こばくち日記


2005年2月27日(日)
本棚を買った。

 水曜日の夜から微熱が下がらず、喉のイガイガが治らなかったもんだから土曜の昼までずっと床に臥していた。鼻づまりもひどくて、これは花粉かもしれないけれども、とにかく寝ていた。動こうと思えば全く平気なんだが、出勤して周囲にウイルスばら撒くのもイカガナモノカと思い木金は休んだ。半分、鬱々したものもあった。
 土曜日、午前中に宅配便が届いた。先週の日曜に注文していた本棚だった。まだぐずついていたのでとりあえず放置しておいた。
 昼から随分と具合がよくなり平熱になったので、予約してある「十戒」を観に行くか観に行かないか迷った。熱は下がったといってもまだ完治したわけではない。こういう場合は経験上、無理をするとまたぶり返す。だが、映画と違い、DVDと生とでは全く迫力が違う。ましてや結構な金額であるから観に行きたい。しかし、雪が降るほどの寒さ。結局、行かずに後悔するよりは、行って後悔しよう。一番厚手のズボンを履き、一番厚手のシャツを着込み、その上にタートルネックとダウンジャケットに手袋と重装備で大阪城ホールへ行った。
 あっという間の2時間だったが、本当に「あっという間」で、内容が非常に薄い。まあ字幕が小さすぎて読みづらかったというのもあるが、「巨大な美術セット(幅40m高さ12m)」「舞台転換の多様化とシーンの多角的変化」「背景に映像を用いることによって視覚的に訴えるロケーション設定」。映画の手法を取り入れた新しい演出らしい。何でもでかけりゃいいってもんでもない。大阪城ホールのハコから考えたらさほど大きな舞台装置でもない。逆に大きすぎることで無駄な空間が生じ、観客の視点が変われば見え方まで変わってしまう。舞台転換なんて中村座に比べたらおもちゃみたいなもの。正直、扇町公園での平成中村座は小屋自体は小さな物だったが、公園を舞台に使うという奇抜なアイデア。伝統的な歌舞伎として観た場合は完全に邪道だが、一つの演劇としてみればこれほど「巨大で多様な変化をする美術セット」があるだろうか?映像は実験的な意味合いもあるだろうが、ベースになるセットはそのままで舞台転換を見せるという点では効果的だとは思う。しかし、映画と演劇の中間地点という曖昧な位置にある半端な代物だった。音楽に合わせた照明効果なんてチープなクラブの演出と何ら変わりがない。TOMATOの方が余程いい演出をする。
 要は完全に期待外れということよ。映画からミュージカルというのが如何に難しいかということ。映画ならCG処理で何でもできてしまうが、生身の人間が演ずるミュージカルではそう奇抜なこともできまい。軽快なアクロバットも菊五郎劇団の立ち廻りを見慣れた目からすると「そりゃ3階さんのやることよ」とまあ驚きも何もない。それにしても字幕がないと全く内容がわからん。出演者の振りがアイドル歌手の振り付けとさほど変わらない。ただマイクで唄い上げながら手を胸元から大きく広げる。何の象徴もない。ミュージカルなんてそんなもんよと言ってしまえばそれまでだが、折角、常識を覆すセット、演出を用意したのだからその辺りも考えてみたらどうかと。演出に型があるわけでもないわけだし。
 逆のパターンを月曜に観た。ミュージカルを映画化したという方だ。「オペラ座の怪人」。こっちの方はもう見るからに金かかってますっていうセットで、シャンデリア潰すのにどれだけの労力と金を使ったのか。資本投下。こちらは俳優が唄いながらストーリー進行するという映画では珍しい演出。元がミュージカルだから然したる苦労もあるまい。ただ俳優は演技だけでなく歌唱力も問われるわけで難しかっただろう。何度撮り直したかは知らないがまずまずの出来ではないかと思う。音曲に合わせてのストーリー進行、場面転換というのは浄瑠璃芝居を見慣れていれば全く抵抗がない。むしろ自然に受け入れられる。ただ、映画の場合、壮大なシーンや白熱する立ち廻りというのが演出としてどうしても出てくる。そこに時間を割かれて導入部の展開が急すぎることが多々あるがこれも例外に漏れず。ファントムの葛藤が薄っぺらく感じた。廃墟となったオペラ座のオークションから1つのオルゴールをキーとして過去の記憶へ遡り、最後に再び現実へ戻ってくるという展開は合格。
 さて、重装備のおかげで風邪がぶり返すこともなく日曜の朝にはほぼ回復。ということで1日置いていた本棚を組み立てる。昼過ぎまでかかって組み上げ一杯一杯になっていた本を新旧の本棚に整理する。たくさんあるように見えたが、全然少ない。確かに大阪へ引越す時に漫画は某少年誌の編集をしているA氏(このA氏についてはかなりの伝説があるのが今回は省略する)と時代錯誤社の後輩に大量寄贈し、文庫本、学生時代にテクストに利用した種々の本は大半を実家に戻した。それにしても少なすぎる。また、偏りがある。昔からそうだ。一人の作家に固執する悪い癖。日本近代文学は半分くらいは網羅したかとは思っていたが、半分どころか文学史の教科書で言えば太ゴチック体の半分くらいしか読んでないことに気付いた。まだまだ精進せねばならない。
 本に積もっていた塵や埃でまた喉と鼻をやってしまった。さあ先週の水曜日に逆戻り。半端が一番いかんね。徹底的に治さないと。暫く龍角散が手放せなさそうだ。

