stories⑪

アニばらワイド劇場deux
(第37話)




<R‐18>
第37話「熱き誓いの夜に」~誓い~



「分かっていたよ・・・そんなことは。もう何年も前から・・・
 いや、この世に生を受ける前から・・・・・」


無数に揺らめく光の中、二人の唇が重なった。



見つめ合い、抱き締め合って交わした接吻は、忽ちのうちにオスカルとアンドレを官能の中で燃え上がらせた。

アンドレの腕の中、静かに身を預けるようにしていたオスカルが体勢を変え、両手を首に回すと、アンドレは彼女を抱いていた腕に力を込めた。
触れ合った唇が熱を帯び、やがて口の中深くに舌が侵入してくる感覚にオスカルは喘ぎながら、ますます強く彼を抱き締める。



長い接吻―――  
ゆっくりと絡み合わせた舌は次第に激しく吸い上げられ、息も途絶えそうなところ ふいに身体の力が抜けるのを感じたオスカルは、直後、本当に宙に浮いている自分に驚いた。



「愛してるよ、オスカル」



愛の言葉にたまらず涙を流すオスカルの頬に口づけすると、アンドレは再び彼女を軽く抱き上げ、そのまま近くに立つミズナラの大樹のもとへと動かした。



「愛してる・・・・・ずっと、ずっとおまえの傍にいるよ」

とめどなく溢れるオスカルの涙をアンドレは指先で丁寧に拭うと、両手でその頬を包み、囁いた。

「アンドレ・・・!」


すがりつくように腕を絡ませるオスカルを強く抱き寄せながら、アンドレは既に抑えようのない程に膨れ上がった性の衝動に震えた。
ぐらぐらと眩暈のような感覚に襲われ、腕に力を込める。オスカルは小さく喘ぐと、アンドレを見つめ・・・優しく唇を重ねた。


鼓動がどんどん速くなる―――――
アンドレの手が軍服の襟元にかかるとオスカルは一瞬ためらうように身を離したものの、すぐに体勢を変え、自らベルトを解く仕草を見せた。

何度も口づけを交わしながら、アンドレはゆっくりとオスカルの軍服を脱がし、薄いブラウス越しの胸を掌でそっと包み込む。

細い体に想像したよりも大きな膨らみがあることに驚いたアンドレが、オスカルの顔を覗き込む。
オスカルは微笑むとアンドレの手に自分の手を重ね、そのままブラウスの隙間から自分の白い肌の上へと滑り込ませた。



ブラウスから零れ落ちた私の乳房を、両手で優しく揉みしだくアンドレ。

「ずっと こうしたかった・・・・・」

そう呟いて私の胸に顔を埋める彼が、愛おしくてたまらない・・・!

アンドレの大きな掌はまるで温めるかように私の乳房を包み込む。そして焦らすように静かにそっと撫でていたかと思えば、次の瞬間には強くすくい上げられ・・・そうしてゆっくりと切ない愛撫が続くうち、彼の唇がようやく核心へと触れる・・・

「・・・あぁ・・・・!」

膨らみきった私の乳首を舌先で転がし、吸い上げるアンドレの息遣いと、愛撫の仕草。それが次第に速く激しくなるにつれ、思いがけず漏れる自分の声にドキッとする。


「もっと聞かせてくれ・・・」

アンドレがそう言って私をぎゅっと抱き締める。

「もっと・・・もっと・・・・・おまえの声を聞かせてくれ・・・オスカル・・・!」



だんだんと荒くなるアンドレの息遣いと自分のものとは思えない淫靡な吐息が木々の合間に響いては重なり・・・・・
いつしか私の中には淫らで甘い欲求が次から次へと芽生え出していた・・・


そんな私の気持ちを察してか、アンドレは私の腕を後ろ手に押さえて自由を奪う。
そして、もう一方の手は残りの衣服を脱がす為に下へ下へと降りてゆき・・・・・・



裸になった私の全身に夢中で舌を這わすアンドレ。
その興奮が伝わり下半身がどうしようもなくざわついて・・・・・身体中が疼いて、思わず声を上げそうになる・・・・・・
その瞬間、淫らな私の口はアンドレの唇で塞がれた。



ミズナラの木に寄り掛かっていなければ倒れてしまいそうなくらい力の抜けた私を殆ど抱きかかえるようにして、アンドレは愛撫を繰り返した。持ち上げられた片脚に軽く痺れを感じる。でも、すぐにそんなことはどうでもよくなり、もう何をされても構わない・・・
そんな自分がいつしか彼の動きに合わせて揺れていた。


「アンドレ・・・・・・・・・」 

消え入りそうな私の呼びかけに、彼は瞳で答えた。


・・・見えるのか・・・・・・?

私をじっと見つめるその瞳に・・・ちゃんと私は、映っているか・・・・?



またしても、涙が溢れそうになるのを堪え、アンドレを力の限り、強く・・・強く抱き締めた。




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どれくらい時間が経ったのだろうか・・・・・・?

