こばくち日記


2005年1月25日(火)
ウォーキング

 最近、よく歩いている。別に健康に気を使ってというわけではない。結果的に歩いている。
 読みたい本が絶版になっていることが多々ある。東京なら神保町近辺を徘徊すれば事足りるであろうが、大阪はそういった古書街という集合体がほとんど存在しない。かろうじて阪急梅田駅のガード下に「古書のまち」というのが存在するが全然大したことがない。大学生協の方がよほど品揃えがいい。というか、書道とか茶とか対象外の物を扱っている専門店があるので使えない。そこで点在する古書店を訪ね回ることになるのだ。
 ミナミにも何軒か一般書籍から古典籍、学術書などを扱う店がある。しかもそれらが一所にまとまっていないから厄介だ。入ってみたらタダのエロ本屋だったり、難儀やなあ。しかし、キタの方がやはり充実していて駅前ビルに数軒まとまった場所があり、東通りや前出の古書のまちなどそこそこの数がある。稀に掘り出し物を発見したりする。先日は岩波文庫の浄瑠璃本を50円でゲットした。昭和初期の物で変色が激しく当然旧字体旧仮名遣い。書名も右からという時代物。しかし、これは然るべき所に持ち込めば数百円にはなるはず。なんせ初版でもあるし。まあ転売目的で購入した訳ではないのでより美本が見つからない限り売却することはないと思うが。
 ただ、概ねが徒労に終わる。そこでとうとう京都まで出張してしまった。土曜日に、淀では競馬が開催されているというのに、特急で通過してまで。土日しか休みがなく、日祝日は閉まっている書店が多いので仕方がないのだが、車窓を流れ行く京都競馬場に未練を残しつつ出町柳まで。さすがは京大の懐。内容が充実しすぎていて手が届かない。仏語専門店なんか欲しい本があってもタイトルすら読めへんっちゅうの。しかし、法外な値段もついているものだ。いくら定価よりは安いとはいえネット古書店の方が格段に安い。学生相手と思ってふざけた商売しやがって。まあ今回は試験前という時期の悪さもあり、ほとんど収穫はなかった。不要になった物が出回る3月中頃にまた出掛けてみようと思っている。
 それよりもミナミにせよキタにせよ、あるいは京都にせよ、古書店ある所には必ず中古レコード屋という物が存在する。こいつが難敵だ。アナログプレーヤーを持っていないのでLPには手を出せないのが不幸中の幸いというか、CDでもタワーレコード等の大型店舗ですら品切れのお宝がゴロゴロ転がっている。廃盤になった物、特殊ジャケット仕様の物。キタで駅前ビルと東通りを通るだけで何故か諭吉さんが確実に一人ずつ減っていく。ミナミなど毎日通っているのでその気になれば毎日、諭吉さんが飛んでいく。おかげさまで持っているが聴いていないCDが溜まって仕方がない。そこで大阪市内ならいつでも来れるからと何とか自制しているものの、京都市内へ足を運ぶことはそう多くない。したがってある物は買いたくなってしまうのだ。
 そもそも古書も中古CD・レコードも一期一会。次回もあると思っていたら翌日にはなくなるということもままあること。実際、先月に四条まで出た折に丸善で発見しながら時間の都合で買いそびれた再販本を入手することが今回の目的の1つでもあったが案の定、無くなっていた。そういうわけで手当たり次第手を付けていったところ、行く先々で発掘。大阪市内では新旧問わず発見できなかったパーカーのダイアル集が1,100円。これは安いと即買い。これを手始めに今出川から四条まで歩いてしまった阿呆が一人。5時間かけての行脚。市役所近辺が熱かった。この日ほどアナログプレーヤーを持ってなくてよかったと思ったことはない。あったら大変なことになっていただろう。アナログプレーヤーは欲しいが、LPなんか保管場所に困るし物によっては破格の値付けをされていたりするので完全自粛。いや、いいんだ。LPの方が音がいいなんて言ってる連中に限って、CDで聴かせてみても分からないんだ。「ビールは何飲んでもヱビス」よ。

