こばくち日記

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2005年5月31日(火)
5600円位のとこに泊まったらエエやろ。ウソやけど(笑い)
 始発で家に帰り着くと堪えがたい激しい眠気に襲われた。目を覚ますと前の通りを集団登校する小学生がはしゃぎながら歩いていた。もう一度眠ろうと試みたがすっかり眠気は消失していてどれだけ瞼を閉じても無駄だった。布団を払いのけ、読みかけの馬券本を取り上げた。
 「そして、遂に12レース中11レース的中という準パーフェクトを記録したのだった。…」
 そんな美味い話があるわけがない。それだけ当たれば平日は遊んで暮らせる。馬鹿馬鹿しい。しかし、本当に馬鹿馬鹿しいのは、そんなくだらない本を購入して読んでいる自分なのかもしれない。あるいは、その話は本当なのかもしれない。僕は床にぶち撒かれている財布を拾い上げ中を確認してみた。やはり9万円入っている。厚みを増した財布を片付け、冷蔵庫から水を取り出して一口飲み、再び床へ戻りラジオのスイッチを入れFM放送を聴いた。ワルターのスローテンポなシンフォニーが流れていた。そのゆったりとした旋律を耳にしていると時が止まる心地がした。再び強烈な眠気が襲ってきた。
 
 病院のベッドに横たわっている。新緑が風に吹かれている。体の節々が痛む。枕元のキャビネットには身に着けていた衣服一式と鞄が揃えられていて、手術着に着替えさせられていた。鞄の中を調べると財布だけが入っている。開けられた窓からチャイムの音が風に乗って運ばれてきた。まもなく、極端にカロリーや塩分を制限された味気のない食事が配られた。僕はパンだけ食べて残した。もう一度、鞄を取り出し財布を見た。9万円入っている。鞄を元に戻し、昼食の容器を脇に寄せた。容器の下に一週間の献立が書かれた紙がはさまれていた。その表を見て今晩のメニューを確認しようとしたが、今日が何曜日なのか分からない。昼のメニューから探してみた。水曜日。水曜日? 昨日も水曜日ではなかったのではないだろうか? 一週間以上眠り続けていたのだろうか? もう一度献立表をみて日付を確認してみる。同じ日。一体、何が正しいのか。9万円は事実だ。入院も事実だ。9万円を手に入れた日が巻き戻されていることも事実だ。しかし、これらは矛盾する。何が真実なのか。真実でない事実が存在するのか。何だかわからなくなってきた。思考を停止してテレビをつけた。ワイドショーでは凄惨な殺人事件を興味本位に報道していた。しばらく眺めていたがつまらなかったので消した。もう一度、眠ってみよう。目覚めたらまたワルターが聴こえてくるかもしれない。

今日のBGM oasis「Don't beleve the truth」(sony record BMG)

2005年5月26日(木)
予想外な展開
 競馬予想について訊ねると、ある人は「持ちタイム」だと言い、ある人は「格」と言い、ある人は「着順」と言った。結局、僕は毎週水曜日に終電の富士見が丘行きが行ってしまうと「週刊競馬ブック」と三ツ矢サイダーを手に控え室で先週の結果を調べた。その後に今週の重賞レースの登録名簿を見た。関係者のコメントを読み、調教タイムを見た。分かったことは、出馬表が記号だらけで数字との格闘で予想の印はアテにならないということだった。ある週は持ちタイムで、ある週は格で、ある週は着順で買ってみた。たまには当たったけれども、大体は外れた。しかし、何か手ごたえは掴んだような気がした。持ちタイムが速い馬はそこそこ上位に来たし、格上の馬もそんなに大きくは負けなかった。
 その日もいつもと同じように三ツ矢サイダーとヨーグルトを食べながら競馬ブックを読んでいた。海外では世界のビッグレースが目白押しでその結果が誌面の中ほどのページに書かれていた。僕は馬名をひとつひとつ見ながら、その馬の姿や走っている様子を思い浮かべた。ほとんどは由来もわからないような名前ばかりだけれどもその語感で大きさや体色を想像した。そしてページをめくり巻末カラーの写真を眺めた。解説を読んでもどれがいいのか正直よく分からなかった。だが、何となくいい馬はよく見えたし、やせている馬や太っている馬は少しずつ分かるようになってきた。一通り読み終えるとまた最初に戻る。そんなことを繰り返しているうちにワタナベさんがやってきた。
 「相変わらず精が出るね。その調子で働いたら競馬なんかやるより金がたまるだろうによ」
 そう言いながら、僕が机の上に置いた競馬ブックを手にして登録馬一覧を見始めた。泡が飛び出さないように赤い缶のプルを慎重に引き、確かめるように茶色の液体を喉にした。缶を置くと今度はアンパンを片手で器用に取り出し半分ほど齧って袋に戻した。その間、僕はワタナベさんの視線を追った。それは常に競馬ブックのある一面に注がれていた。
 「競馬の醍醐味はね」
 コカコーラを一口うまそうに飲んでアンパンを流し込みながらワタナベさんは語った。
 「展開。どの馬が逃げてペースがどうなるか。それが鍵なんだ。分かりやすく例えると、ロケットダッシュのベン・ジョンソンが逃げて、カール・ルイスが追い込んでくる。ベン・ジョンソンが速く逃げすぎると途中でバテてカール・ルイスにつかまってしまうだろ。でも、遅すぎてもダメなんだ。速いペースが得意な馬もいれば遅いペースが得意な馬もいる。それをココに書いてあるS・M・Hという記号と着順から読み取ってやればいいんだ。もっともそれだけじゃないけどね。でも一番大事なのはそこなんだよ」