2005年2月16日(水)
フェブラリーS特集 〜4歳馬はどうなんだ?

 今日はG1昇格後、唯一、4歳馬が1〜3着を占めた97年を中心に検討してみる。
 この年は明らかに5歳以上が手薄で、上位人気でも5番人気でようやくビコーペガサスがいるぐらい。それも武豊で5番人気。実績もダートは3戦2勝だが、新馬と旧3歳500万特別の2勝なので実質、実績なしと言っていいだろう。
 さらに当時は4歳馬は斤量が1キロ軽かった。ということで今年は5歳以上にもアドマイヤドンを筆頭に人気サイドの馬が数頭いるので独占とはいかないだろう。三連単を買うにしても4歳馬2頭軸というのは無謀だ。
 では、買える4歳馬のパターンを検証してみよう。
  シンコウウインディ:前走で平安S勝ち。ダートはダービーGP以外全て連対。PCIでは40後半をダートでマークしたことがある。
  ストーンステッパー:前走でガーネットS勝ち。ダートは1500万特別3着1回を除くと全て1着。内、1500万特別、OP特別、G3、G3と4連勝直後だった。PCIは40まで。この年の不良馬場に助けられた感はあるが、勢いは無視できない。
  バトルライン:ここまで全てダートを使われ、ユニコーンS(当時は秋の中山開催)以外は5勝、2着2回、3着2回。前走は今の根岸Sとほぼ同条件のOP特別である銀嶺S勝ち。
 他の年についても馬券対象になった4歳馬を見てみよう。
  メイショウモトナリ(98年2着):ダートは5勝、着外3回(全て重賞)。5勝のうちには交流重賞2勝を含む。前走は平安S4着でPCIは40前後をマーク。平安Sで初めて40台後半をマーク。
  ゴールドティアラ(2000年2着):ダートは4勝、3着1回。ユニコーンS(秋の中山開催)とシリウスSの重賞2勝を含む。前走は平安S3着。PCIは40台後半。
  トーシンブリザード(02年2着):この年から5歳以上と同斤量になる。ここまで全てダートで8勝、3着1回。南関クラシック完全制覇で交流G1のジャパンダートダービー勝ちを含む。前走は東京大賞典3着。PCIは全て南関出走のため不明。
  サイレントディール(04年2着):ダートは1勝、着外2回。秋の武蔵野Sを0,7秒差で圧勝後、JCダート、東京大賞典で2秒以上の惨敗。前走は東京大賞典7着。PCIはダートは40以下だが芝では50台後半までマークしたことがあった。