今日のBGM 1,300円で入手した紙ジャケ仕様 Lou Donaldson「Swing and Soul」bluenote1566

2005年1月16日(日)
1dacade

 10年前の昨日は大雪だった。センター試験初日を迎えた京大キャンパスも積雪で滑る者が続出。縁起の悪い天候だった。交通機関の混乱を予想してかなり早くに家を出た記憶がある。
 10年前の今日は天候も回復して試験も終了し、久しぶりに緊張感から解放された。翌日は代休で漸くゆっくりと寝られる夜になった。
 10年前の明日は、早起きになってしまった。築20年近い家が強烈な勢いで揺すられた。とりあえず布団に潜ることしか考えつかないまま長い時間が過ぎた。自分の部屋は何事もなかったが今までにない揺れはどれぐらいのものかと半ば好奇心からラジオのスイッチをつけた。間もなくNHKのアナウンサーが地震速報を伝えた。震度6神戸、震度5大阪、震度4京都、奈良、滋賀。ほお、震度4は初めてだがこんなに揺れるものなんだと感心し、また寝ようと思うが続報も知りたいのでボリュームを絞りスリープタイマーをセットしてまた布団に潜った。微かな音声が子守唄のように鳴り続けていたが、眠りに入る前に続報が次々と入る。何だかよく分からないがもの凄いことになってるらしい。寝ている場合ではないらしい。居間に降りると既に親は起きてTVをつけていた。
 幸い自分の近辺には死人もケガ人も出なかったが、起きたら本棚が体の上に乗っていたとか、交通手段がないのでしばらく登校できないとかそんなのはゴロゴロいた。3月になってヒマができたので三宮近辺をうろうろしてみたが、ポートタワーのあたりは全く手付かずのままでブロックが波打っていた。
 10年一昔というが本当に早いものだ。全くの日常が突然、根底から覆されてしまう。そう考えれば人の生き死になんてものは偶然というか運命というか不思議なもので、死にそうでもなかなか死ななくて反対に意識する間もなく死んでしまうこともある。死ぬ時はあっという間だ。そう決められていたとしか思えないくらい突然にやってくる。自分は発作で倒れた時に、不安の中で入院している間に死ぬかなと思ったが死ななかった。従兄弟は事故で打ち所が悪かったがために死んでしまった。事故死で想像されるような死に顔ではなくほんの少し血の滲んだ痕が残っているだけで眠っているかのようだった。タイキシャトルが2回目のマイルCSを勝った日が葬式だった。8頭横並びの2着争いでほんのわずかだけ先に出ていたのが人気薄のビッグサンデーだった。運命というのは本当に分からないものだ。
 幸か不幸か生きながらえてしまった自分には何かまだやり残していることがあるようだ。それが何かは分からないし人のためになることかも分からないがとにかく行くしかない。行かなければ答えは見つからない。3軒リーチに向かうが如く行くだけだ。当たるかどうかは切るまで分からない。考えても当たる時は当たる。考えなくても当たらない時は当たらない。10年前にTVの報道を見ながら本当は気付いていたのかもしれないが考えなければ楽に生きられるから避けてきたのかもしれない。10年という区切りの日に想いを新たに我が道を行く。
 ともあれ明日は5:46に黙祷くらいは捧げようかと思っている。今の部屋からちょうど六甲山系を背後にした神戸市街が遠望できる。

今日のBGM Quincy Jones「back on the block」Warner Bros.

2005年1月15日(土)
話題ついでにバーのことでも

 最近ようやく薬の副作用を気にせず飲酒できるようになったのでまた一人ぶらぶら良店探し。理想のバーは前にも書いたようにバールサンドリオンなのである。初恋の人みたいなもんだ。ちなみに、中津に「サンドリオン」という同名のバーが実在するが全く関係はないらしい。店の雰囲気も良さそうだが、チャージ700、カクテル1000〜というのはちょっと高い。一度行ってみたいが日祝が休みなので週末かな。と思いつつ3年過ぎている。

理想の条件
外界とシャットアウト 非日常の雰囲気にひたりたい。
BGMはJAZZ 基本。
できればこぢんまりと カウンターだけとかならベスト。時にはバーテンダーとの会話を楽しみつつ一人で読書するもよし、思索するもよし。
品揃え こぢんまりとかいいつつ矛盾することを。酒の種類は多いほど楽しめる。