 暑い一日のことだった。
 「では、体育祭のメンバーを決めたいと思います」
 イインチョウが壇上に立ち、その横では書記係が黒板に赤チョークで「体育祭メンバー」と大書していた。僕はこの手のメンバー決めが嫌いだった。華のある応援団長や100m競走はすぐに決まってしまうのに、グランドの隅っこの砂場でやる走り幅跳びみたいな地味なものや2000m競走のように疲れることは誰もやりたがらないのだ。案の定、いくつかの競技が決まらないまま残った。こんな時、ちょっとでも体を動かすと教室中の視線が集中することになる。うかつに額の汗も拭えない。じりじりと湿った熱が立ち込める。誰もがじっとしたまま無言の時間が過ぎていく。こんなムダなことはしたくないんだ。決して気の長い方ではない僕はそのうち我慢できなくなるのだ。
 「では、2000mはフヂワラ君に決定しました。以上で全て決まりましたので当日までみんなで協力して準備をしていきましょう」
 当日、僕の順番が回ってきた。どこのクラスも2000mは人気がなかった。陸上部のナンバー2が出てきたので余計にどこも余剰人員をここに回してきたようだ。レースが始まる前から1つのクラスだけが大いに盛り上がっていたが、僕のところを含め、他のクラスはこの長い競技の間にトイレを済ませたり、乾いた喉を水筒に入れた麦茶なんかで潤している。僕には策があった。スタートダッシュを決めて最初の2,3周だけでもいい。湧かすだけ湧かしてやろう。とにかく初めは飛ばすだけ飛ばした。1周目で数十mの差をつけた。大本命は余裕の2番手。いつでも並びかけてやろうというつもりらしい。2周目で50mほど差がつき、ようやくクラスの連中は2000m競走が始まっていることに気がついたようだった。「さあ、もう十分だろう」僕はペースを落としてそのうち大本命に追いつかれた。だが、大本命は余裕というほどのものでもなく、むしろ息遣いが少し荒くなっている雰囲気だった。それもそうだろう。勝って当然の中、一時的とはいえ50mも差をつけられていて黙っているわけはなかった。徐々にペースを上げてきた彼の息が上がってくるのも無理はない。前半千mを通過して完全に一騎打ちムードになった。何周か息を入れられた僕は一旦2番手に回りペースを上げていく大本命にひたひたと食らいついた。周回を重ねるごとに息遣いが荒くなってくるのが聞こえてくる。僕の方は前半のお釣りの分余裕があった。残り400mの時点で僕は一気にペースを上げた。大本命は、ついてこられない。僕もそんなに余裕があったわけではないがとにかくこのスパートでかなりの差をつけた。もう2人とも余力は残っていない。後はゴールまでそのまま。誰もが予想しなかった結果になった。

 最初に飛ばせば上がりがかかる。逆にスローなら上がりは速い。僕はペースの記号と上がりタイムを見て予想するようになった。ただひたすらに上がりタイムが速い馬を見つけ出しては一喜一憂した。暗算できるような簡単な能力値を作り、それを元に馬券を買った。面白いように当たった。そして、遂に12レース中11レース的中という準パーフェクトを記録したのだった。

