stories③

アニばらワイド劇場
(第9話~第12話)





第9話「陽は沈み、陽は昇る」~修道院~



「あのひと・・・死んじゃったのね・・・」


話題の人物が目の前の女にとって何か特別な縁のある人であることは、さほど敏感な人間でなくとも直ぐに感じ取れただろう。それくらいに呆然とする女の様子と意外な程に親しみのこもった声の調子は、その場の空気を変えた。
途端に興味が沸いて女の顔を見つめなおした修道女は、俗世間を離れてもこうしてわずかなネタを見つけては懲りずに詮索しようとする自分の悪癖を、あるいは少し恥じたのかもしれない。
一度覗き込んだ女の顔から視線を微妙に逸らして、それでも大いなる期待をもって女の次の反応を待つ。


「・・・なんでそんな死に方をしたのかしら・・・」

女は独り言のような小さな声で呟くと、4、5回立て続けに瞬きをした。

「命にかえてもフランス王家を、あの赤毛のチビを守るんだって・・・そう言ったくせに」

女は陽が降り注ぐ中庭に目を向けて、再び・・・今度はゆっくりと2回瞬きをしてから、呟いた。

「なんでそんな・・・、バスティーユなんかで死んだのかしらね・・・」


    


1789年7月17日
半ば廃墟と化した郊外の修道院ではあったが、抜け出せない高い塀に囲まれている分だけ、ここには安息があり、静寂があった。

かつて花の都と謳われたパリは・・・今どうなっているのだろう。
欲望の限りを尽くしたベルサイユは・・・今どんな姿でいるのだろう。
あの黄金の髪をなびかせた小生意気で不思議と懐かしい近衛隊長は・・・何故、こんなところで話題になっているのだろう・・・?

久しく思い出した事のない若い頃の記憶が、さざ波のように静かに胸を騒がせる。


「なんだか眩暈がするようだわ!」 

それだけを言葉にし、しげしげと女を見つめる修道女にはツンとした視線を投げ返した。





かつてベルサイユ一の権力を誇り、国王の寵愛と貴族たちの羨望を一身に集めた人物。
デュバリー夫人と呼ばれ、ひたすら持て囃され恐れられた女が、そこには居た。


「ねえ、あなた。革命なんて幻想、あたしはこれっぽちも興味ないけれど、今の話には驚いたわ」

若年の修道女は、普段とはあまりに違う高飛車な態度でいつの間にか自分を見下ろしている同房の女に、不思議と新鮮な感動を覚えていた。

この女がどういう経歴の持ち主であるのかなんて勿論知っている。しかしそれを彷彿とさせるだけの器量を、これまでは見る事がなかった。何故このような穏やかな人があのデュバリー夫人なのか・・・単純に歳月はすべてを洗い流してしまうものなのか?

どうでもよい事ほど、人は熱心に知りたくなるものなのだ。
その答えが今、目の前にあった。
自分に向かって話しかけているのは紛れもなく、噂に聞いたあの『デュバリー夫人』だった。


「オスカル・フランソワって言ったわよね?ベルナールだか誰だか・・・革命家気取りのその青臭い男よ。オスカル・フランソワ率いるフランス衛兵隊が市民側に寝返ったからバスティーユが落ちたんだって。その男はそう言ったのよね?」



三日前のバスティーユ陥落は、学のない田舎の修道女にとっても大変な出来事だった。
これこそ歴史が転換した瞬間なのだと・・・少なくとも、これをきっかけに時代の流れは急変するのだと・・・市民たちの歓喜の声はまるで伝言遊びのように興奮する人々の上を伝わり、今朝方この修道院にも届いた。・・・そしてデュバリー夫人はその報せの中に含まれたひとつの名前に、昔を蘇らせているのだ。

「オスカル・フランソワ」という名前に。



バスティーユ陥落の驚喜を轟かせた伝達の波は決して英雄を讃える為に押し寄せたのではなく、市民が自力で得た初めての勝利なのだと言う、言ってみれば極めてシンプルな結果報告でしかなかった。だが、革命演説で人望のあったベルナール・シャトレが修羅場の中で群集に向かって叫んだ名前オスカル・フランソワ。
これだけは途切れることなく波に乗り、ひどく印象的な形で今日ここにまで到達している。

「なぜ王家の軍隊が我々側に寝返ったのであろう?」という民衆にとっての最大の疑問。
それがオスカル・フランソワと言う名前に集約されていた。
そして・・・目の前のデュバリー夫人はその謎について、何かを語ろうとしていた。

