私と家族の近況



*あしがらみち*

2024年分:最新は4月度


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4月度 (Apr. 30, 2024)



3月末から4月にかけて咲くミツマタの花は通常は黄色の単色ですが、このように美しい多色の変わった種類のもあります。

 以下の文章は、たぶん他人様には面白くもない 「 年寄りのたわごと 」 みたいなものでしょうが、書かせていただきます。 80歳を過ぎた方はお分かりになるかもしれません。

 パソコンやスマホは、所有者の心身の老化が進めば進むほど、設定、利用、メンテなどの作業が困難になります。 しかし、心身の老化が進めば進むほど、これらの便利さ、必要性は増しますね。  運転免許は返上したのに買い物に行く脚力や、重い荷物を持つ腕力は衰える一方なので、ネット通販に頼る回数は増えるばかりです。 銀行に行くための路線バスの本数はどんどん減るので、送金等の場合 インターネットバンキングはとても便利です。 スマホで LINE を使えば電話代もかからないし、郵便ポストまではもちろん、自宅内で固定電話の電話機まで急ぎ歩く必要すらありません。 確定申告だってパソコンを使えば 自宅に居ながら済ませられます。

 このように、心身の老化が進むほどデジタル化の必要性や便利さは増すのに、老化が進むほど私の心身はデジタル化に適応しにくくなってきています・・・スマホの操作 ひとつとっても、指先は乾燥してくるし、認証用の指紋はすり減ってきているので、以前のような迅速なタップ操作はできなくなっています。 必要性は増大するのに、対応力は減退してゆく・・・ この矛盾にどう対処してゆくかは、今後の私の生活においては大きな課題です。

 3月末まで私が使っていたノートパソコン(A) は、2011年11月に購入した品で、当初は Windows 7 でしたが、しばらく使った後、Windows10 に入れ換え、その後ハードディスク( HDD )を SSD に取り換え、今日まで なんと延べ12年半にわたって使用してきました。 途中数年間ほどは、2017年の1月に買った Windows10 のノートパソコン(B) を使ったりもしましたが、このパソコンは何となく気に入らなかったので、 数年でまた(A) に戻り、(B) は放置してありました。

 ところが(A) は、最近さすがに老化が激しく、1年ほど前から本体とモニターとの接続部分にガタが来て画像が乱れだし、また、リチゥムイオン電池の寿命が尽きて充電不能となり、これでは突然の停電の際に問題だと考えたので、 ついに引退してもらうことになりました。 私の余命も短いことですし、新しいパソコンを買うのはやめて、HDDをSSDに取り換えたきり、押し入れの奥にしまってあった(B) を引っ張り出し、再登場願うことにしました。

(A) や(B) を購入した当初は、種々のアプリのインストール、周辺機器との接続、データのインポート等は、5日くらいかけて自分一人で全部やれたのでしたが、今回(A) から(B) に乗り換えるに際しては、知力と体力の 老化衰退には勝てず、一部を、クイックアシストを使って若い専門家の友人に手伝ってもらいました。 いろいろと大変な数日間でしたが、3月末日にすべてが完了し、世間では新学期や新入社がスタートする 4月1日から、非常に快適な、何の懸念も問題点もないパソコンシステムを使える、楽しく爽やかな日々がやってきたのです

 次にパソコンでこういう苦労をする時期はいつかな?と考えると、Windows10 の サポートが終了する来年の10月頃に、またまた今回と同じような苦労をしないとなりません。 でも、その時点で92歳の私は果たして 生きているでしょうか? 生きていたとしても、パソコンを上手に操れるだけの知力と体力が残っているでしょうか? 懸念と期待とが入り混じった現在の心境ですが、頑張ることにします。

 ところで、先月書いた 「 心房細動 」 は、処方された貼り薬を使用し、普通に暮らしていたら、発症からちょうど1週間たったころ、脈拍数が突然、以前と同じ範囲に戻り、脈拍の乱れも解消したように思えたので、 検査してもらいました。 すると、「 治ってるよ! ラッキーだね! 」 と医師も驚き喜んでくださいました。 こういう幸運な自然治癒は、確率は高くないが時々あるのだそうです。  昨年暮れに発症した脊柱管狭窄症の1か月半に及ぶ激痛も2月のある日以降、突然だいぶ軽くなりましたし、このところ運の良い私は、もう少しだけ元気に生きさせてもらえそうです。

  
3月度 (Mar. 31, 2024)

 先月ご紹介したリビングストン・デイジーはその後もすくすくと成長してゆき、3月 には下の様な立派な満開の状態になりました。

 なお、この南アフリカ原産の花の名前の「リビングストン」は、スコットランド生まれの宣教師であり、またアフリカ探検家でもあり、アフリカからの奴隷の輸出への反対者でもあった David Livingstone ( 1813-1873 ) にちなむものです。 彼の生涯の簡単な説明は、ここをご参照ください。



