生田春月 いくた・しゅんげつ(1892—1930)


 

本名=生田清平(いくた・きよひら)
明治25年3月12日—昭和5年5月19日 
享年38歳(澹雲院孤峰春月居士)
鳥取県米子市博労町2–40 法城寺(曹洞宗)




詩人。鳥取県生。角盤高等小学校中退。酒造業を営んでいた生家の破産で朝鮮、大阪などを流浪。明治41年上京、生田長江のもとで書生となり文学修業、ドイツ語を学ぶ。大正6年第一詩集『霊魂の秋』翌年『感傷の春』を刊行して認められた。ほかに翻訳『ハイネ詩集』詩集『象徴の烏賊』などがある。






 

輝きにほふ世界と思つた此の世界は
暗い牢獄に過ぎなかつた。
人の心を純化するものと思つた芸術は
人間の思ひ附いた一等悪い洒落だつた。
美しい天才かと思つた自分は
醜い道化者に過ぎなかつた。
あゝ、このあさましい現実に
十分堪へしのんで行くためには、
どれだけの厚顔、どれだけの鈍感が要ることか!
あいにく、それを自分は持合はさない、
——これが本当をうたつた詩だ——


                                      
(本当をうたつた詩)

 


 

 流浪を続けた幼少期、〈自己の生きる道は文学以外になし〉と自覚した十六歳、初々しくも愛しく歌った青春の情熱もいつしか泡沫の輝きとなり、色褪せた空虚な世界に変貌する。〈詩人は痴人、人生の道化者〉、揺れ動いた心の果てに辿りきた死への航路。昭和5年5月19日夜9時発の別府行大阪商船・菫丸甲板から深夜、暗黒の瀬戸内海播磨灘に覚悟の身を投げた。
 船中でつくった最後の詩がある。〈甲板にかゝつてゐる海図——それはこの内海の海図だ——ぢつとそれを見てゐると、一つの新しい、未知の世界が見えてくる。(中略)これが今のじぶんの心持ちををつくり現してゐるやうな気がする。今迄の世界が空白となつて自分の飛び込む未知の世界が、彩られるのだ。〉



 

 〈死もまた 生きんとする意志だ。 絶望を生きよ、死を生きよ。〉、ニヒリズムからアナキズムへ、〈詩は叛逆の精神から生れる〉と〈人間の生命の響き〉を歌った生田春月。自殺を企ててから三週間あまり後の6月10日ごろ小豆島坂手の海辺に漂着した遺体は、花世夫人の到着を待って苗羽村(現・小豆島町)の真光寺墓地で荼毘に付し、7月27日、米子の法城寺に埋骨された。暗く霞がかった今日の雨空、赤く塗られた手すりのある鐘楼山門の右脇、松の木の左下がりの頼りなげな枝で背後から支えられるように建っている「生田春月之墓」。友人加藤武雄筆になる詩集『澄める青空』の序詞〈天地の寂にしたしめば詩の心はなくもがな天地をかぎる我のなくば我も用末のつゆの玉〉が刻み添えられている。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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