 まとめると、ダートでかなりの複勝率をマークしていて且つ重賞(交流を含む)を勝っていることは最低限の条件と言えそうだ。特に前走で重賞3着以内、又はOP勝ちは重視したい条件。PCIについては、ダートで40台後半をマークしているか、芝で50台後半をマークしているのが目安になるだろう。
 今年の登録馬を見ていく。
  カフェオリンポス:JDD勝ちはあるものの、根岸S5着、東京大賞典12着、師走S2着で複勝率も低い。
  シーキングザダイヤ:ダートは3戦して1,2,3着が1回ずつ。全て重賞。前走は川崎記念(交流G1)2着。芝で50台後半のPCIをマークしたことがあり圏内。
  ジンクライシス:複勝率100%。ただし、1600万までしか勝ち鞍はない。前走は平安S3着で初めて40台後半のPCIをマークした。堅実なメイショウモトナリ型(矛盾した表現だなあ)。掲示板ならともかく連対までは期待薄。
  スリージェム:重賞出走経験すらなくPCIも低いので無視。そもそも出走できそうにない。
  ダイワバンディット:ダートは2着1回、着外1回。前走は東京新聞杯12着。出てきても用はない。
  トップオブザワールド:全てダートで3勝、2着3回、3着2回、着外6回。重賞はユニコーンS勝ち、ダービーGP2着が目に付く程度。前走は根岸S7着。PCIは問題ないがデータ的には複勝率が低く(特に近走)、消し。
  パーソナルラッシュ:ダートは5勝、3着1回、着外3回。ただし、着外の1つは米BCクラシックで度外視。重賞はダービーGP、エルムS勝ち、ユニコーンS3着。前走は東京大賞典9着。PCIも高く、圏内。前走は大きく出遅れたことを考慮すればかなりの高勝率。
  メイショウボーラー:ダートは2勝で勝率100%。いずれも重賞で3馬身以上の着差。前走は根岸S1着でPCIは45を超える。タイプとしてはストーンステッパーにかなり酷似。だが、それ以上の実績があるので十分圏内。

 というわけで、4歳馬で買えるのは人気サイドの3頭と言える。ただし、人気は割れると思われるのでシーキングザダイヤやパーソナルラッシュは6,7番人気くらいになる可能性もある。  

2005年2月14日(月)
フェブラリーS特集 〜先入観を捨てて

 今週はいよいよ今年初めてのJRAG1。的中させて気分よくクラシックを迎えたいところだ。
 ところで、メンバーを見て「アドマイヤドン鉄板」の観が強いが、本当にそうだろうか?まずは、「ドン鉄板」の先入観を捨てて、過去のデータから検証してみたい。その結果が「ドン鉄板」なら仕方あるまい。データはG1昇格の97年以降で、中山開催の03年は除いている。
 
ポイント1 PCI
 G1に昇格してからのフェブラリーSで馬券対象になっている馬のPCIを調べてみた。98年メイショウモトナリ(2着)の40.4から去年のアドマイヤドン(1着)52.6までの範囲に収まり、概ね45前後が最も多いようだ。
ポイント2 脚質
 逃げ馬はほとんどが潰れている。ただ、追い込み馬はさらに不利で、オリオンザサンクスが大逃げした2000年以外は全て馬券に絡んでいない。今回はそこまで大逃げしそうな馬もいないので追い込み一辺倒の馬は評価を下げるのがいい。最も有利なのは好位抜け出し。
ポイント3 馬齢
 4歳馬は出走自体がなかった99年を除けば、01年以外全ての年で馬券に絡んでいる。しかし、勝ち馬は99年から全て5歳馬である。7歳馬もそれなりに馬券になっている。
ポイント4 性別
 牝馬も馬券対象にはなっているがほとんどが人気サイドである。

まとめ
 勝ち馬を探すなら5歳牡馬からということになりそうだが、大将格は平安S勝ちのヒシアトラスと東京大賞典2着のユートピア。PCIが低いユートピアよりはPCIは適性範囲内のヒシアトラス。
 牝馬は人気しそうなのがいないのでいらない。
 明け4歳で面白いのはPCIが適性範囲のシーキングザダイヤ、ジンクライシス、パーソナルラッシュ。メイショウボーラーは芝では高いPCIをマークしているが、ここ2戦を見る限りギリギリのライン。
 アドマイヤドンについては、やたPCIが高いので不安はあるが、タイムパラドックスはさらに脚質面での不安もある。ピットファイター、マイネルセレクトはPCIが低い。