 このホームページにとり上げる話題から、以前のような 「 どこどこを訪ねてこんな美しい景色に感動した 」 とか、「 こんな面白い初体験をしました 」 とかいう種類のものが、すっかりなくなってしまい、「 どこどこが痛くなった 」 とか、「 こんな病気に罹ってしまった 」 とかいう種類のものが、毎月の主流になってきてしまったのは、 もうすぐ92歳という年齢ですから、仕方ないと言えば仕方がない、もう止むを得ない事のようです。

 昨年暮れ以来の脊柱管狭窄症の痛みが大幅に減って来たと喜んでいたら、2月下旬には、頭部の左側内部の軽い痛みが1週間ほど止まらなくなり、脳神経外科を訪ね、MRIの検査などをして貰いました。 幸い 「 格別どこも悪い所はありません 」 と言われ、不思議なもので、そう言われると痛みは次第に軽くなり、去って行きました。 ところが、3月の7日の夕方には、毎日朝・夕自分で測って記録している血圧測定で、脈拍数が通常の60〜70/分くらいから一挙に130/分以上に跳ね上がってしまい、慌てて某病院の循環器内科に駆け込んだら 「 心房細動 」 が急に発症したのだとのこと。 新しい薬がまた二つ増えてしまいました。

 自覚症状は当時も今も全く無いので、前記の朝夕2回の血圧と脈拍数の測定を私がもし自発的に続けていなければ、この変化に何も気づかず、何の手当てもせずに今後ずっと過ごしてしまい、その結果、近い将来のある日、突然重症の脳梗塞になってしまうであろう確率が非常に高かったのだそうです。 面倒くさかったけれど朝夕小マメに血圧を測っていた努力が報いられたと言えましょうか。

 医学、医療技術の進歩のおかげで、こうやって老人が早期に適切な診断と治療を受けて元気に長生きできるのは、素晴らしい文明の進歩なのでしょうが、先月も書いたように、国の財政に次々に負担をかけ続けていてしまい、何だか申し訳ないようにな気分に、どうしてもなってしまいます。 せめて、現状の健康レベルを一日でも長く維持するよう、今後も努力を重ねてゆきます。

2月度 (Feb. 29, 2024)

 リビングストン・デイジーという草花をご存じでしょうか。 京都大学で植物学を教えていた高校時代の友人の大津市にあるお宅を14年ほど前に訪ねた時、門からの登り階段の両側に色とりどりの美しい花が咲き乱れており、南アフリカ原産のその植物の名を教えてもらいました。 久しぶりにその事を思い出し、ネットで探して種を買い、昨年 「 春蒔き秋咲き 」 に挑戦しましたが、見事失敗。 10月に 「 秋蒔き春咲き 」 に再挑戦したところ、真冬は毎晩屋内にとり込んだりと世話をし続けた甲斐あって、今度は成功しました。 開花は3月と説明書に書いてありましたが、地球温暖化のせいか、2月下旬にはもう数輪咲き始めました。



 3月中旬頃、ここに数十色の満開の花の写真を加える予定です。



 3月15日、半分ほど綺麗に咲いてきたので一応載せます。

 話はガラリと変わりますが、「 介護の必要度 」 の公的な認定レベルには、下からまず要支援1,2級があって、その上は重くなってゆく順に要介護1,2,3,4,5級まで、合計7段階あるという事は、ご自身、あるいは近親者がそれをお持ちの方は、よくご存知の事でしょう。

 私の母が、自宅で家族が介護が出来なくなり、介護付き有料老人ホームに入ってもらったのは、95歳くらいだったでしょうか。 その時は 「 要介護2級 」 という認定でしたが、その後次第に心身の衰弱が進み、98歳 ( 数え齢では100歳になったばかり ) で死ぬ直前は、一番重度の 「 要介護5級 」 でした。

 何でいきなりこんなことを私がここに書いたかと申しますと、実は、先月このページの最後の方に書いたように、私の脊柱管狭窄症が今回はなかなか治らず、屋内でも歩行器とか介護用のベッドとかを借りないと生活上不便を生じていたので、しかるべきところに要介護度の公的認定を申請したのでした。 すると、なんと、 「 要介護1級 」 に認定されてしまったのです。

 担当の方々が、色々と心配してくださり、時間と労力をかけて、せっかく認定してくださったのに、「 認定されてしまった 」 はないだろうと叱られそうですが、私としては、認定が頂けるとしても、自分はせいぜい一番軽い 「 要支援1級 」 程度だろう、もしかしたら何も認定して貰えないかもしれない・・・と予想していたのです。 それが、下から3番目の「 要介護1級 」 ですと言われてみると、正直、これはちょっとばかりショックでした。

 でも、昨年10月までは一人でどこにでも出かけられ、毎日3千歩も4千歩もウォーキングできていたのですから、「 痛い、痛い 」 と言いながら、手すりを伝い、時には床を這って家の中をやっと移動できていた最悪期の情況 ( ごく最近は痛みも軽減してきて、これよりはマシになりましたが ) は、まだ他人様の介護は受けずになんとか頑張って生活できているとは言え、もう立派な 「 要介護者 」 には相違有りません。 素直に認めることにします。

