こばくち日記


2003/11/12.(水)
さらば、かみのやま
 2003年11月11日をもって上山競馬が終焉を迎えた。いや、打ち切られた。ここ数年で中津、益田、新潟、三条、足利とたて続けに地方競馬が廃止されている。財政上の理由がほとんどであるが、殊に上山に関しては思い入れがある。上記の5場と異なって実際に足を踏み入れたことのある競馬場だからである。
 ワシと山形県は一切関係がないのだが妙なつながりのようなものがある。そもそも初めて山形へ行ったのは19の頃。合宿制度で自動車免許を取るために雀友と共に行ったのが上山市の一つ手前の赤湯温泉だった。免許合宿とは言え、車に乗ったり講習を受けるのは1日のうちせいぜい4,5時間。他の時間は全くの自由行動で、ワシらは昼は麻雀、夕方は温泉、そして夜は再び麻雀に耽ったものであった。その地で約2週間余りを過ごし、時にはその鄙びた温泉街を歩き、また路上教習を受けながら自然を眺めた。ある日、丸1日の休みがあり山形市内まで観光に出かけた。鈍行に乗り込み、山間をとろとろと進んでいく。山を越えると盆地が広がってくる。そこが上山であった。まだ上山競馬など存在も知らなかった当時はそのまま通過していった。そこへ再び訪れるとはよもや思わなかった。
 2年前のこと。ワシは持病の腰痛を悪化させ、時には座っていることすら堪え難いほどになってしまった。折り良く夏休みを取る事が出来、温泉療養なぞに出掛けてみようと思い立った。まだ32をブンブン乗り回していた頃だが腰痛の療養に数時間も運転していくなどというのは論外。長時間、鈍行に揺られるのもつらい。ともなれば行き先は必然的に限られてくる。その中で温泉以外にも魅惑のある上山が残ってくるのは流れである。
 上山に着いたのは昼過ぎ。まだ宿のチェックインには少し早い時間である。ワシは空腹を満たすために駅前の食堂に這入る。冷し中華を頼む。暇潰しに読書なぞしてみる。上山→斎藤茂吉→北杜夫→トーマスマンという繋がりでトニオクレエゲル。というのはただのこじつけで薄いので嵩張らないこの本は旅の常備薬のようになっている。適当なページを捲り読み始める。ハンスハンゼンがギャロップの連続写真について語る場面に至って競馬を思い出す。そして現実に帰る。まだ冷し中華は来ない。「おばちゃん、冷し中華まだ?」と問うと「今、冷してるとこだよー。」と返事がある。なんだ冷し中か。というしょうもないやりとりをしつつ。この冷し中華の不味いこと。宿へ向かう途中の温泉饅頭屋で一つ食してみると美味い。美味い温泉饅頭を口にすると矢張り温泉街それも寂れた所に来たんだという実感が沸いて来る。流行りの温泉街の饅頭は不味い。一球入魂。これが美味さの秘訣か。
 到着するとまず温泉。そして観光。気分のせいもあるだろうが痛みは快方に向かい近辺の観光地を散策するも苦にならず。とは言え小さな町ゆえ大して見る所もないわけだが。春雨庵というのは沢庵和尚縁の地で茶室に篭ってみる。街中がそうなのだが、客は他に誰もいない。折から春雨ではないが小雨が落ちてきている。畳上に座して目を閉じると閑寂。雨音と彼方から聞こえる蝉の音ばかり。宿に帰ると再び温泉。とにかく温泉三昧の旅でもあった。腰痛はすっかり良くなった。
 駅から薄原を抜けていく競馬場。すっかり自然に埋没している。パドックを見れば畑が見え、コースを見れば山が見える。牧歌的な上山競馬。そこで行われる競走もまた時代から取り残されたかのような長閑な雰囲気である。荒れることもなく平穏な日々が永遠に続くかのように思われた。競馬場での出来事は以前に出したのでもう書かない。食堂でサービスに出してくれた茄子の浅漬、おいしゅうございました。「アンちゃん、旅打ちけ」と声を掛けてくれた予想屋のオッサン、予想は全然当たらなかったけれども面白い話を聞かせてくれて有難う。いつか指数を作って再挑戦と思っていたがそれも果敢無くなった。上山市に預けたままの1万円はもう返って来ない。

