『抱く女』中の川口君事件に触れた部分を紹介し論評。
 
運動の中・後期を振り返って考える(2017.5.18)
川口君虐殺糾弾運動の中期(革マル自治会執行部リコール以後1973年3月まで)、後期(1973年4月〜1973年11月運動敗北、消滅まで)を2017年時点で振り返った文章。運動の否定的側面もあえて記す。
 
川口君事件の記憶(3)−栗本薫「ぼくらの事情」 
(2018.2.15)
かつての流行作家栗本薫の未発表作品「ぼくらの事情」(『栗本薫・中島梓傑作電子全集』第三巻で公開)に現れた川口君事件の影響とそれが未完に終わった事情を分析。
 
●リンク集
*断片的に言及したサイト等は含んでいない。
 
「川口大三郎君虐殺」事件考(れんだいこ氏作成・管理)
行動委を中心とした事件の記録。現時点では一番詳しい。
 
川口大三郎(ウィキペディア)
作成途上だが参考にはなる。
 
早稲田という病 2
制作者不明。事件直後から1973年5月17日までの日録。
 
Re: 、「党派抗争なら人を殺してもいいのか」(川口大三郎君殺人事件
匿名人物のネット掲示板への投稿。事件の感想。
 
ebicya 第789号 Dec.14,1996
法学部関係者?のネット文書。第789号に川口君事件への言及あり。
 
人生(たび)の空から・命の重さ
投稿者不明。事件への断片的回想。
 
百聞百見 ふじもと百男の日記 2012.11.9
兵庫県会議員藤本百男氏。残念ながら川口君事件回想部分はブログサービス終了で消滅。
 
『今昔物語』 ウ・カンナム氏の軌跡 高校教師 
*大阪府下の高校に勤務するウ・カンナム氏の日記。1986年3月時点での事件回想
 
新聞記者になりたい人のための入門講座・新聞への思い5()(
川口君事件を取材した毎日新聞記者と虐殺糾弾自治会再建運動のリーダーH君(樋田君)との交流
 
1972年11月8日−川口大三郎の死と早稲田大学 
第一文学部の活動家らによる回想・資料サイト。
 
19721108Kawaguchi 
1973年11月図書館占拠回想などの個人ブログ
 
川口大三郎君35回忌 修善寺 
原理研究会関係者と推定される人たちの2016年11月8日墓参写真と関係資料。ページには35回忌とあるが、45回忌の誤記か。
 
早大を暴力が支配した時代 (2) (3) 
ジャーナリスト高世仁氏の回想と事件の感想。「高世仁の『諸悪莫作』日記」の一部。2017年5月23日〜25日発表。山村政明君の死にも言及。
 
川口君事件と早稲田の革マル派 
古本屋通信No 2752、2017年08月22日。
事件についての個人感想だが、非常に事実誤認と偏見を含んだ意見。特に樋田毅君への感想がひどい。「樋田が委員長になる過程で、反革マル陣営は確実に革マル派にリンチを加えている」というが、1972年11月28日の一文学生大会で樋田君が臨時執行部委員長に選出され、1973年1月27日の自治委員総会で樋田君が正式の一文自治会執行委員長に選出される過程で、反革マル勢力は革マル派にリンチなど行っていない。もし行っていれば、革マル派の暴力反撃はそれを口実にもっと早かったろう。文中にあるT(革マル)一文自治会委員長の負傷は偶発的な事故で、実際には彼の活動にほとんど影響なかった。
私の「運動の中・後期を振り返って考える」や樋田毅君の回想にあるように、反革マル勢力はまもなく平和的に運動を進めようという傾向と武装・暴力行使も辞さない傾向に分裂し、それが運動敗北の重要な理由の一つとなるが、樋田君は常に平和的に運動を進めていく傾向に属していた。(2017.11.22、2017.12.06修正)
 
川口大三郎君関係資料1号室(準備中) 
母系社会研究会ブログの一部、関係リンク集