 大阪へ来てヒマだったので近辺を探索してみた。一応、そのレポートみたいなものを記してみよう。
花本 我が雀友Kとその連れHに教えてもらった。ノーチャージで腕もいい。マスターはミナミの老舗吉田バーで修行を積んできたらしい。たまに行くが、BGMはなく、一度もマスターと会話らしきものをしたことがない。雰囲気としては今ひとつ。
トップランク 花本の2階にあるジャズバー。マスターがなんばウォークのうどん屋四国のアンちゃんという説あり。1回しか行ってない。理由は次に。
バード56 花本の3階にあるジャズバー。トップランクより小汚いがノーチャージ。どっちも出てくるカクテルは非常にまずいので安い方へ行ってしまう。店内がクランク型になっているのでカウンターよりもテーブル席の方が音が聞こえる。せっせと毎週ハーパーだけ飲んで通って常連になってリクエストできるようになってやろうと思ったが、発病のため断念。はっきり言うとジャズを聴きに行くための店。500円で2時間は粘れる。
薪屋 法善寺にある。心斎橋にもあるがそちらは行ったことがない。雰囲気はいいが、店内が中途半端に広いのと場所柄店内が賑やかになりがちなのが残念。味の方は水にもこだわるほど。ただの水割りですら普通と違うように感じるのは気のせいか?それとも大阪の水がまずいだけとか。
セントジェームズ ジャズライブを楽しめる。味はあまりよろしくない。さらに値段が高い。酒を飲みに行くというよりはライブを見に行くというのが正しいか。めったに行けないが、至近距離での生演奏は迫力があって楽しい。
名前失念 職場の先輩方に連れられていった法善寺横町の店。酔っててよく分からなかったが結構な値段だったと思う。雰囲気なんかわからんぐらいに酔ってたので…

 次に行ってみたい店を挙げてみる。
バー吉田 花本のマスターが修行したという名店。ただし、ホテル街にあるので行きづらい。あと、ちょっと歩くのでめんどくさい。写真を見る限りでは理想のバーとは違いそうなイメージ。
ベースボールバーTORACY 阪神ファンの集うバー。名物メニューが「六甲おろし」。ただし、理想とは180度かけ離れたバーだと思う。
ラグタイム 帝塚山にあるジャズバー。土日のみの営業。阪堺線沿いにあるので行きにくい。チャリなら飲酒にならないので大丈夫かと思うが、冬は厳しい。ここもセントジェームズ同様、チャージが高いのでそう滅多には行けないだろう。

 最近、職場の近くに1:8というショットバーができた。客席が100席近くの大きなハコでその店は理想とは離れるが、逆に大きさを生かして酒の種類は豊富。中でもウォッカは充実。必ずウォッカベースのものを注文してしまう。あまりの広さと立地条件のよさ(地下鉄日本橋駅真上)ゆえに個人経営とはいかないが、スタッフは総じて若い。が、ホテルバーで修行してきたというチーフバーテンのお姉さんを始め、非常に心地よい接客でかなり気に入っている。まだオープンしたてで客数が少ないのでまったりとしていて非常に雰囲気がよい。席数ゆえに宴会にぶち当たることもあるが、ハコが大きいのでそんなに騒がしく感じない。ただ、そんな日はスタッフ総出で多忙なので誰も構ってくれない。仕方ないのでカウンターで読書などしてみたりする。照明やBGMも雰囲気を出している。カウンター部分だけ切り取ったらかなり理想に近いのだが。値段もチャージ600、1杯750円〜と手頃なのでつい帰りに寄ってしまう。そのうち、OKADA16で食事してからというのが確立されそうでルーチン化されるのも日常に組み込まれるようで嫌だ。だから敢えて週末ではなく気が向いた日に出掛ける。
 今のところ、最も理想に近いのは実は東京・四谷にあるTRUE−BLUEという店で、四谷の繁華街であるしんみち通りを少し離れた裏路地の地下にあって完全にシャットアウト。カウンター10席くらいと小さなテーブルが2,3。客数もそんなにいない。値段も安い。店名にあるように照明は青を基調に設定してある。難点は0時LO。余り遅くまではいられない。この店もバーテンダーとは別にオーナーがいるらしく、「マスター」と呼べないのが残念。運が悪いと素人みたいなバーテンダーに当たることもあるかもしれないが、今のところないので有難い。
 ハコがTRUE−BLUEでスタッフが1:8でかつ、バーテンダー=マスターならほぼ理想通りなんだが現実はうまくいかないものだ。

