アニばらワイド劇場
(第37話)
第37話「熱き誓いの夜に」 ~隊長~
1789年7月12日 朝
昨日、大蔵大臣ジャック・ネッケル氏が罷免された。
そして愛国者虐殺のデマが飛び
民衆が武装を開始した。
パリにもう昼と夜の区別はない。
人々は棒を持ち、ナイフをかざし、路地裏を走り回る。
パリに集められた10万の軍隊がかがり火を焚き、市民を怒鳴りつける。
混乱 そして疑惑・・・
これが新しい時代への胎動なのだろうか・・・
輝ける明日の為の何かなのだろうか・・・?
・・・わからない
わからないが見つめよう。
この時代の節目を、俺の右目で・・・
もう、ほとんど見えなくなりかけた俺の右目で・・・
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早朝の厩舎にやって来たアンドレはその懐かしく優しい匂いを嗅いで先ずはホッと息をついた。
初めて此処へやって来た時にはあまりの環境の悪さに絶句したものだが今ではだいぶ改善され、穏やかな表情を浮かべる馬たちのコンディションも以前と比べて格段に良くなっている。
軍馬の調教、管理にあたっては陸軍による専門の機関が存在し、馬それぞれには担当の馬丁が付く習わしがある。よって遠征や戦闘時といった例外を除いて、兵隊自らが普段これらを一対一で世話することは無い。
だが、アンドレは違っていた。
職業柄という味気ない言葉では説明できない生き物に対して特別な情のようなものが彼には生まれつき備わっていた。
暇をみつけては衛兵の厩舎へ足を運び、掃除をし、触れ合いコミュニケーションを図ることによって少しづつ信頼を勝ち得ていったのかアンドレの気配を察知するやいなや馬たちは一斉に彼の方を振り向いた。そして各々が甘えるように鼻を鳴らすと尻尾を振り回し精一杯歓迎の意を表した。
「よぅ!おはよう」
明るく声をかけ厩舎の中に入るアンドレを見て、真っ白な馬が一番長く首を伸ばしヒヒ~ンと誰よりも甲高く嘶いた。
「よしよし、いい子だ。おまえ、今日もご機嫌だな」
アンドレは干したての柔らかい藁をつかむと、それで馬体全体を丁寧に撫でながら優しく語りかけた。すると白馬は輝くようなたてがみを揺らして満足そうに目を細める。そして顔をすり寄せ、まるで鼻歌でも歌うかのようにリズミカルにフフンと鼻息を鳴らすのだった。
白馬はしばらくのあいだ気持ちよさそうにしていたが、その日は動揺から来るほんの少しの手加減の違いから、アンドレの心に暗い影を落とす物の存在に気が付いたらしい。
突然、白馬はピタリと動きを止め、彼の顔をじっと覗き込んだ。
「・・・やれやれ、俺の方がおまえに観察されてるみたいだな」
笑いながら鼻面を撫でる男の仕草に白馬は再び目を細めたものの心配そうな様子は変わらず、ゆっくりと向きを変えると頭をアンドレの肩に擦り寄せた。
「おまえは知ってるのか?・・・オスカルは、何を隠しているんだろうな・・・・・」
消え入りそうな声で尋ねるアンドレに反応したのか白馬は耳を小刻みにクルクル動かしたかと思うと、視線を泳がせ ぶるると短く唸ってみせた。
「あ・・・ごめん、ごめん。大丈夫だよ。たとえ何があろうが、大丈夫だ、オスカルは」
鼻面を優しくぽんぽんと叩きながらアンドレは明るく微笑んだ。
それに安心を取り戻したのか、白馬は上下に首を振って、再び厩舎に響くよう大きくヒヒ~ンと嘶いた。
「あ・・・アンドレ、おはよう」
人の気配を感じ振り向くと小柄な男のシルエットが目に入った。
逆光で眩しく姿を確認できなかったが、声を聞いてそれはラサールだとすぐに分かった。
厩舎で作業をしていると何故か彼に出くわす事が多い。
というより、意識して此処に足を運んでくれているのだろうなとアンドレは思った。
最初の頃、一連のこの行動を不審な目で見られた時に、ラサールに話したことをふと思い出す。
「軍隊が力を発揮する為に馬の存在は大きい。機動力と突撃力、馬の健康状態は仕事の質に直結するんだ。だから、すみずみまで丁寧に観察し、優しく接してやらなきゃならない。まずは馬との信頼関係を築くことだ。そぅ、はっきり言って騎兵隊ともなると軍の良し悪しは跨る人間以前の問題だ。そこで、腕のよい馬丁は優遇される。何より、馬に好かれるようになるとな、楽しいぞ、ラサール」
アンドレの発言に目を丸くしたラサールは馬丁という単語に大いに引っかかったようだが、以来何かと手助けしてくれる場面もあり、今では立派な奉仕活動家として馬たちからの信頼も厚い。
動物が好きなのだろう。かなりきつい、しかもこれは時間外労働である。報酬が目当てでない以上彼は馬という生き物が好きなのだ。
一頭一頭に名前をつけ、語りかけ、体を撫でながら生き生きとして来るラサールを眺めながら、いつしかアンドレもなんとも言えず穏やかな気持ちに包まれていくのを感じていた。
逆光に目が慣れ、ラサールの姿が確認できるようになると、ぼんやりとだったが彼の複雑な表情が目に入った。
ふいに、胸が苦しくなり堪らなくなる。
きっとラサールも辛いのだろうな・・・と、アンドレは思った。
明日明後日には俺たちB中隊にも出撃命令が下るだろう。
その時は、こいつらにも、残酷な運命が待っているのだろうな・・・・・
「アンドレ、隊長の馬と 本当に仲がいいんだね・・・」
思わず吹き出した。
・・・なんなんだ?表情からしてもっと深刻な話があるのかと思ったら・・・ラサール、おかしな奴だ。
「あ、あぁ、長い付き合いだからね。気心が知れてるっていうか・・・・・」
「ごめん、変なこと言って・・・。あの、俺もさ、隊長の馬、・・・最近やっと、ブラッシングしても嫌がられなくなったんだ!」
気のせいか若干目を潤ませながら叫ぶラサールを見て、とうとうアンドレは笑い出した。
「それは・・・出世したなぁ、ラサール!けっこう気位が高いんだ、こいつは。なかなか人に気を許さないんだけど・・・なぁ、代わろうか?」
持っていた藁を脇に置いてぱんぱんと手を払うとアンドレは白馬をぐっと引き寄せ、小声で何かを囁いた。白馬が耳をピクンッと動かし、ぶるっと鼻を鳴らす。
「じゃ、ラサール、続きを頼むぜ。愛情込めて、念入りになっ!」
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「それで、なんて言ったんだ?」
A中隊がパリへと出動し静まり返った兵舎内をアランとラサールはぶらぶらと歩いていた。
やがて練兵場にやって来ると足を止め、大きく伸びをしたアランがボソッと呟く。
「・・・こんなに広かったかねぇ・・・」
深呼吸とも溜め息ともつかない大きな息を吐きながらアランは練兵場をぐるっと見渡した。そして寂しそうに笑いながらその場にしゃがみこむと小石を拾い、空へ向かって放り投げる。まるで空中へ吸い込まれるように、投げた小石は一瞬姿を消して、やがてコツンと微かな音だけを残して練兵場の地面に消えた。
「よぅ、で・・・アンドレの奴はなんて言ったんだよ?」
興味があるのか無いのか微妙な顔つきでアランは振り返り、上目遣いでラサールを眺めると意味ありげにニヤリと笑った。
「あぁ・・・殆ど聞こえなかったんすけど・・・・・たぶん、その・・・『おまえのご主人様のことが好きなんだろうな、きっと』って・・・」
「なんだって?」
背中を丸め、うつむきながらボソボソと話すラサールがおかしかった。
わざと聞こえなかったふりをしてからかうと真っ赤になって黙り込んじまった。
こんな時に・・・幸せな野郎だ。と、しみじみ思う。
なんて言うか・・・不思議な女だ。
どうしてか知らねえが、突然胸をかきむしられるような気がして・・・泣きたくなった。
「・・・お・・・ラサール、来たぜ。白馬のご主人様がよ」
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陽射しの中、ゆっくりと歩いて来た隊長は何故だかとても穏やかな表情をしていた。
B中隊にやって来てすぐ、此処で見た決闘は、隊長が圧倒的に強く、恐ろしかった。
でも・・・同じひとなのだろうか・・・あの時の隊長と、いま目の前にいるひと・・・・・
本当に、同じひとなのだろうか・・・・・?
