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川口君事件の記憶(2)
        −桐野夏生『抱く女』
                                                                                瀬戸 宏
 
*このHPが初出。2015年7月12日
                                                                               
 M君より直木賞作家桐野夏生の新作小説『抱く女』(新潮社 2015.6.30、1500円+税)に川口君事件の描写があると教えられました。私は桐野夏生の作品はまったく読んだことがなかったのですが、川口君と関連があるというので購入し読んでみました。
 桐野夏生は1951年生、成蹊大学卒。早稲田大学とは直接の関係はないようで、これまで川口君の死を扱ってきた小説・エッセイ類を発表した作家、文筆家のほぼ全員が早大出身者であるのと異なっています。
 この小説は三浦直子という吉祥寺にあるS大学(おそらく成蹊大学)三年生の1972年9月から12月までを描いた小説で、9月から12月まで各一章が当てられています。1972年なのは、直子が20歳だからです。直子の年齢などは、桐野夏生と一致します。単行本のオビには「恋愛も闘いだよ 毎日が戦争 1972年、吉祥寺、ジャズ喫茶、学生運動 女性が生きずらかった時代に、切実に自分の居場所を探し求め続ける20歳の直子」とあります。題名の『抱く女』は、この当時流行った「抱かれる女から抱く女へ」を踏まえています。(この言葉の最初かどうかはわかりませんが、週刊朝日1970年11月13日号には「ウーマン・リブ座談会『抱かれる女』から『男を抱く女』へ」が掲載され、表紙にもタイトルが刷り込まれています。)
 
 題名の通り、彼女の交友関係・男性遍歴・恋愛を巡る思考が中心です。学生運動、特に連合赤軍事件に対する感想めいたものは語られますが、三浦直子自身が直接学生運動をやっているようには描かれていません。この小説には、直子のジャズ喫茶でのアルバイトや当時の吉祥寺の街並みも描かれ、その方面に関心のある人はより興味深く読めるでしょう。
 この小説に川口君事件が出てくるのは、直子の兄の和樹が早大革マル派幹部活動家という設定で、彼が事件の関係者と疑われ、直子の自宅に刑事が訪れて両親に事件について尋ねる場面が「第三章 一九七二年十一月」にあるからです。
 
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刑事が笑ったようだった。
「あんたら、よくそんな息子に高い学費を払ってるね。悪いけど、そんなに儲かってないでしょう?」
   厭味を言われた父親が、むっとした様子で言い返している。
「それはうちの勝手でしょ。人様にとやかく言われることじゃない」
「とやかくって言うけど、お父さん、あんたの息子さん、人殺しかもしれないんですよ。ただのノンポリ学生をね、ちょっとした言葉尻捉えて、中核のシンパじゃないかって、どこかに連れ込んでさ。皆で殴り殺したんですよ。可哀相に、その学生がどんな死に方したか知ってますか?全身青アザだらけで、粉砕骨折数力所。一部は骨が見えていたほどの重傷を負っていたんですよ。あんた、棒で殴られて死ぬって、どんなに辛いかわかりますか」

 
 母親の悲鳴が聞こえた。
「やめてください。まだ和樹だと決まったわけじゃないでしょう。あの子はそんな子じゃないですよ」
 「もちろん、決まったわけじゃない。現場にいたかどうかもわからないですよ。でも、あんたの息子さんは、指導的立場なんですよ。その時どこにいて、どんなことをしていたか。手を下したのか、下してないのか。下してないのなら、命令したのは誰で、どこのどいつが実行部隊か。我々、あんたの息子さんが言うところの『国家権力』に説明する義務があるんですよ。もうちょっと聞き込みしたら、おそらく逮捕状出ますんで、わかってることは何でも正直に言ってください。よろしくお願いします」
 
 もう一人の刑事らしい声がした。
 「殺された学生はね、ただ批判的なこと言っただけなんだよ。完全なノンポリで、ケルンパでも何でもない。それだけでどこかに連れて行かれて、嬲り殺されて。東大病院前にポイ棄てですよ。殺したり殺されたり、いい加減にしたらどうです」
「ですから、うちの息子が関与したという証拠はありません。あるなら、見せてください。私たちは息子を信じています」
 父親が必死に言い返したが、泣いているような声だった。母観も衝撃を受けたように沈黙している。
 
 
 ああ、あれか、と直子は思った。一週間ほど前、新聞に小さく内ゲバの犠牲者のことが載っていた。早稲田の学生が、革マル派に拉致されて殺されたと小さくあった。学生運動をしていたわけではなく、批判的なことを言っただけらしいと。和樹が関与してなきゃいいと密かに願っていたが、現実は甘くはない。
 ハムを丸ごと一本、コンバットジャケッ卜に隠して、アルマイトの弁当箱に白飯を詰めて行った兄は、そんな惨たらしいことが平気でできるようになったのだろうか。
 死は最強。この命題がまた現れ出て、直子を苦しめる。
(新潮社版単行本p128-130)

