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『ゲバルトの杜』森まゆみ氏評
 
*作家、エッセイストの森まゆみ氏が自己のFACEBOOKタイムラインに投稿した『ゲバルトの杜』評。FBの評はFB友達限定のため、森氏の同意を得て本資料室に転載。転載を許可された森まゆみ氏に厚く感謝いたします。(2024年3月20日転載、24年4月4日森まゆみ氏により一部修正)
 
長い間待ち望んでいた映画。できるだけ多くの人に見て欲しい。映画評の欄を持っていないので、Facebookに試写を見た感想を。
本も良かったけど、映画の方が視覚に訴えるものがあるのか、ずっとわかりやすかった。
 
川口君事件は1972年11月8日、早稲田の第一文学部の学生川口大三郎君が、中核派と間違われ、革マル派によって教室に連れ込まれて殴打などの暴力で殺された事件。なぜか遺体はパジャマを着せられて,東京大学の構内に遺棄されていた。これは私が受験生の頃で,私は東大と早稲田しか受けないつもりだったが,父が心配して「慶應も受けてくれ」といったのを覚えている。
数学が一問も解けなかった東大に落ちて、早稲田の政経にはいった、その入学式にクロヘル軍団が乱入、訳がわからない新入生は「帰れ帰れ」とコールをしたが、私は壇上の教授たちが慌てふためき,マントを翻して逃げるさまを見て失望した。
 
事件のあと、各学部では一般学生たちが立ち上がって,自治会から革マルを放逐、民主化したはずだったが、その後、路線の違いから分裂し,また革マルが復活。
 
私はまさにその渦中に入学、ドイツ語の授業などに革マルが来てクラス討論をしろといい、教授は諦めていなくなるし、私は「授業の邪魔をしないで下さい」といって革マルにビラで頬を叩かれたりした。
 
「わけわからず」生きて勉強の意欲もなくなり、雑踏のようなキャンパスにうんざりし,ろくに勉強もしないのに電通や銀行、商社などに就職する先輩にがっかりし、気力は低迷した。
 
 「ゲバルトの杜」、日本映画でも本気を出せば,ここまで出来るという証左である。音楽もすばらしい。最初、ドラマ仕立てのシーンが出てきて,「あれ、また嘘くさい再現ドラマかよ」とおもったが、この役のオーディションや、そこでの学生と鴻上尚史さんとの対話とか、背景をばらすことで、時代を今につなげることが出来た。髪型もファッションも,眼鏡も,考え方も今と当時は遙かに違う。
 
そして当時を生きた各セクトやノンセクトの証言者がいまもなお、あの事件に誠実に向き合い続けていることも感じ取れた。背景に映る本棚から,彼らは大学教授など知的な職業で成功しているようにみえるが、地方の素封家の家やNPOの乱雑な事務所にいる人もいて,背景がおもしろい。知人も二人出てきた。
 
「樋田ってやつはひげ面で熱いやつだった」という先輩がいたが、その樋田毅さんは暴力支配のキャンパスになかなか入れず,それでも単位を取って卒業後、朝日新聞の記者になり、「彼は早稲田で死んだ」を書いて大宅賞をとった。この方も半世紀以上、あのことに向き合い続けたのだろう。
 
しかし同じく暴力支配でキャンパスに来られなくなった女子学生はどのようなその後を生きたのだろうか。ここにも行動委員会の女性がただ一人登場するが,彼女たちはもっと怖かっただろうし、そして男女雇用均等法以前で、就職機会からはあらかじめシャットアウトされていた。樋田さんの本を読んだときも、「女性の視点がない」と思ったのだが、この映画でも,それは描かれていないように思う。
 
それはジェンダーの世界。女性活動家を「メマル」とよび、「でもけっこう美人だったよ」などと回想する人もいる。革マルの牙城、第一学館に布団が干されると、男子学生はエロい妄想を口にした。全共闘時代,女性を「共同便所」とさげすんだが、この前、シールズに加わった女性に聞いたら「幹部の彼女にならないと,前に出てマイクを持たせてもらえない」というのにおどろいた。本当かどうか知らないけれど、万が一本当ならば、社会がかわらないことにあきれるばかりである。
 
川口君事件を知りつつ放置した早稲田大學、教員、警察には本当に怒りを覚える。どうせ内ゲバだから俺たちに関係ないよ、といっていた級友たちにも。そのために学生を中心に一〇〇人もの死者が出て,裁判や実刑なども表には出てこない。
 
 誠実な研究者藤原保信先生に出会わなければ、私の大学時代は本当に暗黒時代だった。私たちの世代を「戦無派」などとは言わせまい。
 
現場にいなかった革マルの田中委員長はその後、自己批判し,故郷で家業を継ぎ、すでになくなったという。これは一つの潔癖な責任の取り方だ。樋田さんの本で,最後に登場する、革マル派のなかでももっとも暴力的だったと言われる大岩圭之助は本作品には登場しない。アメリカに飛んで学び直し、明治学院大学の教授となり、辻信一の名前で環境問題に積極的に発言している。彼は直接手を下していないとしても、第一文学部の自治会副委員長だったし、彼の暴力でキャンパスには入れず退学した学生も多いという。あまりに非対称だ。彼は責任をとったといえるのだろうか。
 
川口君が革マル派に連れ去られようとするとき「僕にはバイトがあるんだ」というシーンが痛い。あのころの学生の多くは貧乏で,3畳一間にすみ、アルバイトで生計を立てていた。私の友だちの女子大生も住み込みで新聞販売所のおさんどんをしていて、小遣い稼ぎに家庭教師くらいしかしないですんだ自宅通学の私はすごく後ろめたかった。
内田樹さんの証言、「あの頃、衆を頼んで集会に行くと、電車はキセル、駅前の屋台のおでんやを襲ってただで食べ散らかす。普通のおとなしい学生がそのように豹変するのがこわかった」という言葉が,あの時代を解く鍵のような気もする。
 
あの事件をなかったことにしたくない