ドキドキとどうしようもなく高鳴る胸の鼓動に気付かれそうで、今は、ただそれが怖かった。
「何をしている?こんなところで」
「・・・別に。手持ち無沙汰でよ。なんとなく」
隊長の問い掛けに班長は笑いながらそう答えると、すくっと立ち上がってもう一度大きな伸びをした。
「パリは一触即発の状態だってのに、静かなもんですよ。ベルサイユの連中は今頃なに考えてんのかねぇ・・・いつもと変わらず狩りに舞踏会ですかね?俺たち弾除けは明日をも知れねえ運命だってのに・・・ねえ、隊長」
班長のやや意地悪な問い掛けに隊長は静かに目を伏せると、小さく「そうだな・・・」と呟いた。
「私は、やり残したことはないか・・・今それを大急ぎで考えているところだ」
隊長の思いがけない一言に班長も俺もビクッとなった。
“やり残したこと”・・・・・それはとてもとても深刻な響きをもって、俺たちの胸を貫いた。
「二人とも、無為に過ごしていい日はないぞ。・・・と言っても、待機の状態ではな・・・明日に備えて、よく体を休めておいてくれ」
絶句し動けずにいる俺たちにかすかに微笑んだかと思うと、隊長はすっと姿勢を正した。
コツコツと凛々しい踵の音を響かせながら、視界から消えてゆく隊長・・・
遠ざかってゆく隊長を背中で感じていると、ふと立ち止まる気配がした。
そして「そうだ・・・、アラン!」と、隊長は振り向いて、班長に呼びかけた。
「・・・え?なん、なんですか・・・?」
狼狽する班長の元に戻って来た隊長はゆっくり静かな口調でこう言った。
「アンドレの入隊時に、手を貸してくれたのはおまえか?」
「うん?あー・・・、おう、そうだよ」
隊長は班長を見つめ、やがてにっこり笑ったかと思うと、こう言った。
「そうか・・・ありがとう、アラン」
真っ直ぐな瞳で、いつになく丁寧な物腰の隊長に、俺は『ああ・・・・』と思った。
“アンドレに、私が呼んでいると伝えてくれないか” そう言って去って行った隊長の後姿をじっと見つめて、班長が呟いた。
「おぅ・・・・・可愛いじゃねえか・・・・・・なぁ、ラサール」
俺は、俺は、・・・悔しいのか、寂しいのか、嬉しいのか・・・・・
分からないけど、とにかく、とにかく涙が一気に溢れ出て、たまらなかった。
「・・・班長、今さら気が付いたって、お・・・遅いっすよっ~!!」
練兵場の乾いた地面に、俺の精一杯の叫びと涙は空しく・・・
だけど優しく・・・優しく、染み込んだ。
第37話 「熱き誓いの夜に」 ~木漏れ日~
1789年、7月12日 フランス衛兵隊 兵舎。
A中隊に続いていつ出撃命令が出てもおかしくない状況の中でB中隊の宿舎は朝から重苦しいムードに包まれていた。
家族に手紙を書こうとしつつも溜め息ばかりついてうな垂れる者。上の空でトランプ遊びに興じる者。布団に潜って震える者。
不自然な静寂の中で堪らない焦燥感に苛まれるも、残された時間に何をしたらよいかは分からない・・・じりじりと過ぎる時間の中で心ばかりが疲労する感覚に宿舎の誰もがぐったりしているようだった。
「よう!」
扉が開いて隊員の一人ルイ・マローが皆に声を掛ける。そしてさも珍しい光景を目撃したと言わんばかりの興奮した面持ちで仲間を見渡した。
「なんだか知らねえけど隊長がさっき司令官室の窓から飛び出して来てよ。よっぽどの非常事態なのかと・・・・・」
「なんだと!隊長が窓から?・・・おい、テロリストでも侵入したんじゃ・・!?」
ルイが話し終わるのを待たずにジャンが叫ぶ。
澱んだ空気を切り裂くように緊張感が走り、隊員たちは顔色を変えて一斉に立ち上がった。
だが、ルイは緊急事態を知らせに来た様子ではなく、それどころかニヤニヤと笑っているので、一堂は顔を見合わせ、再び腰を下ろし、怪訝な様子でルイを眺めた。
「なんだってんだよ?隊長がどうしたって?」
「だからよ、突然司令官室の窓から飛び出して来たんだよ。ぴょーん!てな」
「・・・あん?・・・猫でも追っかけてたのか?」
ピリピリしたムードが急速に緩んで部屋のあちらこちらでクスクス笑いが聞こえた。
「いやそれが、追いかけてたのは猫じゃなかった」
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歩哨の交代時間にはだいぶ早かったが部屋で油汗かいてるよりかは外に居るのがいいだろう。そう思ってルイ・マローは独り、兵舎内をぶらぶらと歩いていた。
戦闘装備を整えパリへ出動せよ・・・かぁ。
とうとう火の海になっちまうんだな・・・・・・。
どうかしてる・・・ったく、花の都パリが泣いてるぜっ!!!