 とりあえず今日はここまで。

2005年2月11日(金)
オルガニズム

 オルガン奏者のJimmySmithが死んでしまった。参考記事
 ここ数日の間、品切れで絶版の可能性がある『江藤淳コレクション1〜4』(ちくま学芸文庫)を探し求めていたが、大阪市内ではどうしても3巻だけ手に入らなかった。そこで今日は京都まで足を伸ばしてみた。ジュンク堂から探したら、いきなり見つかった。拍子抜け。
 ついでにと思って寺町の電気街を観察に行った。話は聞いていたが現実は悲惨だった。もう「電気街」なんて言えない。ニノミヤは先日、倒産。現在、会社更生法により再起を図っている。ここも数店あったのを1店舗に集約するようだ。FMトランスミッターとか探知センサーみたいな使途不明のキットや抵抗1本からバラ売りしていたような店も1店を残すのみ。ヒエン堂やタニヤマムセンパーツ館はいずこに…。真っ先に潰れていると思った電計社が何故か生き残っている。残った店もほとんどがPCショップに変わっていた。15年前、わずかな小遣いを叩いて値切りに値切ってソニーのラジオを購入した。今も現役でドバイWCや香港国際デーにはラジオたんぱ中継などで活躍してくれている。その店は今は、ない。悲しいがこれが現実だ。おそらくもうここにやってくることもないだろう。
 そのまま上がっていく。四条から御池にかけての寺町・新京極もすっかり変わってしまった。道端に並ぶ幾つかの寺と改装もままならない映画館ぐらいが面影を残している。いかにも修学旅行向けのお土産屋みたいなのはほとんど無くなっている。新撰組の法被を着て木刀を振り回す厨房というのが定番だったのに。こじゃれた店ばっかりで通り全体がビブレになってしまった。
 滅入ったので久しぶりに爆弾でも仕掛けてみようと二条寺町まで上った。しかし、八百卯まで毒されて店中檸檬だらけだ。買う気も失せた。「京都」という街の個性がどんどん失われていく。東京などとは歴史の違いを感じさせてくれた昔の京都はTVや映画の中でしか見られなくなってしまった。虚像の京都。嗚呼。インパルスに入って自家焙煎のコーヒーを啜りながらノスタルジイに浸ることで精一杯だ。
今日のBGM JimmySmith「A new SOUND-a new star at the organ vol.1」(bluenote1512)

