川口大三郎君追悼資料室へ
 
 
 
 
川口君事件の記憶(4)−照山もみじ「疎外者(アウトサイダー)の自己幻想−中島梓の『少年』」を読む
 
  
         瀬戸宏
 
 
                                                                              
 
本HPが初出(2021.8.9)
 
                                      一
 照山もみじ「疎外者(アウトサイダー)の自己幻想−中島梓の『少年』」は、扱っている直接の主題は中島梓(栗本薫、照山氏は一貫して中島梓としているので私も従います)のBL小説ですが、川口君事件を取り上げた最初の学術論文です。『G-W-G ゲー・ヴェー・ゲー(ミーヌス)』第5号(G-W-G編集委員会編集発行、2021年5月16日発行)に掲載されました。照山論文の紹介に入る前に、『G-W-G ゲー・ヴェー・ゲー(ミーヌス)』という不思議な名前の掲載誌について語っておきたいと思います。この雑誌の発行意図と照山論文の内容は密接に関連しているからです。
 
 同誌は日本近現代文学の研究同人誌です。編集委員会ツイッター宛ダイレクトメールで申し込む通信販売が基本で、東京・模索舎でも販売しています。私は今年5月頃ねあ/NYさんのツイッターで知って、東京出張の際に同誌第5号を模索舎で入手しました。それまではまったく知りませんでした。

 
 照山もみじ氏は同誌創刊号から毎回寄稿しているので、バックナンバーも読んでみたいと思い所蔵図書館を捜しましたが、日本近代文学館、国文学研究資料館、国会図書館に所蔵されているだけでした。幸い国会図書館は東京館、関西館の双方で所蔵しています。国会図書館で照山もみじ氏の既発表論文と創刊号掲載の「発刊の辞」をコピーしました。
 
 「発刊の辞」はかなりひねった表現ですが、同誌創刊の意図が比較的よくわかります。私なりに要約してみます。
 
 文学を無自覚に価値あるものとする伝統的な研究方法が時代の変化で行き詰まると、文学研究はテクスト論、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアリズムなど文学の特権性を否定し文学が存在するための諸条件の解明をめざす方法論へと向かうようになった。文学研究は、文学を総体として眺めるのではなく、文学を成り立たせている各部分がどのように文学の外部とつながっているかというネットワーク論に進んでいく。各部分はさまざまだからネットワーク論も無限に増大していく。

 だが、増大するネットワーク論それ自体が別の無自覚ではないだろうか。この無限の増大は、資本と同じである。文学の特権性を無自覚に信じる文学主義を脱構築していく過程こそが、文学が資本によって脱構築される過程そのものなのだ。文学は資本に作り替えられたのだ。「文学と資本主義」という問いは、文学の外延が資本の外延と同じになった世界で、その外延を問い直す行為である。実は資本の外など存在しない。だから我々は文学に止まらざるを得ないのだ。研究方法で言えば、既存の「文学研究」や「批評」の手法を、その歴史的経過を踏まえたうえで用いて具体的に文学に対する読解や解釈をおこない、更にそのような読解・解釈を成り立たせる研究者の主体を問うことである。

 根拠を問わないことは、絶望の増大につながる。文学の分野で資本主義を問うことは、資本主義がすべてに見える世界で別のあり方を探る機会となる。資本主義自体が持っている暴力性を批評する必要がある。資本主義の暴力性と向きあうことでしか文学と資本主義の関係は問えないだろう。本誌はそのような試みの場である。
 
 私はこの「発刊の辞」の背景にある欧米経由の現代文学理論に疎いので、私の要約が正しいか不安を感じますが、私の理解に大きな間違いがなければ、この「発刊の辞」が言っているのは単純でまともなことです。文学研究が文学外の要素分析に傾きすぎて文学性が希薄になってしまったので、文学研究の本道に立ち返って文学の「読解」「解釈」をおこない、それを通して文学の背後にある現代社会(資本主義社会)の本質を探ろう、ということです。
 
 このように考えると、『G-W-G ゲー・ヴェー・ゲー(ミーヌス)』という不思議な誌名の意味もわかります。「発刊の辞」に資本という言葉がでてきますが、G-W-Gもマルクス『資本論』にある図式です。GはGelt(ドイツ語で貨幣)、WはWare(ドイツ語で商品)で、貨幣−商品−貨幣を表します。資本家は用意した貨幣で商品を買い、それからその商品を売って貨幣を得ます。そのような資本の循環過程を表す図式です。通常は、資本家は商品を加工して価値を高め、それを売って最初に用意した貨幣よりも多額の貨幣を得ます。ただ本誌では(minusミーヌス)という言葉が付いています。ミーヌスはドイツ語でマイナスという意味で、G-W-G(minusミーヌス)は、商行為の結果最初に用意した貨幣よりも少ない貨幣しか得られない、いわゆる縮小再生産を指すようです。縮小再生産は資本の自殺行為で、「発刊の辞」要約で述べた“資本主義を問う”“そこから抜け出す”、という意味が込められているのかもしれません。もっとも、同誌第3号に寄稿している猿飛ニャン助(すが秀実)氏のツイート*によれば、同誌はいつも赤字だ、を示しているとのことです。
 
