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学生運動における大衆的実力闘争と喪の仕事60年安保・108羽田・川口大三郎事件―、報告要旨
 

河原省吾(京都産業大学)

 

社会主義理論学会第100回研究会(2025.2.23)で行った報告の要旨。『社会主義理論学会会報』第90号(2025.4.20)掲載。 

 

はじめに

 

 今回、瀬戸宏氏に声をかけていただいて、第100回研究会で報告する機会を得た。私には瀬戸氏とはまた違った観点から川口大三郎事件を論じることが期待された。

 川口事件は樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』の刊行、文庫化や映画『ゲバルトの杜』の公開がきっかけとなって、事件から約50年を経た現在あらためて注目を集めている。

 私もそのようにして川口事件を考えるようになった一人であり、瀬戸氏が川口事件当時早大生として声をあげた当事者であるのとは立場を異にしている。それにもかかわらず報告の機会をいただき感謝している。また、瀬戸氏はサイト「川口大三郎君追悼資料室」を10年以上運営しておられ、私も川口事件の理解を深めるうえで非常にお世話になった。社会的意義の高いお仕事だと考える。

 

 T 『ゲバルトの杜』

 

 映画『ゲバルトの杜』は代島治彦監督による「ミクスチャー・ドキュメンタリー」と銘打たれている。川口事件の再現部分は劇パートとして、鴻上尚史監督が担当した。

 シンポジストの一人として参加した20247月のシンポジウム以来、私は『ゲバルトの杜』を批判してきた。また、その原案となった『彼は早稲田で死んだ』も批判してきた。その論点は多岐にわたるので、シンポジウムに新たな論考を加えた『全共闘晩期』などを参照していただけるとありがたいが、『ゲバルトの杜』が川口事件を内ゲバ事件の一つとみなし、数々の内ゲバ事件を一緒にして「無意味な死」だと言っていることは、最大の問題点のひとつである。そして代島監督は内ゲバ事件における死者たちの鎮魂を早く成し遂げたいと願っている。

 

 U 大衆的実力闘争

 

 大衆的実力闘争は大衆運動の一形態である。大衆自身の自発性による運動である。アナキストの向井孝が直接行動のことを「他のものを通さず、自分のちからで、自分の必要なものを求める行動」と述べている(阿部(2023)による)が、大衆的実力闘争はこの直接行動と共通点をもちながら、テロやゲリラとは一線を画している。

 大衆的実力闘争とそうではない大衆運動との境界線はあいまいで、両者は容易に往還される。たとえば、デモは法で認められた意思表示の方法だが、これが警察の規制を越えて行動を広げた場合には、実力闘争の要素が強くなるだろう(必ずしも非合法を実力と呼ぶわけではないが)。

 大衆運動が実力闘争へと進んでいく際には、大衆の憤り、怒り、悲しみなどの感情が高まっている場合がほとんどである。国家権力の理不尽、警察の横暴、死傷者の発生などは大衆の激情を呼び起こしやすい。

 樋田毅氏が「非寛容に対する際にも寛容をつらぬく」という思想で書いた『彼は早稲田で死んだ』の中に、次のような場面が出てくる。

 「キャンパスを埋め尽くした学生たちは全くひるまず、革マル派のデモ隊を取り囲み、角材や竹棒を取り上げ、へし折っていった。」

 非暴力思想をつらぬいた樋田氏にしては、大衆的実力闘争の高揚をよろこんでいるように見えると言えば、うがちすぎであろうか。

 ところで、大衆運動はいわゆる「内ゲバ」を克服するうえで鍵となる。「内ゲバ」は大衆運動から切れたところでエスカレートしやすい。「内ゲバ」克服のためには、大衆運動とのつながりを失わないことが重要だと考える。

 

 V 学生運動における喪の仕事

 

 喪の仕事(mourning work)は対象喪失の悲しみの癒えていく過程であり、フロイトが提唱、ボウルビィが発展させた。ボウルビィの考えを整理して、小此木啓吾は喪の仕事を@無感覚の段階、A抗議の段階、B絶望と抑うつの段階、C離脱の段階の4つの段階からなると考えた。

 重要な対象の喪失はメランコリーを引き起こす(Bの段階)。しかし、その前のAの抗議の段階をどのように経過したかが違いをもたらす。喪の仕事の一段階に過ぎず、速やかに経過するのが望ましいとみなされてきた抗議の段階の意義を見直したい。

 喪の仕事における抗議の段階には、精神分析学の観点から次のような機制が考えられる(小此木(1991)による)。

(1)  喪失を否認、対象を理想化

(2)   対象への同一化

(3)   対象への恨み、怒り、憎しみ

(4)   罪悪感にもとづく自己処罰や供養

(5)  怨念を他者に向けかえて罪悪感を軽減

(6)   死んだ者は無縁と考え境界線を確定

 たとえば、生き残った者の罪悪感はサヴァイヴァーズ・ギルトとよばれ、広くみられる精神病理現象であるが、これは(4)の形をとることによって、喪の仕事の一過程をなし、自己処罰や供養によって対象喪失の悲しみを克服していく役に立っている。この理由により、死者と対立したりその死に関わった者は、死者の鎮魂を願うことが多い。

