石上露子 いそのかみ・つゆこ(1882—1959)


 

本名=杉山タカ(すぎやま・たか) 
明治15年6月11日—昭和34年10月8日 
享年77歳(徳操院釈尼常教)
大阪府南河内郡河南町平石539 高貴寺(真言宗)



歌人。大阪府生。梅花女学校(現・梅花女子大学)中退。明治36年新詩社に入社、『明星』に短歌や日記等を発表し、『婦女新聞』『婦人世界』『ヒラメキ』「新潮」等にも文章を寄せた。結婚して一時作歌から離れたが、別居後、昭和6年に『冬柏』に参加、活動を再開した。自伝『落葉のくに』などがある。






 

ゆきずりのわが小板橋
しらしらとひと枝のうばら
いづこより流れか寄りし。
君まつと踏みし夕に
いひしらず沁みて匂ひき。

今はとて思ひ痛みて
君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば、
あゝうばら、あともとどめず、
小板橋ひとりゆらめく。

(小板橋)

 


 

 大阪・富田林の旧家に生まれ、与謝野晶子・山川登美子らと並ぶ『明星』の煌めく星の一つであった。意にそまぬ結婚に迫られた26歳のとき、生涯ただ一篇の絶唱『小板橋』をのこして露子は『明星』を去った。
 〈さらば、いとほしみ来し二十六年の生涯。こよひ、とじめのこのよそほひ、君はしりたまふや海のあなた。さらば、くろかみにほふ夢のからなるうつそみ〉と自伝に記した歌人石上露子。
 運命は呵責だ。思い人を失い、忍従を強いた怨念の夫も死んだ。長男善郎は若くして亡く、次男好彦はピストル自殺をした。縁の途絶えた露子は昭和34年10月8日、虫干し中の衣類の上にうつ伏せて、誰に看取られることもなく逝った。



 

 露子の生家・杉山家の墓は菩提寺西方寺にあり、夫、長男、次男、露子の仏名が刻まれているが、次男好彦の3回忌に、露子は南河内葛城山中の高貴寺に新しく墓を建てた。
 本堂裏、山中の寂黙とした霊域には杉木立の梢が密接し、木漏れ日さえもわずかしか届かない。山襞にそって苔むした参り道がそろそろと続いている。右、左に古色とした石碑が背を向け、あるいは傾いて現れては消えていく。ときおり思い出したようにかすかな陽光が散り重なった落ち葉を輝かせ、無常の風が降り降りてくる。
 個となった碑、50回忌の卒塔婆、正面に露子の法名「徳操院釋尼常教」、側面に長男善郎と次男好彦の法名が彫られてあるが、後生を願った露子の意図かどうか、夫のそれはどこにも見当たらなかった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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