どんどん大胆になるアンドレの手指は今にも泣き出しそうな私の中心部をかき回し、探り当てられた敏感な粒はぬるぬるとした感触の中、たった数回撫でられただけで限界を迎えた。
強引なくらいに激しいキスで口をふさがれていなければ私はきっと、とんでもなく はしたない声を出してしまっていたに違いない。



「声を・・・聞きたいと言ったのに・・・」


私が苦情めいた口調で言うとアンドレは無言で私を抱き上げ、優しくキスをした。。

「もっと私の声を聞きたいと・・・さっき、そう言ったのに・・・」

するとアンドレは楽し気に笑い、もう一度、私に今度は少し長めのキスをした。



そこでふと我に返ると、なんと彼はまだ軍服を着ているのであった。
肌蹴て、かなり乱れているものの・・・アンドレはまだ軍服を着ていた。


いつの間にか私だけが脱がされて、アンドレは・・・・・・・・・

たまらなくもどかしい気持ちになった私は、アンドレを引き寄せ・・・耳元で囁いた。


「私は何をすればいい・・・?」

アンドレはちょっと驚いた顔で私を見つめた。

「何をって・・・・・・?」

「服を脱ぐのを手伝おう」




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オスカルの細い指が恐る恐る、それに触った。


遠慮がちに握るその手の上に自分の手を重ね、こうして欲しいと力を込める。
手を離しても・・・オスカルは握り続けていた。
優しく強弱をつけながら・・・白い指が上下に動く。


オスカルの髪を撫で、ありがとうと・・・言おうとした瞬間、彼女はそこにキスをした。


身を屈めたオスカルは俺を見上げると、クスッと笑って、そこにキスをして・・・そのまま舌を這わせて、先端を舐め始めていた。



信じられない光景はゾクゾクするような興奮に変わり、やがて俺は・・・
感激の嵐に襲われた・・・。




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先程まで自分が着ていた軍服を柔らかな草の上に敷くと、アンドレは優しくオスカルを横たえた。

月明かりの中、ほの白く浮かび上がったオスカルの裸身を背後から抱き締める。
柔らかな肌の感触と温かな体温、愛するひとの懐かしい香りはアンドレをこの上ない幸福感で満たしていった。



「・・・アンドレ・・・私が見えるか・・・?」

抱き締めた腕の中でオスカルが か弱く囁いた。

「・・・もちろん、見えるよ・・・」

「本当に・・・?」

オスカルは振り向いて上半身を起こすと、俺の傷付いた左目に触れながら、もう一度、消えそうな声で・・・本当に?と囁いた。


「本当さ。・・・・・・オスカル、ここへおいで」


俺の言葉にオスカルは素直に頷いた。

仰向けになり、オスカルを身体の上に乗せると、ちょうど背後の木々の隙間に星空が見えた。

瞬く天空の星たちと、地上には揺らめくたくさんの光の粒子・・・・・
その両方がおまえを青白く照らしている。

手を伸ばして、オスカルの頬に触れてみる。
それから、髪、唇・・・胸・・・・・白く輝く乳房をすくい上げ可憐な乳首を愛撫すると、切なげな声を上げて、オスカルは微かに身を捩った。

「全部、見えるよ・・・おまえのことは。昔も今も・・・全部」


オスカルは静かに微笑んで、俺に折り重なると・・・小さな声で「よかった・・・」と呟いた。


猛然と愛おしさが込み上げて・・・・・気が付けば・・・俺は、泣いていた。



オスカルを愛している―――― 
誰にも渡したくない。二人で、生きていきたい・・・・・!!


体の奥から突き上げるように湧いた激情に任せ・・・狂ったようにオスカルを抱き締めた。





身体を開いて、あたたかな おまえの中に深く、深く身を沈める・・・・・・・・・

たまらなく愛しいおまえの嬌声を耳元で聞きながら、恍惚の波は何度も・・・何度も、繰り返し俺を昂らせた。


オスカル!愛してる・・・・・オスカル・・・!!




夜通し愛し合い、二人で取るべき道を選ぶことを・・・おまえと誓った。

二人、共にある限り・・・俺たちの道は終わらない。

 

 

 




<R‐18>
第38話「運命の扉の前で」 ~暁降ち~

 

遠くで鳥が一羽、夜明けの気配に誘われ羽ばたいた。
夜じゅう響いた虫たちの声はやがて鳥のさえずりに変わり、朝が来る。



夢をみているようだな・・・

身体の奥に感じる熱い余韻、得も言われぬ幸福感に満たされ思わず呟いた言葉でいっそう愛おしさが込み上げる。


「オスカル・・・」

抱き締めた腕の中で静かに寝返りを打つ恋人は、今は本当に夢の中にいるのか少女のようなあどけない表情をしていた。
ふいに切なさで胸が苦しくなる。



・・・それはまるで、光の海を泳ぐかのような 不思議で、素晴らしい体験だった。
愛の行為は甘く、優しく、 深く...これまで感じたことのない高揚感の波に幾度もさらわれながら、俺はおまえの中を漂った。
そして、あれ程までに恋い焦がれ“ひとつになりたい!”と願った俺の想いは、叶えられた瞬間、新たな渇望となって更に強く、強く おまえを求めている ――――