自然に身を乗り出し、修道女は固唾を呑んでデュバリー夫人の顔を見つめた。


「オスカルはマリー・アントワネット付きの近衛の隊長だったのよ。四六時中、王太子妃に侍って・・・忌々しいくらいに仕事熱心な女だったわ。あたしの言いなりにならない数少ない貴族のうちの一人で、なかなか手ごたえのある相手だった。目障りだから何度も殺してやろうと思ったけど、妙にしぶとくて・・・結局消せなかった。あたしが王太子妃にてこずったは全部あの女のせいなのよ!」

「ちょっと待って!!・・・今なんて言ったの?あの女って・・・言ったわよね?」


「そうよ。オスカルは女よ。女のくせに近衛隊長なんてやって・・・いつも澄ました涼しい顔をして・・・可愛くないったらなかったわよ。・・・・・あの後もずっと軍隊に居たのね・・・まだ若いのに・・・死ぬなんて・・・」


    
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思い出されるのは絶頂期の栄光ではなかった。

何もかもが脆く崩れ去り、まるで潮が引くように誰も居なくなり、みじめなボロ雑巾のように追放されたあの日。野蛮な男に引きずられ屈辱的な言葉を浴びせられていた私は・・・オスカルに救われた。

何故だか分からないけど・・・あなたの前で、これ以上みっともない真似はしちゃいけないと思って・・・ようやく馬車に乗ったんだったわ。

安物の馬車が軋みながら動き出し、ベルサイユがどんどん遠くなるのを感じながら、一体この女どこまでついて来る気なのかと思ったわ。

いつものように涼しい顔をして何も言わずに・・・

オスカルは何処までついて来る気だったのかしら?
私はあなたを殺そうとした人間だけど・・・あの時思ったのよ。

・・・結構、あなたのことが好きだったわ。


あの時あなたが見送ってくれたから毅然としていられた。
真っ直ぐに私を見つめる瞳に、私ったら馬鹿馬鹿しいくらいに誇りを持てたわ。


・・・何があったのかしら?オスカルの人生に・・・あの後、何が起こったの?




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「・・・どうしたの?急に黙りこくって。続きは?そのオスカルって人は女なのに、なんでまた軍人なんかしてたのよ?」

「将軍家の跡取りだからでしょ・・・」

「よくできた近衛の隊長さんだったんでしょ?なぜ王様を裏切ったの?」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・??」

「そんな事、分からないわよ。ただ・・・なんだか凄く変わってた。オスカルはね、とっても不思議な人なのよ!」



ああ・・・また。
なんだか心が癒されていく。
少女のような無垢で優しい気持ちになる。



中庭から吹く風は夏だと言うのに、気のせいかひんやりとした碧い色をしているようだわ。




「ふんっ!革命だかなんだか知らないけど・・・その波はもうすぐここにも来るわね。これでようやく私もここから出られるわ!それに今度こそ、あの赤毛の小娘。ぎゃふんとなってる頃でしょうよ!・・・オスカルが死んじゃあね・・・あの鼻垂れ娘もついにお終いよ!」


王妃に毒づいた後、ふと遠い目をした女の頬を大粒の涙が静かに伝い落ちた。
そして、牢獄と寸分変わらない汚れた修道院の床に、小さな小さな染みを作るのを若い修道女はじっと見ていた。


「結局あたしが一番長生きなんて・・・人生なんて本当に分からないものねえ!」

そう言ってうつむき、クスクスと笑うデュバリー夫人。
湿った薄暗い修道院の中に一瞬、ベルサイユに棲む寂しがりやの貴婦人の香りが漂う。



爽やかに吹き渡る碧い風が、貴婦人を優しく撫でているようだわ・・・・・・・・
若い修道女はそんな事を思いながらデュバリー夫人を見上げて言う。


「ねえ・・・ベルサイユって、どんなところ・・・?」


クスクス笑いを続けるデュバリー夫人のブロンドの髪が、風の中でいつまでもそよそよと揺れていた。







第9話「陽は沈み、陽は昇る」 ~勲章~




またか・・・・・・・
人々の視線にはうんざりする。


国王陛下の御恩情により事なきを得て以来、妃殿下の落馬騒ぎの一件はその後責任問題が蒸し返されたりすることも無く収束へ向かった。
事態の深刻さに対しあまりにも寛大な国王の御沙汰は王族やその周辺貴族たちの反発を招くのではという懸念もあったが、今のところそれも無い。表面上は概ね寛容な態度で受け止められている。
妃殿下やフェルゼン伯、そして処罰無しのご裁断を即時下された国王陛下にはどんな感謝の意をもってしても足りることはない。

