2004年9月25日(土)
躁病リハビリ闘牌記
2004年9月24日(金)
時計台の鐘は鳴る
「すいません、連れが先に来てるんですが。イヌイという者ですが。」
「少々、お待ちください。40○号室ですね。どうぞ。」
すまんかった。今回はワシが甘く見すぎていたようだ。競馬界は三連単100万円馬券ブームで飛ぶようにフォーメーション式マークカードが飛び散った1回札幌開催であったが、2回開催からは同時開催の中山、阪神でも発売されるということもあって札幌までわざわざ三連単買いに来る馬鹿もおるまいと踏んでいた。2週間前、予約を入れようと思ってインターネットを見たら満室。どこを見ても満室。何か祭りでもあるんかいなと思っていたが行ってみればその理由は何となく分かった。札幌という街は狭いのだ。ホテルもあるがシングルは少ないようで観光客はあちらこちらで見かけられた。そんなわけで今回はイヌイ同士と相部屋ということに相成ったのである。
仕事続きで余り寝ていないので仮眠を取るというのでワシはあらかじめ家で書写してきたターゲットの能力指数とPCIの数字をシコシコと日刊競馬に清書し始めた。この懐かしき作業。5年前には当たり前だった作業が今や煩わしく感じられる。それほど技術の進化は速い。ただひたすらに色ペンを動かし続けその間は機械と化している。機械に時間は無い。いつの間にか起き上がっていたイヌイがノートPCを立ち上げた。何でも、三連単ウィザードとかいうものを仕込んできてホテルのワイヤレスLANに接続して予想をするというのだ。しかし、接続できない。おかしいなと首を捻るイヌイ。その隣で機械は働き続ける。ホテルのお姉ちゃんがやってきた。機械は人間に戻った。だが、数秒後にはまた機械に戻った。この部屋だけおかしいとかいう話になりドリップコーヒーでも作れそうなブツを借り出してきて接続するも失敗。仕方ない、エッジで繋ぎますよ。機械は相変わらず動いている。
ようやく清書が終わった頃にデータのダウンロードができたようだ。もう外は暗い。
「苦労しましたが、これでやっと明日の予想ができますよ。こうやって予想理論を操作して、っと。試しに今日のメインレースでも見てみましょうか。」
・・・・・・
腹減ったし飯でも行こうか。ワシらは適当に気の向くまま歩いた。途中で赤星を見つけた。店の看板にそっと「53」と書き足してきたことは秘密だ。

[このラーメンを食うと3倍の速さで動けるようになるらしい]
狸小路をぶらぶらしながらドンツキに当たる。なんか吉祥寺のサンロードみたいだな。こう面白い店なんぞ一つもない。暗闇の中橋を渡り、商店街らしき通りを歩くと、非常にこう蟹臭いんです。いや、本当に蟹臭い。蟹でよかった。これが函館なら烏賊だったなあと。烏賊臭い。うーん、洒落にならん。どうやら海鮮物の卸問屋街のようで夜は真っ暗だが昼間はお土産なんぞの買い物客で大層な賑わいらしい。
横道に入ると海鮮居酒屋があったのでそこへ入る。とりあえず蟹臭いので蟹を頼み、刺身なんぞを頼んで本当は薬との飲み合わせが良くないので禁止されているアルコールを多少摂取。ただし、グレープフルーツでクエン酸をとってリカバーだ。相方はもちろんサッポロビール。
「10場制覇記念で乾杯といきましょうか」
忘れていた。そういえば今回の目的はJRA10競馬場全制覇のための札幌競馬場突撃旅行であった。今回は札幌競馬場に入るためだけに来たと言っても過言ではない。土曜は大した勝負レースも無かったので下見がてら入場してみたが、どうやら最後に残っていたのは一番ボロイ競馬場だったようだ。テンぱった時の競馬場も酷かったが今度のはもっと酷い。配管配線剥き出し団塊世代の建築物。大井の方がよっぽど綺麗だ。もっともあそこはついこの間改修したばかりである(ワシはまだ行ってないのだが)し、ダイヤモンドターンもある。上空にはジェット機が飛び、向こう正面にはモノレールが走る。ナイターでもやろうものならほとんどお台場。こちらは上空にはプロペラ機がプスプスしながら、パドックの向こうはディーゼルのローカル線が唸る。ナイターなんかやったら寒くてたまらん。さしずめ鳥野辺の火葬場とでも言おうか。出入り口に設けられた電光掲示の温度計がやけに寒い。22.2度。真昼にだ。大阪では夜でも25度だ。予想はしていたが長袖で正解だった。いやもう1枚いるかも。イヌイは札幌へ来て最初に買ったのが馬券でもなくユニクロだったという。