想いは届き 夜通し肌を重ね合ってもまだ、心はとめどなく溢れる愛に震え、いつまでもおまえの名を叫んでいた。




「オスカル」

呼吸に合わせ微かに上下する胸の膨らみに顔を埋めて囁くと、オスカルは柔らかな指使いで俺の髪を撫で、額に優しくキスをする。

穏やかな幸福感と安堵感と、何故かたまらない切なさと・・・・・駆け巡る感情に眩暈さえ覚えながらオスカルをそっと抱き起こす。


「もうすぐ夜が明ける」

薄闇に白く透けるように浮かんだ輪郭がゆっくりと頷いた。
オスカルは静かに微笑み、指で俺の唇をなぞると今度は傷付いた左目に長い、長いキスをした。


「愛してる。アンドレ」


ああ 俺は・・・俺は相変わらず美しい光の海を漂っているようで・・・眩しさに目が眩む。



オスカル・・・・・オスカル・・・・・・、愛してる・・・・・・・愛してる・・・・・・・・・





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「・・・アンドレ・・・・・・服を・・・・・・・・・アンドレ・・・?」


「・・・え?」


「だから、早く服を着ろと言ってるだろ・・・・・そのまま 裸で行くつもりか?」


気が付けば、クスクス笑いながら 凛々しい軍服姿のオスカルが俺を見降ろしていた。


「あれ?いつの間に・・・おまえ、コルセットは・・・?」


「・・・?」


「自分で着れるのか?」


「当たり前だろ。脱ぐのも着るのも 自分で出来る」


呆れたように笑うとオスカルは男物のシャツをふわりと広げ、「どうやらアンドレは・・・出来ないみたいだな」と、溜息交じりに呟いた。




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「・・・これはちょっと、汚してしまったかな・・・」


野営だ何だで衛兵隊員の軍服が汚れているのはいつものことだったが、この日の朝は特別だった。
まあまあ着慣れた軍服に袖を通すと、青い草の匂いに混じって女の香りが漂う・・・
花よりも、香水よりも・・・甘く優しいオスカルの香りに包まれた。


「いいよ。今までにない着心地で、最高だ」

そんなわけないだろう? そう言って笑うオスカルを見て幸せを実感する。



「オスカル・・・ありがとう。本当に、最高の気分なんだ」

オスカルの細い腰を抱き寄せて唇を重ねる。

「とても、幸せだよ・・・・・」


言葉で伝えるのがもどかしい程に、俺の心は愛で満たされていた。



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「オスカル・・・どこか 痛むところはないか・・・?」


オスカルはどうなのだろう・・・どんな気分なのだろう?
夢にまでみた愛のひとときを、二人 共に恍惚の境地まで達した感覚は確かにあったが、俺の圧倒的な歓喜とは別に、オスカルは辛い思いをしているんじゃないだろうか。

男には知り得ない破瓜の痛みを想像し、アンドレはふいに不安に襲われた。



「・・・ん・・・そうだな・・・・・・・」


女が眉間に皺を寄せ思案している間、男はじっと息をひそめて見守るも・・・


「痛いというより・・・」


緊張感に堪え切れず、思わずオスカルの顔を覗き込む。


「・・・まだ、私の中に・・・・・アンドレがいるような・・・」


「・・・・・・・・・・・・・」


「とても、幸せな感覚が続いている」



感激して立ち尽くす俺を輝く笑顔で見つめながら、オスカルは優しく「ありがとう」と囁いた。




目に映る光は失われても、俺にはおまえがいる。


「私が、アンドレ・グランディエの目になる」
そう続けて俺の頬に触れるおまえの掌から、無限の温かさと希望が伝わった。




朝焼けの空に向かって 鳥たちが一斉に飛び立つ。

運命の一日が始まる ――――








第38話「運命の扉の前で」 ~蜃気楼~



足元から冷たく駆け上がるような、この感覚を・・・戦慄と呼ぶのだろうか?

たった今、ダグー大佐の口から それはアンドレ・グランディエの日記帳だと告げられた。

その書冊を取り上げる前に、何故大佐の服装が普段見慣れた衛兵隊の軍服ではなく宮廷へ伺候する際のそれなのか、B中隊は午前8時にチュイルリー広場へ進撃したのではなかったか?

次々浮かぶ疑問に息さえ止まる程の緊張感を覚えながら呆然と目の前の書冊を見つめる。



「・・・それで、私にこれをどうしろと?」


渾身の力を振り絞って・・・・・
情けない話だが 渾身の力を振り絞って、ようやく私はその一言だけを口にした。

カタカタと震える右手を左手で必死に制御しながら、恐る恐るその書冊に触れてみる。


「元衛兵隊員の男が書いた ただの日記帳です。どうされようと構いません。今朝方、私以外の全員が除隊致しました。B中隊の宿舎はまもなく閉鎖されるでしょう。私もいつ拘束されるか分かりませんので・・・・・・・後は貴方のご判断で、いかようにでもご処分なさってください」

眉ひとつ動かさずダグー大佐はそう告げた。
彼の発する一言一句に激しく動揺する私とは対照的に鉄壁ともいえる冷静さを保つダグー大佐は、いや、そればかりか蒼白な私の顔色を注意深く観察しながら、気付けば微かに諦観の微笑までをも浮かべていた。
その様子に、先程から私の全身を切り刻むように直走る絶望感という名の情動に変化が訪れる。


よりによって国家最大の有事とも言えるこの瞬間に、全員除隊とはどういうことだ?
何があった・・・?
何が、あったんだ・・・・・?