その国王陛下が突然・・・お倒れになった。

第一報を受け緊急会議が開かれ、出来る限り内密にことを運べとの指令が下る。
まだ宮廷は静かだ。御年64歳の陛下の身にもしものことがあれば・・・一部の貴族たちは大混乱に陥るだろう。

ベルサイユがひっくり返る前の静けさは、一件以来感じる妙な視線と相俟って耐え難い息苦しさを私に与えていた。と言うのも、どうも近衛隊長の地位に女が就いているという不自然さを、ある下劣な想像によってでしか納得できない人種がいるらしい。

妃殿下お輿入れの際、父でさえ口にした"身代わり"という言葉がふと頭に浮かぶ。

男ならば一心不乱に職務に没頭し、命をかけてフランス王家をお守りする――― それが私の人生であっただろう。だが、女は違う。本来いるべきではない場所だからなのか・・・<王室を守る為>では足りないようで、女ならではの特別な存在理由が、今の私にはなくてはならないらしい。


オスカルは諦め半分今日も微かな溜息をついた。



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「そう言えば・・・近衛隊長、私の妻もどうやら君に夢中らしい。若い愛人と遊ぶのをやめて、最近では君の話ばかりしているよ」


急病により国王不在となるも、ベルサイユ一豪華な部屋で開かれる晩餐の宴にはいつも通り、暇を持て余す王族たちが集まった。
たけなわを過ぎ、男ばかり6名程が残った酒の席でオスカルの憂鬱はピークを迎える。



「女性が女性を魅了するとは実に不思議な現象ですな。私は恋人に相手にされなくなりましたぞ。君に彼女の愛情を横取りされた格好だ。さて・・・どうしてくれよう?」

領地の農民をこき使い いかに多くの物と金を搾取するかについての議論が一段落すると話題の矛先はオスカルへと向けられた。
ニヤニヤと酒臭い息を吐きながら好奇な視線を送る王族たちを見つめ、さて・・・今夜はどこまでエスカレートするかな? オスカルは自虐気味に思案する。妙なもので、自分よりもジェロ―デルの反応が気になった。「こんなところで要らん騎士道精神を発揮するんじゃないぞ」そう思ってチラッと視線を投げかけるも、案の定、彼は早くも侮蔑の表情を浮かべ王族連中を睨みつけていた・・・。


「君が若い女性の関心を、いや、女性だけではなさそうだが、一身に引き付けているのが気に入らないと言っているわけではないよ。君は実に優秀な武官だそうじゃないか?それに随分と情に厚いらしい・・・妃殿下の落馬事件は、あの陛下ですら感心していたようだが・・・・・実際、君はあの従僕と離れがたい特別な関係にあるとか、そういうことなのか?」

「命を投げ打ってまで平民上がりの従僕を守ってやらねばならない理由を知りたいと?貴公も詮索好きだ」


何がおかしいのか豪快に笑いながらワインを飲み干す連中の姿は場末にたむろする下品な酔っ払いと変わらない。彼らを最高権力者の一族なのだと認識するにはかなりの努力と忍耐を要したが、オスカルはそれらを表に出すことはせず無表情を貫いていた。


「ふん・・・どんな事情があるにせよ、ご立派な行為には違いない。妃殿下の我儘に付き合うのはさぞや骨の折れる仕事だろう。今回は・・・その、大怪我をしたそうじゃないか?」

動揺する素振りのないオスカルにイラついたように公爵のひとりが席を立ち、いやらしい仕草でワイングラスを弄ぶ。至近距離に迫られ酒臭い息を吹き付けられると、さすがのオスカルも目を閉じた。

「美しいその顔に傷が付かなくて良かったが・・・身体の傷も大変なものだろう?一時は命まで危なかったそうじゃないか・・・若い女性が、可哀想に。だが、それで君は名を上げた。同じことをしろと言っても他の武官にはまず出来まい。君だけの、それは見事な勲章といってもいい」


早鐘のように心臓が騒ぎ出す・・・・・・・・・・嫌な予感がした・・・・・・・・・



  


「見てみたい」


泥酔しているとは思えなかった。
公爵はこの場で私に裸になれとでも言うのだろうか?