今日のBGM Thelonious Monk「genius of modern music vol.2」bluenote1511

2005年1月11日(火)
チラシの裏

 最初に断っておく。今日のは本物の駄文である。ここは自分の日記帳なので別に書き散らしても構わんだろう。
 午後8時半頃に異変に気付いた。気のせいかホワーッとするのだ。しかし、無性にコーヒーが、それも美味いブレンドが飲みたくて仕方なかった。週末は新聞を熱心に見つめているオッサンらでいっぱいの喫茶店に入った。平日のそれも8時を回ると楽に座れるのだ。で、出てきたホットを飲みながらほっと一息つく。するとまたホワーッとするのだ。宙を歩いているというか幽体離脱しそうな感じだ。やがてそれは窒息感になってきた。「例のヤツ」がやってきてしまったのだ。まあ、最近はいきなり脱力したり、動悸がしたりというのはなくなってきたのでとりあえず地下鉄のホームに降りた。ああ、もうダメだ。薬に頼るしかない。ポケットから薬箱を取り出す。その時である。
「あ、飲み忘れてた」
 パニック障害の一般的な治療方法は即効性のある抗不安薬、神経系の調節をする抗鬱剤などを投与することである。微量から始めて副作用の度合など体質との相性を調べ、問題がなければ増量していく。症状の程度によって異なるが概ね2,3ヶ月から半年ぐらいで発作を抑えられるようになる。そうすると今度は減量していく。最終的に薬なしで発作が現れなくなれば寛解ということになる。自分は今、減薬の最中の段階にいる。最大で1日4回飲んでいたのを3回から2回に減らしているところだ。多分、2回でいける。が、やっぱり必要なわけで、1日を3等分して8,16,24時の3回に投薬している。2回にするというのは、寝る前の1回を減らすことだ。
 今朝、いつも通りに8時過ぎに飲んだ。3連休でうっかりいつものリズムを忘れていたみたいで、4時に飲み忘れたのである。1ヶ月ほど前であると5,6時頃に「ざわざわ・・・」という福本伸行先生のアノ文字が頭の中で始まっていたのだが、今日は8時過ぎまでもったというのか、よく言えば順調に治りつつあるのだが、一旦、これが始まると結構、大変で、どうにかして気を紛らそうとするのだがこんな日に限って手元にある本が小林秀雄だったりする。2,3行読んでいるうちに頭が重くなって本を持つ手に力がなくなってくる。江國香織とかなら読めるんだろうが、生憎、そんな本はウチの書棚には並んでない。そのうち全ての感覚による刺激が受け付けられなくなる。音楽もダメ。光もダメ。振動もダメ。なわけで電車がダメになる。よく出る症状が、前述のような眩暈、窒息感、手足の脱力、過呼吸。この辺りまでなら家まで帰る自信はある。何とかしょうもないことを考えながら帰るのだ。過呼吸まで行くと物理的に手を加えてやる必要が生じる。つまり酸素量が過多であるから吸気に二酸化炭素を増やしてやる。ペーパーバック法というのだが、紙袋を口鼻に当て、自分の吐いた息をそのまま吸う。紙袋がベストだがビニール袋でも構わない。しかし、これを電車の中やホームのベンチでやっていると傍から見たらアンパン吸ってラリッてる中高生と区別がつかないのが難点だ。今日はそこまで行かずに「飲み忘れたのは良化傾向?そらそうよ。しかし、こう薬の飲み忘れが多くては困る。おんなじことの繰り返しよ。」などと自問自答しながら薬の効き目が現れるまで我慢するのだ。早い時は10分ほどで発作が収まるが、長い時は2,3時間にわたることもある。今日のは浅くて長いタイプで帰ってきてもしばらく続いているのでこうして駄文を書き散らして何とか気を紛らしているということだ。
 本当に只の日記帳になってしまった。難波駅から家までの30分間に考えていたことをちょっと書いてみるつもりだったんだが、随分、遠回りをしてしまった。何の話かというと、ラジオだ。唐突に思いついたわけでもなく、今朝の新聞(どこの新聞だったかは忘れた)を見てそれが頭の中に残っていたのだ。現在、FMラジオ局のない都道府県は1つもない(はずだ)。15年ほど前に各県に続々FM会社が設立されていて、最後に残ったのが、滋賀とどっか忘れたが、とにかく雨後の筍のように1県1局の体制が整いつつあった。とはいえ、そのほとんどがJFN系列というFM東京制作の番組を垂れ流しているだけのつまらんものなのだが、有事の際に情報提供を行えるようにするのが目的だったと記憶している。