眉間に皺を寄せブツブツ言いながら歩いていると、窓ガラスの軋む音が聞こえ、ギシギシと開いた僅かな隙間から人が飛び出して来るのが目に入った。
隊長だった。
あまりに非日常的な光景だったので最初はピンと来ずに「そうか、あそこは司令官室か」等と呑気に構えていたルイだったが、上官が何やら慌てた様子で傍らをすり抜けて行くのを見て、ようやく「はっ?」となった。
「た、隊長・・・どうかしたんですか!?あの・・・ちょっとー・・・」
ルイは振り向いて声を掛けるもオスカルは広場の方へ向かって駆け出していた。
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「・・・でな、興味あるだろ?俺も当然、後を追ったわけよ。そしたら、建物の陰に隠れながら深呼吸を繰り返す隊長がいてよ。で、いよいよ何事かと思ったら・・・その後、アンドレの奴といい感じだったわ」
何やら得意そうに話すルイの様子に怪訝そうな顔を益々しかめてジャンが尋ねた。
「あのよ・・・窓から飛び出してって・・・何か?こんな時に隊長とアンドレは追いかけっこでもしてたって言うのかよ?」
「そんなわけねーだろが!!いい感じだったって言ったろ!?事情は知らねえが、先回りした感じだったなぁ」
何故か自分のことのようにムキになり、ルイは続けた。
「それでさ、“供をして欲しい たまにはな”だとよ。こんな感じで手まで握っちゃってさ。羨ましいこったね~・・・夢のまた夢のそのまた夢だけどよ、俺もあんな風に誘われてみたいもんだね。って、今までそんなこと考えた事なかったけどよ・・・へ、へへへ・・・むしょうに、こぅ、熱くなっちまったぜ。この辺がよ・・・・・」
うっとりとした表情のルイはジャンのごつい手をぎゅっと握り自分の胸に当て、果敢なげに溜め息をついてみせた。
ジャンはくすぐったそうに「けけけっ」と笑い、片方の手でルイの頭を小突くと「気持ちわりぃから止せやい!」と怒鳴った。
やがて大きな笑い声がして、口々に呟く声が聞こえた。
「何がなんだか分からねえけどよ・・・」
「そもそも隊長はなんで窓から出入りしなきゃなんねぇんだろな・・・?」
「おぅ。思えば最初っから、分からねえんだよな、あの二人」
「けどよ、いい感じなら、・・・まぁ良かったんじゃねえか!?」
チラチラとお互いの顔を確認しながら不思議と和やかなムードに包まれ、隊員たちはそれぞれホッと息をついた。
「あれ・・・?特ダネだと思って張り切って知らせに来たのによ・・・アランとラサールはいねえのか?」
くるくると部屋の中を見回して、ルイは「ちぇっ」と小さく舌打ちしてみせた。
「ところでルイ、おまえ隊長の後つけて聞き耳立ててたのかよ!まったくデリカシーの無い野郎だな、こら!」
首根っこを太い腕でがっしり押えられ苦しそうに笑うルイにジャンは柄にもなく説教を垂れる。そして、その後苦笑いしながらそっと耳打ちをした。
「おい、今のな、アランはともかく・・・ラサールには、ちとショックな話かもしれねえぜ?」
なんとも言えず穏やかな雰囲気に包まれた部屋の窓を、誰からともなくギシギシと鳴らし全開にする。
「さぁー、換気だ換気だっ!!」
叫んだ兵士一人ひとりの顔に明るい夏の陽射しが降りかかる。
気持ちがほんの少し、前向きになった瞬間だった。
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心地よい夏の風に吹かれてオスカルは目を閉じた。
瞼に残る景色は明るい。ふと、懐かしい声が聞こえて、馬の足を止めた。
「アンドレ、少し寄り道して行こう」
振り返るとアンドレは笑って「いいよ」と答えた。
丘の上に広がる花畑は燦燦と輝く太陽に照らされて素晴らしいグラデーションを描いている。誰が手入れをしているものか見事な程に咲き乱れる花々は毎年少しづつその色合いを変えながら季節を彩り、オスカルの心を和ませていた。
造り込まれたベルサイユの庭園とは違う自由な息吹に全身を包まれ、オスカルは再び目を閉じる。
鳥のさえずりと重なって耳の奥に微かに響くのは遠い過去の“声”だった。
オスカルは涼しい風が吹く木立に馬を繋ぐとアンドレに近寄り、小さな、小さな声で「眩しくはないか?」と尋ねた。
アンドレは相変わらず笑顔で、自分も馬を繋ぐと大きく深呼吸をし「気持ちいいなぁ」と呟く。そして太陽を掴まんばかりの大袈裟な仕草で伸びをした。
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「供をして欲しい。たまにはな」
オスカルは笑いながら「屋敷までの道はもうひとりでは物騒だからな」と続けた。
俺の手を取り、いつになく明るく振舞うオスカルを感じて、ある暗い予感が脳裏をかすめた。だが咄嗟に、俺は気付かない振りをする。
おまえと、肌が触れ合うのはいつ以来だろう・・・・・
子供の頃とは違う、おまえの複雑な事情を含んだ笑い声が切なく響いて胸がズキッと痛んだ。
こんな時は・・・何も聞かず、抱き締めてみたらどうだろう・・・?
名案だ!と一瞬思うも、思い留まることにした。
「・・・どうしたんだ?珍しいこと言って」
精一杯自分を抑えて・・・手を握り返すに留めた俺は何故だか妙に照れ臭くて、せっかく傍にいるおまえの瞳を真っ直ぐに見つめることが出来なかった・・・。
オスカル・・・どうした?何があった?今、どんな気持ちでいるんだ・・・?
声に出して訊くことが出来ればどんなにいいだろうと思う。
そして、きっとそれは・・・おまえも同じだ。
お互い、こんな大人の対応、出来るようになったのはいつからだろう・・・?
俺たちの複雑な笑い声が重なって消えて・・・次に訪れた僅かな沈黙の時間が愛しくて、思わず湧き上がった感情をぐっと堪える。
「・・・頼られるのっていいな」
重ねた手にぎゅっと力を込める。
優しく笑うおまえの顔を覗き込んで「誰が襲って来ようが俺がちゃんと守ってやるよ」・・・そう言おうと思って、言葉に詰まった・・・肝心なところで。
やっぱり・・・名案だ!!と思ったのだから・・・
自分を信じて、抱き締めていれば良かった。
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「いい風だな」
アンドレは遠くを眺めながら呟いた。
森を抜け、吹き渡る風は緑の匂いを運んで一層心地よく二人を包み込む。
「この丘から見える景色が好きで・・・あの頃はよく来ていたっけ」
「庭園の花壇を見慣れた私に“もっと綺麗な場所がある”と言っていた。それで初めて見た時・・・」
「“本当だ!”って、おまえ喜んで、陽が暮れるまで走り回ってたっけなぁ」
オスカルはやんちゃっだった昔を思い出したようにクスクスと笑った。
「・・・あの頃と変わらず、此処は綺麗だな・・・・・アンドレ・・・」
少しなら見えるのだろうか・・・?それとも完全に光を失って・・・・・・
アンドレの横顔をじっと見つめながらオスカルは胸に手を当てた。不安で胸が押し潰されそうで、たまらなかった。
「手入れされた薔薇も綺麗だけど、自然に咲く花だからかな・・・ホッとするんだ。この景色を見ると」
「おまえにとって、一番大切な場所は此処か・・・?」
「今のうちに目に焼き付けておきたいもの・・・って意味で言ってるのなら、違うかな」
オスカルはビクッとしてアンドレを凝視した。
罪悪感にも似た感情がじわじわと湧き上がり目を伏せる。心のうちを見透かされているようで言葉がなかった。
「オスカル、おまえだよ」
アンドレは優しく微笑みながらもう一度「おまえだよ」と囁いた。
「もし、今日を限りに光を失うとしたら、目に焼き付けておきたいものはおまえだ」
アンドレの言葉が心に響く。体が熱くなって、それから視界がじんわり滲むのを感じた。
泣いている・・・・・こんな時なのに妙に客観的に、自分を分析してしまうのは何故だろう?