「どうした?陛下が心を打たれた勲章がどんなものか・・・構わんだろう?我々にも見せてくれ」


冗談ではないらしい。

ここまでの要求は初めてだったが・・・・・そうか、動揺しているのは彼らの方だ。
国王が倒れ、このまま崩御ともなれば現在の栄光そのままというわけにもいかず、今頃どうしようもない焦りと不安の中にいるのかもしれないな。それでこんな無茶なことを言って気を紛らわせているのだろう。

やけに冷静にそう考えると、心臓の鼓動がみるみる静まった。


「何をおっしゃるのですか?そんな事が許されるとでも―――」


わなわなと震えながら身を乗り出したジェローデルを制して、公爵を見つめる。



「うん?わしは近衛隊長に訊いている。どうなんだ?オスカル」


「分かりました。それ程までにご覧になりたいのなら、お見せ致します」



  

ベルトを解きサーベルをジェローデルに渡す。

軍服を脱ぐ間、何も考えないようにしていた。
王族たちの薄ら笑いには軽い吐き気を覚えたが、ここで何らかの感情を表に出す方が恥と思われたので黙々と作業を進める。


ブラウス姿になると部屋がしんと静まり返るのが分かった。
しかし、胸元のリボンに手をかけようとした瞬間、その声は聞こえた。



  
「そこまでだ。運悪くこの場に居合わせてしまったことで私まで同類と思われては適わない。近衛隊長、部下の前でとんだ余興に付き合わせてしまったようで、大変申し訳ない。軍服を着たらすぐに退出したまえ」


オルレアン公が王族たちの馬鹿げた要望を取り下げるのを聞いて、内心安堵する。

身体の傷を見たいと迫った公爵は小さく舌打ちをすると相変わらずニヤけながら「つまらんのう」と呟いた。
それを見てオルレアン公が咳払いをする。
ひょっとするとジェローデル以上に、彼は強い侮蔑の表情を浮かべ公爵を睨み付けていた・・・


「貴公のような無礼者が同じ一族とは嘆かわしい。オスカル・フランソワは命がけで王太子妃を救った。その手柄を賞賛するどころか身体を見せろとは破廉恥にも程がある。覚えておかれた方がよいな・・・オスカルは次期王妃であるマリー・アントワネット様から一番にご寵愛を受けている人物だということを」


それからオルレアン公は私に向き直り、気持ち悪いくらい慇懃な態度で謝意をあらわにした。



  
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「本気で脱ぐと思ったか?」


悪趣味な場面に立ち会わせてしまった負い目もあり、少しおどけながらジェローデルに呟いた。


「そんなこと、私がさせるとでも?」

即答したジェローデルは一呼吸置いて続けた。

「あれ以上続くようなら、殴ってでも止めています」

「・・・・・・・」

「公爵をですよ」

「勘弁してくれ!!頼むからこれ以上、王族に怪我を負わせるのはやめて欲しい。勲章なんか、もう要らんぞ」



私の疲れた笑い声は弱々しく天井に響き・・・微かな余韻は太陽王の彫刻に吸い込まれ、空しく消えた。


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明日は・・・休みだ。


屋敷に戻り一息ついた途端に怒りと悔しさが込み上げた。

オルレアン公に止められなかったらどうするつもりだったのだ?
ジェローデルの助けを待つのか?
それでは本末転倒だ。万が一にでも部下を危険に晒すまいとあの行動に及んだというのに。

いや、違うな・・・・・何もかもが酷く面倒に思えた。
常識も、正論も、通用しない世界がある・・・

見たいなら見せてやろう。それで気が済むのなら、それで終わるなら・・・


・・・・・・女の身体は、不自由だ。
周りは男ばかり・・・だから、私は常に気を張って用心していなくてはならない。



「なんだか疲れたな・・・・・・・」

声に出してみると意外に間抜けで、乾いた笑いが込み上げた。


・・・なんだか、とても疲れたけれど・・・それもやがて、どうでもよくなった。



  


「オスカル!オスカル!!入るぞ」


ドアを開けると既に出来上がった様子のオスカルがソファーにひっくり返っていた。
豪快に軍服をはだけて横たわる姿はとても女とは思えない・・・・・
酔い覚ましに持って来た水をかけてやろうか。
一瞬グラスを持つ手が傾きかけた。

・・・眠っているのかな?
こいつがこんなになるのは・・・初めてのことだ。

何かあったのか・・・?
オスカル、どうした?何があっ・・・た・・・


「痛っ!・・・おいっ・・・何するんだよっ!?」

ソファーに近付き屈んだ矢先に、股間を蹴り飛ばされた・・・
しみじみ・・・油断大敵だと思い知る。



「ん?なんだ・・・アンドレか?どうした、何をしている?ここは私の部屋だぞ」

「何をしているじゃないだろ!?おまえ、勝手に旦那様の酒を持ち出しただろうが・・・その行為は、残念だが おばあちゃんにバレている。怒ってたぞ!・・・おい・・・オスカル、その年で なんて酒飲んでるんだ!?」