 当時、関西圏はJFN系列のFM大阪、独自制作のFM802の2大巨頭が幅を利かせていて前出の滋賀はおろか、京都、兵庫にすらFM局がなかったのだ。今から考えると驚きだ。で、まず近畿はその京都と兵庫から作りましょうってことで相次いでαkissが誕生した。でもって、これがものすんごく画期的なことで両局とも自主制作局だったのである。どちらも地域色を生かした番組作りということでスタートした。αは京都の方だが、ウチの実家は当然、これが一番受信状況がよかった(NHK除く)ので流している時間も長かった。とにかくものすんごい局で、時報が川のせせらぎとか鳥の鳴き声だった。2,3年で変わったが。とにかく古都ということで「安らぎ」をテーマに番組が組まれていた。局名がそれを表している。αはアルファ波から取ったのだから。しかし、奇をてらいすぎてすぐに路線変更されて何か普通の放送局になってしまった。仕方ないと言えば仕方ないのだが。
 一方のkissは神戸の港町をテーマに全国レベルで見てもかなり異色だが、いかにも港町らしい雰囲気のプログラムが組まれた。平日の昼間からソウルが流れ、週末には小曽根真がジャズを聴かせる。山国というか、海のない県民(水たまりならあるんだが)としては「港町」という単語に非常に弱いわけですぐにこちらに転向した。クリアに受信できるように寺町通りの電気街(すでに死語になりつつある最近)へ出掛けてFMアンテナを買ってきて設置して、そこまでして聴くかと。しかし当時の自分にしてみればそこまでして聴く価値があったわけで、実際、今でも当時のkissを懐かしむ人たちというのは結構いるようでググってみると相当ヒットする。
 で、何でこれが今朝の朝刊と関係するかというと、来週で10年経つわけだ。震災から。関西版各紙、スマトラ沖地震と併せて連載記事が組まれている。その当時の象徴的な写真が一葉載っていたのだ。倒壊した阪神高速神戸線の写真が。1995年1月17日、神戸の全てがリセットされたといっても過言ではあるまい。放送局も例外に漏れずスタジオや社屋に被害が出てしばらくはまともな放送ができなかった。ウチの場合は直接、被害がなかったのでメディアを通して状況を知るのみだった。kissもこの日を境に変わった。華やかだった番組は自粛、被害状況を知らせるニュースと午前4時台のTVのように環境放送を垂れ流す。流れる曲も派手なものはなく、4月の番組改変期を迎えると全く違う番組構成になってしまっていた。その後の状況は上京したのでよく知らないが、3年前に関西へ戻ってきた時には最早、聞くに堪えないようになってしまっていた。で、ついには経済状況からJFN加盟と。この10年間を、というより10年前を思い出して懐かしくなったのだ。特に気に入ってたのが深夜0時台に流されていた「バールサンドリオン」というラジオドラマ風の番組。これは人気も高かったらしく、震災後も土曜日限定になったが何年かは続いていた(震災の前後で内容は全く変わってしまったが)。内容は今から思うと他愛のないもので、神戸のとあるショットバーが舞台。こじんまりとした店でおそらく地下にあり、客は非常に少ない。年齢不詳の女性マスターが聴き手となり毎回異なった客との会話でストーリーが進む。その間にジャズやブルースが店内のBGMとして流れている(というよりもBGMの間に会話が存在していた)という、絵に描いたような港町らしいバーだ。話のジャンルは多岐に渡り、ラブストーリーあり、ホラーあり、落ちのついた小話ありと何でもありでそこが飽きのこなかった原因の1つでもあるのかもしれない。10年経った今もこんなバーが実際にあったらと思いながら探すけれども現実にはやっぱりなくて、見つかったらまず間違いなく通いつめるだろう。
 ということを30分かかって考えてたわけである。この文章の途中からは、ほとんど後からの脚色、構成なしの思考状態を再現してみた。いかに頭が回ってないかというのがよく分かってもらえると思う。