彼を想う気持ちが今にも溢れ出し、駆け寄って、縋り付きたい・・・
なのに、身動きできずにいる私は・・・・・・
「そうだな・・・花に囲まれて想うから今日は特別なのかもしれないが、ドレス姿のおまえを、もう一度見たいな」
ハッとしたオスカルはゆっくりと目を閉じ、両手で顔を覆った。
「とても、綺麗だったから・・・・・・・」
違う・・・違う・・・違う・・・・・・アンドレ、それは・・・・・・・
他の男性の為に着飾ったのだ。そんな私の姿など・・・・・そんなもの、思い出して欲しくはない・・・・・・
「・・・なぁオスカル、俺なら大丈夫だ。・・・何も、心配しなくていいよ」
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「見てごらんよ、オスカル?綺麗だろ!?」
目の前いっぱいに広がる花畑を見て目を丸くしたオスカルは「わー!!」と歓声を上げて馬車の窓から飛び出した。
扉を開閉する為の蝶番はとても固くて僕たちでは開けることができなくて・・・だから、オスカルは窓からぴょーん!と飛び出した。
仰天し「なんてお行儀が悪い!」と叫ぶおばあちゃんに手を振ると、木漏れ日の中、オスカルは軽々と立ち木を飛び越え、走って行く。
オスカル、君に見せたかったんだ。
一面に咲いた色とりどりの花の美しさを・・・
初めて会った時から世界で一番、大切な君に・・・!!
第37話 「熱き誓いの夜に」 ~軌跡~
完成したばかりの肖像画の前でオスカルは思案にくれていた。
眼前に現れた軍神は見慣れた部屋で異彩を放ち、見る者を静かな高揚感で包み込む。更に、漂う真新しい絵具の香りは適度に刺激的で心地よく、視覚以外でもその肖像画は周囲に十分な存在感を発揮しているようだった。
気が付くと、窓から差し込む光はすっかり夕刻のそれとなり、ガラスに反射した光はオレンジ色の光線となって“私”を照らしている。
人々が去り、独りになった部屋でぼんやりと軍神の姿をした“私”を眺めていると、光線はやがてゆらゆらと揺れ広がって、薄いベールのようにキャンバスを覆った。
ふと意識が遠のいて、瞼を閉じる。
倒れるように椅子に腰を下ろし、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
額にうっすらと汗が滲むのを感じて、にわかに恐怖心が込み上げる。
胸の鼓動が速い・・・・・・どくっどくっと不自然なリズムで脈打つ心臓。今にも悲鳴を上げて飛び出して来そうな感覚に指先が震えるのが分かる。
私は唇を噛んだ。そして固く目を閉じ、激しい発作に襲われ咳き込む悪夢と闘う。
はぁ・・はぁ・・はぁ・・はぁ・・
近付いたり遠くなったり・・・どこかまだ他人事のようだった。
椅子にもたれて天井を見つめていると、ままならない息づかいがどうしようもない焦燥感と重なって、じわりと涙が滲む・・・その感覚で、我が身のことなのだと思い知る。
どのくらいそうしていただろう・・・・?
発作は起こらなかった。
恐る恐る姿勢を正し、呼吸を整え胸を撫で下ろすと静かに目を開く。
先程の薄い光のベールはしばらくの間、煙のようにもやもやと視界を漂い、やがて消えた。
額に滲んだ汗を指先で拭いながら私は目を見開き、鮮明になった“私”を見つめる。
軍神マルスの装束で誇らしげに微笑む自分は他人のようで、やはり・・・それは自分であった。
何もない、白い画布に刻々と描き出される自分を感じながら、考えて来たことがある。
そう長くはもたない、恐らくは半年・・・いや数ヶ月・・・消えかけたこの命が、最期に望むことは何であろう?
これまでも、生命の危機に瀕することはあった。
いま選択した道が破滅へ通じるものだと自覚した上で、何度も私は人生の岐路を通り過ぎて来た。もたらされる結果に、決して悔やみなどしない。
そう・・・誰に何と言われようとも分岐点で私を突き動かしたもの、確かにそれは信念と呼べるものであった。
だがしかし、今、残酷なほど明確に突きつけられた命の期限は私に、微かな困惑と・・・後悔にも似た感情を思い出させている。
病んでどこか弱気になった自分の心が歯痒い。
どうすれば最期に納得できるのか、その答えはとうに分かっているはずなのに・・・。
だが、残り僅かとなったこの身で、これ以上、後に誰かの重荷となるような振る舞いはすべきではないのかもしれない。
そう思う一方で、どうしても押え切れない感情が叫んでいる。
『私を・・・忘れないでくれ。ここに、オスカル・フランソワという人間が居たことを・・・どうか忘れないでくれ』
なんと単純で、しかし切実な私の願いは、目の前の肖像画の完成を見届けたことで一応の安堵感を得ることが出来た。
・・・・一応の、安堵感である・・・。
「軍神マルスとはな。ずいぶんと晴れがましい姿だが、おまえは、それで満足なのか・・・?」
小さく呟いてクスッと笑う。すると絵の中の“私”も気恥ずかしいとみえて、同じようにクスッと笑い返したようだった。
ゆっくり椅子から立ち上がり肖像画にそっと手を触れてみる。
不思議と温もりを感じる滑らかな感触と絵具の懐かしい香りが伝わり思わず数回、深呼吸をした。
そして、何かもの言いたげに私を見下ろす“私”に向かい、問い掛ける。
「アンドレに、見て欲しかっただろう・・・・・?」
いつの間にか溢れ出た大粒の涙がぽとりと一滴落ちて、床を濡らした。
「軍神などではない、本当の私を・・・・・アンドレに、見て欲しかっただろう・・・?」
‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
「オスカル、ワインを持って来たよ!」
ふいに扉が開いてアンドレが笑いながらやって来た。
「秘蔵のやつ。いつ開けるのかと思ってさ。実は前から様子をうかがってたんだ。今夜・・・いいだろ?肖像画に乾杯しよう!」
屈託のない笑顔でアンドレはワインのボトルを高々と掲げた。
・・・・・私の気持ちも知らないで・・・・・。
思わず私は心の中で呟いた。
こんなにも感傷的でいる自分とは裏腹に何故か楽しげな態度でいるアンドレ。
不思議な男だと、今日一日だけで何度思わされたことだろう?