 確かに毎号200頁以上の内容で税込み500円では必ず赤字で、編集同人は相当な持ち出しをしていると思われます。まったく非資本主義的な雑誌です。しかし採算度外視で発行するなら、J-Stageなどに登録して無料で簡単に電子版を読めるようにしてもいいのでは、とも思いました。

 同誌編集委員会ツイッターによれば位田将司、立尾真士、宮澤隆義の三氏が編集委員で、ネットで三氏の経歴は簡単に見つかります。いずれも1970年代生まれで、三氏とも大学院修士、博士課程は早大日本文学専攻、博士(文学)の学位を早大から得て、現在は都内私立大学の准教授です。大学院生の超就職難時代の現在では、研究者としてたいへん優秀かつ幸運な人たちと言えるようです。
 
                                      二
 照山もみじ氏は同誌創刊号から寄稿しています。「妄想有罪、BL無理」(創刊号)は照山氏のBL論序説とでも言うべき論文で、既成マンガ界の革命をめざして1970年代にBLマンガが登場したのにそれが資本主義(商業主義)にからめとられていった過程を分析し批判しています。念のために書いておきますと、BLとはボーイズラブのことで、女性の眼で男性の同性愛を描いたマンガや小説などで、読者対象は主に女性です。マンガ家の竹宮恵子が主な分析対象で、彼女のBL作品の背景に1968年学生運動の体験があることを指摘しているのが注目されますが、中島梓も川口君事件も、まだ出てきません。

 「吃音のストーリーテラー : 中島梓「弥勒」論」(第2号)は、中島梓の障害を持った弟が中島梓にとって何を意味したかを分析しています。『文学の輪郭』収録の三田誠広との対談引用として川口君事件が出てきますが、分析の対象にはなっていません。「空洞と欲望 : 中島梓初期小説作品試論」(第3号)も、川口君事件を取り扱っていません。
 
 「商品の「逆転劇」 : 中島梓=栗本薫『真夜中の天使』論」(第4号)から川口君事件が照山氏の視野に入ってきます。『真夜中の天使』は中島梓/栗本薫が1979年に発表した小説でBL小説の先駆とされる作品です。照山氏は中島梓が『真夜中の天使』を執筆する動機に川口君事件体験があったことを指摘しています。ただ「商品の「逆転劇」」での川口君事件記述はまだ概念的なものに止まっています。私も今は『真夜中の天使』を読む余裕がないので、この論文の紹介はこれで終えて、本題の「疎外者(アウトサイダー)の自己幻想−中島梓の『少年』」の紹介に移ることにします。

 この論文は「商品の「逆転劇」」でやり残した、中島梓がなぜBLの創作に向かったかを、事件と言うより彼女の川口君虐殺糾弾運動体験の具体的分析を通してより深く明らかにした論文です。川口君虐殺糾弾運動体験といっても、敗北に終わった運動の志を密かに抱いて中島梓が作家活動を始めた、というようなものではまったくありません。
 
 論文冒頭で2020年7月に刊行された堀あきこ、守如子編『BLの教科書』(有斐閣)が紹介されます。『BLの教科書』はBLの歴史、研究史やそれが引き起こした社会反響などを手際よく整理したBL概説論文集で、竹宮恵子、中島梓をBLの先駆者と位置づけています。照山氏はその記述をおおむね妥当としながら、1968、69年の学生運動の記憶がBL文化の淵源なのにそれが欠落していることを指摘し、中島梓が発した社会の中で女性が受けるさまざまな差別や生きづらさの問題は、女性学やジェンダー研究の主題に還元しきれないものがあり、それは同書で欠落している学生運動の記憶を参照することなしには把握できないと述べます。