  朝ゆふはやうやく寒し上山の旅の宿りに山の夢みつ
                       斎藤茂吉

2003/11/11.(火)
 トラック変数は2002年札幌2歳まで進んだ。あと1日分進めればスプリンターズSまでできるわけだがあせる必要はない。気づいた点はいくつかあるが、モノポライザーの指数が意外と高いこと。60を越える。これで重賞を勝てない方が不思議だが体質の弱さなのか。ローズSはさほど指数は高くなくて、むしろ1着のファインモーションや2着のサクラヴィクトリアに関してはそれぞれの前走の方が高いくらい。どちらも60弱である。一方、牡馬クラシックはシンボリクリスエスとノーリーズンの神戸新聞杯での指数が抜けた存在。落馬してなければやっぱり勝ってたんではないかというくらい差がある。

2003/11/9.(日)
サキソフォン・コロッサス
 テナーサックスの巨匠、ソニー・ロリンズを聴きに行ってきた。御年73という高齢にもかかわらず熱いプレイを披露してくれかなり満足である。さすがに年のせいもあってソロを取る時間も短く、むしろ他のメンバーを立たせつつ最後のオイシイところは自分でというような感じだった。それでも死ぬんではないかというぐらいに吹きまくっていた。最大のハイライト、セントトーマスはもう踊るような演奏で客席も一体となって最高。最後のアナウンスの「See you again」が実現することを願う。

 さてそんなわけで今日は競馬もお休みで、いや、狙ったレースはあったが京都7Rで、スイートエルフの単が昼前の時点で6倍超だった。しかし、馬体重が2桁マイナス。決して絞れたという数字ではなく、実際にパドックを見てもこれは細いと思わせるような馬体だった。それを裏付けるかのようにこの中間の稽古が相当軽く時計も大したことがなかった。ということで見かなと。結果は同着で何とか残ったが配当も随分と安くなっていたので仕方ない。最後の一踏ん張りがきかなかったのが馬体減の影響だろう。重賞も見てるだけでよかった。手を出してたら火傷してるところだった。

 トラック変数は予定通り、2002年夏競馬まで完了。ゴールデンキャストって実はそんなに大したことないんじゃないかと思い始める。小倉の最終週で勝ち上がるも指数は40強。決して弱くはないが驚くような指数でもない。少なくともこの時点でG1で1番人気に推されるような馬ではないということだ。

2003/11/7.(金)
OKADA80
 日本橋にあるキッチンスタジアムOKADA16という洋食屋に行ってみた。以前からそばを通るたびに気にかかっていたのだがどうやら昼は営業していない模様で夜に行くしかない。そこで早目にあがれた今日、念願かなったのであった。
 まず入口からして「スタジアム」である。野球選手の顔写真の切り抜きが看板に貼られていてもう野球に興味がない人間を近づけないオーラが漂っている。ワシなぞは逆に引き込まれるように中へ這入っていったのだが。中はそれほど広くない店内に所狭しとお宝グッズが飾られている。プロアマ問わずユニフォーム、サインボール、バブルヘッドなどの人形、サイン入りのバットやグラブ、そして古い野球雑誌など。一発で「もう1回来よう」と思ってしまったぞ。もちろん、岡田監督の現役時代の写真も飾られている。
 洋食屋での定番メニューであり、星野SDの大好物でもあるオムライスを注文してみる。これが安くて美味い。量的にはやや足りない気もするが値段を考えれば十分に満足がいく。ここのマスターは神戸だかどこかのホテルのレストランで修行を積んできたというから腕のいいのも納得だ。ちなみに店名の「OKADA16」はマスターが岡田さんということに由来しているようだ。もちろん、岡田監督の現役時の背番号に引っ掛けてあるのは言うまでもないことだ。ひっそりと隠れ家的な雰囲気もあり、かなり気に入ったので近いうちにまた食べに行きたい。
 その後、難波のゲーセンで「激闘プロ野球」で水島新司オールスターズと対戦。これをやるのは初めてなのだがまあ有りがちな野球ゲームなのですぐに操作には慣れる。とすぐに挑戦者が乱入してきたのだが、こいつがまたダイエーだとか讀賣だとかを使ってくるのである。ここをどこと思っているのか?今の時勢を考えているのか?当然、こんな非国民は撃破である。水島軍団には頼らず我が球団レギュラーメンバーで金満チームを粉砕する。ちょっと100円のつもりで始めたのになぜか100円で1時間近く遊べてしまったのでラッキー。そう言えば、PS2も値下がりするらしいし、2003年版のデータの野球ゲームでも買おうかな。