いや・・・いつだって・・・そうだった。いつだって・・・そうだったではないか・・・。
彼の言動ひとつで動き出せたことがあった。
幾度も幾度も、数限りなく・・・その明るさに、気が付けば私は救われて来た。
二、三度瞬きをし、素早く涙を拭うとオスカルは振り向き、精一杯の笑顔で答えた。
「よし!この際だ。二人で飲みきってやろう。アンドレ、一本と言わず、いい酒は全部持って来てくれ!」
‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
「美しい・・・たとえようもなく!輝くおまえの笑顔がこの世の光をすべてその身に集めているかのようだ・・・」
肖像画を前に乾杯をし、何杯目かのグラスを空にした後・・・アンドレは静かに語り出した。
夕暮れの紅い雲が部屋の空気を暖色に染める。
子供の頃のように・・・穏やかに私たちの時間は流れた。
ところが、先程まで賑やかに笑い合っていた私たちの間に沈黙が訪れる。
肖像画の前でじっと佇む彼の背中を見つめる私は、溜まらなく・・・溜まらなく、彼にすがり付きたい!・・・そんな自分勝手な衝動と、それは密かに闘っている時のことだった。
「特に・・・おまえのブロンドの髪におかれた月桂樹の冠が鮮やかだ!」
咄嗟に考える。
ラソンヌ先生に、もし知らされていなかったら・・・今の彼の言葉に私はどう反応しただろう?
知っていても、・・・衝撃だった。
だが、怖くて体が震える感覚を、絶望感に苛まれる苦しみを、夜通し味わった昨夜の経験は・・・今、この瞬間、ほんの少し私を強くしてくれるに違いない。
・・・アンドレ・・・無理をしなくてもよい・・・おまえの目が見えないのは分かっているんだ。その絵の私は、月桂樹の冠などかぶってはいない・・・
彼に悟られてはならない。彼に・・・・・・・
それなのに私は、こうして涙を流し、嗚咽しそうな自分を抑えるので精一杯だ。
気がつけなかった私、振り返らなかった私、無力感にこうして・・・涙を流すばかりの私・・・・・・・
「白い薔薇がひとつ、ふたつ・・・いや、野原一面に!・・・何処の森だろう・・・?そうか、いつか行ったアラスの泉の辺りだ。そうだよな?オスカル」
アラス・・・?
思いがけない一言に懐かしさが込み上げる。
アンドレ・・・?何を見ている?何を感じている?
そうだ・・・・・目で見えるものなら、私が見ればよい。
大切なのは今まだこうして、二人で居られること。
おまえがこんなにも優しく・・・私を想ってくれていることだ・・・。
「・・・そうだよ、アンドレ。画家のアルマンはわざわざアラスまで行ってスケッチをして来たと言っていた」
「素晴らしい絵だ。おまえの優しさ、気高さ、そして喜びまでもが全て表現されている。
忘れない、俺は・・・この絵に描かれたおまえの美しさを。決して忘れない・・・」
彼の言葉が、仕草が、愛しい。
熱く、強く、揺るぎない感情に包まれ、私はまたも気付かされる。
・・・このうえなく、幸福な人生を歩んで来たのだと。
アンドレ、おまえがいて・・・・・本当に私は、幸せだった。
第37話 「熱き誓いの夜に」~神話~
時は夕刻から夜へと静かに移ろう。
朱色から蝋色へと変わる部屋の中を見渡し、オスカルはゆっくりと深呼吸をした。
柔らかくなつかしい香りの中で、窓辺に置いた燭台の影が床にぼんやりとした幾何学模様を描いている。
オスカルは近付き、身を屈めると燭台に触れ、そのままそっと指で輪郭をなぞった。
その燭台はジャルジェ家で長年愛用される調度品の中でも特に逸品と呼ぶのに相応しいものであった。特注で作られたのか台座部分には美しい女性と白鳥のレリーフがはめ込まれ、その白鳥が羽根を広げたかに見える脚の部分には真鍮製とは思えないほど繊細な透かし彫りが施され目を惹いた。
優美で上品な黄金色のレリーフ。その中で女性は愛おしそうに白鳥を撫で、また白鳥はまるで女性を抱き締めるかのごとく大きく羽ばたき、頬を寄せていた。
幼心にも、不思議な造形だった・・・・・。
オスカルは暮れゆく部屋の中で目を閉じ、暫しの間、子供時代に思いを馳せる。
・・・そう・・・夜になるのが待ち遠しかった時期があった。
6歳頃だったか・・・昼の間さんざんはしゃぎ回って遊び疲れ、クタクタになってもなお、陽が暮れるのが口惜しかった。そして、屋敷の中で最後まで明るい場所は何処か調べようと思い立ち、私はこの燭台に出会った。
屋敷には普段使われない部屋というものがいくつかあり、そこには大抵ばあやに不要とみなされた哀れな調度品や絵画、それに棚から溢れた蔵書の類が眠らされている。しかし、最上階にあるその部屋だけは少し様子が違うようだった。
辺りの気配を伺いながら重い扉を開け、そっと中を覗くと、オレンジ色の光線が目の前いっぱいに飛び込んで来た。ハッとし、眩しさで一瞬目が眩んだものの理想的な空間を見つけた驚きと嬉しさで、私は思わず歓声を上げていた。
下の階ではすっかり頼るべき光源が陽の光から炎の灯りへと交代しているというのに、その部屋ではいまだ太陽光線が主役で部屋中を明るく照らしていた。
そこが物置でないことはすぐに分かった。
殺風景と思える程に綺麗に片付けられた部屋・・・ほんの少しだけ誇り臭さを感じるも不思議な安らぎに満ちていて、射し込む光が大きな化粧鏡に反射し、美しかった。その上、確かあれは初雪が降るのを待ちわびていた時期で外はとても寒かったのだけど・・・その部屋だけは随分と暖かかった。
眩しさに目が慣れて来ると鏡の傍に置かれた丸テーブルと椅子2脚、古びたキャビネットが確認出来た。それから・・・私は目を見張り、導かれるように部屋の中へ入ると、“それ”をじっと見つめた。
丸テーブルの中央に置かれた燭台が夕日を浴びて、まるで黄金で出来た彫像のようにキラキラと光り輝いていた。
その姿は幻想的で・・・夢のようだった・・・。
だいぶ経ってから知らされた事だが、その部屋はアンドレが屋敷に引き取られて間もない頃に、就寝前のわずかな時間、ばあやが貴族社会のしきたりや振舞いについて毎夜懇々と彼に説いて聞かせていた場所なのだった。
日中陽が当たらないその部屋は陰気臭いと使いでがなく、さりとて強烈な西日のおかげであらゆる物が傷むとばあやが言うので物置にも適さない。それで、活路・・・と言っては大袈裟過ぎようが見出したのが祖母と孫の勉強及び特訓部屋だった・・・というわけらしい。
そんな事とは露知らず、発見した日からその部屋は、夕刻から夜へと変わるひと時の間、私の一番心安らげる場所となった。
そうそう・・・おかしいのがアンドレの反応で、今でもよく覚えている。
