2004年11月1日(月)
ワシ流麻雀哲学2 〜麻雀における他者性
2004年10月24日(日)
29万円のハナ差

[無念…]
三連単 18-5-1 128,570円
三連複 1-5-18 22,360円
初手から溜息である。直線に入って後50m、ここまでは完璧に来ていた。だがしかし、世の中そうは美味く行かないもの。差されたと思いつつもターフビジョンを見ると同着か?とも思ってしまった。写真判定の時間がかかる。落ち着いてパドックも見ていられない。もし当たっていれば、何と29万弱だったそうだ。まあ仕方がない。コスモバルクと心中すると決めていただけに何とも言えない。ただ惜しむらくはスタートの出遅れ。あれがなければまずあの29万円のハナは裏返っていた。嗚呼・・・
だが、ここで終わってはいけない。次へ向けての反省を行わねばならない。勿論、反省するだけでは無駄だが。レース前の分析はほぼ完璧だった。単純に過去の菊花賞の結果のPCIから予想していたら最初の予想のようにハーツクライやハイアーゲームに傾く。だが、それは結果から導き出していることによる間違いである。今回はそこに気づいた。菊花賞という全馬未経験の距離を走る特殊なレースだから出来たことでもあるが、結果を分析するのではなく、戦前の状態がどうであったかというところから分析しなければならない。そして、その結論を元に今回のレースへの適用という総合を行わなければならない。これは非常に大きな収穫であった。そういう点では過去のPCI平均値というのは結果の分析とも言えるが、これらについて全てのコースの戦前の状態を分析するのはほぼ不可能でもあり、また平均PCIは好走したものだけを抽出しているのでこれは妥協するしかない。ただ、予想PCIについてはまだまだ考える余地がある。
3,000円の使い道
最終レースのことである。まず、勝てると見ていたマルカキセキは順当にパドックを見ても悪くない。4,5頭いた3着以内候補の中からもう1頭軸を探して三連単、というのが頭からの予想。しかし、最後まで決められずにいた。つまり、ペース適性で勝るマイケルバローズも悪くないが、PCIがやや低いケージーアジュデが休養明けで+14キロ。しかし、馬体は絞まって見え気配も素晴らしい。メンバー中1番目立っていた。どちらを取るか?結局は気配は悪くないという理由から半ば惰性でマイケルバローズを軸に選択、ケージーアジュデはヒモとした。まあしかし、結果はどちらを軸に取っても3着が外れていたので意味はない。
ここで言いたいことは、馬券の種類の選択である。29万のハナ差事件ですっかり脱力していたため頭から三連単以外の馬券が見えていなかった。2頭軸マルチ5頭ヒモなので30点。3,000円の投資である。この3,000円の使い道にも色々ある。
1.当初の予定通り三連単を買う。
→しかし、2頭目の軸が決められない以上は諦めるのが賢明。
2.まず確勝のマルカキセキの単勝が2.5倍ついている。これなら十分買えるオッズだ。
→7,500円の払い戻し。
3.3頭まで2着候補が絞れていた。従ってマルカキセキを頭にした馬単を3点、1,000円ずつ買う。
→12,800円の払い戻し。
実際にこの3通りを考えて、特に1.の方法が無理ならば2.3.のいずれかを選択すべきである。オッズを見ればまず3通りとも7.5倍は越えるから3.の馬単が正解だった。
三連単は非常に面白い。1,2番人気を軸に買っても万馬券が出る。しかし、買い目が多くなる分、実はその分を全部単勝に突っ込んだ方がお得なこともある(例えば、菊花賞の1つ前の太秦S。ダート実績がないこととハンデ頭で嫌われたアタゴタイショウが快勝。これは初めから軸の1頭に考えていたので冷静に考えれば3,000円が3万円に化けている)。単勝、馬連、馬単、三連複、三連単と配当が高くなるにつれ的中させるのは難しくなる。しかし、馬単ぐらいまでなら或る程度点数が絞れれば効果的な馬券もないだろう。三連単のように10万を越える払い戻しは期待薄だが無理に三連単に拘る必要もないわけである。今回の後半4Rの買い目を振り返って見ると決して無謀な買い方はしていない。いやそれどころかかなり的中に近いところまで行っているし、菊花賞以外は馬券の選択を間違えなければ的中できていた。
馬券予想において重要なのは、
どの馬を買うか(What)ではなく、どのように買うか(How)である。
2004年10月13日(水)
ワシ流麻雀哲学
麻雀について考察してみた。
思うに、卓上には「何か或る物」が存在し、それによって動いている。「或る物」というのも何かははっきりと分からないが、俗語で言うなら「神」とでも言うべきか。この「或る物」に導かれて対局が進展していく。つまり、この「或る物」という存在になれれば卓上を全く自由に操ることができるであろう。
もっと具体的に示そう。生涯単位での理想は「常に勝ち続けること」であり、1半荘単位での理想は「常に上がり続けること」であり、1局単位での理想は「与えられた配牌での最短距離にして最大値の上がり」である。だが、これらを満たすことは経験上、不可能である。つまり、これらの理想、したがって卓上の「或る物」の実在は超経験的であり、不可能である。
1局単位から当たってみよう。「与えられた配牌での最短距離にして最大値の上がり」とはある時には大三元、四暗刻、国士無双等の役満であり、ある時にはメンタンピン三色ドラドラであり、ある時には純チャン三色である。これらは一見、不可能ではない。いや、現実的ですらある。だが、「最短距離」というのが重要である。麻雀は通常、4人で打つ。この「最短距離」は4人中最短でなければならない。仮に自分に国士無双の手が入っているとしよう。この場合、中張牌が他の3人に回っている可能性は通常よりも高く、彼らの理想がメンタンピン三色であることもありうる。自分のツモで次々に手牌が揃ってくるということは他家には次々に中張牌が入っていっている可能性が高いということでもある。つまりこの互いの駆け引きが重要なのだ。勿論、国士無双では哭くことはできないが、仮にこれが大三元であったなら哭くことも考慮に入れなければなるまい。だが、そうすれば他家に警戒されることは間違いない。理想は面前で仕上げることである。しかし、「最短距離」が絶対的なものではなく相対的なものである限り、どこかで見切りをつける必要がある。これはメンタンピンでも同じである。理想は「最大値の上がり」であるが、半荘単位での理想である「常に上がり続ける」という命題を満たそうとすればこの「最大値の上がり」を時には捨てねばならない。このタイミングが肝となるであろう。(以下、不定的に続く)
最近のこばくち日記