 ビートたけし (77)がテレビで、「 これからは高齢者は、出来るだけ国の支援を受けることが少なくて済むよう努力して生きて行かなくては 」 というような事を言っていたと、間接的に知りました。 道路を歩いていたら突然足がもつれて転んでしまい、自分が老人になったとも悟ったのだそうです。

 早速検索してみたら出てきました。 彼一流の毒舌表現なので、読むと反感を抱く方も少なくないでしょう。 しかし現実問題としては、介護の予算や 「 ひと手 」 などが今後ますます不足してゆくと思われる現状を考えると、今回私も貰えるようになった介護保険のお世話になれる機会は、将来だんだん得にくくなってゆくのかな・・・と、不安を感じざるを得ません。

 なお、上記の記事は、やはり抗議が出たらしく、ごく最近削除されてしまったようです。

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1月度 (Feb. 1, 2024)


自宅付近にて。

 今月は、新年早々大きな災害がありました。 被害をこうむった方々は本当にお気の毒です。 義援金を出すくらいしか、私には何もできませんが。

 今年の5月、私はついに92歳になります。 よくもここまで健康で生きられたものよ・・・よくもここまで、このホームページを続けてこられたものよ・・・と感慨深いものがあります。  このホームページがスタートした30年近くも前、前世紀の終わり頃は、ホームページという表現ツールは、個人の自己表現と意見発表のための 「 最新のしゃれた手段 」 でしたが、その後、ブログ、ツイッター( X )、インスタグラム、フェイスブックなどなどの新しい、易しくスピーディに使えて他者との交流にも便利なツールが次々に発表され、急速に前記のような目的のためのデジタルな発表や交流の手段の主流となってきました。

 それにつれてホームページは、企業や官公庁などによる宣伝、広報、情報公開、デジタルな交信等の窓口として利用される場合がほとんどとなり、個人が自己表現と意見発表の手段としてホームページを利用することは、今や 「 極めて稀 」になってきているようです。 ( 旧友すぎやまこういちも生前はホームページだけを世間との接点として使っていました。 そのごく一部を、私は手伝っていました。)

 でも、私には上記のような新しいツールに乗り換えようという気持はまったく有りません。 たとえば、何か大きな出来事があった時に、反射的に思いついた意見を即座に 「 つぶやく 」 とか、大きな出来事が無くても、「 何か他人が興味を持ってくれそうな話題をひねり出して発表し続ける 」 などという事は、私にはできないのです。

 私の場合は、何かの出来事、報道に心を動かされ、何か言いたいなと思った時には、それが事実であることを何度か確かめ直し、また、自分の反応、考えを何度も何度も練り直し、書き直し、「 これが自分のすべてだ。 自分の考えの表現はこれしかない。 事実関係にも間違いはないし文章も練り上げた。 これなら誰からどう批判されようが大丈夫だし、悔いもない。 」 と自信が持てるところまで磨き上げ、確立してから発表したいのです。

 その 「 確立 」 に達するまでには、最短5日から10日、場合によってはひと月近くもかかります。

 それだけじっくりと調べ、考え直し、練り直さなくては、私は、恥ずかしくて、不安で、人まえに自信をもって発表できません。 ( 元首相の某氏は、最近またまた、事実をよく調べず感情の赴くままに批判的な言葉をつぶやいて恥をかいていますね。) 何かあった時、その場その場で反射的に批判的な言葉をつぶやいてしまったら、私の場合、多分10回中7〜8回は数日後に、どうしても修正や撤回をしたくなってしまう事でしょう。 でもそういう事態に陥ることは、某氏と違い、私はとても嫌なのです。 ツイッターでは誤字の訂正すらできません。

 人間の大切な「 考え 」 は、言葉でひとことひとこと、丁寧に 「 紡ぎあげる 」 ものであり、気軽に「 つぶやく 」 ことによって表現されるものとは異質だと思うのです。

 ですから、そういう私が自信をもって発表しようと思った頃には、その話題は時に古臭くなり、世間から忘れ去られかけている事もあります。

 色々と書きましたが、そういう次第で、私の自己表現と意見発表の手段としては、ひと月に一回だけ更新するこのホームページのようなゆったりとしたツールが適しているようです。  以上、日頃、心の中にたまっていた事なので、新しい年の初めでもありますし、だいぶ長々と私見を述べさせて頂きました。

 ところで、昨年11月初旬以来悩んでいた脊柱管狭窄症の痛みは、幸い暮れの28日くらいから減ってきて、痛みの少ないお正月を迎えられました。 6回目の今回は、発症から8週間経っても完治に至らず ( 過去5回の発症はすべて2〜3週間で自然に治った )、長期間かかっていますが、徐々に元の健康な体に戻りつつあります。 今回初めて処方されたリリカという鎮痛剤のお蔭もあるようです。

そういう次第で、今月もほとんど屋外を歩くことはありませんでした。 それでも、家の中と庭を歩く程度
でも、一日に約1,000歩は歩きますし、それ位は歩かないと、脚が萎えてしまいます。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。