動揺から狼狽の表情に転じ、やがて愚かな好奇心に翻弄されるかのような私の体たらくを察したのか、ダグー大佐は眉間の皺を解き相形を緩め、いよいよ明らかな笑顔を見せたかと思うと小さな、小さな溜息をついた。

権威の失墜した王宮を守るべく、恐ろしく手持無沙汰なまま近衛の執務室に取り残されている私の前に、もはや安息の表情で立つこの軍人は ・・・一体何をしている?
この大事な時に、なぜ彼女の傍にいないのだ!?


軍人・・・・・・いや、今日のダグー大佐は軍人ではなかった。

上着の丈が少々時代遅れなのではと思わなくもないが上等な生地であつらえた一式は明らかに正装であろう。派手な模造宝石やレースで飾り立てるわけでもないのに華やかで、それでいて品良く優雅に見える。
顔に似合わぬ淡いパステル調のウエストコートにほどこされた可憐な女性を思わせる小花の刺繍をいつしかぼんやり眺めながら、私はオスカル・フランソワと過ごした近衛隊時代に想いを馳せていた。

この期に及んで現実逃避ではないが、最悪の事態に直面しているであろうパリと同じ時空に存在しているとは到底思えないベルサイユの気怠い空気と、諦めと呼ぶには穏やか過ぎる微笑を湛えた同胞への違和感が、私をどうしようもなく不安定にさせていた。




「ダグー大佐、教えて欲しい・・・・・・あの方は・・・あの方は どうされたんだ?」




 ‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥



本部に到着し厩舎に入ると新鮮な飼い葉の柔らかな匂いに包まれた。

一度出動命令が下ると次にいつまともな飯が食えるか分からない。
「お互い腹が減っては戦はできぬだ!」そう言いながら飼い葉桶にありったけの量の乾草を出したのが分かる。
ラサールだろうな・・・
馬は一度に食べられる量が決まっているんだ。こんなに与えて、残したら風味も落ちるし片付けだって大変だ。第一戦場で腹でも壊されたら困るって何度言ったら・・・・・

フッと笑いが込み上げる。

様子をうかがうようにこちらをじっと見つめるいくつもの視線が愛おしい。

俺のつまらない小言に相変わらずの無垢な表情を浮かべる馬たちが今朝はやけに胸に迫って、思いがけず、泣きそうになった。
手綱を握る手にぎゅっと力を込める。
光と影のような対照的な姿をした二頭の馬の背を優しく撫でると光はぶるるっと鼻を鳴らし、影は優しく頬ずりをする。

いつしか必死で泣くのをこらえていた。
背後から優しく抱き締められて・・・・・時よ 止まってくれ と、呟いた。


「一緒にいよう・・・どんな時も、みんな一緒に」

背中で聞いたオスカルの言葉に、溜まらず零れた一粒は 嬉し涙になった。

慌てて涙を拭って飼い葉桶の傍の柵に二頭の馬を繋ぐ。

「はははっ 腹が減っては戦はできぬだ。そぅら、たらふく食っておけよ!」


早朝の厩舎に響いたどうにも頼りない俺の掛け声に数頭の馬がお愛想でヒヒ~ンと応え・・・いかにも生返事なその様子にオスカルがクスクスと笑い出す。



―― 時は止まらず、続いて行くんだ ――


強く、そう自分に言い聞かせた。




 ‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥


「オスカル、宿舎のいつもの場所に きっとみんなは集まっているよ」


頷いたオスカルはまだ微かに星明かりが残る空の色を一瞬確かめる。
それから「その前に少しだけ・・・」と俺の手を取り、微笑んだ。




薄暗い宿舎の、更に個人の寝床となると普段はそこに寝る本人以外とてもじゃないが寄り付きたいとは思わない。だが何を思ったのかオスカルは探し物でもしている風に身を屈めベッドの周辺を見渡している。

「これだな」

固い枕の陰から一冊の本・・・というか、それは俺の一応日記帳なのだが・・・を取り出すと何やら満足気に振り向いた。

「中を見てもいいか?」

遠慮がちにそう尋ねられ一瞬戸惑った。
それが目当てでここまで入って来たのなら多分駄目だと言っても聞かないだろう。
あまり気は進まなかったが、もう隠すことは何もないし・・・OKした。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
  


手に取った日記帳はずっしりと厚みがあり、深い緑色をした装丁からは忘れかけていた日々の興奮や期待感が伝わった。

物語を読んで得られるそれらとは異なる 不思議な感動は、軍人として生きると決めた14の春から長いこと封印したままだ。

彼の知らないところで、その日記帳を盗み見したことは一度もない。
私はいつも隣で、書いているところを眺めていた。

子供の頃からの習慣だった。二人で同時に、今日あったことを書き始める。

たいてい箇条書きで味も素っ気もないような私の文章に比べ、じっくりと感情を込めて書く彼の日記には喜びがあった。記録ではなく『作品』といえる程に、夢があった。

とにかく、その日一日同じことを体験しているはずの身としては彼が紡ぎ出す言葉の数々が非常に興味深く、自分の作業はすぐに終わらせ 身を乗り出してアンドレの手元を見つめていた・・・
一日の終わり、それが私の何よりの楽しみだった。
剣の手合わせは火花散る対戦になり、森の散策は謎の秘宝を探す冒険になり、そう誇張しているようにも思えないのに、彼の手に掛かると私たちの一日はたちまち魔法のように輝き出した。