2005年2月7日(月)
他者との共生 〜阿部和重『グランド・フィナーレ』について

 何故、突然「阿部和重」か?
 先日、1:8にハッピーアワーができたので行ってみた。つうか、ハッピーアワーでなくても行ってるんだが。21時までノーチャージでドリンク全て半額。2000円あれば十分に酔える。前回に来店した時に「十日戎で屋台を出す」バイトをしていたアンちゃんは沖縄へ「砂糖黍収穫」バイトの出稼ぎに出たらしい。で、別の店員さんとおしゃべりをしていたところ、彼女は他に書店のバイトをしているらしく文学の話題になった。まあ一応、文学学士でもあるので多少の知識はあるが、綿矢・金谷同時受賞以来、「芥川賞は死んだ」と公言していた自分は阿部和重もスルーしていた。近頃、古典ばかり読んでいたせいもあるが正直、全く知らなかった。で、昨日の今日で別用もあったのでジュンク堂へ行くと「最後の大物」とかバーンと打ち出されていて、勝手に文学史を終わらすなよってツッコミが入る。そんないきさつなわけで『シンセサミ』『ニッポニアニッポン』といった所謂「神町サーガ」作品群は全く読んでいないので却って新鮮な書評になってしまっているかもしれない。
 確かに「最後の大物」と呼ばれるだけのことはある。只の純愛ライトノベル金原ひとみやオタクの人物観察の甘さが決定的に破綻を来たしていると感じた綿矢りさとは500万クラスと重賞勝ち馬くらいの格の差を感じた。大体、筋金入りのオタクっちゅうのはあんなチェックの甘さもなければ衝動的な言動もないしそれがなければ「蹴りたい背中」なんてのは存在しえない。オタク論になると話が長くなるのでやめておこう。
 『グランド』の方に話を戻すと、この作品では「他者」について展開されていく。「他者」とは結局、完全には理解できない者である。しかし、社会は「他者」との共生なしに存在することはできない。人間は一人では生きていけない動物だから。その「他者」を少しでも理解できるように生きていこうとする一人の人間を描いた作品である。
 物語は大きく2つに分かれる。前半部では主人公・沢見の離婚を巡るエピソードと人間関係の崩壊が描かれ、それを受けて後半部で「他者」の理解を図る過程が描かれる。重要なアイテムとして「音声学習機能のついたジンジャーマンのぬいぐるみ」が登場するが、これはまさに「他者」の象徴と言ってもよいだろう。彼(彼女?)は沢見の語り掛けに対して全く理解不能な頓珍漢な返答をする。と同時に一人娘として、また、ロリコンの対象としてのちーちゃんの身代わりでもある。沢見はちーちゃんが今だに父親である自分を慕っていると思っているが、実は母親とその家族に吹き込まれ悪人と見られていたのだ。ちーちゃんにとっても沢見は理解できない怖ろしい「他者」であり、沢見も自分の娘を理解できていなかった。
 沢見の周囲の登場人物もまた同様である。彼の元妻は結婚前から沢見が集めていた児童ポルノに全く気付いていなかった。唯一の頼れる友人と思っていた伊尻は沢見を裏切りおそらく利害的打算から沢見の元妻側につき、酔った勢いとはいえ数少ない東京の友人らの前で離婚に関する真相をぶちまける。ただの馬鹿女と思っていたIにはかつて沢見が行ってきたのと同じような目にあって自殺した友人がいて、Iは沢見に対して手のひらを返したような反発を覚える。Iにとっても沢見は「他者」でしかなかったのである。「他者」の集まりの象徴としてのクラブxがある。そこではお互いを理解し合わなくともドラッグによって全てが誤魔化せる。他人の不幸な事件で何もかもを誤魔化そうとする現代社会の縮図だ。
 元来が「他者」を理解するように努めないのが沢見の性格だった。このことは前半部での妻子に対する言動あるいは想いや、唯一連絡を取り合っていたのが伊尻だけであり、この伊尻の本性すら理解できていなかったこと、あるいは後半部で実家の店番の最中にポータブルプレーヤーで音楽を聴き、自分だけの殻に閉じこもっていたことから明らかだ。これは沢見というよりは現代人が抱える大きな問題でもある。建前だけで造られる社会。本音を語り合う親友も持てない。信頼は打算のために脆く崩れ去る。こうして現代人は人間不信に陥り、人間不信がさらにヒキコモリを生み出す悪循環。この悪循環の生成物としてのロリコンがあり、沢見がいる。沢見は現代人の問題を投射させた写像といえよう。
 こうして現代社会の問題を浮かび上がらせて、その解決する道を示そうとするのが後半部である。37歳にして立派なニートとなった沢見は昼間からしゃべるぬいぐるみを抱えて町をうろつく。2ちゃんねらーでも見ることのないほど素晴らしい人物だw。家族は心配するというよりは自分達の世間体から沢見を更生させようとするが根本的な原因はそんなところにはない。実家を追い出し、家業を手伝わせたところで濡れ手に粟である。そこへ同級生で今は小学校の教師をしている黒木が現れる。彼のお節介から沢見は自制していたロリコンの対象であるローティーンの少女と接しなければならなくなる。
 初めは自制の意識から頑なに拒み続けるが麻弥と亜美の2人の仲良しコンビには裏事情があることを黒木から知らされ自分の過去の清算も含めて(これは最後にクリスマスプレゼントとして、かつて娘の誕生日に贈ったのとおなじインコを用意することから読み取れる)、彼女らとの「共生」を図ることになる。だが、「他者」は理解できない者である。自殺マニュアルのサイトを2人が閲覧していたのを目撃して以来、沢見は2人が今すぐにでも自殺するのではないかと不安に駆られ街中を探し回る。勿論、芸能祭のお芝居を演じるまではそんなことが起こりうるはずもないのだが。しかし、徐々にではあるが「他者」を理解し、共生することが可能になり始めてきたところで物語は映像的な描写でフィナーレを迎える。その証拠に相棒のジンジャーマンはいつも通り稽古にやってきた彼女らに「おはよう」と全うな挨拶をするのだ。しかし、このフィナーレはスタートラインでもあるのだ。なぜならば、芝居の本番はまだ幕を開けていないのだから。真の「グランド・フィナーレ」はこの作品の先にある。
 最後に、220枚という紙数に無理矢理詰め込みすぎた感がある。「9・11」、ロシアのチェチェン問題、バリ島の自爆テロ、アフリカ難民問題といった国際的な社会問題。神町を通して語られる都市計画問題。特に前者は国家単位での理解し得ない「他者」という問題を含んでいるが、問題提起としては余りに中途半端なままで片付けられている。ましてやラリッった状態のクラブ内でチェチェンやアルカイーダなど語られるはずもない。それならば、現代社会をより浮き彫りにするためにも、Iをはじめとするクラブ内の人間模様や元妻の家族との関係をより煮詰めて描いてもよかったのではないだろうか。それから、何時間も缶チューハイ片手に1軒の家をじっと見つめてたら絶対に酒屋の店主に
           ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           ( ´Д` ) < 通報しますた
          /,  /   \
         (ぃ9  |       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          /    /、
         /   ∧_二つ
         /   /
        /    \
       /  /~\ \
       /  /   >  )
     / ノ    / /
    / /   .  / ./     (゚Д゚) <しますた
    / ./     ( ヽ、     @( )>
   (  _)      \__つ   / >
ってやられると思うんだけどなあw。
 あと、娘の誕生日に買ってあげたインコがクリスマスからちょうど49日前に解き放たれたという設定は個人的に気に入った。インコがどこかへ飛んでいってしまった=インコの存在が無になった=インコ死亡 から四十九日という忌明けの法事に結び付けられる。そして忌明けに待っていたのは離婚という家庭崩壊。無事、往生してないのが玉に瑕だが。