 2400円を出すと僕の財布にはもう小銭しか残っていなかった。とにかく流れるままに任せるしかない。始発まで多少時間があった。手の入らない僕はとにかく逃げ続けた。周りが振込みあい、時にはツモり、少しずつ点数を削られていった。さっきからずっと同じ流れだ。もう待つのも限界に近い。動かなければ。換気のために窓が開けられた。月は見えず重たい空気が沈み込んできた。
 南1局南家。何にも役はないけれども早くにテンパった。動くなら今しかない。千点棒を出し、捨て牌を曲げた。「リーチ一発ツモ裏、満千」
 「別にオレらはそのレートでやってもいいんだぜ。何ならもっと上げようか? おい、雨が入ってくるから窓閉めろよ」
 店員は慌てて窓を閉めた。対面の男が睨み付けるように千点棒を投げつけてきた。
 「すみません。2枚オールです」
 三方向から銀銭が投げつけられた。それを1枚1枚拾って財布に収めるとサイを振るボタンを押し黙って配牌を取り始めた。メンタンピン。直感は当たった。ツモはよく、すぐにまとまってきた。気がつけば456の三色が狙える。五萬を引いて八萬を切りリーチをかけた。三色確定リーチ。次のツモ牌は縦に流れる感触がした。「リーチ一発ツモ平和三色イーペイコー裏裏、倍満の3枚オール」
 三方向から福沢諭吉が3枚ずつ飛んできた。卓から目を上げると対面の人相が変わっている。対面だけではなかった。卓を囲んでいる3人ともが変わっていた。1人はパンチでサングラスをかけ、対面は指の数が足りなくて、残りの1人は右腕が義手だった。彼らは何も言わずに山を崩すと牌をかき混ぜ始めた。いつの間にか卓の真ん中にあったボタンまで消えていたのだ。僕は9枚の札を片付けると急いで山を積みサイコロを振った。2。右の山に手を伸ばすと対面の男が「ここは2度振りだぜ兄さん」と低い声で言った。もう一度サイコロを振った。2。左の山に手をかけると突然、激しい便意を催した。我慢なんてできないくらいの痛みだった。さっきまで開け放たれていた窓からの空気で腹が冷えてしまったのかもしれない。山を途中まで取ると代走を告げ、トイレへ急行した。
 「代走、お戻りです。前局、天和で1万6千点オール。いやあ残念でしたねえ。せっかくの天和なのに見られなかったなんて。役満祝儀の500円オールはここにあります」
 元に戻っていた。卓を囲んでいるメンツも全自動卓も元通りだった。僕は500円玉を片付けボタンを押した。

今日のBGM バーンスタイン指揮NYフィル「マーラー交響曲第2番」(sony record)

2005年5月24日(火)
ディープインパクト
 あなたは今、プログラム「ねじまき鳥クロニクル」にアクセスしています。
 0から17までの文書の中から番号を選択してください。


 僕は0という数字を打ち込み、クリックした。画面が開き、そこに文章が並んでいった。

 ここは可能的世界。あなたが選ぶことを欲しさえすれば全てが可能になる。
 南3局親番。点棒は5000点を割っていた。しかし、上3人は差がなくここで上がれば勝ち目も見えてくる。換気のために開け放たれた窓からねじでも巻くようなギイイッという規則的な鳥の鳴き声が聞こえた。僕は緑の卓の中央に埋め込まれたボタンを押した。2つのサイコロが回る。サイコロは2つとも2の目を上に向けていた。目で4トン数えてゆっくりと左の山から牌を4つずつ取り始めた。配牌で早くもドラが重なり、メンタンピンドラ2の好気配。さらに上まで展望できるツモがやってきた。四、六、八萬のリャンカンでカン五萬が入れば456の三色にイーペイコーがつく。
 
 格言1「自分の手が早いときには相手の手も早い」

 上家からリーチがかかった。僕は対面の山に手を伸ばした。右手の親指にザラッとした感触が走る。「大丈夫。キミは飛ぶことはないから」背後から声をかけられた気がしたがツモ番なので振り向くわけにもいかない。盲牌は当たっていた。八萬に手をかけて残り4本の千点棒を1本取り出す。
「通らばリーチ」
「しゃあないな。安目やけどロンや。ピンフドラドラでザンク」
 下家の男は片手で13枚の牌を倒した。567の三色崩れ。

 格言2「三色の同時性」

 首の皮一枚つながったが、3着とも3万点近い差でほぼ絶望的な状況になってしまった。だが、役満をツモればトップになれる。オーラス。気合を入れて配牌を取った。しかし、それはお粗末なものだった。役満どころか満貫すら見えない。いや、テンパイすら遠くに霞んでいる。最初に發をツモった。次に白をツモった。そしてまた發をツモった。字牌はほとんど捨てられていない。僕は最後の可能性に賭けてみることにした。それぞれ1組の両面メンツと頭だけを残し、カンチャン待ちや風牌は捨てた。途中、南を対面に鳴かれた。だが、関係ない。僕に残された道は一つだけなのだ。他の3人は僅差なので降りるわけにもいかず、前へ前へと進んでくる。僕は白をポンした。あとは中が重なれば。残っていた9ソーを切り出し、次のツモ番を待った。だが、それはやってこなかった。下家が対面にダブ南混一の満貫を放銃し、半荘が終了した。

 多くの可能性があるように見えるが、それは実は必然なのだ。僕たちは太平洋をアメリカに向けて泳いでいるつもりなのだ。しかしすぐに世田谷区民プールでもがいている自分を発見することになるだろう。定められた運命には逆らえないのだ。間宮中尉は生きて日本へ帰り、首吊り屋敷では縊死が相次ぐ。この運命を巧く利用するには流れに乗るしかないのだ。河口付近では満潮とともに流れが向きを変えれば自分も向きを変えればいい。綿谷ノボルのように。