それを傍で眺めている時間が 心地よかった。


しかし、やがてアンドレの声が男のそれに変化を遂げる頃になると、さすがに黙って読ませてはくれなくなり・・・・・それはそうだろう。
私の一番の娯楽なんだ!頼む アンドレ!!と懇願すればする程 「お前みたいな悪趣味な奴に俺の秘密を読まれてたまるか!」と、遠ざけられた。

それは・・・そうだろうな。
笑いが込み上げる。
大作家アンドレ・グランディエの『作品』を巡って読ませろ止めろと掴み合いの喧嘩をした事すらあった。そんな日々を思い出し・・・懐かしさで溜息をついた。




「おい、読む前から溜息つくなよ。酷いなぁ!」


アンドレがなんとも言えない笑顔で的外れな苦情を申し立てている。




あれから20年、年を重ね 私の感性も多少は磨かれているに違いない。
笑顔で不満を訴える彼の隣でページをめくる。



胸 踊るようなあの頃の無邪気な感覚は失くしても・・・・・・・

アンドレの日記帳は私の、私たちの、一日の終わりを今でもきっと輝かせてくれるのだろうな・・・・・



  < つづく >





第38話「運命の扉の前で」 ~蜃気楼②~



1788年 3月末日

再び運命が動き出す。

昨日付けでフランス衛兵隊 B部隊に入隊。
アランの助けもあり、ひと足先に滑り込む。
あの日浴びるように飲んだ酒が今日は ほとばしる血流となって熱く身体を突き上げる!



歩き始めた人形は、またしても唐突な行動に出て周囲を慌てさせている。


予定よりも1日早く現れたオスカルは宿舎で俺を見つけるや否やさっそく怪訝な顔つきで・・・
まぁ かなりイラついてるようだったが、最終的には ああ そうかと納得したようだ。

独りになったつもりでいたのか?

俺はお前を諦めはしない。
絶対に、絶対に 諦めはしない。




4月1日

案の定、オスカルは隊員たちの激しい抵抗に遭い、閲兵式は中止と思われた。
だが しかし、オスカルも近衛の時とはだいぶ方針を変え、見事にことを成し遂げる。
実力行使とくれば、たとえどんな猛者であろうとオスカルに適うはずもない。

このやり方でどこまでいけるのか・・・・・
オスカルが精神的にもつのかどうか・・・・・・・・・。

昨夜のアランの言葉からして、近いうち事件は起きるだろう。


  

4月2日

昨日の今日で様子見というところか、意外に隊員たちはおとなしい。
オスカルに負傷させられた男だけが終始目をぎらつかせ、ひどい悪態をついている。
悪い予感がする。
耳を澄ませ 目を見開け!


午後、パリ特別巡回のメンバーに選ばれる。
これまではあえて足を踏み入れなかった最下層地区にまで警戒網は広がり、人手も足りない。

パリの風景が、日毎に変わる・・・



廃墟のように荒れ果てた街並みを、今日は清涼な風が颯爽と吹き抜ける!

オスカルは・・・・・・青が とても似合う。


  

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「・・・・・不思議と、わくわくするな」


目は文面を追いつつ、複雑な笑みを浮かべている。
衛兵隊入隊と同時に新しくした日記の冒頭に、宣するように大きく書いた“運命のひと オスカル”の文字を指でなぞりながら、当のオスカルは呟いた。



「これを・・・誰かにこっそり読まれたらとか、そういう事は考えないのか?」

「士官学校に通う子供じゃあるまいし、ひとの寝床にまでわざわざやって来てこんなものを盗み見しようなんて、そんなお節介な奴は此処にはいないよ」

おどけながら俺がそう答えると、オスカルはクスッと笑い「そうか」と微かに頷いた。

「それに、まぁ・・・読まれて困るようなもんでもないしな」

「・・・・・・・・・」

「片想い日記ってとこかな?きっと読んだ奴の方が恥ずかしくなって、困るんだろうな」

言ってみて、少し照れ臭くなった。
なんせロマンスに縁のない連中だから。
さすがにもう“隊長のスパイ”ではないにしろ実際ここで俺が周囲からどう思われてるのかなんて事は分からない。身分違いの不毛な恋に身をやつす哀れな従僕か、逆にこんなご時世にもまだゆらゆらと叶わぬ恋愛感情に漂っていられる気楽な男なのか・・・・・

アラン、そう、あいつなんかは自分から詮索しておきながらいつだって話の途中で笑い出すじゃないか。


小さく深呼吸をする。
それから目を閉じて、日記をめくる微かな紙の音と傍らの静かな息遣いに耳を澄ます。
ふと オスカルの細い腕に肩を抱かれ、ふわりと香しい温かさを感じたかと思うと、頬に愛しい人の唇が触れる。


そうだな・・・どうせなら、最後の頁では思いっきり自分で自分を讃え、心ゆくまで幸福に浸ってみるのもいいかもしれない。



オスカルに出逢えた幸せに。
オスカルを愛し続けた幸せに。
そして今、こんなにもオスカルから愛されている幸せに・・・




 ‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥


頁が進むにつれ明らかに乱れ心許なくなる文字が、視力の低下をはっきりと物語っていた。
絶望と希望と、焦燥と諦観と・・・彼の心の動きが時折激しく波打つように認められている。
そしてアンドレが日々紡いだ揺れ動く文字の狭間には、いつも私がいた。
彼は消えゆく光の中で、私を・・・私をいつも、見つめていた。