2005年2月6日(日)
ダービー馬はダービー馬から

 共同通信杯、会心の一戦。58キロの斤量と長い府中の直線とがどう出るかと危惧していたが杞憂に終わった。
 対抗馬ニシノドコマデモが大出遅れというラッキーもあったがきっちり出ていても1着は間違いなかっただろう。先行勢が全て潰れる中で後続を寄せ付けない走り。結果的に後傾型ラップを刻めたことで皐月賞のメドは完全にたった。去年の例を持ち出すまでもなく皐月賞は先行型に有利なレースだ。スペシャルウィークが、そして本馬の父でもあるアドマイヤベガが、後方から追い込み届かず。多少の小競り合いくらいなら動じないだろう。うまくサニーブライアンのようになってくれれば申し分ないのだが。
 レース自体のレベルは決して低くはなかった。8Rに芝千八の500万があったが通過ラップは千m60.4。共同通信杯は60.0。勝ちタイムはそれぞれ1:49:8と1:47:8。500万より2秒速いということは単純に考えれば十分に古馬1600万クラスに相当する。

2005年2月2日(水)
愛すべき馬鹿者たち

 先日、愚弟の結婚式で上京した折に学寮時代の友人たちと飲んだ。
 年月というものは人を大きく変えることができる。当時、我々の食べ残したカップ麺の汁をたかっていたのが山手にマンションを借り美味い汁を吸っている。当日来られなかった一人は若手官僚のホープとして毎晩遅くまで残業に明け暮れている。我々の仲間内でも先駆けて結婚した一人はもう離婚を考えている。デリダデリダと毎日叫んでいた一人は二人の子供と奥方のために身を粉にしている。デリダは死んでしまった。
 翌日、同じ寮内の別グループの連中と飲んだ。
 一人はとてつもない高給取りなのにいつも金がない。趣味につぎ込んでいるためだ。相変わらずゴミ屋敷に暮らし、「瞳はバラ」という名文句で始まる過去のノートそのままに原作者になるんだと熱く語る。別の者は国1や京大法学院にストレートで合格しながらいずれも蹴飛ばしてハッキングとプログラム開発に勤しむ。当日も「ピッチのJAVAでトルネコもどきのゲームを作ってみたんだ」と喜色満面であった。このYという男、自分が今まで会った中で一番の天才だと思っている。しかし、一番才能を無駄遣いしているとも思っている。また機会があればYについて書くこともあるだろう。そして、今一人はイヌイ同志である。相変わらず「正月の2日から園田に逝ってきました」と精を出しているようである。
 こんな無駄でバカな人生を送っている人間が大好きだ。自分もそうだから。披露宴の最中に地元の後輩でもある弟の旧友らと談笑していても、帰ってきて職場で披露宴の話題になっても同じように「お兄さんはどうなんですか?」と聞かれた。「趣味と酔狂で生きているのでまだ結構」と答えておいたが、実際、偽りはない。1枚のCDのために半日を潰して歩き回る馬鹿などそうはいない。同じ酒を酌み交わした仲間だが、はっきりと方向が二分化され、間にはかなりの温度差を感じた。自分はいつまでも馬鹿でありたい。改めて想いを固めながらイヌイと酔いどれ二人で外苑東通りを歩く。たった一杯のラーメンのために。

今日のBGM SonnyRollins「TenorMadness」Prestige

最近のこばくち日記