 僕は高校、大学を選ぶ際にも最大限の可能性を得られるような選択肢をとった。そこに入学して流れにさえ乗ればどこへでも行ける。自分の将来を多数の候補から選ぶことができるはずだ。実際、僕の周りの人間はたくさんのカードを持っていた。どんな色のどんな数字が出されてもパスする必要はなかった。だが、僕はどうだ。みんなと同じようにカードはたくさん持っている。けれども、そこにはリバースやスキップしかなく、おまけに青と緑に集中していて、赤いカードは1枚もなかった。少しゲームをやりすぎたようだ。休憩をとりたいのだけれども、みんな遠慮なくカードを切ってくる。その度に場の色は赤や黄色に変えられて僕はもう1枚カードを引いてこなければならなかった。選択肢は増える。だが、引いてくるカードはやはり青のドロー2だったり、ただのワイルドカードだったりするのだ。そのうち、一人、二人とあがっていく。僕にはもう残されたカードは緑の9や使えないスキップカードばかりだった。
 競馬を覚えたのは、96年ごろだった。サークルの中では僕の知らない固有名詞が飛び交い、まれに知っている地名が出てきた。アフターでデニーズに入っても僕のできる会話は麻雀と野球と下ネタだけだった。ちょうどその頃、僕は新しいアルバイトを始めた。前のアルバイトは時給はよかったけれども小学校4年生の10人ほどを相手に40分ほど「サザエさんの親族構成について」話をしたら翌週にマネージャーが僕のところへやってきて言った。
 「キミはもう来週から来なくていいよ」
 今度の仕事は終電間近と始発電車が走り始める少し前からの数時間を除けば閑静な住宅街にあるコンビニの控え室に数時間座っていればよかった。2人1組で日替わりのシフトが組まれた。僕は水曜と木曜の夜からの週2日だった。2日とも相棒は売れない小劇団の団員だった。この小劇団員の先輩に仕事を一から教え込まれた。仕事だけでなく抜け道も教わった。むしろ抜け道の方が多かったぐらいだ。
 「防犯ビデオは作動してるけどビデオ録画してないから、腹減ったら適当に店のモン食べていいよ」
 「朝に新聞が来るだろ。そしたら、必ずワタナベさんという人が来るんだ。この人は週末を中心にずっとやってる人だから裏に通しちゃっていいよ」
 ワタナベさんは毎晩、というか毎朝やってきてはトーチュウを読みながらヤマザキパンを食べ、コカコーラを飲んだ。僕も負けずに三ツ矢サイダーを毎日2本ほど飲んだ。その代わり、毎朝の新聞の陳列は僕の仕事になった。ワタナベさんが言うには、その仕事は「新人が必ず通る道」なのだそうだ。6種類のスポーツ紙が届けられると、僕はワタナベさんのためにトーチュウを1部抜き取りそれをレジの奥にしまうと、一番取りにくい下からスポーツ報知、トーチュウ、サンスポ、ニッカン、スポニチ、デイリーの順に並べた。自分のためにデイリーを1部ワタナベさんのトーチュウと一緒に片付けるとレジの金額が正しいことを確認して取っておいたデイリーを手に控え室に戻って三ツ矢サイダーとヤマザキパンを口にした。
 ある日、朝の新聞がやってきて一段落したところで控え室に戻ると劇団員のハラダさんとワタナベさんが激論を闘わせていた。どこかで聞いたことがある固有名詞だと思ったら、それはサラブレッドや騎手の名前だった。絶対に武豊で間違いないと主張するハラダさんに対して、ワタナベさんはこういう時こそ田原マジックが炸裂するんだとお互い譲らない。話は平行線のまま進んだが、やがて朝一の通勤客がパンと牛乳を買いにやってきたのでハラダさんはレジへ向かい予想会は幕を閉じた。
 「フヂワラくんはやるのかい?」
 「いえ、周りではやってる人も多いんですけど、今のところ麻雀専門です」
 「そりゃあイカンよ。麻雀なんて時間がかかってかったるいだろ。競馬はいいぜ。1,2分で何万円儲かっちゃうんだからさ。今週、大きいレースがあるんだ。この馬を買うといい」
 そう言ってワタナベさんは砂を蹴上げて走っている馬の写真を指した。脇には「ファイトガリバー(田原) 調教評価B」と少し大き目のポイントで印刷されていた。
 次の木曜の朝にもいつもどおりワタナベさんはやってきた。得意気に「今日はいつもの1割増し」と言いながら丸ごとバナナを1つ余計に食べていた。
 その1ヵ月後、またワタナベさんは「ファイトガリバーだよ」と僕に教えてくれた。その1ヶ月間で僕はデイリースポーツの競馬面を眺め、分からない記号が出てくると吉祥寺へ自転車をこいで行って立ち読みをした。よくよく考えれば競馬に縁のないこともないんだと気付いた。初めて質問をした時に「栗東」を正しく読めたことにワタナベさんは驚いたが、僕にとっては読めて当然だった。なぜなら僕はその隣町に15年以上住んでいたからだ。15年以上もの間、川の向こうにそんな大きな施設があるなんてことはほとんど考えたこともなかったし、少なくとも僕の生活には影響はなかった。だが、今となってはその二文字は僕にとても大きな親近感を与えてくれたし、そこから興味も増していった。
 結局、僕は運命に導かれるままに競馬に引き込まれてしまった。バイトも自分で選んだ道だし、故郷を離れて上京したのも自分で選んだ道だった。だが、その選択は必然的に隣町にある広大なトラックとそこに住む人馬たちに結び付けられていた。競馬から逃れることは最初から無理な話だったのだ。同じように僕は導かれるように就職先を決めた。もうその時には僕にはカードなんて1枚しかなかったのだ。