私が何も知らず彼の手を引き「宝物を見せてやる」とその部屋に案内した時のことだった。
「此処なのかい?」と一瞬困惑した表情を見せた後、アンドレは自分から恐る恐るといった様子で扉を開けた。そして、「うわっ!?ゼウス様の電光だー!!」と叫んだかと思うと次の瞬間、勢いよく床に突っ伏した。
今にして思えば随分と芝居がかった調子で不自然な点もあったのだが、その時の私はとにかく予想していなかった彼の反応にポカンとして、その場に立ち尽くしてしまったのだった・・・。
考えてみれば、その頃から彼の方がずっと大人で読書家で・・・恐らく、その勉強部屋で芸術分野についてのさまざまな出来事も、私以上に学んでいたに違いない。
そんなことがあって以来、私は夕暮れ時になるとその部屋へ行き、オレンジ色の光を浴びながら飽きもせず何時間でも燭台を眺めては傍でうたた寝をしてしまう日々を過ごした。
そんな私を見かねて・・・ある時、父はこの燭台をゼウスの電光の部屋から私の部屋へと運んだのだった。
物心つく頃になると、神話の中に登場するレダという女性が“彼女”なのだろうな・・・と、推察できるようになった。でも、何故か周囲に確認することがはばかられ、特に父には一切のことが聞けぬまま、私は大人になった。
自分の境遇を不幸だとか不自然だとか、感じる間もなく月日は流れた。
気が付けば本来の性から随分と遠いところに来てしまったと不安に駆られた時期があり、一方で成長期には思わぬ変貌を遂げ、自分の意思に反してぐいぐいと女を主張するかのような自分の体に戸惑いもした。自分の存在を不完全だと思い込み、葛藤する心を持て余し、ひとを傷付けもした。女だから・・・こんなにも激しく気持ちが揺れ動いてしまうのだと、もがき苦しんだ。
だが・・・女だからこそ決断し、貫き通せることもある。と・・・今は思う。
オスカルは振り向き、壁に掛けられた父の肖像画をじっと見つめた。
薄闇に浮かび上がる父の顔は凛々しく、厳格な軍人そのものであった。
見慣れたはずの父の顔。
肖像画の父は、フランス王家を守り抜くために我等は此処に在るのだと、今この瞬間も私に向かい一心に教え諭している。
そう、いつも父はこういう顔をしていた。だが、目を閉じると浮かんで来る。
奇妙なもので、燭台をオスカルの部屋へ運べと言った時に見せた「やれやれ」という、少し困ったような笑顔・・・滅多に見せないその笑顔が、思い起こせば私にとって、一番印象深い父の顔なのであった。
太陽が一層傾き、サーと音を立てて部屋が闇に包まれた。
オスカルは肖像画の父から目を逸らし、笑いながら小さく溜め息をつくと蝋燭の炎を用いて燭台に火を点けた。
闇の中に鮮やかな緋色の光が次々に浮かび上がる。
中世の時代から、レダと白鳥を題材にした作品はその官能表現が道徳上好ましくないとの理由で故意に傷付けられたり破棄されたり、しばしば迫害とも言える災難に見舞われてきたのだという。非難の対象の殆どは絵画なのであろうが、そう露骨に否定することもあるまいと、私は目の前のレリーフを見て思う。
あの頃と少しも変わらない。キラキラと零れる黄金の粉のような燭台の光は、暗闇の中で身動き出来ずにいる私にいつだって希望を与えてくれる・・・。
そう、傷付けられることなどあってはならない。
私の宝物・・・燭台の中の“二人”は、本当に美しいのだから・・・。
レダと白鳥の燭台によって明るさを取り戻した部屋で、オスカルは鏡に向かい軍服を整えた。
明朝8時、武装しチュイルリー広場へ進撃。他の軍隊と協力し暴徒化した市民を鎮圧せよ。
先ほど聞いたアランの伝言が繰り返し脳内にこだまする。
制限時間はそこまでか・・・・・
心臓がトクンと脈を打つ。
覚悟は、出来ているか?
鏡の中の自分に問い掛けた。
この時を迎えて、もっと悪足掻きするかと思われた自分の気持ちが意外な程に凪いでいることに、オスカルは不思議な感慨を覚えていた。
「・・・単なる諦めだと思うか?」
鏡に向かい、微かに声に出してそう呟くとオスカルは静かに首を振った。
込み上げる想いに、またしても涙が溢れそうだった。
さっきまで泣いていたせいかいつもより瞼が重たい。
瞬きする度に感じる目元の違和感がせっかく落ち着いている感情を刺激し、たまらなくもどかしい気持ちになった。
駄目だ。こんな暗い表情の女など・・・彼の目に魅力的に映るわけがない。
オスカルはもう一度、今度は大きく首を振り、深呼吸をすると髪型を整え、そして鏡に向かって・・・にっこりと笑い掛けた。
軍服の襟を正し腰に剣を装備すると、オスカルは引き出しの中から2通の手紙を取り出した。
宛名を確認し、1通をテーブルの上に置くともう1通は封を切る。そして何枚にも渡って書かれた文章を読み返すと父の肖像画の前に立ち、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
それから、オスカルは元通り便箋を折り畳むと封筒へ戻し、それを燭台の炎へゆっくりと近付けた・・・・・
ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎が暗闇の中に幻想的に浮かび上がる。
近付けた手に熱さと共に微かな生命力のようなものが伝わる・・・そう感じた瞬間、白い封筒の端がしゅっと微かな音を立てた。
火が点き、みるみる黒く焦げてゆく手紙。
それは数日前に父に宛て、オスカルがひと晩かけて認めたものであった。
手紙を持つ右手がじりじりと熱せられ痛みが走った。その感覚に少し躊躇する素振りを見せたものの、オスカルはそのまま部屋を移動し、手紙を暖炉の中へ投げ入れた。
数日前にこの手紙を書いた時と今この瞬間・・・特に心境に変化があったわけではない。
それでも、この手紙を残して行くことにためらいを感じたのは何故だろう・・・?
丁寧に書き連ねた想いが青白い煙となって消滅するのを見届ける間、改めて、オスカルは父に対する複雑な感情を噛み締めていた。
長い間待ち望んだ男児誕生の瞬間を・・・裏切ったのは、私なのだろうか・・・・・?
そればかりか、私は人生の終わりに、父の名誉に取り返しの付かない傷を付けようとしている。
ドロドロとした感情が一気に溢れ出て眩暈がするようだった。
オスカルは唇を噛み締めながら、消えゆく手紙を見つめた。
紙が焼けるチリチリという切なげな音が静まり返った部屋の中では妙に大きく聞こえる。
集中し耳を澄ますうち、いつしかその音は聞き慣れた自分の叫び声に変わった・・・。
父上・・・父上・・・・・ただ私は・・・・・あなたに愛されたいのです・・・・・!!
