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樋田毅『彼は早稲田で死んだ』紹介
 
 
 
             瀬戸宏
 
 
 
本HPが初出(2021年11月2日、2022年5月25日追記)
 
 
 
 
 樋田毅氏の『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋、奥付上は2021年11月10日刊行、1800円+税。以下本書と略記)がついに刊行される。11月5日出版社から書店配本とのこと。題名の「彼は早稲田で死んだ」は、樋田氏や私が関わった虐殺糾弾運動の中で形成された再建自治会が1973年4月に当時の新入生向けに発行した同名のパンフレットから採られている。
 
 樋田毅氏は、この資料室の読者には改めて紹介する必要はないかもしれない。1972年11月8日早稲田大学文学部キャンパスで当時早大第一文学部(以下、一文と略記)二年学生川口大三郎君が一文自治会執行部を牛耳る革マル派によってリンチ殺害されたことから、広範な虐殺糾弾自治会再建運動が起きた。樋田毅氏はその運動の中で、一文自治会臨時執行部、一文自治会執行委員長だった人物である。私は本書原稿作成の時期から資料面など多少お手伝いしたので、本書見本が市販に先駆けて送られてきた。その内容を紹介したい。
 
 手伝いの過程で、本書出版の困難さは聞いていた。樋田毅氏は2019年3月に『最後の社主』を出版し、この種の本としてはかなりの売れ行きを示した。そこで樋田氏は『彼は早稲田で死んだ』の原型原稿を形にして、『最後の社主』担当編集者に持ち込んだ。ところが、編集者から返ってきたのは、この種の闘争回想記は売れない、という断りの返事だった。川口君事件から三、四年前の1968、69年に全国の大学で起きた学園闘争の回想録はかなり出版されているが、揃って売れていないという。樋田氏からその話を聞き、運動の当事者だった私たちは事件や糾弾運動を昨日のことのように脳裏に刻みつけているけれども、川口君事件や学園闘争は約50年前の出来事であるのを、改めて思い起こした。私や樋田氏が学生だった時期の50年前といえば、大正時代である。1972年当時、大正時代の忘れられた社会運動の回想記が出版されても、当時の私たちはほとんど関心を示さなかっただろう。“売れない”というのは、その通りだろう、と思わざるを得なかった。
 
 しかし樋田氏は諦めなかった。断られながらもいくつも出版社にあたり、遂に出版を引き受ける出版社を見つけ出した。文藝春秋社である。自費出版やそれに準ずる形態なら、もっと早く出版することは可能だったろうが、樋田氏は商業出版にこだわった。確かに商業出版か否かでは、普及度がまったく違う。
 
 同時に樋田氏は、原稿内容を単なる回想録ではなく現在に通じる内容にしようと、運動関係者との面談を続け、原稿を補強していった。事件当時、一文自治会副委員長だった大岩圭之助(辻信一)氏との面談を実現させたのも、その努力の一環である。大岩氏との面談の記録は、本書最終章に40ページにわたって収録されている。ただしこのために、元の原稿にあった運動関係者の現在を描いた部分がほとんどカットされてしまったのは残念であるが、やむをえまい。
 
 本書の細目を含めた目次は、次の通りである。(各章のあとの数字はページ)
 
プロローグ 6

第一章 恐怖の記憶  10
 元・自治会委員長の消息/最後まで、心を開くことはなかった

第二章 大学構内で起きた虐殺事件  17
 入学式に出没したヘルメット姿の男たち/一年J組の自治委員選挙/投票箱はヘルメット/キャンパスで頻発する暴力/山村政明さんの遺稿集/暴力を黙認していた文学部当局/マクドナルドでのアルバイト/体育会漕艇部に入部/川口大三郎君虐殺事件/川口君の拉致現場にいた親友の証言/リンチ殺人を他人事のように語った早大総長/革マル派の声明文に対する反発/「落とし前をつけたる」/学生だちの怒りが一気に爆発/機動隊への救出要請/川口君追悼学生葬

第三章 決起   72
 初めて主催した私たちの抗議集会/ユマニスムとの出会い/クラス討論連絡会議/反故にされた確約書/一〇〇〇人を超えるリコール署名/「俺はあんたを許せない。殴つてもいいか?」/紛糾した候補者選び/新自治会臨時執行部の委員長に就任/司令塔がいるに違いない/「H君は変わった」/武装を是とした行動委員会/鍛え抜かれた「戦士集団」/ヘルメットをかぶるという「哲学」/私たちの運動の「九原則」/団交実行委員会という「鬼っ子」/新自治会に好意的になった教授会/軋み始めたクラスの連帯/入学式での黒ヘル乱入騒動

