川口大三郎君追悼資料室目次へ
 
 
 
早稲田の自治と民主主義
 
 革マル−その暴虐の歴史
 
 
全学連中央機関紙「祖国と学問のために」早大総分局・’72年「革マル」暴力事件被害者林君の告訴を支援する会編
1975年7月26日発行
 
日本共産党・民青系学生による革マルとの抗争資料集。1966年から始まっているが、川口君事件の背景を知るのに重要なため、全文を転載。
 
編者の団体は今日では存在しないと思われ、編者の転載許可を得ていない。著作権上問題がある場合は、著作権継承者から管理人まで連絡していただきたい。
 
全文PDF版 (ワンドライブに収納)
目次
序文 *本ページ掲載

第一章/怒りの炎(1966〜70年)
  はじめに
  第一項 商学部自治会売り渡し事件
   一、66年早大学費学館斗争
   二、自治会費代行徴収停止
   ・「商学部と学生会との了解事項」
 
  第二項 68年11月から69年4月まで続いた「文連」「早稲田祭実行委員会」「一政学友会」乗っ取り、破壊事件
   はじめに
   (1)「社青同解放派」解体のための組織的斗い
   (2)「革マル」による文連執行部奪取
   (3)「早稲田キャンパス新聞」の記事白抜き事件

  第三項 「大管法」をめぐる「革マル」と諸集団とのゲバルト合戦とその結末
   (1)大管法反対斗争
   (2)革マルと全共斗
   (3)民主化斗争の前進と革マルの暴力のエスカレート
   (4)暴力一掃・民主的自治会確立の斗いが始まる

  第四項 山村政明君 焼身自殺事件
   (1)二文における暴力支配の背景と実態
   (2)山村君事件−−その意味するもの
   ・「抗議・嘆願書」(全文)

第二章/ノーモア・川口(1971〜72年)
  はじめに
  第一項 「琉大事件」と暴力支配策動
  はじめに
  【一九七一年「革マル」の完全暴力支配復活といわゆる「琉大事件」】
   一、琉大事件とは
   二、革マルの陰謀
   三、町田宗秀を最後に見たのは革マル
   資料・琉大事件直後のテロ・リンチ

  第二項 1972年2月4日、革マルによる「一法自治会執行委員」への集団鉄パイプ・テロ事件
   一、2月3日団交(法・教・社学自治会、政経臨執)の成果
   二、2月4日に自己暴露した闘争の分断、当局の飼い犬、テロ集団としての革マルの本質

  第三項 教員・職員への暴行と組合への乱入
   はじめに
   一、北村助教授に対する暴行と恫喝
   二、革マルの教員組合事務所乱入
   三、居直り声明
   四、早大教員の暴力一掃への努力

  第四項 革マルの「教・政・社学自治会」デッチ上げ・承認策動と「全中自」デッチ上げ
   一、教育学部自治会デッチ上げ策動
   二、社会科学部「自治会」デッチ上げ策動
   三、政経自治会、全中自デッチ上げとその破綻

 
  第五項 1972年/林、松原、三枝木3君へのテロ・リンチ事件
   はじめに
   一、五・一二社会科学部再建自治会学生大会会場襲撃、林君事件
   二、二文学生の三枝木君リンチ事件
   三、松原君リンチ事件

  第六項 登校・受講権問題
   一、「登校・受講権」とは
   二、大学当局の姿勢と責任
   三、「登校・受講権」回復の粘り強い闘い

 
  第七項 「革マル」脱退者への集団内部リンチ事件
   はじめに
   一、「事件=リンチ」の背景
   二、当局とのとりひきを知り動揺・脱退
   三、「革マル」の残虐なリンチ
   四、犯罪もみ消しと「革マル」擁護に必死の当局

  第八項 川口君リンチ殺害事件と暴力支配の打破
   はじめに
   一、リンチ殺人事件経過(殺人→死体遺棄→発見→記者会見)
   二、暴力支配の打破
   三、「行動委員会」と暴力諸集団の役割

  第九項 まとめ
   
第三章/民主的自治の確立を
   はじめに
   自治会の理念
   一、自治会とは何か
   二、「革マル」の自治会論は自治会の原則の公然たる否定の上に立っている−自治会を担う資格は「革マル」にはない
    
参考資料
   (一)山村君事件
   (二)町田君(琉大)事件
   (三)松原君リンチ事件
   (四)川口君リンチ殺害事件
   (五)トロッキスト暴力集団「泳がせ」
   (六)第一・第二文学部での「革マル」の主要暴力一覧表  
   
 

序文
 
 成り上がり者は、己れにつきまとう過去に怯える。彼等は現在の地位を築き上げた階段の一段一段から血と泥をぬぐい去り履歴書を偽造する。だが彼等の体臭から過去の血の臭いを消すことはできない。
 このパンフレットは、「革マル」が早大に於いてその独裁的支配体制を築き上げていった過程の陰謀と暴力の数々を、具体的資料と事実に基づいてまとめたものである。対象とした一九六六年から七二年の間に、彼等のテロによって数千名の早大生の血がキャンパスに流れた。そして、二名の早大生・山村政明・川口大三郎の生命が「革マル」の手で消し去られた。『自分が殺されたとしても不思議ではなかった』−当時の早大を象徴的に表現する言葉はこれ以外にない。
 陰謀とテロ、この二つが「革マル」の最も愛したものである。彼等はデマと陰謀にかけては、ゲッベルスの直系であることを示し、テロとリンチは特別高等警察仕込みであった。彼等が最も口にしながら何も学べなかったものがマルクスであり、一度も語ろうとしないが最も学んだものはヒットラーである。

 このパンフレットはこのような「革マル」の血塗られた過去と現在を人々に知らせることを主要な目的としている。多くの学友は既に卒業し、殺された友はもはや口を開かない。そしてキャンパスにしみ込んだ血も乾き始めている。「革マル」の暴虐史は、歴史が偽造される前にどうしても記録されねばならなかった。もちろん、このパンフレットにその全部を網羅することはできない。しかし、この記録は必ずや「革マル」に忌み嫌われるものとなろう。そして今や手負いの犬と化している「革マル」は、この小冊抹殺の為鉄パイプを振りかざすかも知れない。だが、それはこの小冊に新たなページを増やすことにしかならないことを「革マル」に警告しておく。この暴虐史の最後のページを『暴力一掃・学園の自由確立遂に実現す』の言葉で飾るまで我々は書き続けるし、斗い続けるであろう。
  「革マル」がいくらその血染めの手から血痕をぬぐい去ろうとしても、それはもはや不可能だ。彼等は既にマクベスの道を歩んでいる。バーナムの森は必ずや動き出すであろう。