色川武大 いろかわ・たけひろ(1929—1989)


 

本名=色川武大(いろかわ・たけひろ)
昭和4年3月28日—平成元年4月10日 
享年60歳(行雲院大徳哲章居士)
東京都台東区谷中7丁目5–24 谷中霊園甲1号9側 



小説家。東京府生。旧制第三東京市立中学校(現・文教高等学校)中退。雑誌編集者を経て、『黒い布』で中央公論新人賞受賞。その後、阿佐田哲也の筆名で麻雀小説家として知られた。本名の色川武大で書いた『怪しい来客簿』で泉鏡花賞、『離婚』で53年度直木賞を受賞。『百』『狂人日記』などがある。






 

 私は権利という意識を育てられなかった。何事に限らず、強制ということができない。自分には他人に強制できる権利などないと思っている。けれども、唯々諾々として他人に従がっていることはできない。競争相手の居ない場所で勝手にやろうとする。他人の土地に攻めこむことはまったくしないが、そのかわり、私の土地を他人に蹂躙はさせない。
 当時の私の眼には、元職業軍人の父親は、典型的な別世界の人物に見えた。(中略)
 父親はあくまで攻めこもうとし、私は頑強に劣等を守った。ここがさらに煮つまれば私も死ぬし父親も殺す。父親が早晩死ぬはずの存在だと思いながら、まんざら冗談でもなく殺意も併せ持っていたのはこの点に関してである。
 その劣等の私が、父親を体力的に組み敷いてしまって、体力ばかりでなく、父親がそれなりに培ってきた内心までも踏みにじってしまったとき、私ははじめて人生というものに触れたような気がした。
                                                                  
(百)

 


 

 39歳の頃から神経病の一種ナルコレプシー(眠り病)が高じ、実際の風景とは異なった幻視、幻覚、幻聴、脱力の不快さや過食で、色川武大を生涯悩ませる持病になった。昭和48年、従妹の黒須孝子と結婚、51年には胆石をこじらせ危険な状態に陥ったこともあった。
 平成元年4月3日、引っ越したばかりの岩手県一関市で心筋梗塞に襲われ緊急入院する。一命を取り留めることはできたのだが、10日午前10時30分、宮城県瀬峰町の県立瀬峰病院で心臓破裂によって死去した。その日まで混沌とした気分の中、純文学は色川武大、麻雀小説は阿佐田哲也と二つの筆名を縦横無尽に使い分け、昼夜兼行で突っ走った。



 

 谷中の中核を成すこの霊園は江戸期、感応寺(現・天王寺)寺域の一部で、現在の谷中霊園には天王寺墓地や寛永寺墓地も含まれている。当然相当古い墓も多くあって、徳川慶喜や、大名家、大奥の関係者などの墓も点在している。
 管理事務所近くにあるこの塋域は数日来の熱気がそのままどこにも逃げられず、しっかりと滞っているようだ。干涸らびて亀甲模様になった土庭の表面が、歩くたびにぼこぼこと崩れていく。帽子のように半円型の笠をかぶった「色川家之墓」。微かに届いた陽光が碑の側面にゆらゆら漂っている。裏側には色川武大の名が刻されてあった。しなだれかけた菊花をたてなおそうと手を添えると、花びらの数枚がひらひらと乾いた土の割れ目に吸い込まれていった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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