 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」を読んで、衝撃を受けた。自分が考えていたことがいくつかほぼ同じ形でオーバーラップされていたからだ。その度合が強すぎて次に進めないので何回かに渡って文章にしつつ、自分の中でもう一度整理してみたい。

今日のBGM フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル「ベートーベン交響曲第5番」(EMI)

2005年5月16日(月)
覚え書
 週末を競馬しないで競馬に費やした。本末転倒とは思いながらG1の中休みで食指も動かなかったこともある。それよりも新理論がかなり煮詰まってきたということの方が大きい。前回(5月11日)ではレース間の序列について考えたが、今度は実際に予想する方向から思案してみた。
 予想する際に必要なのは、過去5走でどれだけのパフォーマンスを示したか、すなわち、どれぐらいの能力を持っているか、ではなく、今回、どの馬が一番最初にゴールすることができるかである。つまり、過去の能力指数を出すことはほとんど無意味と言っていい。実際、去年の朝日杯で3,4,5着したペールギュント、マイネルハーティー、セイウンニムカウはNHKマイルCでは着順が入れ替わった。もちろん、マイネルハーティーに不利な展開だったとはいえ、それがコース適性というものであり、それを見切るのが予想において非常に重要である。
 予測タイムを想定するとして、どこまでが想定の範囲内か。また、その数値はどのようにして算出するのか。これはすぐに答えが出た。重回帰式をそのままあてはめてやればいい。つまり、過去の成績からペース速度と上がり速度を求め、これを、
 走破速度 = ペース係数×ペース速度 + 上がり係数×上がり速度 + 切片 
に代入し、予測タイムを出す。
 この際に、距離によって速度が異なるのは当然であるので、コースごとに基準速度を設定し、ここからコース間の速度差を調節してやればいいだろう。この際に重要なのは、全後半のペースバランスが変わらないように調節することだ。
 こうして出てきた予測速度をそのまま利用してもいいが、見た目に分かりづらいだろうからタイムに変換する。どちらでも変わりはないが、タイムの方が一般的には分かりやすいと思う。ここで必要なのは、コースごとに「ペース係数」「上がり係数」「切片」「基準速度」を設定することだ。これは従来の3F指数同様、500万、1000万のレースを中心にクラス間の誤差を補正する方法でできるだろう。
 最後に残された課題が、実は最大の課題でもある。レースレベルの設定。これが従来のトラック変数に代わるものになるのだが、レース中の馬群の分散の変化とペースバランスから求められないかと思案している。例えば、分散値が高い場合は、スローならついてこれないような低レベルの馬が混じっているということで評価を下げ、ハイペースならこれは普通の展開だろうからそのまま評価していいだろう。逆に分散値が低い場合は、スローは当然の展開なので評価はかわらないか低く見積もり、ハイペースの場合、全体的に高いレベルで走っているということで評価を上げる。つまり、スローペースとハイペースとでは評価が逆転するだろうと見ている。ペースバランスがイーブンになる線を境界としてペースの遅速を判断することになるだろう。そうすればコースごとに基準値を設定する必要はない。試しに過去10年程度のマイルCSと天皇賞・春の分散とペースバランスを見てみたが、春天はバラつきが少なく、あまり面白い結果は得られなかったが、それでも97年マヤノトップガンが勝った年はゴール時の分散値が0.18と比較的大きく、馬群の中心点のペースバランスはややスロー寄りなのでレース全体としてはやや評価を下げて見るべきだろう。01年にテイエムオペラオーが連覇した年はセイウンスカイが1頭だけ大きく遅れて入線しているのでこれを除外してみると分散値は0.10とやや高く、ペースバランスはやはりややスロー寄りなので97年よりも低く見積もるべきだろう。
 マイルCSについては面白い結果が出ている。タイキシャトルが連覇した2年は恐ろしく高い分散値が出てきた。97年0.56、98年0.66。これは10年間でずば抜けて高い。特に98年は2着から10着までが0.4秒差という平均的に高いレベルにあったと見ていいだろう。ペースもかなりのハイペースなのでレース自体のレベルが高く、これを圧勝したタイキシャトルの強さが窺い知れる。逆に03年はペース分散値こそ0.49と高いが、ゴール時の分散は0.04と低く、ペースバランスも高い。スローの縦長で分散値が低いという一番評価できない内容で、これをかなり離れた後方から一気に差し切ったデュランダルはともかく全体としては低レベルなレースだったと言える。これを裏付けるかのように翌年、同じメンバーがかなり出走しているが、前年より着順を上げたのはテレグノシス1頭で後は大幅に着順を落としていたり、レース自体に出走できなかった馬もいる。
 理屈としてはまず正しそうだが、実際にレースレベルを表す具体的な数値化の方法についてはこれから模索していく。