2003/11/6.(木)
 今日のトラック変数は2002年夏の福島・阪神開催最終日まで。今週中に夏競馬を終わらせることができるか?というペース。目に付いた馬を1頭だけ。シルクブラボー。新馬戦で40後半という驚異の指数をマーク。この後トントン拍子でG2デイリー杯まで勝ち続けるのだが、その後脚部不安で半年休養。復帰後は全くいいところなしのまま、現在は再び放牧に出されているようだ。だが、40後半という指数はそのまま1000万に入っても面子次第では好勝負できるレベルだ。ましてやそれが新馬戦での物ともなれば、やはり上のクラスで勝ち負けという馬だと思うのだ。似たような馬にミスキャストがいるが、これも放牧明けしばらく全く勝負にならず、再放牧から戻ってきてようやく実力を発揮しだしてついにはG1マイルCSにまで出走した。おそらくシルクブラボーも次に放牧から帰ってきた時にはその能力を如何なく発揮してくれるだろう。

2003/11/5.(水)
 今日はトラック変数も1週分だけ。やはり平日は何だかんだで遅々として進まず。しかし1日ずつでも進めていくことでゴールが見えてくる。2002年宝塚記念。ダンツフレーム、ツルマルボーイという上位の2頭が65を超える指数。やはりG1はこれぐらいでないと。贅沢を言えばもう一声欲しい所だがそれは秋まで待ってみることにする。

2003/11/4.(火)
 パレードより一夜明けて今朝のスポーツ紙を読むと改めて感動の念が蘇ってくる。しかし、反動のせいかものすごく眠い。ので今日はほどほどにしてネール来日。
 トラック変数は2002年の函館開催へと突入。新馬の指数などを少しずつ出していく段階である。この三連休は何だかんだであまり手を付けられなかったので少しずつでも挽回していきたい。

2003/11/3.(月)
神戸は美味かった
 いつもより早起きして淀屋橋へでかけた。午前9時頃に到着した時には既に群集。阪神優勝の御堂筋パレードである。ニュースによると徹夜組が5000人とか。沿道の2階より上の階層にある喫茶店は窓際が占領され歩道も前からズラリ。幸いにして通りを見通せる場所を確保することができた。間一髪。待つこと1時間半。余りに手持ち無沙汰なのでJBCの予想などをしながらオッズを確認しようとすると携帯からネットに繋がらず。皆、考えることは同じなのだ。殊に阪神球団公式サイトは全くの不通。
[朝から御苦労である]
 オープニングセレモニーの行われる市役所前からは淀屋橋を挟むだけで通常ならブラスバンドの演奏やマイクロフォンの音声程度は聞き取れるはずなのであるが、何せこれだけの人数である。加えてパレードの直前から大粒の雨が降り始めあちらこちらで傘の雨音。周りのメガホン等の動きからどうやら六甲おろしが演奏されているらしいことが読み取れる。いよいよパレードの開幕なのであろう。しかし強まる雨脚。路面を跳ね返るほどの強さである。折角のポジションだったが写真撮影は断念。
[こんな位置取り]
 橋の向こうから歓声があがり手らしきものが蠢いている。それが選手、コーチのものであると判別するまでにさほど時間はかからなかった。1号車には監督コーチそして桧山選手会長をはじめとするベテラン選手が乗り込んでいる。星野コールが起こり、「ありがとう」とあちらこちらから絶叫が飛び交う。見ることはできたが車道が余りに広すぎて思ったよりも小さくしか見えなかった。2号車、3号車とゆっくりと続く。所々で車は停まり、車上の選手と沿道の観衆とが一体となり万歳三唱がなされている。そして、民族大移動が始まる。次は3時間半後に神戸でもパレードが行われる。そのために駅へと向かう人波が押し寄せているのだ。一斉に数千という数の人間が御堂筋線に乗り込もうとしているのだ。これは歩いた方が早いと判断し、梅田まで雨中行軍。これだけずぶ濡れになっていればもうどれだけ濡れても一緒や!
 梅田から元町三宮への移動は大半が何とかの一つ覚えの如く阪神電車を利用するのではないかと思っていたが意外と少なかった。やはり時間を最優先なのか。直通特急にも関らず「らしき」人間は片手で数えられるほどであった。阪神特急で元町へ移動し、合羽と食料を調達しようとコンビニへ入るが何も無い。とりあえず手持ちにのど飴があるのでそれを持って会場の様子でも見に行ってみようかと思ったのが運のつき。何とほぼ最前列に並べてしまったのだ。みんな阪神をやめてJRで移動したのではなく単に昼飯を食らってただけなのだね。折角の好位だ。動くわけにもいかず相変わらず雨は降り続きもう傘には雨水が染み込んで用をなしていない。それでも特等席だ。2時間我慢してサウナか銭湯にでも行って温まればよい。
 降雨と空腹に耐えた甲斐があってか2時のパレード開始前には小雨になってきてもう傘がいらないほどになった。持参のデジカメを構え今や遅しと待ち兼ねて、ついにやってきた。こんな至近距離でいいのか、というような位置だ。
[さらば背番号77]
 星野仙一最後の縦ジマ、しかと見届けた。あまりの感激に写真を撮る手もおぼつかず或いは撮影すら忘れて「ありがとう」「おめでとう」と叫んだ。岡田新監督もいる。来年も頼むよ。桧山、矢野。引退の広澤もいる。うおおおおおおおお。もう何だかよくわかんないぞ!2号車には今岡が乗っている。金澤はゲッツ!来年はちゃんと投げろよ。3号車は藤本、濱中。ぐはあああああああ。