 ついで、中島梓は小説家として男性間の暴力的性行為を多数描いている、それは階級闘争だと中島は論じている、という『BLの教科書』の一節(堀あきこ執筆)を取り上げます。男性間の暴力的性行為が階級闘争である、とは、男性は女性に対して“犯す性”だが、男性が男性を犯すことで“犯す男”と“犯される男”が生まれる、犯した男は支配者となり、犯された男は征服された側、“女性の階級”におとしめられる、ということです。そして照山氏は、中島梓はこの“階級闘争”にはゴーカンという暴力が不可欠だと述べており、中島梓の暴力に対するこだわりの根源に川口君事件があることを指摘します。
 
 中島梓は、川口君事件が起きて、ノンポリ学生がこのままでは我々は殺されると立ち上がった、そのとき自分ひとりが参加できず浮いてしまった、と三田誠広との対談で回想しています。「集団と名のつくすべてのものから拒まれてしまったという意識がある」と言うのです。それまでごく普通だったのに急速に活動家となったクラスメートの女子学生から「アンタは自分の嫌らしさがわかっているの?」と面罵されたといいます。面罵したのが男子学生ではなく自分と同じと思っていた女子学生だったことは、中島梓のショックをより強いものにしたことでしょう。ここから照山氏は、立ち上がれなかった中島梓は普通の学生の集団から疎外され、同時に川口君を殺した暴力の支配に永久に屈服する屈辱におかれ、「私の行き場はどこにあるのか」という問いを発せざるを得ない状態に置かれた、と述べます。政治活動など集団との関わりを要する行為は、自分には不可能だと中島梓は自覚しました。では屈辱・疎外状態から政治活動などに依拠することなく離脱することは可能か。照山氏は、<物語ること>で中島梓はそれを試みた、と分析します。「言葉と現実の関係回復」です。別の言葉で言えば、現実のショックを語り得る言葉の探究です。照山氏は「行動が文学よりも『生に近づく』ことができるのは間違いだ」「偉大な芸術は、すでに行動なのである」というコリン・ウイルソンの言葉が行動を起こせなかった中島梓に極めて魅力的にみえたのだろう、と推測しています。
 
 そこで中島梓は推理小説の執筆に向かいます。推理小説は、事件の表層に見える事柄が実は真相(深層)と乖離しており、その乖離が最後に探偵によって同一化される、すなわち解決される、というジャンルです。まさに「言葉と現実の関係回復」です。

 
 実際に中島梓は1978年に『ぼくらの時代』を発表して江戸川乱歩賞を受賞し小説家としてデビューした直後に、川口君事件に着想を得た『ぼくらの事情』を執筆します。しかしこの試みは成功せず作品は中絶し、中島梓の没後にようやく公開されました。推理小説では、「私の行き場はどこにあるのか」という問いに答えられなかったのです。
 
 中島梓は、推理小説執筆と並行して『真夜中の天使』など“少年愛”小説も集中的に執筆していました。中島梓は別の場で、『真夜中の天使』でマイナーな者がいかにしてメジャーになるか、という逆転劇を書きたかった、と発言しています。照山氏は、この構図は川口君事件にすでにみられると指摘し、逆転劇のダイナミクスを“物語ること”によって、中島梓は屈辱から離脱し「本来のクラス・アイデンティティ」を回復させうると考えたのでは、と推測します。中島梓は、なぜ少年でなければならないか、を繰り返し自問しますが、そこには一人の“少年”(川口大三郎君)を惨殺した“階級闘争”の“暴力”に対するショックが存在していた、と照山氏は分析します。
 
 照山氏によれば、中島梓は『真夜中の天使』成功のあと、「自分が自分しか関心がないだろうと思っていたような志向にもっとも忠実な小説を書き、そしてそれを発表したとき、それが非常にたくさんの少女たち、もと少女たちの関心をひき、異常なまでに多くの共感を呼び、そしてそれがついにジャンルとして定着してさえゆくにいたる、そのプロセスを見たときの自分のおどろきと衝撃は私にはいまだに忘れられません。」と語ったといいます。こうして“少年愛”小説は、その後“やおい”などを経て、今日BLとして定着しました。しかしそれは、出版資本に奪取され、商品化されていく過程でもありました。中島梓はそのような“明朗らぶらぶ”に不満を表明し、「もっと狂気を、もっと強姦を、もっとSMを」とアジったそうです。しかし中島梓没後の今日、そのような“むき出しの暴力”さえも資本主義の商品管理化で安全な商品となり、“痛い系”などのジャンルとして定着している、と照山氏はBLの現状を描き出します。そして照山氏は次のように述べて、この論文を締めくくります。

「このように「安全」な「暴力」(ボーイズラブ)が相変わらず忘却/隠蔽しているのは、「永遠の受動態」(ネガティブ)たる「少年」の存在様態とその核心にあった「川口君の死」という自らの起源なのである。」
 