オスカルは眠そうな目を擦りボトルを取り上げるとラベルを確認する。

「これか?・・・ええー・・と、コニャックだそうだ」

「だそうだじゃない。女の飲む酒じゃないぞ」

「・・・・女?私は、女か・・・?」


はて・・・酔っ払って記憶が飛んでいるのだろうか・・・?
だからと言って、おまえ・・・とうとう自分の性別まで分からなくなるなんて!アーメン、ああ、神よ・・・!!!



「おい、アンドレ。オスカル・フランソワは女か?」

「嗚呼もう、女でも男でも、どっちでもいいよ。オスカル、とにかく起きろ!風邪を引くぞ」

「・・・身体の傷を見せろなんて・・・・・まったく、ふざけるな・・・・・」

「え?なんだって・・・?オスカル、今なんて言ったんだ?」

相当飲んでいるようだ。本当に・・・今日は何か大変なことがあったに違いない。
ゆっくりとオスカルを抱き起こしながら耳を澄ます。


「アンドレ、おまえも見たいと思うか・・・?」

「何を?」

「私が今ここで裸になったら、どうする・・・?」

「・・・風邪を引くって言ってるだろ?やめとけよ」

「冗談で言ってると思ってるだろ?」


本気で心配になって来た・・・。今夜のオスカルはどうかしている。
冗談で言ってるんでなければ何なのだ?誘惑してるのか、俺を?
そんな事があり得るのだろうか・・・?

コニャックの薫りを纏ってぐったりするオスカルを抱えながら全力で思案した結果・・・『何か強烈に嫌な出来事があったせいで強い酒をあおり、よって今夜のオスカルは一時的に錯乱している』という結果に落ち着いた。



「へぇー・・・俺に襲われたいのか? ほらほら、しっかりしろよ。おまえに欲情しなきゃならんくらいに俺が切羽詰まっていたら、そこらの女が放っておかないよ。ははははは~・・・」


ははははは~・・・じゃないだろ。
我ながら切ない・・・・・こっちは素面なんだ。手も足も出ないさ・・・・・・勇気を振り絞ったとしても、出るのは涙くらいかな?切なくて、オスカル・・・泣けてくるよ。
分かってんのか、おまえ!?

顔で笑い、心で泣き叫んでいるとオスカルは少し正気に戻ったようで、深呼吸とも溜息ともとれる大きな息継ぎをした。


「・・・そうか・・・うん、おまえは、きっと そう言うと思った。ふふふ・・・・・・・」


さっきまでの酔っ払いは急に冷静な素振りでそう呟くと、笑いながら立ち上がり、ぐわーーー・・・と、壮大な伸びをした。




「しかし、何を言い出すかと思えば・・・おまえに誘惑されるのも、まぁ、悪くないけどな。出来ればもっと違うシチュエーションで頼むよ。さっきはほら、思い切り蹴っ飛ばされてるし・・・もっと優しく誘われれば、気分も違ったかもな?」