2005年5月11日(水)
まず一つクリア
 前回の課題であった重回帰分析から得られた「乖離速度」の適用について、解決策を見出した。乖離速度は3元1次方程式のyの標準値との差であったが、これはその方程式で表される線分との最短距離ではない。2元1次方程式のグラフを想像してもらえば分かると思うが、ある1点と直線との距離はある1点のx軸方向への延長とy軸方向への延長とそれぞれの延長と直線の交点とで結ばれた三角形の底辺を直線に取った時の高さに該当する。非常に概念的で分かりづらい説明で申し訳ないが、まあそういうことよ。今回の場合は、重回帰式の3元1次方程式と乖離速度の距離を求めて、それを全体タイム速度に加算してやれば実際の能力を表す補正速度、つまり指数になる。もっとも、正確に言えば、ここにレースのレベルを加算してやることで初めて指数になる。
 結果だけ挙げると、前回、例に出した03年有馬記念の能力序列は以下の通り。名前の後の数字は補正時速。カッコ内は着順。
1.シンボリクリスエス 59.86(1)
2.リンカーン 59.49(2)
3.ゼンノロブロイ 59.39(3)
4.タップダンスシチー 59.34(8)
5.ウインブレイズ 59.30(5)
6.ザッツザプレンティ 59.24(11)
7.ツルマルボーイ 59.16(4)
8.ダービーレグノ 59.15(6)
9.アクティブバイオ 59.12(12)
10.チャクラ 59.09(7)
11.アグネスデジタル 59.04(9)
12.ファストタテヤマ 58.75(10)
 やはり、前回指摘したとおり、ブービーのザッツザプレンティの能力が高いことが分かる。
 同じく例示した99年有馬記念については、下位は多少差の大小は生じるが序列を逆転するところまではいかない。ただ、上位は以下のように序列が入れ替わる。
1.スペシャルウィーク 57.46(2)
2.グラスワンダー 57.44(1)
3.テイエムオペラオー 57.38(3)
4.ツルマルツヨシ 57.36(4)
5.メジロブライト 57.30(5)
 序列こそ変わらなかったがテイエムオペラオーが楽な競馬をしているため差が詰まっている。

 ただ、これはただ単に能力指数として機能するだけで、今後走るコースでの順位付けはできない。これが次の課題であり、この課題をクリアすれば予想ツールとして利用できる。今のところ、正準相関分析でできないかと模索中である。

2005年5月9日(月)
3F指数の展望について
 今日は単刀直入。まず、仮称Ver8。はっきり言って使えない。先日(5月1日)も書いた通り、今回の展開を予想して走破タイムを算出することの非現実的なこと。展開を1パターン予想してもそれが当たる確率は限りなく0に近い。展開を予想することが不可能ならば予想タイムを算出することもまた不可能である。これを実証するかのように2年分ほどトラック変数の計算を進めても一向にペースに左右され精度が低いままである。これはもう失敗作としか言いようがない。計画断念である。
 競走結果の分析に当たってまずミクロな視点から入ることにした。すなわち、同レース内での順位付けである。今回の展開予想は不可能だが、結果から帰納することは可能だ。いわゆる「強い競馬をした馬」を探す作業である。ツールとして重回帰分析を試みた。上がり3Fとラスト3F通過までと走破タイムのそれぞれの速度の相関性を分析した。全ての競馬場を試行するのは時間もかかるのでできるだけサンプル数の多いということから、中山の過去10年の結果を採用した。中山は過去10年で一度も大規模な馬場改修工事がなく、年間最低5回開催で、かつ、コースのバリエーションが少ないので必然的に数種類の距離に競走が集中する。ダートならほぼ千二か千八である。分析結果は予想よりも遥かに素晴らしく、相当高い相関性を示した。参考までに相関係数を挙げると、0.999571〜1の範囲である。