遠い思い出の中を漂いながら、オスカルは考えた。
落胆、いや、絶望から始まったはずの私への思いが、いつしか希望に変わり、ついには「お前を誇りに思う」と・・・・・・言われたことがあった。
父の・・・そのたった一言が、どれほど嬉しかったことか・・・!
嗚呼、だけど、私を認め、信頼し、満足げに微笑むあなたを見る度に・・・安堵はしたけれど・・・でも、そんな自分は何故だか他人のようで、本当の自分の価値を知りたくて・・・自分の生まれて来た意味を知りたくて、いつだって私は叫んでいた。
過去の出来事が次々と思い出され胸が締め付けられそうになる中、静かに手紙は燃え尽きた。
呆気ない程に、跡形もなく・・・・・・。
我に返ったオスカルは数回瞬きを繰り返し、ふっと息をついた。
・・・解き放たれたのだ・・・・・これで私は、自由になれる。
複雑に絡まった感情がするすると解ける感覚に包まれ、オスカルは嗚咽した。
軽くなった身体に気力が満ち、自分の人生なのだと実感する。
当たり前のことが妙に新鮮に感じられ、熱い感情でみるみる心が満たされた。
刻一刻と迫り来る時の中、新しい便箋と封筒を引き出しから取り出し、涙を拭ったオスカルはさっとペンを走らせる。
『私ごとき娘を愛し、お慈しみ下さって、本当にありがとうございました』
愛する父上・・・・・・・ただ一言でよかったのだ。
それは一滴の蒸留水のように純粋で清々しい、娘からの感謝の想いであった。
第37話 「熱き誓いの夜に」 ~玉響~
耳を澄ますと少年の声が聞こえた。
明るく弾むような少年の声。そのリズミカルで心地良い響きに誘われ外へ出る。
ひんやりとした広間の床を蹴り、厚く重たい扉を開くと、光の粒子が大理石の床を一斉に駆け抜けた。
初夏の眩しい陽射しに一瞬目が眩んで、立ち止まる。
それから、ゆっくりと見上げた空は碧く輝いて、そう・・・真っ白な花束のような・・・鮮やかな真昼の光線がいくつも、いくつも地上に降り注いでいた。
注意深く耳を澄ましながら、風に揺れる木立ちの間を歩く。
登りやすいようにと横広がりに剪定されたプラタナスが大きな黄緑色の葉をなびかせ、まるで私たちを誘っているかのようだ。確かあの木は私と同じ年のはずだが・・・・・成長の速いプラタナスは2階の窓を軽く超え、滑らかで美しい樹幹の色合いを日々変化させながらを毎年その存在感を増している。
サラサラと歌うような葉の音を聴きながら頭上の枝に手を伸ばす。
私と少年の間で交わされた些細な約束。そこの枝が私で、あっちの枝が少年ので・・・それがお互いの指定席。どちらが眺めが良いかで言い争ったあの日がつい昨日のことのように思い出される。
ふと振り返り瞬きをする。
不思議なくらい穏やかで安らかな気分でいる自分に思わず笑みがこぼれた。
爽やかな香りに包まれ深呼吸をすると、幾千もの光の粒が私の髪に降りかかり、宝石のようにキラキラと煌いた。
それまでは金髪なんて、ほめられたところで嬉しくもなんともなかった。クルクルとしたくせ毛が額にかかるのが嫌で伸びればすぐに切り、それをもったいない等と考えたこともない。だが、彼に初めて「綺麗だね」と言われた時、思いがけず私の心臓がトクンと小さな音を立てた。
・・・伸ばしてみようか・・・と、何故だかそう思った。
自分の突然の心境の変化に微かな胸の高鳴りを覚え、じっと彼の顔を覗き込む。すると少年は頬を赤く染めながら「とっても綺麗だ」、もう一度そう囁くと、そっと私の髪に触れ、優しく笑った。
私を見つめ返す少年の瞳に私が映る。・・・これは何色だろう・・・?
そう、深い森のような・・・・・美しい緑色の目をした少年。
どれくらいそうしていたのか・・・私の髪に触れるその指が、一瞬だけ頬に触れ、はっとする。
急に、アンドレが大人びて見えた。
微かだった心臓の鼓動がどんどん速くなる。
“もっと長く、もっともっと長く・・・たまにはきちんと手入れもして、そうしたら・・・そうしたら今よりも、私は綺麗に見える?”
身近にアンドレの気配を感じながら、枝の隙間から零れる光を手ですくい、伸びかけた髪をそっと撫でてみる。
緑の風に吹かれてサラサラとなびく黄金色の自分の髪が、・・・ほんの少しだけ誇らしく思えた。
・・・オスカール!オスカール!!
小鳥たちのさえずりに混じって、今日も私を呼ぶ声がする。
吹き抜ける風が木々の色を濃く、深く、力強くしていくように、不思議な少年の声はだんだんと私を変えてゆく。
鼻歌交じりに歩く初夏の午後。
明るい期待感に胸は満たされ、いつしか私は彼の元へ全力で駆け出していた。
第37話 「熱き誓いの夜に」 ~溜息~
自由を求める市民の叫び声を背後に聞きながら、オスカルは必死にアンドレの名を呼んだ。
屋敷を出て僅かのところで暴徒化した市民に襲われ、二人の兵舎への道は塞がれた。
三部会の閉鎖、大蔵大臣ネッケル氏の罷免、続々とパリに集まる王家の軍隊。
王室に裏切られ続けた市民はすっかり見境を失くしたようだったが、辛うじて逃げ込んだ郊外の森だけは夕刻の静寂に包まれている。
虐げられ圧政に苦しんでいた民衆はついに武器を取り、立ち上がった。
今しがた起きた惨事はほんの序章に過ぎない。ぐったりと馬の首に寄りかかるアンドレの背中をさすりながら、オスカルは込み上げる恐怖に震えた。
わずかな時間、戦場とはかけ離れた場所、それでもアンドレに負傷させてしまった事を考えると、この先の任務を終えて無事に彼を屋敷に帰す事などは到底出来まい。
オスカルが何よりも恐れることが現実として迫る中、もはや選択の余地はないものと思われた。
「アンドレ、アンドレ・・・!」
耳元で呼び続けるオスカルの声にアンドレはようやく反応し、目を開けた。
「気が付いたのか・・・アンドレ?」
「!!・・・オスカル・・・?どうした、おまえ、怪我は!?」
目を覚ましたアンドレは馬から転げ落ちるようにして下りると勢いよくオスカルの肩を掴み、引き寄せ、全身をくまなく見渡した。
瞬く間の行動に驚き圧倒されたオスカルは逆によろけて倒れそうになったものの、慌てて体勢を立て直し、アンドレの瞳を覗き込む。
「私は大丈夫だ。おまえの方・・・・・」
オスカルが言い終わらないうちにアンドレは「よかった」と短く叫ぶと安堵の表情を浮かべ、草木の中へ崩れるように腰を下ろした。
「アンドレ!?」
オスカルの声は悲鳴に近かった。
「・・・・・・・・」
ここは何処だ・・・・?