どうしようもない程 止めどなく溢れ出す熱い感情のままアンドレにすがりつく。
今更ながら愛しくて、もどかしい程に愛しくて、ともすれば泣いて崩れ落ちそうになる弱い自分と闘いながら・・・・・・。


「アンドレ、愛してる」

そっと頬に口づける。

“オスカル”・・・私の名前を呼ぶその声が、遥か昔・・・出逢う前から好きだった。

“オスカル、愛しているよ”・・・無理をして耳を塞いで来た一言が、今はこんなにも胸をときめかす・・・

“オスカル、俺も心から・・・お前を愛しているよ”


美しいメロディーのようなアンドレの声を聴きながら、心地良さに瞳を閉じる。
懐かしい香りをした貴方の頬の上を私の唇は静かに滑り、やがて唇同士が至福の出逢いを果たす。
軽く抱き上げられ寝台に腰をおろすと大きな安堵感に包まれた。

髪を梳る甘やかな指の動きとゆっくりと優しくはむようなキスがいつまでも、いつまでも続けばいいと・・・夢中でアンドレの肩を引き寄せる。



うっとりと夢見心地で過ごすひと時に束の間の安らぎを感じても、時は流れる。
残酷な朝の光が窓辺からじりじりと忍び寄り、やがて夢は醒めてゆく―――




1789年、7月13日。
私たちは、運命の扉の前にいた。
 


 ‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥


「これの続きは・・・どうする?」

オスカルが残り少ない日記帳を広げながら呟いた。
口づけの甘い余韻の中、正直、俺にはもう必要ない。そう思った。
暗闇の中で独りペンを走らせていたのは昨日の話。
今は・・・・・光のもとで、正々堂々と「愛している」と叫びたい。


そうさ、時代なんて変わっても、変わらなくても―――
俺はオスカルだけを愛している。




「アンドレ・・・?」

「片想い日記は、もう・・・終わりでいいよ」

そう告げるとオスカルは微笑んで「では、新しいものを・・・今度は二人で書こう」と、耳元で優しく囁いた。

「え?・・・」

「夢を書こう。二人の・・・これから叶えたい夢を、全部」

「お前の夢か・・・・・待ち切れないな。今すぐに聞きたいよ」

「待て。アンドレの夢を聞くのが先だ」


オスカルが突然スッと立ち上がる。

気の短さでは俺をはるかに上回る彼女はいつの間にか日記帳を小脇に挟み腕を組んだかと思うといつもの隊長らしい格好で俺をすっかり見降ろしている。
おかしくなって思わず吹き出した。

「そうだなぁ・・・夢というか、先ずはこの幸せをおばあちゃんに知らせたい」

何故だかオスカルは目を見開いて満足そうに頷いている。

「驚くだろうなぁ・・・。なんて言うだろう?怒るか、喜ぶか、とにかくショックで寝込んだりしてな」

別にふざけて言ったつもりはなかったがオスカルは一瞬顔をしかめ、何故か日記帳で頭を軽く小突かれた。その後、どんな楽しい想像をしているのだろう。「ばあやは別に驚かないさ」と、クスクスとくすぐったそうな笑い声のオスカルは何やら意味ありげに俺の顔を覗き込む。そして、「それとアンドレ、怒られる時は一緒だ」 そう言って子供の頃のように俺の手を取り、ぎゅっ・・・と力を込めた。




「で・・・オスカル、お前の夢は?」


優しく微笑みながら私を見上げる瞳にとくんと胸が高鳴った。
同時に身体の奥から込み上げる慟哭のような甲高く響く自分の声を聞く・・・

覚悟を決めたつもりでいた。
もう思い残すことはない・・・自分は救われたのだと、思っていた。
だがどうだろう?ひとたび肌が触れ合えば全身でアンドレを求める私がいる・・・
見つめ合えば更に深くアンドレを愛したい欲求に駆られ、激しく身悶えする自分がいるではないか・・・!

失いたくない!失いたくない!!美しい・・・素晴らしい・・・この時を・・・・・



遠くなりかけた意識の中、アンドレの声がする。


「オスカル、叶えたいんだ。お前の夢を」


『嗚呼、この一瞬が・・・この一瞬が、永遠に続きますように・・・・・・!』


精一杯心の中で叫んだ言葉、それは愛する人には到底届けられるはずもなく、一粒の涙となった。




「あ・・・すまん・・・アンドレ」

限りある時間を泣いて無為に過ごすなど愚かなことだ。
我に返り慌てて夢について想いを巡らす。

夢 ―――――

自分の人生には無縁のものだと とうの昔に切り捨ててきたもの。
ぼんやりと脳裏に浮かぶベールの揺らめき、色鮮やかな花束と澄んだ空気の心地よさ・・・・


「私の、私の夢は・・・今日の戦いが終わったら、その時に聞いてくれるか?」


「分かった。楽しみだな」

温かい大きな掌で私の両手を包み、アンドレは少年のように高揚した表情で嬉しそうに笑って そう言った。





“オスカル・・・オスカル、愛しているよ”


アンドレの奏でる美しいメロディーのようなその呼び声に、いつしか教会の鐘の音が優しく重なって聞こえ出す。


そうだ・・・私の夢は、どこか遠く・・・白い花びらの舞う平和な世界の片隅で・・・・・!