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  ご覧のように、川口君の名は出てきませんが、内容はあきらかに川口君事件です。作中、川口君事件に関係する部分はこれだけで、エピソード的に語られるだけです。
 
 上記の引用部分は、基本的に川口君事件の実際と共通していますが、細部では現実の事件と違う点もあります。
1.川口君の遺体発見報道は、決して小さくありません。データーベースで確認しましたが、朝日は社会面トップ、読売は準トップです。(念のため、本文の末尾に川口君の遺体発見を報じる朝日新聞、読売新聞のPDF版を添付しておきます。)
2.川口君は党派には所属していませんでしたが、政治社会問題に旺盛な関心を持ち、決してノンポリではありませんでした。
3.刑事が、活動家本人に対してならともかく、親に対して何の説明もなくケルンパという言葉を使うでしょうか。(「ケルンパ」の意味がわからない人のために説明しておきますと、ケルン(中核)のパーということで、中核派の対立党派、特に革マル派が多用した言葉です。明らかな蔑称であり、中立を装わなければならない刑事が学生運動とは無縁な親に向かってこの言葉を使うとは考えにくいのです。)
 
 小説全体は、「第四章 一九七二年十二月」で、早大革マル活動家の兄和樹が約一ヶ月前に中核派に襲われ、瀕死の重傷を負い結局死んでしまい、直子が衝撃を受けるところで終わっています。和樹が襲われたのは引用した刑事と両親の対話の後、すなわち川口君事件の後で、この設定も現実にはありえないものです。川口君虐殺が明るみに出てから、1972年11月から12月にかけては本資料室の資料で明らかなように虐殺糾弾自治会再建運動が非常に盛り上がり、それまで早稲田に足がかりのなかった中核派は早大潜り込みに必死でした。セクトによるテロ虐殺反対から出発した運動のため、革マル派も含めて各党派は72年11月12月にはテロ・暴力を控えていました。もしこの時期に早大革マル派の指導的活動家が中核派のテロにあい死亡すれば、中核派は早大一般学生から反感を買い、革マル派は全力で反中核宣伝をしたでしょうが、そのような記録はありません。下宿襲撃など中核革マルの殺し合い内ゲバが激化するのは、1973年秋以降のことです。
 もっとも、桐野夏生は[『抱く女』刊行記念インタビュー]「いま何故1972年なのか」(聞き手:佐久間文子、web版『波』)で、「『抱く女』は私小説ではないし、本当にあったことを書いているわけでもありません」と言っています。だから、細部の齟齬にはこだわる必要は無いでしょう。
 
 作者は同じインタビューで「セクトに入っている友人もいて、私自身、近いところをうろうろしていました」と述べています。『抱く女』は私小説ではないにしても、発想の核になる体験は桐野夏生にあったと思うのです。それがどのようなものか、今の私は知りません。第三章冒頭で、授業をずっとサボっていて久しぶりに中国共産党史のゼミに出た直子が、「中年の教授」(たぶん宇野重昭氏がモデル)から「何か質問はありませんか。あなたなら、きっとあるでしょう。」と問われる場面が出てきます(p118)。これは恐らくは直子が感じたような厭味ではなく、「反スタのあなたなら中国共産党史の暗部にきっと意見があるでしょう」という意味でそれをもとに落伍学生をゼミに引き戻しゼミ討論の展開を図ったのだろうと、現在大学教師をしている私は感じました。直子が左翼セクトの近傍にいたと考えれば、おかしくない推定だと思います。残念ながら直子は教授の問いを嫌みとしか受け取れず、「今の中国では、ジャズを聞いてはいけないんですか」というトンチンカンな質問をして出席学生から失笑されます。私も苦笑しました。
 作品を読んでいて、革マル派が悪く書かれていなかったり、ケルンパのような革マル用語が出てきたりすることも、私の注意を引きました。しかし、ここではこれ以上の推測はやめておきます。
 
 小説内容が1972年の忠実な再現ではなく作者が現在の時点から再構成したものであることは明らかです。私の記憶・認識・感性と違う部分も多く、最初は読むのにしんどい思いをしましたが、読み終わって二十歳の若い女性の青春遍歴を描いた作品としてはある程度の力作だと思いました。多少事実とは違うにしても、川口君虐殺が早稲田大学以外の学生にも記憶に残る事件であったことを示している点で貴重です。作品の主要部分の女性であることの意味、生き方については当資料室の扱う範囲からはみだしますので、ここでは感想を述べないことにします。
 
●川口君の遺体発見を報じる当時の新聞
 
朝日新聞1972年11月10日夕刊11面(社会面)
 
読売新聞1972年11月10日夕刊11面(社会面)