乱れたソファーのブランケットを直しながら照れ隠しにブツブツくだらない事を呟いてみる。


「だいたいな、おまえが知らないだけで俺だってけっこうモテるんだぞ。
・・・・・・・・って、聞いてるのか?」

そして振り向いた瞬間・・・目を疑う光景が飛び込んで来た。


「うわっ!?・・・オスカル!おまえ・・・何してるんだ・・・?」

上半身裸のオスカルがそこに居た。
解きかけたコルセットをかろうじて身につけてはいたが・・・・・とにかく、女の肌を露にしたオスカルが目の前に居た。



「ちょっと・・・待て!・・・・オスカル・・・」

「ん~?・・・なんだ・・・アンドレ。おまえ、まだ居たのか?」

ぼんやりと俺を見つめて、なんの警戒心もなさそうだ。

「早く出て行け。私はもう寝るんだから。・・・今日はもぅ、疲れた・・・・・ふぁ~・・・」

大胆な格好でのんびりと欠伸までしている。



「それとも・・・一緒に寝るか?昔みたいに」




今夜の俺は、酒など一滴も飲んではいない。したがって、酔ってはいない。
けれど、急激に頭がクラクラし・・・立ち尽くす身体は炎のごとく、一瞬で燃え上がった・・・。



  
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「それで?その後、どうしたんだ・・・?」


いつもの酒場で、カミーユの奴が息を殺して聞き入っている。


「今回のは妄想じゃないんだろ・・・?なぁ、それで?ついにお姫様と・・・寝たのか?」


「・・んなわけ、ないだろっ!?」


妙な緊張が解け、カミーユが深い溜息をついた。

こいつ・・・情けない野郎だ。とか思ってるに違いない・・・。
くっ~・・・・・・

「すぐに部屋を出て来たさ!オスカルのことはブランケットでぐるぐるに巻いてベッドに転がしてな」

「よく分からん・・・その状況で何もしないのはかえって失礼なんじゃないかと思うのは・・・上流階級の作法を知らない下衆の発想なのか?」


カミーユが本気で頭を抱えているのがちょっと可笑しい。
おいおい・・・作法がどうこうじゃないだろ。身分制度云々の話はどうしたんだ?今夜は俺から振ってやろうか。


「なぁアンドレ?」


「次の日オスカルは酷い二日酔いで、何も覚えてなかったよ。ははは・・・それが本当か嘘かなんて事は重要じゃないんだ。とにかく・・・"何も覚えてない"と言ったんだから」



オスカルの裸の背中が瞼の奥に浮かんで胸がきゅん・・・と痛んだ。


「そんなんで・・・現実の女の肌の感触なんかは一気に吹き飛んじまうのか・・・凄いな。見事にコントロールされてるじゃないか!たいしたもんだよ、アンドレ、おまえのオスカル嬢は!!」


何が小説家の卵の感性にヒットしたのかは分からない。
分からないが、カミーユはいたく感動しているようだった・・・。





俺は・・・・・俺だけは、簡単にあいつに手を出しちゃいけないんだ。
もしも想いを遂げてしまったら、身体だけじゃない。心に取り返しのつかない傷が付いちまう。

オスカルの居る世界。たったひとりで、オスカルが闘う世界―――


情けなくても、構わないのさ・・・・・・
ほん少しの信頼と安堵があれば、生きていける世界が きっとある。






第10話「美しい悪魔ジャンヌ」~金貨~


追いつけるはずがなかった。

足元に目をやると、いい加減擦り切れた靴の先から白い爪先が覗いている。
冷たい地面の感触を、一歩踏み出すごとに思い知らされ気が滅入る。そのうえ紙切れほどの薄さまで磨り減った靴底は、石畳を走る衝撃を殆ど直に脚に伝え、ペタペタという気の抜けた音を周囲に響かせては余計に神経を疲れさせていた。

視線の先にある豪華な馬車はどんどんスピードを上げ、とても追いつけそうにない程の遠くの角を曲がってしまった。やがて車輪の音すら聞こえなくなり・・・

パリの街は再び静寂と寒気に暗く重く包まれていくのだろう。


ロザリーは足を止め、息が静まるのを待ってから、改めて大きく深呼吸をした。
それからまじまじと、掌の中を覗き込む。

「やっぱり金貨だわ」

初めて間近で見る金色の貨幣に、見たこともないくらいに美しかった先程の麗人の姿が重なる。
ロザリーは思わず目を細め、フラフラと煉瓦で出来た段差に腰をかける。そして今度は深い溜め息をついた。

「あたしのこんなボロ靴じゃ、追いつけるはずないんだわ・・・」

わざわざ声に出して呟いて、咄嗟に何の礼もできなかった自分を慰める。

・・・馬車の扉が開いた瞬間、いい匂いがしたっけ。

どうしようもなく自分が惨めで情けなくて・・・顔を見られたくなくて・・・そんな時、扉を開けて出てきた人は、とってもいい匂いがしたの。あたしのペタペタ靴なんかとは全然違う、よく磨かれたピカピカの革ブーツの音を颯爽と響かせて、階段を降りて来たいい匂いの人・・・

あたしの方にかがみこんで「何故こんな馬鹿な真似をしたのだ?」って・・・
優しい女の人の声で言ったわ。

・・・何故・・・あの方こそ、何故男の姿をしてたのかしら・・・?
真っ白な・・・あれはたぶん軍服だわ。女の人が軍服を着てるって・・・一体どういう事なのかしら?