<つづく>





第38話「運命の扉の前で」 ~蜃気楼③~



朝もやの漂う庭先から小鳥のさえずりが聞こえ出す頃、一日が始まります。
思えばこのお屋敷に御厄介になってもう半世紀近く、その間 自分なりに精一杯心を込めてお世話をして参りました。
ジャルジェ家の名のもとに、関わったすべての事が愛おしく、今はただただ感謝の想いでいっぱいでございます。

あぁ・・・今朝の小鳥の様子が普段と少し違うのは、孫のアンドレが居ないせいだと思います・・・いつもはあの子が薄暗いうちに餌を用意してやっているもので。
今朝は空の餌台の周りでしきりにあの子を呼ぶ小鳥たちの声が・・・私には、そう聞こえるんでございますが、どうにも切なく響いております。


昨夜のことがあって、旦那様は勿論、お屋敷中の者が一睡も出来ずに迎えた朝でございます。
誰も口にせずとも、はっきりと分かっているのでございますよ。
もう、あの二人は・・・お嬢様とアンドレは帰っては来ないのだと。


生真面目で頑固でお優しいお嬢様が残してくださった手紙は2通。
1通は旦那様宛に・・・お嬢様のことですから、いろいろと考え抜いたあげくに、あのような短い簡素な文面に至られたのでありましょう。その心中をお察しするにつけ、張り裂けんばかりに胸が痛みます。
旦那様は・・・旦那様は、一文字一文字の意味を噛み締めながら、これから長い年月をかけて、最愛のお嬢様とようやく親子の対話をされるのだと思います。心の中で・・・

手遅れかとお思いですか?
いいえ、どんなことだって遅過ぎるってことはありませんよ。
大丈夫。旦那様のことをお嬢様は、きっと・・・きっと救ってくださるはずです。

もう1通は、ただただ狼狽え絶望に叩き落とされるはずだった私めの為に・・・
年老いて、世に思い残す事など何もない私めの為に・・・・・
なおも思いやりに満ちたお嬢様からの、それは励ましと希望の一篇でございました。


お嬢様が大切にされていた燭台の傍にひっそりと置かれた手紙は、暗がりの中そこだけ光が当たっているかのように輝いて見えました。
清らかな白薔薇の香りが漂うお嬢様のお部屋で、それが私に書き残してくださったものだと、直ぐにそう思いましたのは手紙に一輪のマーガレットが添えてあったからです。
私の好きな花、なんでございますよ。
お小さい頃にはアンドレと二人で、よく摘んで来てくださったものです。
涙と共にたくさんの思い出が溢れ出すかのようで・・・どうしてまぁ年寄りにこんな辛い思いをさせるのかと、しばらくの間 声を上げて泣きました。
それから手紙を開封して・・・気のせいでしょうかね、涼やかな風を感じました。

お嬢様がすぐ傍にいらっしゃるような・・・。




愛するばあや
どうか泣かないで。

自由な心で、私は行きます。

あなたと過ごした日々に感謝しています。
たくさんの優しさをありがとう。
アンドレとの出会いをありがとう。

彼を、心から愛しています。

私たちはこの幸せを、あなたに一番に伝えたい・・・

いつも二人で、あなたのことを想っています。




それはそれは美しく丁寧に認められたその手紙は文面以上のことを物語っておりました。
恐れ多いことでございますが・・・やっと、やっと、二人の想いが通じ合ったのだと、私はもうホッとして・・・・・ええ、ええ、その後はもう号泣でございましたとも。

泣くなと申されましても お嬢様、それは無理な話でございますよ!

あ・・・、外の小鳥たちがしびれを切らして窓ガラスをつつき始めたようですねぇ?
そろそろ餌をやりませんとね、一日が始まりませんもの。
それに、旦那様のご様子も見て参りませんと・・・、夜通し肖像画を眺めていらっしゃったはずです。ええ、貴方がお描きになった肖像画です。

ご心配はご無用です。肖像画はあのままで・・・。
それで・・・こちらがお忘れになったパレットです。
後で屋敷の者に届けに行って貰うつもりでしたのに、わざわざすみませんねぇ。

それにしても・・・ずいぶんと朝にお強いんですね?
ま、もっとも、年を取ると自然と目が覚めてしまいますけどね?

おやまぁ~私ったら長々と話し込んでしまって、お引き止めしてすみません・・・なんだか久しぶりに誰かとお喋りしたくなりましてねぇ・・・・


ありがとうございます。アルマンさん。
私はね、今・・・とっても不思議な気分なんですよ・・・・・・哀しくてたまらないのに、幸せなんです。




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選り抜きのエリートであるはずの目の前の軍人は、今は全身にひた走る動揺を隠そうともせず不安げに瞳を曇らせ唇を震わせている。

時刻は午前8時30分。
私の突然の訪問にはさすがに驚いた様子のジェローデル大佐だったが、場違いな私のこの服装に対し何かを指摘する等ということはなく、それどころか私がこの場にいる理由についてさえも、彼は何ら問い詰めようとはしなかった。

アンドレ・グランディエが残した日記。
彼は固唾を呑んでそれを見つめている。
今朝、私を除くB中隊全員がパリへと出動した後に、司令官室で見つけたものである。いや、見つけたというよりは託されたもの・・・そう信じて、ジェローデル大佐のもとへやって来た。


オスカル・フランソワという一人の女性を介して長いこと密に関わって来たような、そんな錯覚にも似た不思議な連帯感が我々の中に生まれたのはつい最近、1年程前のことである。 それから僅か数回のやり取りの中で、思いがけず深い部分で互いの挙止進退を観察する事になろうとは。



ひどく感傷的で、苦く、果敢ない、軍人にあるまじき感情を我々は共有していた。

何も言わず端正な横顔に苦悶の色を浮かべるジェローデル大佐。
苦しみの淵にいる彼に、今の自分ならば救いの手が伸ばせるのではないか?