 以上が、私が読み取った照山もみじ「疎外者アウトサイダーの自己幻想−中島梓の『少年』」の骨格です。もともとBLに疎いうえに引用されている大量の文献の原典にあたる余裕がほとんどなく、照山論文についても正確に内容を把握できているか不安ですが、とりあえず読者の参考になれば、と思いアップすることにします。

 
 中島梓と川口君事件の関わりについて周到に書かれていて、たいへん参考になる論文です。葛飾区立中央図書館「栗本薫・中島梓コレクション」には未発表自筆原稿「W大学の殺人1」(執筆時期不詳)、「W大学の殺人2」(1975年11月)が収録されていることを注14で触れるなど、事実関係の考証も確かです。川口君事件とBLが屈折はあるが繋がっているとは、照山論文を読むまで想像もしませんでした。これは他の人も恐らく同じで、だから『BLの教科書』などにも川口君事件はまったく登場しないのでしょう。
 
 照山氏が論文中ほとんど川口君事件と書いているのも嬉しいことです。ウィキペディアなどでも川口大三郎事件と敬称抜きに書かれています。事件を直接には知らない人が圧倒的多数になり記述に客観性を持たせるためにはそれが当然なのでしょうが、虐殺糾弾運動に関わった私たちは、鎮魂の意を込めて必ず川口君、川口大三郎君、と呼んでいました。
 
 ただ、BLの起源が川口君事件にある、という照山論文の趣旨がBL研究などの定説になるか、というと、まだ少し弱い感があります。私も照山論文の内容はだいたい賛成ですが、照山論文自体に論旨が飛んでいたりもっと平易に書ける部分があると思いました。この拙稿の内容紹介でも、論旨の順序を入れ替えた部分があります(これ自体が誤読かもしれませんが)。また私のようなBLや中島梓の門外漢ではなく、BL研究者、中島梓研究者やファンが照山論文に賛成しないと、定説にはなりません。それにはもう少し時間がかかるでしょう。
 
 照山もみじ氏については、『G-W-G』執筆者紹介でも日本文学研究と記されているだけです。『G-W-G』創刊号の「妄想有罪、BL無理」を読むとかなり論文を書き慣れた人だという印象を受けますが、ネットで調べても『G-W-G』掲載の5本の論文しか見つかりません。これぐらい力量のある人なら、他の原稿や各種学会・研究会での発表などが検索にひっかかる筈ですが、それが無いのをみると、照山もみじは恐らく筆名なのでしょう。編集委員と同世代(現在40代)の女性だろうと推測できるだけです。なぜ筆名を使うのか、多少考えてみましたが、根拠のない想像を書いても無意味なので省略します。
 
 さて、私自身がこの照山論文を読んで何より喜んだのは、この川口大三郎君追悼資料室に掲載した「川口君事件の記憶−松井今朝子『師父の遺言』と村上春樹『海辺のカフカ』」「運動の中・後期を振り返って考える」「川口君事件の記憶(3)−栗本薫「ぼくらの事情」」などの拙文がかなり大量に、しかも肯定的に引用されていることです。照山論文は、「ぼくらの事情」中絶の理由は「ぼくらの事情」の軽さが川口君の死の重みに拮抗しえていないから、とする拙文の観点を肯定して論を進めており、嬉しく思いました。
 
 川口大三郎君追悼資料室を開設して7年以上になりますが、たまに昔の仲間から連絡があったりブログ類で簡単に紹介されたりするだけで、反応はほとんどありません。川口大三郎君事件はやはり風化しているのだな、と思わざるを得ませんでした。

 それだけに、私にとっては突然現れた照山論文が、川口君事件の文化意義を掘り起こし21世紀の今日の日本につながる問題として分析している事に驚き、そして運動に関わった者として強い感謝の気持ちを抱きました。これまで川口君事件について書いた人は、事件や運動を直接みていた人たち、つまり今では60代後半以上の人間です。照山氏は私の推測が正しければ現在40代、つまりこれまでの事件記述者より20歳以上若く、事件当時生まれていなかった可能性も強い人です。照山論文を契機として事件を直接には知らない世代の人たちが事件の意味を論じ、川口君の死が21世紀の日本で語り継がれていくことを願ってやみません。
 
 

*すが秀実氏の名字がホームページで表示できません。かなで代用させていただきます。
**8月11日、「疎外者(アウトサイダー)・・」とアウトサイダーに( )を付けました。原文ではルビなのですが、ホームページではうまく表示できないのです。また全段落ごとに空き行を入れ、ネット上でより読みやすくしました。論旨の変更はありません。