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 川口君事件の記憶(3)
    −栗本薫「ぼくらの事情」
 
このHPが初出(2018.2.15)
 
 
            瀬戸宏
 
 
 
 
 2月初め、ネットで新聞を読んでいたら、栗本薫の未発表原稿が発見され、電子書籍で配信されるという記事が目に入った。栗本薫を流行作家にした江戸川乱歩賞受賞作の青春推理小説『ぼくらの時代』の続編にあたる内容だという。記事の中で、「今回発見された『ぼくらの事情』は、主人公らの大学入学後、学生運動の中で起きた内ゲバ殺人などが描かれているという」(産経新聞2018.2.2)という部分が私の注意を引いた。1978年6月29日の江戸川乱歩賞授賞決定の翌日から書き始められ、結局未完に終わったという。
 
 私は栗本薫と早稲田大学第一文学部同一年入学である。もっとも早大のようなマンモス大学は、第一文学部だけでも当時も一学年千人以上が在籍しており、クラスが違えば別世界で、在学中に知り合うことはなかった。栗本薫とは、確か1990年代に一度だけ顔を合わせているが、それだけのことで、面識はないと言っていい。
 
 実は私は、栗本薫が中島梓の名で発表したデビュー作「文学の輪郭」を『群像』で読みかけて挫折して以来、別件で入手した雑誌類掲載の短いエッセイ類を除けば、栗本薫/中島梓の作品を一つも完読したことがない。それでも、彼女が川口君事件について、自分が在籍していたクラスはかなり活発に運動していたと、何かで触れていたのは記憶に残っていた。記事を読んで、これは川口君事件が描かれているに違いないと、『栗本薫・中島梓 傑作電子全集』第三巻を2月9日の発売と同時に購入した。電子書籍を買うのは、これが初めてだった。
 
 「ぼくらの事情」には、確かに川口君事件らしきものが登場していた。「一般学生殺害事件−いわゆる『石川君事件』」(22925、『全集』第三巻の頁数、以下同じ)という記述がある。明らかに川口君事件を模している。
 だが、それだけである。「ぼくらの事情」で主に描かれる内ゲバ殺人事件は、川口君事件とは何の関係もないものであった。
 
 「ぼくらの事情」は、学生数四万の相国大学、略称相大を舞台に物語が展開する。冒頭は、ある年の10月、機動隊に包囲された相大第一学生会館である。相大文学部を拠点とする新革命主義青年同盟、略称新青同が学館に立てこもり、委員長の山村裕一郎が屋上で反機動隊のアジ演説をしている。山村が引っ込むと、今度は前委員長の東野了治がアジを続ける。主人公のぼく−栗本薫(作者と同名だが男性)は、「新青同さいごの日。何もできなかったぼく−せめて、みなくてはならない。しっかりと、すべてを見とどけておかなくては」という心情で、新青同と機動隊の攻防を見守っている。
 
 遂に機動隊が学館に突入し、わずか十数分で新青同の学生は機動隊に次々に引きずりだされる。だが、山村の姿はない。なんと、山村は機動隊との攻防のさなかに、新青同内の内ゲバで殺されたというのだ。その犯人として、東野が逮捕される。この東野は、学館立てこもりの原因となった「一般学生殺害事件−いわゆる『石川君事件』」の犯人でもある。だが東野は山村殺害犯行を否定しているらしい。
 
 ここで物語は4月1日にフィードバックする。新入生として登校しクラスオリエンテーションの教室を探していた栗本は、アジ演説をしていた東野にからまれる。意味なく笑った栗本を、東野は自分をバカにしたと誤解したのだ。その場を救ったのが、山村だった。同じ新青同でも、山村と東野は仲が悪いらしい。
 
 授業が始まって一週間たったが、あまり面白くない。そこへ活動家として栗本の教室に現れたのが、東野だった。東野はクラス討論を組織する。栗本のことを覚えていたようで、彼に質問を浴びせかけ、にらみつけ、険悪な雰囲気になった。折良く教授が現れ授業になり、討論は打ち切られる。授業が終わり、栗本は滅入った気分のまま外に出る。
 「ぼくらの事情」は、ここで中絶している。四百字詰め原稿用紙63枚分である。
 
 「ぼくらの事情」には一定の魅力はある。4月1日の新歓で賑わうキャンパスや4月初めの教室の雰囲気描写は、作者と同時期に学生生活を過ごした私からみても、十分にリアリティがある。「一八一教室」「長岡屋」のような、かつて実在し今はない事物の名も、私に懐かしさを覚えさせる。「一八一教室」は当時の文学部で最も大きい教室で、学生大会が何度もここで開かれた。長岡屋は文学部近くにあったそば屋で、私も自分が幹事になってここでクラスコンパをした経験がある。山村、東野という対照的な活動家学生の描き方は、やや類型的だが鮮やかである。すらすらと渋滞なく読ませる文体も、さすがと思う。
 