私が安堵したように、私が解き放たれたように・・・・・。

そう信じて、ジェローデル大佐のもとへやって来たのだ。



我々は軍人である前に人間である。
拠り所なしには生きてはいけぬ・・・
暗闇の中、一条の光を掴まんと必死にその手を伸ばす、かよわき人間である。





「ダグー大佐、教えて欲しい・・・・・・あの方は・・・あの方は どうされたんだ?」


遠い過去の出来事でも思い出しているのだろうか?
消え入りそうな声で、ジェローデル大佐が尋ねる。




「隊長としてではなく、妻として、闘いに身を投じるのだと・・・そうおっしゃって衛兵隊を去られました」

「え・・・?」

「夜が明けきらない、早朝の出来事でして。隊員たちの前でそのように・・・まぁ、常日頃から耳を疑うようなことをおっしゃる方ではありましたが。貴方も、それはよくご存じでしょう?」

詮索するような口調にはなるまいと努めたつもりではあるが、ジェローデル大佐の眉がピクリと動く。余計な気遣いだと拒絶されるに違いないが俄かに同情めいた複雑な想いが込み上げる。
そんな私の様子を窺うようにジェローデル大佐は静かに日記帳を手に取ると、早くも心得たとばかりに2、3度軽く咳払いをしてみせた。


「そういう事ならば・・・いっそう疑問なのだが、これを私にどうしろと?」

怒っているのか困惑しているのか、あるいは私の心境を懸命に読み取ろうとしているのか、ジェローデル大佐は私の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと言葉を繋げる。

「恐らく、すべてはご想像の通りだとして・・・ならばこれは私にとっては耐えがたき恋敵の日記帳ということになる」


ジェローデル大佐の苦言に思わず頷く。
すると間髪入れずに”悪趣味めが”と、冗談とも本気ともとれぬ鋭い視線が飛んで来て、不謹慎ながら吹き出した。
無礼千万な私のこの態度を横目に口元がほころびつつある大佐が憎からず思え、何ゆえかじくじくと胸が締め付けられる。


「いかようにでもご処分くださいと先程申し上げましたが、その前にどうか・・・どうか最後のページだけでも、ご覧になってください」

私の、もはや懇願と言ってもいいくらいの進言に応え、ジェローデル大佐は静かに表紙をめくり日記に目を通す。


“運命のひと・・・・・”
唇が微かに動き、続いて小さく・・・小さく、大佐は「オスカル」と呟いた。


時折 指で文字を追いながら、眉間に皺を寄せ、自分が関わった箇所でも発見したのだろうか息を殺していたかと思うと次の瞬間深い溜息をついている。日毎に頼りなく乱れてゆく文字を、大佐はどう理解したのだろうか?
定かではないが、無言でページを繰るその様子に一通りではない感情の動きが見てとれた。


「もう ほとんど見えなくなりかけた俺の右目で・・・・・・」

憎き恋敵が書き残した最後の一行を声に出し読み上げるとジェローデル大佐は瞳を閉じ、無力さにひずむようガックリと首を垂れた。



「続きがあるのです」

私の一言に頭を上げたジェローデル大佐が日記帳をパラパラとめくり、裏表紙の見開き部分に目を留める。


「今朝の隊長ですが、実にお幸せそうでした。なんと言うか・・・言葉が出て来ませんが、私は不覚にも妻を思い出しまして、このような非常事態のさなか大変恐縮ではありますが休暇を頂き、今日は妻の墓参りに行こうと思います」



私の言葉を聞いていたのかどうか・・・・・
ジェローデル大佐は日記帳の最後のページをじっと見つめながら「良かった」と呟き、微笑んだ。

次の瞬間、微笑みは慟哭へと変わる。


「守ってやりたかった・・・出来ることなら私がこの手で、守ってやりたかったのだ!」


感情が堰を切って溢れ出したが如くに肩を震わせ、ジェローデル大佐は泣き崩れた。


「・・・残念ながらその資格は私には無かった、しかし・・・私にしか出来ないこともある。私でなければ引き受けられない事もある!他の誰にも負けぬ・・・連隊長と私の間には軍人として、特別な絆がある。そう自負している」


突き刺さるような、男の叫びだった。



涙を拭い、椅子を鳴らして立ち上がるとジェローデル大佐は「国王陛下とマリー・アントワネット様は私が必ずお守りする」ただそう一言 言い残し、近衛連隊の執務室を後にした。




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1789年7月13日

この世に生を受けた幸せに
あなたと出逢えた奇跡に
すべてに満たされ限りない喜びの中、いま私は生きています。
勇気と愛を、ありがとう。

いつでも、いつまでも、あなたを信じ
あなたを愛し続けます。

オスカル・フランソワ