掌の中で輝く金貨をじっと見つめて、ゆっくりと目を瞑ったロザリーの瞼に、麗人の見事な金髪が思い出される。

華奢なのに驚くほど凛々しくて、真っ直ぐな後姿だったわ。
その方が振り返ってあたしに「もうこんな馬鹿げた事をするんじゃないぞ」って。金髪で碧い目をした不思議な人が、ちょっと怖い顔をして「馬鹿げた事をするんじゃないぞ」って。

・・・すごく優しい声だったわ・・・

頑張ろう!・・・もう一度、諦めないで働き口を探そう!!
諦めちゃ駄目。諦めちゃ駄目なんだ。



母さん、あたしが今出逢った人・・・きっと天使だわ。
信じてくれるかしら・・・あたしは天使を見たの!



掌の金貨はいつまでも温かく、しゃがみこんだロザリーの心に光を灯す。
輝く黄金の髪と明日に希望をつなげた金色の貨幣。



「諦めないわ」何度も何度も呟く言葉が次々と白い息煙に変わり、暗闇の中、不思議に優しく少女を包んでいく。


久し振りに安堵感を抱えて家路につくロザリー。
彼女の背中を・・・冴えた色をした黄金の月がいつまでも優しく柔らかく照らしていた。


 


 

第11話「フェルゼン、北国へ去る」~紅葉~



ベルサイユ庭園をぐるりと取り囲んだ木立は、今年もいつの間にかその色を変えていた。そしてその姿に男は、例年通り一抹の寂しさを感じ溜め息をつく。

夏の間は青々と一斉に生い茂り、隙間なく立ち並んだ樹木たち。それが秋になり木枯らしが吹く頃になると・・・違う種類の木だったのだと思い知らされる。
いつまでも変わらない緑のままで佇む樹木もあれば、季節に色付いて黄色や赤に姿を変える樹木もある。

去年の今頃、庭園内に無数に存在する植木の中でやけに印象的な、なんだかとても親しみのもてるその木と出逢った。
緑のままの木立の中で何故か一本・・・色鮮やかに紅葉した木。
咄嗟に「自分のようだな・・・」と思ったものだ。

「自分は違う国の人間だったのだな」と。


私はもうどれくらい、この地に居るのだろう?
最初にここへ・・・フランスへ来た目的、気が付けばそんな事はとうの昔に忘れてしまっていた。
「何をしているのかな、私は」小さく声に出して呟くと、余計に虚しさが込み上げ行き場のない焦燥感が秋風と共にしみじみと身に染み渡った。


「違う人間なのだ・・・もうここに居るべきではない。そろそろ決断をしなくては・・・」


ベルサイユを遥か彼方まで貫く大運河。この時期は他の季節よりも更に遠くまで、その雄大な景色を見渡せるような気がした。空気が違うのだろう。冴え渡った大気はどこまでも冷たく、男にもう留まるべきではない事を教えている。

分かっている。・・・分かっているのに・・・決断できない・・・



恵まれた環境に甘んじる事なく、努力してきた、今まで。そしてその努力は納得できる形で評価もされ、実を結び・・・満足できる人生だと思った。

・・・そうだ・・・自信に溢れた青春に、フランス社交界で最後の磨きをかけるつもりで、私は来たのだ。

それなのに、なんて愚かな今の自分なのだろう。






「フェルゼン!」

呼び止められた男は我に返り、声が聞こえた方を振り向いた。それから思わず・・・「ああ紅葉している」と呟いた。

声の主はいつまでも清々しい純白の姿でいるものと思っていたが、いま視界に入ったオスカルは紅く色付いていた。
なんと華やいで・・・!眩しい立ち姿なのだろう。心なしか貫禄・・・こんな表現が女性の形容に相応しいかどうか疑問だが、貫禄が備わったようだ。
瑞々しい若葉がしっかりとした樹木に成長したのだろう。
そして、どんなに色を変えようと、その姿は相変わらず優しく、自然と心が洗われるような清廉さだった。



「オスカル・・・噂に聞いたよ。昇進おめでとう!驚いたな、しばらく会わない間に随分と立派になった」

近付いて来る紅い色をしたオスカルは、何故だか寂しそうな瞳をして私を見つめていた。だから私は急に、なんだか居ても立ってもいられなくなり、「近衛連隊長閣下!」とおどけてオーバーに敬礼などしてみせていた。


「・・・フェルゼン、その服装ではちょっと、敬礼は似合わない」


真面目に返された。そしてその後・・・二人で笑った。
久し振りに逢ったオスカルと、久し振りに笑った。


「おまえも紅葉したのか?」

「・・・そう見えるか?」

そんな風にいつも真面目に返されると・・・うまく言葉が出て来ないんだがな・・・
だからオスカル、おどけるのはやめて、素直な感想を言おう。

「よく似合ってる。紅い軍服・・・なかなかじゃないか。男じゃまず着こなせないからな!とても素敵だ。・・・今日、ベルサイユに来て良かったよ。君に逢えて、良かった本当に」