 だが、「ぼくらの事情」の最大の問題は、描かれている内ゲバ殺人が荒唐無稽すぎて、リアリティに乏しいことであろう。機動隊突入間近という修羅場で、同じセクト活動家同士が内ゲバやリンチをやる余裕があるのか。左翼セクトの内ゲバやリンチは、彼らなりの真摯さから出発し、それなりの理由付けと精神集中を必要とする筈である。連合赤軍にせよ、川口君事件にせよ、リンチ殺人は警察などが介入する可能性がなくそれに専念できる状況下で行われている。セクト内対立があるとしても、機動隊包囲下では一時休戦となるだろう。「ぼくらの事情」の内ゲバ殺人からは、現実にはありえない絵空事という印象を強く受ける。
 
 「ぼくらの事情」には、ほかにも首をひねる記述がある。東野は栗本のクラスに現れた冒頭から自分は新青同だと名乗り、学生委員会委員長としてクラスに来たのだと告げる。これもおかしい。党派(セクト)活動家であっても、初めて下級生のクラスに姿を見せる時は、学生自治会など大衆団体、組織のかたちを取り、ソフトに呼びかけるものである。現実に当時の早大文学部を支配していた革マル派も、革マル派としてではなく一文自治会常任委員会としてクラスに入ってきたのである。
 
 もっとも、これらは1971年前後の学生運動を知らない、あるいは興味のない読者にとっては、さして読み続ける障害にはならないだろう。絵空事の殺人事件といえば、推理小説に描かれる殺人事件の多くはそうなのだ。推理小説の読者は、描かれている殺人事件が現実性に乏しいことを承知の上で、一種のおとぎ話として小説を楽しむのである。
 
 だが、そこに川口君事件という現実の殺人事件が置かれると、事情は一変する。川口君事件は内ゲバ殺人であると同時に、それを越えた側面がある。内ゲバ殺人の犠牲者は多いが、全文学部、さらには早大全学のあのように多数の学生がその死に抗議して真摯に立ち上がった例は、川口君事件しかないのである。川口君の死の重みは、川口君個人の無念だけではなく、早大四万の学生−実際には抗議運動参加者は四万人はいなかったかもしれないが−の真摯な思いが積み重なっているところにある。
 
 翻って、「ぼくらの事情」の学生運動や内ゲバ殺人描写は、川口君の死のこの重みに拮抗しえているだろうか。
 八巻大樹執筆の『全集』第三巻・解題によれば、栗本薫は『ぼくらの時代』受賞直後の座談会で、「私小説になるというか私自身の大学の話というのがずいぶん入りますので、それはちょっと力を入れてみたい」(23903)と語っていたという。だが、「ぼくらの事情」は結局は中絶してしまった。それは、栗本薫もやがて書かざるを得ない「石川君事件」は川口君事件を踏まえる限り、これまでの創作姿勢では扱いかねることに気がつき、執筆を放棄してしまったからではないだろうか。少なくとも私には、「ぼくらの事情」に描かれた内ゲバ殺人の軽さから見て、中絶は当然と思われた。
 
 「栗本薫・中島梓 傑作電子全集 編集部」ツイッターによれば、「『ぼくらの事情』は、栗本薫の在学中に起きた早大闘争と、一般学生が殺害された事件を扱っています。」「『ぼくらの事情』以前にも、栗本はこの事件をテーマにした作品をいくつか書いていますが、いずれも未完に終わっています。これらの原稿は葛飾区立中央図書館で見ることができます。」(2018年2月6日ツイート)という。
 
 この記述から、川口君事件は栗本薫にとってしばらくは忘れがたいもので、大学卒業後も無名時代には川口君事件と格闘していたことがわかる。残念ながら、『ぼくらの時代』以降の流行作家としての大成功は、栗本薫に川口君事件との格闘を放棄させてしまった。八巻大樹によれば、学生運動というテーマは後に「伊集院大介の青春」という1985年に書かれた短編小説に結実しているというので、この小説も読んでみたが、学生運動は単に時代風俗として取り入れられているだけであった。無論、川口君事件を連想させるものは何もない。栗本薫のこの川口君事件との格闘放棄は、川口君事件の風化を示しているようで、寂しい。
 
 それだけに、今回の『全集』が未発表の「ぼくらの事情」を掘り起こし公開発表したのは、意義あることと思う。編集部ツイッターや解題などには、川口大三郎の文字はないのだが、私がそうであったように、読む人が読めばわかる筈である。「ぼくらの事情」公開発表を通して、少しでも多くの人が川口君事件を思い出してくれることを願う。