 

 60年安保闘争と樺美智子の死

 日米安全保障条約改訂に反対する国民運動は、1959年末から本格的な盛り上がりを見せた。全学連はブントが主流派をなしていて、デモが国会構内に突入したり、岸首相渡米前夜には羽田空港ロビーに約900人が立てこもったりした。519日に強行採決がなされると国民の怒りは頂点に達し、国会前のデモは526日には17万人にもなった。

 615日にも全学連のデモは国会構内に突入し、その際、東大生樺美智子(22歳)が死亡した。616日、アイゼンハワー米大統領は訪日を断念、岸首相も安保批准後の辞意を表明するに至った。618日には国会前デモは35万人に膨れ上がったが、全学連に巨大な大衆をみちびく方針はなく、19日の安保自然承認をただ目撃するしかなかった。

 安保闘争の総括をめぐって、ブントは分裂した。

 

 108羽田闘争と山ア博昭の死

 1967108日の佐藤首相訪ベトナムに反対する羽田闘争は、新左翼系全学連が中心となって戦ったが、前日の7日には中核派と解放派など4派との間にリンチ事件があり、角材も用意して衝突寸前まで緊張が高まっていた。このときの角材を翌日使用して機動隊の阻止戦を突破する闘いがなされた。中核派1000人は弁天橋で機動隊と衝突し、この際に京大生山ア博昭(18歳)が死亡した。

 山アの死は学生活動家の間に「108ショック」とよばれる衝撃をもたらした。たとえば、上野千鶴子は初めて参加したデモが山アの追悼デモだったという。この後、三派全学連は激動の7カ月といわれる羽田、佐世保、三里塚、王子闘争を闘い、1968年には日大闘争、東大闘争をはじめとする全共闘運動、1021日には新宿騒乱事件などが続いた。全共闘運動ではノンセクト学生も重要な役割を果たし、新宿騒乱では数万人の野次馬が集まったとされる。大衆的実力闘争の担い手である大衆は、その輪郭が必ずしも明瞭ではない広がりをもつ。野次馬とは群衆であり、大衆であり、一般の労働者・市民・学生でもあった。

 

 川口大三郎の死と早大解放闘争

 川口大三郎(20歳)の死は、樺や山アの死とは異なる点がある。まず、樺や山アは大衆的実力闘争が盛り上がる中の死であったが、川口の場合はそれまでも学費値上げ反対や狭山事件への取り組み、また叛早稲田祭などの運動もあったとはいえ、第三次早大闘争ともよばれる運動の高揚は川口の死が起点となった。

 また、60年安保闘争や羽田闘争は日米政府が直接の相手だったが、早大解放闘争の場合には、革マル派の自治会執行部と早大当局が相手であり、学内闘争の要素が大きかった。

 1972119日に川口の死が明らかになると、一般の学生の怒りが巻き起こった。ふだんから革マル派の支配に不満を感じていた多くの学生が、革マル派の自治会執行部に対して自然発生的に糾弾集会をおこなっていった。学生の数は多いときには4000人あるいはそれ以上となり、革マル派を本部構内から放逐し、各学部で学生大会を成立させ自治会執行部のリコールと新執行部の選出を実現していった。

 しかし、革マル派は学外からの援軍を得て、暴力のレベルを上げた。これに対して、武装した行動委員会が一時は革マル派との鉄パイプ戦に勝利した局面があったものの、自治会新執行部が当局に公認されないうちに革マル派の武装襲撃が本格化した。文学部二連協の集会では、クラスで集会を武装防衛する決議をしたX団が待機し、女子学生は人糞弾を投擲した。

 川口の死がきっかけとなり、早大生による大衆的実力闘争が巻き起こったが、革マル派の暴力のエスカレートによって大衆運動は拡散を余儀なくされた。ここにおいて、喪の仕事はそのプロセスの途中で止められたのである。50年を経た現在、川口事件がまだ終わっていないと感じられるのはこのためであろう。

 

まとめ

 

 60年安保闘争も108羽田闘争も早大解放闘争も、喪の仕事のプロセスだけでその政治過程を説明できるものではないが、喪の仕事という観点から見ることによって、運動の高揚する動因や、まだ終わっていないという意識が続く理由を、理解しやすくなると考える。

 

参考文献

 

阿部小涼他(2023)「運動史から考える直接行動」、社会運動史研究5(新曜社)

ボウルビィ(1980)『母子関係の理論V 対象喪失』(岩崎学術出版社 1981

樋田毅(2021)『彼は早稲田で死んだ:大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)

野崎泰志(2024)「『X団』顛末記」、ynozaki2024の日記(Hatena Blog

小熊英二(2009)『1968』(新曜社)

小此木啓吾(1991)「対象喪失と悲哀の仕事」、精神分析研究34(5)

島成郎(1999)『ブント私史』(批評社)

すが秀実・花咲政之輔編著(2024)『全共闘晩期:川口大三郎事件からSEALDs以後』(航思社)

鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二(2004)『戦争が遺したもの』(新曜社)