 ペース係数×前半速度 + 上がり係数×3F速度 + 切片 = 標準的な全体速度

標準的な全体速度はそのコースで競走を行った時に最も現れる確率の高い、すなわち、理想的な速度である。これから実際の全体速度が乖離しているほど厳しい競馬をしたと言える。いくつかサンプルを挙げてみよう。指数作りの際に常に参考にしているレースがある。98年の宝塚記念と99年の有馬記念がそれである。前者はサイレンススズカが驚異的な速度で逃げ切ったもので、後者は同日の1000万特別に劣る走破タイムで決着したスローのレースである。この両者を分析して、かたやハイペースを逃げ切ったサイレンススズカ、一方はスローを差し切ったグラスワンダー、スペシャルウィーク。これらの馬を同時に高く評価できなければ失敗作ということだ。近年はここにシンボリクリスエスがハイレベルな底力を示した03年の有馬記念を加える。ちょうど、スローとハイの両極端のペースが99年と03年の有馬記念という同一条件で比較できる。
 99年はレース自体は0.01km/hという非常に少ない誤差であるが、上位に来た馬は0.03km/hを超える大きな乖離を示しており、下位の馬との能力差がはっきりと現れている。最も厳しい競馬をしたのが2着のスペシャルウィークで0.043km/hの誤差。次が1着のグラスワンダーの0.038km/h。この2頭は同タイムであるからスペシャルウィークの方がより強い競馬をしたと言える。さらに3着のテイエムオペラオーも同タイムだが、0.026km/hの誤差であり、前2頭とはやや差がある。
 03年はレース自体が0.053km/hと非常に大きな乖離。かなり厳しいレースであったと言える。圧勝したシンボリクリスエスは0.013km/hとかなり標準に近いレースをしている。ただ着差が圧倒的なだけに当然、一番強い競馬をしていることには間違いない。注目は8着タップダンスシチーと11着ザッツザプレンティ12着(最下位)アクティブバイオ。それぞれ0.091、0.18、0.301km/hという相当に大きな乖離を示し、厳しすぎる展開が共通する敗因であることがわかる。タップダンスシチーは4着ツルマルボーイまで0.6秒差だが、ツルマルボーイは0.006km/hしか誤差がなく、能力としては逆転すると思われる。また、タップダンスシチーと同タイムで9着のアグネスデジタルとザッツザプレンティは1.4秒差だがアグネスデジタルも0.029km/hと比較的小さな誤差であり、平均的な展開ならザッツザプレンティの方が先着すると思われる。アクティブバイオはさらに1.9秒遅れているが、着差ほどの大きな能力差はないと考えられる。このような厳しい展開のレースで負けている馬には本来能力の高い馬も混じっているということが分かる。
 次の課題は、この乖離速度をどう適用するか。単純に全体速度に加算しても0.001km/h単位の誤差なので影響力はない。しかし、明らかに下位の馬、例えばタップダンスシチーなどは上位の馬より能力が上であると思われ、実際に翌年はゼンノロブロイとの差を0.7秒から0.1秒差まで縮めている。ゼンノロブロイの成長力を考慮すれば03年の時点では展開がまともなら着順が入れ替わっているのではとも思われる。回帰式から算出された誤差に対する係数、適用する項目(全体速度なのか、あるいは別のデータ、例えば、全体速度の偏差値なのか)などについて調査していきたい。さらに、ここから得られた結果がこれから走るコースに対してどのような数値が予想されるかというところまで辿り着ければ予想として利用できることになるだろう。

2005年5月7日(土)
GWに逆行する
 3連休が2度飛び石であった今年のGW、1日休めば7連休も可能だったが、やれば自分の首を絞めるだけなのでカレンダー通りの出勤。合間を縫ってサークルの仲間らに久々に会ってきた。自分が直接顔を知っている最後の世代が大学院を経て今年、社会に出た。彼らの就職を祝い、且つ、彼らの初任給を飲んでしまおうという企画であった。懐かしい面々であったが、あまり変わりがなく、相変わらず「遅刻者は日勤教育として反省文30枚」とか「とりあえず、最近は文字を全て16進法コードに置き換えてみたりしてるんだ。」などと不毛な会話が展開された。話を進めているうちに原点に立ち戻ってみたくなり、吉祥寺に降り立った。
 サンロードは見る影もなくなっていたが、一歩裏通りに入れば当時と変わらない小汚い街があり安心した。学生時代にはチャージ料すら高く感じられてなかなか入ることの出来なかったSometimeも今から見れば安いもので丁度アフタヌーンライブをやっていたので聴いてきた。GWというのに客が一杯で飛び込みで何とか席を確保できたが活気があって宜しい。ライブハウスはやはりいい。演奏は明らかに下手くそなんだけれどもだだっ広いホールでメジャーなアーティストのライブに行くよりも臨場感が違う。手の届くような場所から聴きつつ眺められるという親密感が生み出す空気。ベースのお姉ちゃん、自分より大きなウッドベース相手に格闘、ご苦労様でした。
 学生時代と同じように井の頭線に乗りキャンパスへ向かった。何かがない。広大な空き地ができている。旧寮の跡地だ。在学中に1棟は取り壊されていたが、全て綺麗になくなっていた。「不法入居」と攻撃され(法律上は確かにそうだ)、ライフラインを全てシャットダウンされ、テント村を作ってまで抵抗したレフトの彼らも、今は、いない。立場上、新寮サイドの関係者でもあったのだが、レフト定位置よりは左中間あるいはセンター寄りの知人が何人か住むというよりは寄生していた都合もあり度々出入りしていたが、zero-barも寮内雀荘もピンクの委員会部屋も何もかもが空虚となっていた。どちらかというとセンターよりややライト側へシフトした守備位置にいる(と自分では思っているんだが)身としても寂然たる様を目の当たりにしてノスタルジックな想いに打たれた。学祭の時にはあの前で他所の連中と喧嘩もしたし、レフトの連中のアジテーションをパロったこともあった。取り留めのない思い出が流れてきては去っていく。何か自分のパーツの一部が抜け落ちてしまったようでもあった。しかし、懐かしがっていてもどうにもならない。前に進まなければならないのだ。恐らく日本で最後の大規模な学生運動になるであろうこの寮にまつわる事柄は整理して現実と対峙していかなければならない。そして捻くれ者は世間に逆らうように空席の関空行きに乗り込んだ。
 渋谷のunionでマイルスの黒帯紙ジャケを発見。「kind of blue」7,500円はふざけるなと思ったが、「at carnegie hall」は2,500円と国内盤のプラケースと変わらない値段なので買ってきた。帰ってきた翌日、所用があったので日本橋へ出てみたらdisk JJで1,400円で売っていた。これはかなり凹んだ。悔しいので擦り切れるまで聴きこんでやりたい。