ちょっとうつむきながら静かに微笑むオスカルが、魅力的だった。
なんだかずっと眺めていたいような・・・安堵感にも似た不思議な空気が辺りを包んでいる。だが彼女はすぐに顔を上げ、「あの木を見ていたのか?」と私の背後に視線を移す。
振り返り、オスカルが見つめている方向に目をやると、一本だけ、色の違う仲間はずれの木が、なんだか申し訳なさそうに佇んでいた。


「私みたいだな?」
「私みたいだろ?」


揃って同じ言葉を口にして、もう一度私たちは笑い合った。
二人の声が聞こえるのか、その場違いに佇む木はいっそう恥ずかしそうに木の葉を散らす。


笑ってくれるオスカルが、今はたまらなく有り難かった。




ありがとう、オスカル。ベルサイユに冬が来て、あの木が丸坊主になってしまう前に・・・決断するよ。

今年もいつの間にか、季節は木枯らしと共に哀愁を運ぶ・・・

気が付けばもう、祖国には初雪が舞う頃だ・・・・・・・・・







第12話「決闘の朝、オスカルは・・・?」~立会人~



「・・・というわけで、すまないがジェローデル、後はよろしく頼む」


いつものように涼しい顔で私の方へ向き直った連隊長。それだけ言うと、ほんの一瞬目を伏せはしたが・・・特に口惜しい様子もなく淡々と事を受け入れてしまった。


またしても、このあっさりとした態度はなんなのだろう。

私は昨夜、軍服を脱げぬまま一睡もできず、緊張して過ごしたのだ。
連隊長のことを信じていなかったわけではない。問題は・・・勝っても恐らく、連隊長の心には大きな傷が残る・・・と言う部分だった。
もともと決闘に至った経緯を詳しく説明などする人ではなかっただけに、私は一晩かけてその心情を汲み取ろうと努力した。
本来決闘だなどと・・・そんな無謀な行いをする人ではないのだから。

そうだ・・・実際無謀だったのだ!
・・・今さっきの・・・あの光景は何だ!?一体何が起きた?

ド・ゲメネ公爵は明らかに不正を働いている。当然、立会人であるオルレアン公もグルなのであろう。・・・なんて卑怯な・・・ナメた真似をするのにも程がある。許せない・・・


立会人に当然許された権利として、激しく相手方を問い詰めようとした私を・・・連隊長が制止した。更にその瞳が「もう済んだことだから」と言っていた。

ド・ゲメネ公爵に騎士道精神などははなっから期待していないというわけか?
だからといって・・・私がたしなめられてどうする?
連隊長、貴女はいつも何を考えている・・・?


こうしている間にも、背後ではド・ゲメネ公爵が恥さらしな呻き声を上げ、口汚く連隊長を罵っている。

・・・どうしようもなく腹が立ち、再び詰問しそうになる。


「公爵の名誉のために申し上げる。いっそこの場で、自害なされたらよろしいのだ」危うく口をついて飛び出しそうになる一言を、他ならぬ連隊長のため、ギリギリのところで飲み込んだ。

追及も弁明もせずに、ただじっと敵を見つめる連隊長の瞳が公爵にとっては何よりの制裁であるように思えたから・・・

 


ド・ゲメネ公爵、愚かしい男だ。貴族の風上にも置けない。生かす価値は勿論のこと、殺す値打ちすらもないように私には思える。
だが、連隊長は違うのだろう。その憐れみの瞳で、貴女は一体なにを見つめておられる・・・?




「ジェローデル、すまないが・・・よろしく頼んだぞ」


もう一度念を押され、・・・こういう場合にはなんて答えればよいのか分からないまま、私は「はっ!」と、間の抜けた敬礼をした・・・


ベルサイユの暇人どもは今朝の一件を面白おかしく噂し、みっともなく荒れ狂うこの馬鹿な公爵の神経を益々逆撫でするのであろうな・・・だが、何も知らない連中が連隊長を不当に評価することだけは許さない。
一ヶ月の後には、連隊長が少しでも心穏やかに職務復帰できるよう、できる限りの配慮をしなくては。


ああ・・・連隊長・・・これだけは確かな事実だ。

貴女が無事で、本当に良かった・・・。