 何だかよくわからんまま気づいたら終わっていた。さて、何の因果かこのすぐ先のWINS神戸でJBCの馬券を売っているので一風呂浴びて買いに行くとするか。スプリントはおそらく間に合わないので先にSPAT4。地元の商店街のオッサンに聞き込みをして銭湯を探し出し、風呂上りの珈琲牛乳を飲みながらTV観戦するも残念ながら1,2着が入れ違いで3連単をとり逃す。クラシックは簡単ドンの頭。意気込んでウインズ突撃である。人気サイドでは左回り専用のユートピアは秒殺。パドックを見て休み明けのカネツフルーヴは元気が無い、ネームバリューは逆に気負いすぎ。気配が最も良かったのはやはりアドマイヤドンなのだがコアレスハンターもかなり良い。オッズを見るとこれは結構な穴である。恐らく少し速いペースになるであろうから差し馬から相手も選択してスターキングマン。昨日も秋天で大活躍のペリエ騎乗だ。これに上がり馬イングランディーレを加えて3点。ぬおおおおおおおおお。何だかよく分からんが4コーナーでペリエが来てるぞ。相変わらずそつない騎乗だ。そして、その後ろからコアレスハンター内田博幸ぃ!嗚呼、何で三連単売ってないんだ、何でSPAT4の残高ないんだ。その後、アンカツ、ペリエのお金で神戸牛の遅い昼食。
[ブレてしまった…]

2003/11/2.(日)
久しぶりに快勝
 天皇賞は終わってみれば納得の結果。ツルマルボーイの2着は会心の予想。エイシンプレストン4着、カンファーベスト5着も予想通り。ただ不満が残ったのは1着。着たら当然と言えばそうなのだが休み明けで大外で呪いの1番人気で、それでも来るか。シンボリクリスエス。馬券的には押さえなので被害はなかったが、しかし。強い。それも拍子抜けするほど。展開が嵌ったとは言えあのパフォーマンス。本当にJCが目標なのかと問い質したくなる。
 それにしてもスゴイのはヨコテンの記録である。今年のG1はこれで11戦して6回の2着。全くもって見事というのかどうか。ヨコテン2着流しで馬単を買っていればかなり儲かってるはずだ。次はエリザベス女王杯。ここには2着厩舎の橋口勢からこれまた2着の女王ローズバドで出場するはずだ。2着の3乗。もうこれは目が離せませんな。馬券的には簡単。ここから勝ちそうな馬3,4頭に流すだけでOK。