黒い木々のシルエットの間に紅から藍色に変わる空の様子が垣間見える。
草木の匂い、手に触れた地面の感触、・・・森の中であることに気付いてようやく状況が飲み込めた。
「アンドレ・・・!」
動揺するオスカルの声がすぐ近くまで迫った時、頭部に違和感を覚えた。
視力を失っている左目付近は右側よりも感覚が鈍くなっているらしく、触れるとぬるりとした鮮血を感じるものの不思議と痛みはない。
そう・・・身体の傷など、もうどうでも構わない。
愛するひとが今、目の前で少女のようにか弱く不安げでいることが、肉体に受けた怪我の何倍もの痛みとなって、アンドレを傷つけた。
「オスカル・・・」
アンドレは微かに視力の残る右目を見開いてオスカルを見つめた。
「大丈夫だよ!・・・・・ごめんな、オスカル」
笑いながら囁くアンドレを見てオスカルは折れるようにその場に屈み込むと、そっと彼の手を握り長く静かな溜息をもらした。
第37話 熱き誓いの夜に ~蛍~
陽が落ち、闇に包まれると、森は静寂に代わって自然の音色に包まれた。
賑やかな夏の虫たちの声に混じって川のせせらぎが聞こえる。
月の薄明りと深い緑の匂いの中で次第に此処がどこか遠く、異世界であるかのような感覚にとらわれ出したのは、きっと閉じ込められ、行き場を失くしたせいだからだろう。
一触即発なパリの空気に人々はまんじりともせず、夜通し叫び声を上げるのだろうか・・・?
四方を武装した市民に塞がれた二人は怒りのシュプレヒコールから逃れるように森の奥へ奥へと進み、改めて互いの姿を確かめ合った。
今宵は満月であったか・・・・・?
ぽっかりと夜空に浮かぶ月影から届いた青白い光が川面を照らし、時折砕けてはキラキラと輝いている。
ふと見ると、彷徨い歩くふたりの足元からふわりと小さな光がひとつふたつ舞い上がり、ゆっくりと頭上を浮遊する。
ゆらゆらと心許ない微かな光を静かに目で追うアンドレの仕草に、オスカルは胸を撫で下ろし、小さく安堵の溜息をついた。
「大丈夫か・・・アンドレ、頭の傷は・・・?」
「ああ、大丈夫だ。どうということはない」
・・・何度同じ質問をしてみても、彼の答えは同じだった。
私を安心させようと、「大丈夫」ばかりを繰り返す・・・・・
大丈夫なことがあるものか。
核心を突かぬよう精一杯気を遣った私の言動は、ただ不自然さを生むだけで先ほどから少しも状況は変わらない。
・・・大丈夫なことがあるものか!
ふいに湧き上がった感情に任せて、アンドレに問い掛ける。
「よくも今まで私を騙し続けていたな」
急にアンドレが立ち止まった。
振り返って、彼を見つめる。その顔に、もう驚きの表情はなかった。
「右目のことだ。ラソンヌ先生に聞いた。・・・もう、殆ど見えないんだろう・・・?」
沈黙するアンドレの口元が、何故だかほんの少しだけ・・・微笑んだように見えた。
‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
ようやく、彼女は言葉に出した。
これまで長い時間、ずっと気にしていたであろう事をようやく、オスカルは言葉に出した。
なんだかホッとして、俺は焦りや緊張感から一気に解放されたような気分になった。
負傷した俺を気遣うオスカル。彼女が振り返り、諭すような口調で静かに話し始める。
「やはり、もう一度屋敷へ戻ろう。明日のパリへの出動におまえを連れて行くわけにはいかない。おまえをばあやに返し、宿舎へは私だけ戻る」
一歩二歩とオスカルが近づく。まっすぐに俺の目を見つめていた。
「・・・そうしてくれ アンドレ。おまえに万が一のことがあってはいけない・・・」
深い碧色の夜風に乗って、切ない胸の鼓動が伝わる。
月明かりの中、瞬きもせずじっと俺の目を見つめ、俺の名を呼ぶオスカル・・・
俺はただ・・・彼女のことを、美しいと思った。
‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
息を殺して彼の言葉を待つ間、期待と不安と・・・そして、どうしようもない贖罪の念が私の体の中を駆け巡った。
彼が、もし応えてくれたのなら・・・・・私は・・・私には、言わねばならないことがある・・・・・
「俺は行くよ オスカル。今までもそうだったが、これからもそうだ。俺はいつも おまえと共にある」
たったひとつ残されたアンドレの瞳が私を見つめる。
遥か昔から当たり前のように降り注がれてきたその眼差しに、途方もないほど・・・胸が騒いだ。
アンドレは・・・「今更そんな話を」と、あきれるだろうか・・・?
私が今・・・こんな話をしたら・・・・・おまえは、あきれてしまうのだろうか・・・?
だが、途切れずにもし これを訊けたなら、きっと・・・ただそれだけで・・・
私にとっては小さな、小さな奇跡――――
不甲斐ない私は最後の勇気をふり絞り、目の前のアンドレを見つめ返した。
‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
「アンドレ・・・私はかつて フェルゼンを愛した・・・おまえに愛されているのを知りながら、フェルゼンを愛した・・・・・そんな私でもなお・・・愛してくれるのか・・・?」
罪の意識は言葉にしたことで心なしか軽くなったような気がした。
やっと伝えることができたのだと、私の中に微かな満足感が生まれる。そして・・・・
・・・小さな奇跡は起きる・・・
アンドレ・・・・・・・あなたに愛されたい・・・・・!!
いつしかさんざめくような私の心臓は、声の限りにその一言を、アンドレに向かい叫んでいた。
‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
「すべてを・・・・・・・命ある限り」
オスカルの頬を大粒の涙が伝い落ちた。
柔らかな月明かりの中、浮遊する小さな光たちはゆるやかな波のように足元を伸び上がり、オスカルの瞳を眩しく照らし出す。
気がつくと無数の光の粒は水しぶきのように優しく二人に降りかかり、暗闇の中、そこだけが仄明るい不思議な空間を作り出していた。
「アンドレ・・・」
一歩づつ静かにアンドレに近づくと、オスカルは崩れるようにその胸に全身を預けて瞳を閉じた。
「愛しています・・・私も・・・・心から」
はじめて口にする愛の言葉に身体中が熱くなるのを感じたオスカルは、どうしようもない程のもどかしさに溢れる涙を堪えることが出来なかった。
次から次へと込み上げるアンドレへの想いは、言葉で伝えることのできる次元をとうに超え、オスカルを激しく震わせた。
あぁ・・・アンドレ!愛してる・・・・・愛してる・・・・・・!!
止めどなく頬を伝う涙の感覚に、押し殺していた積日の叫び声が重なる・・・・・
微かに意識が遠のきかけたところで、オスカルはその声を聞いた。
「分かっていたよ・・・そんなことは」
ビクンッと心臓が跳ね上がる。
・・・心で必死に叫んだ愛の言葉に応えるよう、優しく・・・
アンドレは私を抱き寄せた・・・・・・