井上 靖 いのうえ・やすし(1907—1991)


 

本名=井上 靖(いのうえ・やすし)
明治40年5月6日—平成3年1月29日 
享年83歳(峯雲院文華法徳日靖居士)
静岡県伊豆市湯ヶ島2–785 熊野山共同墓地


 
小説家。北海道生。京都帝国大学卒。毎日新聞大阪本社学芸部勤務の傍ら発表の『闘牛』で昭和24年度芥川賞受賞。『風濤』で読売文学賞を受賞。ほかに『おろしや国酔夢譚』『氷壁』『天平の甍』『敦煌』『淀どの日記』『本覚坊遺文』などがある。






 

 「魚津恭太君はなぜ遭難したか? それは彼が彼自身でメモに記している。僕は先刻電話で聞いただけで、それを間違いなく報告できぬので、いまはお伝えすることを差し控えるが、日ならず、諸君もそれを読むことだろう。
僕のいま言おうとしていろことはそれとは少し違う。魚津君はなぜ死んだか? それははっきりしている。彼が勇敢な登山家だったからだ。勇敢な登山家という奴は、極言すればみんな死ぬと、僕は考える。死んで当り前じゃないか。最も死ぬ確率の多い場所へ身を挺するのだから、これは死ななかったらむしろ不思議である。
 魚津君はこんどたとえ無事だったとしても、彼が現在持っている勇敢さを失わない限り、必ずいつかは死んだことだろう。死が充満している場所へ、自然が人間を拒否している場所へ、技術と意志を武器にして闘いを跳む。それは確かに人間が人間の可能性を験す立派な仕事だ。往古から人類は常にこのようにして自然を征服して来た。科学も文化もこのようにして進歩して来た。人類の幸福はこのようにして獲得されて来た。その意味では登山は立派なことである。しかし、その仕事は常に死と裏腹なのだ。----魚津恭太君が会社員になりきっていたら、たとえ山へ行っても死なないですんだろう。山を愛し、山を楽しみ、冒険は避けたろう。ところか残念なことに、彼は新東亜商事から月給をもらって生きていたくせに、会社員ではなくて、まだ登山家だった。彼は山を愛し、山を楽しむために、山へ行ったのではない。山を征服しに、あるいは自分という人間のもつ何ものかを験すために、一人の登山家として山へ行ったのだ」
                                        
(氷壁)

 


 

 軍医であった父が韓国へ従軍のため、5歳の時から母の故郷伊豆・湯ヶ島で祖母に育てられた。新聞記者を経て、『闘牛』で芥川賞を受賞したが、昭和25年、43歳からの遅いスタートながら、大衆文学と純文学、双方の読者から受け入れられた「国民文学者」でもあった。
 平成3年1月16日、『すばる』編集部に届けられた最後の詩に〈生きている森羅万象の中、 書斎の一隅に坐って、 私も亦、生きている。〉という一節がある。
 生涯にわたって病気という病気はしたことがないほど健康体であった作家の天寿にも限りがあった。——2週間後の29日、東京築地の国立がんセンター中央病院に横たわる作家に滔々と流れた美意識が二度と甦ることはなかった。



 

 中伊豆修善寺から天城峠、下田に通じる国道の見過ごしてしまうようなあやふやな辻角。分け入る急坂の山道を「夕暮れになるとカラスが襲ってくるので気をつけてくださいね」などと脅かされながら登っていく。鬱蒼とした竹林に心細さを一層増しながら、歩みが知らず知らずに速くなっている。突然視野が開けると、黄昏ゆく秋が天城の真天空に爽と映って、秋草の蔭からは虫の音の合唱が聞こえてきた。
 頂上は古い共同墓地。生前に町から寄贈された塋域、小公園ほどの広さに野芝が敷かれ、梅、蜜柑の木なども植え込まれている。自筆「井上靖/ふみ」墓、「ふみ」には朱が入っている。背後に富士、正面には天城、隣地に氏の記した戦友慰霊碑があった。
 〈魂魄飛びて ここ美しき 故里へ歸る〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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