 10月一杯は自分の中で禁雀していたので晴れて年季が明けてのフリー。運とは溜め込んだ分を消費してはまた貯めていくものなのか。3半荘だけだが面白いように牌が流れてくる。最初の半荘は2000、3900と細かく刻んで一発親満でそのまま逃げ切り。次の半荘はやはり細かく刻んで満貫一発で捲り戦法だがこれが裏目。オーラス寸前でトップを奪われ3着転落。だが僅差の3着で3900を上がればトップだ。お誂え向きにタンヤオドラ2を仕上げて、ローンと来たがトップも同テンで結局2着。最後の半荘はトップ目に4万5千持たれて独走状態。3着目ながら南入時にはその差を2万弱まで詰め、ラス前に勝負手が入る。
      ドラ
 ここは狙って最悪でも混一七対子を仕上げたい。ドラが鍵だ。
      ドラ
 上手く中を暗刻にできたので一盃を狙いつつ手なり。
      ドラ
 テンパったがまだまだ最終形ではない。
   ツモ     ドラ
 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!一発逆転大テンパイ。速攻で上家にを鳴かれる。も暗刻なのでその周辺が余ることが予想されこれは出てしまうか…
   ロン     ドラ
 案の定、出上がりになってしまった。しかもラス目から。これでトビ終了。残念ながら200点届かず2着だが連続連対で浮いたのでヨシ。

2003/11/1.(土)
 今日は手を出すはずだった唯一のレースも一本被りで見送り、結果的にこれが吉と出た。予想が外れたのであまり嬉しくは無いのだが。手持ち無沙汰となったのでメインのスワンSのオッズを見てみるとこれまた何と予想外。G1で2着したサニングデールや重賞を勝ちG1でも好走したギャラントアローが全くの人気薄。ギャラントアローに至ってはこれまでに負かしてきたマイネルモルゲンやモンパルナスよりも人気が無い。2頭の馬連は軽く300倍超。
 当初は見てるだけのつもりだったがこれは手を出すかと組み合わせを考える。人気サイドでは実績から言ってもテンシノキセキは外せない。逆に1600万までのロイヤルキャンサーが1番人気とはコレ如何に?こちらはいらない。また京都は激走するテイエムサンデーも指数の裏付もあり組み入れたい。馬連では点数が増えすぎるので三連複。とにかく不当に人気がない2頭を軸に流してみる。どれが来ても万馬券、ド高めなら大気圏突破。一攫千金とはまさにこの事かと鼻息も荒くレースを迎える。
 千二でも軽く逃げられるギャラントアロー。千四のここは楽々先手だ。テンシノキセキも好位につけている。と、こんなところにネイティヴハート。騎手が替わるとこんなにも馬が変わるのか。初めて見たような気もする好位戦。そしてサニングデール。武のロイヤルキャンサーは最後方。溜殺しキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!。
 4コーナーでコーナーワークを利してギャラントアローが後続を突き放す。外回りの直線は長いが平坦。あとはそのまま傾れ込むのみ。そしてその後ろからはインを突いてサニングデール。テンシノキセキも来ている。そのままじゃあああぁぁぁぁ・・・・・サニングデール、伸びず。
 結果としては、2頭ともから馬連や馬単を流していれば取れていたわけだが言っても仕方の無いことだ。が、久しぶりに穴の匂いが充満していたレースであった。

 野球の五輪代表チームがプロ野球選抜(Bチーム)に負けたそうで、プロ野球選抜とも言い難いあんなメンツに負けているようではアジア予選突破なんぞ言ってられるか。いや、常総学院よりも弱いだろうきっと。そもそもコーチが酷過ぎる。何のコーチをするのかよく分からないメンツだ。それを集めた監督にも問題が大有りだ。敵チームの監督をやっている限りは大歓迎という人だからな。しかし、ジーコといい長嶋といい、マスゴミももっと批判しないと。強者にへつらい弱者に強い。本当にゴミだ。

 トラック変数は2002年安田記念まで終了。今のペースで行けばおそらく年内には追いつく。オークス、ダービーと見たがこの世代はやはり低レベル。ここまでは。安田記念もレベルは低かった。60ちょいでG1を勝ち負けできるなんて。裏の愛知杯も指数的にやや劣る程度。最近のマイルのG1勝馬がコロコロ変わるのはこの辺りに原因があるのかもしれない。

最近のこばくち日記