第四章 牙をむく暴力 129
 管理された暴力/新入生たちの反応/政治セクトに利用された執行委員会/総長を拉致しての団交/鉄パイプでメッタ打ちにされる恐怖/母と一緒に故郷に帰りたい/団交の確約を破棄した総長/仲間たちが開催した武装集会/急襲された二連協/心情的には理解できるが……/武装化をめぐっての対立/「内ゲバ」が激化した影響/「非暴力」「非武装」を堅持/川口君一周忌追悼集会/図書館占拠事件/闘いを終える決断/新聞記者を志望

第五章 赤報隊事件  183
 正義感の「空回り」/阪神支局への転勤/阪神支局襲撃事件/右でも、左でも、起きること

第六章 転向した二人 193
 獄中で書かれた「自己批判書」/「密室殺人」全容解明/実行犯Sさんの思い/川口君の無念
第七章  半世紀を経ての対話  205
 暴力支配を象徴した人物の転身/半世紀ぶりの再会/自分にとっての原点/学生運動に関わることになったきっかけ/入学前にスカウトされて大学の組織へ/事件後の声明への違和感/誰にも気を許してはいけないという緊張感/自分が逃げたら組織が崩れるような気がした/中核派に襲われた恐怖/理屈で説明したら嘘になる/鶴見俊輔さんとの出会い/責任を取ることはできない/人にはそれぞれの物語がある/不寛容を押し返す力/立ち疎む君に

エピローグ 254
あとがき 258
 
 プロローグは、本書の趣旨の簡単な説明である。「あの時代の本当の恐ろしさを伝え、今の世界にも通じる危うさを考えるため」と本書執筆・刊行の意図が記されている。第一章は、事件当時(革マル)一文自治会委員長だった故・田中敏夫氏夫人との面談記。第二章〜第四章は事件と運動の経過、第五章は早大卒業後の新聞記者時代の回想、第六章は事件当時(革マル)一文自治会書記長で川口君リンチの実行犯だったS氏との面談記、第七章は上述の大岩氏との対談記録、エピローグはその後1997年に至って早大が革マル派と完全に絶縁した短い記録である。
 
 本書を改めて通読して、運動の基本経過や暴力・武装や学生自治会の在り方に対する認識など、多くの部分で私の記憶とほぼ一致していることを確認した。運動の崩壊期の記述など一部に私の認識と違う部分もあるが、それは個人著作として当然のことであろう。私は樋田氏から本書の内容について意見を求められるたびに、「これは樋田さんの本だから、樋田さんの思うように書いて欲しい」と言ってきた。
 
 本書を貫いているのは、不条理で暴力的な抑圧の恐ろしさとそれへの反抗、暴力的抑圧は暴力を振るう人間をも蝕むということである。暴力に反抗した側だけでなく、暴力を振るう側だった(革マル派)一文自治会三役との面談記録が、本書を単純な闘争回想記とは異なる重厚な内容の書物にしている。あの時代と運動を記憶している人だけでなく、時代・運動をまったく知らない人たちにも、本書は広く読まれてほしい。
 
 なお文末の《参考文献・資料》でこの川口大三郎君追悼資料室が(早大一文の旧2J組で中国演劇研究者の瀬戸宏氏が作成管理するウエッヴサイト)とあるが、これは旧2T組の誤記である。私はこの資料室の別のページに書いたように、2J(川口大三郎君在籍クラス)ではなく、川口君と生前面識はなかった。この点はすでに樋田氏に連絡し、増刷の際に訂正していただくことになっている。本書の中で私と認識が違う部分やより深い感想については、本書が正式に刊行されてから、おいおい書いていきたい。

 
追記、『彼は早稲田で死んだ』の大宅壮一ノンフィクション賞受賞により、本書は増刷されることになったが、出版社との連絡行き違いで、第2刷ではミスは訂正されなかったとのお詫びの連絡が、樋田氏からあった。第3刷では必ず訂正すると、出版社は約束したとのことである。(2022.5.25記)