2005年1月6日(木)
今後の展望

 バッサリとスピード指数による予想を切り捨てた後に残るのは何か?3F指数も当初はかなり自分でも満足のいく指数ではあったが、最初から綻びは見えていた。超のつくハイペースやスローペースには対応できない。これはある程度仕方ないと割り切って予想をしてはいたものの、代わりの予想方法も思いつかなかったというのが実情でもある。
 今、先を見ている予想は、「古くて」「新しい」予想だ。まだ全然まとまってはいないけれども覚書き程度に思って書き散らしておきたい。
 能力指数は過去の成績を分析して各馬の能力を算出する。これは1頭の馬のデータだけをクローズアップして一定の規則に従って測ることで客観的に能力比較ができると思われてきた。しかし、これは大きな落とし穴がある。競馬はタイムトライアルではなく、出走馬の中で一番最初にゴールすればいいのだ。芝千六を1:35:0、上がり3F35.0秒で1着という成績を残した馬が2頭いたとしよう。馬場差はフラットとすれば従来の能力指数では、スピード指数だろうが、タイムフィルターだろうが、3F指数でもこの2頭の能力は等しいと判断される。だが、これが逃げてものと追い込んでのものでは価値が違うということは感覚的に分かるのではないだろうか?もっと大げさに言えば、大逃げした馬と、1頭ポツンと離された最後方からの追い込み、本当にこの2頭の能力は等しいのか?そして本当はどちらが強いのか?
 競馬は18頭立てなら18頭が織り成す1つの生き物だ。同じメンバーで100回レースをすれば100回とも結果が異なるとも言われる。1頭の成績だけに視点を置いていてはダメだ。18頭全体を見てその中である馬Aはどんなレースをしたか。これが重要なポイントだと思うのである。
 具体的に述べると、18頭の馬群の分布について、残り3F地点通過時のものとゴール板通過時のものとを比べること。前後のペースバランスを併せて考えること。これによって初めてそのレースがハイペースだったのかスローペースだったのかが判断できるし、そのことによって展開が恵まれた馬、展開が向かなかったが一番強い競馬をした馬というのが炙り出されてくる。何のことはない。「前残りで1頭だけ追い込んで上位に食い込んだAという馬が一番強い競馬をしました」「前崩れで1頭だけ残ったBという馬が一番強い競馬をしました」というお馴染みのフレーズを客観的に数値化してみようというだけのことだ。何と「古い」予想スタイルであることか! だが、実はこの視点が今までのあらゆる能力指数には欠けていたのだ。この点で「新しい」予想スタイルであると言える。
 ここで設問してみたい。
「芝千六をパンパンの良馬場を1:38:0で未勝利戦を勝った馬Aと、ドロドロの不良馬場を1:38:0でG1を勝った馬Bとどっちが強いか?ただし、道中の馬群のバラつき、勝ち馬の位置取り、ゴール時の着差等は、全く同じと仮定する。」
 常識的に考えれば当然、B馬の方が強いと思うだろう。だが、今のところ、実はこの条件なら両馬とも能力的に等しいのではないかと考えている。まあ、未勝利戦とG1で全く同じ馬群分布・ペースバランスになること自体がほとんどありえないんだが、そこが落とし穴。馬群分布・ペースバランスが異なることでレースや各出走馬のレベルが判定できる。いや、馬群分布・ペースバランスなくしては判定できないのだ。だから馬場差なんてイラナイ。ただこれは分析の段階であって、能力が高いからといって今回のレースに勝てるという保証は全くない。なぜなら馬群分布・ペースバランスによって結果が変わるからだ。分析した結果をいかに予想に反映させるか? 現時点ではこの点が一番の課題である。
 暇ができたら統計学の勉強でもしてみようかなと思う今日この頃。

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