今日のBGM Miles Davis「at carnegie hall」(sony record)

2005年5月1日(日)
そろそろ手掛けようか
 雨の中、淀まで行ってきた。馬券収支は単勝自己記録(購入した件について。予想上では16,190円がレコード。)1,540円を的中させてとりあえずプラス。いや、あと5分早く入場していればビッグフラワー初勝利の3,300円だったんだが。
 京都競馬場といえば、JRA屈指の場内不味い飯寄せ集め競馬場としてあまりに有名だが、ワシが行く店をちょっと紹介しておこう。淀駅から踏み切りを渡って直進した突き当たりの角にある「濱繁」という店だが、普段はすし屋らしい。行ったことがないのでよく知らないが。ただ、昼の2時までは定食を出していてここがまずまず食える。お薦めは濱繁定食。刺身と焼魚と両方を楽しめる。今日のおやっさんの買いたい馬はチャクラとビッグゴールド。常連さんがアイポッパーを挙げていたが、さすがにスズカマンボのことはみんな忘れていたようだ。
 まあ、単勝1個しか当たらないのも寂しい。3F指数のトラック変数も漸く今年の分に入って残り4ヶ月分となった。GW(グリーンウェルではない)にはできるだけ追いつきたいが、3F指数も限界を感じているのは先日、記したとおり。新理論をぼちぼち煮詰めて行こうかと帰りの電車で思ったわけである。
 まず、展開予想について。よく言われるように「同じメンバーで100回やれば100回とも違う展開になる」。当然、コレという展開を1つあるいは2,3個に決定することは事実上、不可能である。従って、前5走について帰納法的に予想することになる。であるから、コース替わりなどによる変わり目はやはりコース特性を利用していくしかないだろう。あるいは、コース替わりは無視するか。
 結論として欲しい物は、能力でも予想タイムでもない。「どの馬が相対的に一番前にいるか。2番目3番目の馬は?」ということだ。であるから、当日の馬場差を予想して予想タイムを出す必要もないし、能力は上でも展開で泣く馬はたくさんいる。スピード指数がスローペースで使えないのはそういうことだ。今、考えているのは、ゴール地点での馬群の中心点からの位置。これが新理論の結論として算出されることになる指標である。非常に単純明快である。そして、この指標を算出するためには、残り3F地点での馬群中心点からの位置と、そこからの上がり指標。これらを総合してゴール地点での相対的指標を決定する。
 具体的には、同一レース内では、単純に、残り3F地点での馬群中心点からの位置とゴール地点でのその位置との差がそのレースでの序列を決定する。勿論、この序列は当該レースでの着順ではなく、「どの馬が一番強い競馬をしたか」という序列である。強い競馬をして勝った馬は当然、強いわけだが、強い競馬をして負けた馬は展開が変われば勝つ可能性があるということになる。逆に、強くない競馬をして必然的に負けた馬や、強くない競馬をしてたまたま好走した馬は次には買えないと考えればいい。100回やって1,2回は勝つ可能性があるのがたまたまその時だったということだ。
 同一レース内だけなら話はものすごく早いが、レース間の比較をしなければ意味がない。ここが現在、躓いているところで、「馬群の密度」「残り3F地点とゴールとでの馬群分布の相違」「馬群中心点のペースバランス」「各出走馬の馬群中心点との位置から検討するペース」などが鍵にはなりそうだが、どのように結びつけるか。これからの課題である。
 レースのレベルとそのレース内での序列から結論が導き出せるはずだ。と、一応は信じて進めていきたい。
 統計学の本をパラパラと立ち読みしてみたが、重回帰分析とかいうのが使えそうな気がするが、何せ、統計学なんて全くやったことがないから気がするだけで実は全く使えないのかもしれない。いずれにせよ、ものすごく簡単な、中学生でも分かるレベルの統計学の入門書でもきちっと読んでみたい。つうか、中学生でも分かるレベルの統計学の本というのが存在しないのでは…。今日も目次を見ていてヘブライ語と同じレベルで理解できなかった。

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