ほろ酔い加減でホテルへ向かう我々であったが噂に聞くススキノとやらを偵察してみようということで当てずっぽうで適当に歩いていたらそれらしき一角が見えてきた。お兄さん、パツイチ、どう?どうってアンタ、人を見て言いな。完全に冷やかしの酔っ払い二人組みだぜ。信号無視の893ナンバーにも負けずあちらこちらへ曲がってはまっすぐ進み、そうかと思うと斜行して過怠金、ではなくカツアゲ料でも取られそうになりながら辿り着いた。
「お兄さん、ススキノ来たらスケベ通り行かないと」。スケベ通り。いい響きだ。我々調査隊は勇躍乗り込んでいった。あるわあるわ貴賓室やらエーゲ海を思わせるようなものやら一番奥に鎮座していたのは江戸城だ。江戸城じゃなくってエロ城だろうとか完全に酔っ払いオヤヂになりながらも我々ボッキン調査団はホテルへと帰還していった。後から調べたことだがススキノは元々、北海道開拓民の中でも単身者のための娯楽地域であったそうで明治期には概ね今の場所に出来上がり、囲いが張り巡らされていたという。同じ頃、現在の北大の用地が札幌農学校用地であった頃に札幌競馬場が地図で確認できた。だがそれについての資料は見当たらず時間もなかったので放っておいた。知ったところで役に立つものでもなし。
さて、三連単ウィザードが使いモンにならんとわかったのでイヌイはどうやら仕事を始めたようだ。ワシはさっき単純労働にて作り上げられた指数入り日刊競馬を弓手に赤ペン先生を馬手に、沖には蟹が皿を一面に並べて食されんと待つ。陸にはエロ城大奥を並べてこれを待つ。三連単の的へひいふつとワシは赤ペンを放つ。ハッピールック先生が居られる。函館では稼がせてもらった。今回も一稼ぎとオッズを見れば単2倍。学習能力の無い連中の多いこと。しめたものとこれで勝負レースが1つ決まる。そうしてもう1つ気になるレースがあった。9R、三連単売り出しのレースである。能力で抜けたブラストサンデーがおり、しかしこれはPCIが非常に高く差し届かない可能性がある。実際成績もその通りで後一歩詰め切れないところがある。しかしスローになればまとめて差し切ってしまう可能性もあり、また、スローになりそうなレースであった。もう1頭タマモグリッターという馬がおりこれが今回は鉄砲だが休養前はかなりの指数を示しておりPCIも手頃である。もうこの2頭の軸は動かざるものとして相手探しの三連単。ワシは最近は働かしたことの無い脳をフル稼働し考えた。容量オーバーでフリーズした。目が覚めると夜中の2時で相変わらずイヌイは仕事をしているようで実は予想をしていた。ワシはというと相変わらず両手に日刊競馬と赤ペンを握り締めている。何という執念か。これで外れたらもう鬱だ。相手を3点に絞り、日曜の勝負レースと定めた。
実は昼までは何にも予想してなかった。いや、予想しようとしたがあまりに材料が少なすぎて判断できないのだ。無料バスに乗りながら適当に眺めていたら何かが閃いた。新馬戦でこいつは鉄板。1枚いっとく?と穴場に突っ込んだオッズは1.9倍。やってきたのは5頭立てで5着。ありえん。逆単なら見事的中なのだが。負債1福沢。しかしきっちり予想してきたレースは当たる。6Rから立て続けに的中で3連勝。さあいよいよ勝負だ。ブラストサンデーとタマモグリッターを軸にして後は3着候補、っと。フォーメーション馬券をマークする。
「いやあブラストサンデーはひょっとすると3着もあるかもなあ。でもフォーメーションにマークするとかなりの点数になるしなあ。何点だ?うーん、よく分からん。とりあえず能力が抜けてるからいいだろう。」
白状します。マルチという買い方があったのを知りませんでした。6000円台。負債完全回収の金額であった。見事に何目というのかしらないが、タマモグリッター、3着に買ってる馬、ブラストサンデーと来た。さようなら。私は旅立ちます。残った福沢をハッピールックの単勝に、っと、アレ?1.4倍になってる。やっぱりそうだよな。2倍もつくわけないよな。ハッピールックは勝った。ワシは今年、北海道に2度来て2度ともハッピールックが勝つのを見た。そしておそらくハッピールックの今年の勝ち鞍はこの2つだけであろう。ワシが現地にいるとハッピールックの勝率10割という法則があるので皆さん、是非覚えて置くように。そしてエロ城は落城した。
その晩、残念会ということでまた適当な店に入ろうとした。おおーい北海道。ここまで来て大井はないだろうとか言いつつ結局決めてはサッポロビール。ところがこの店が当たりでジャガバタになぜかウニが乗っている。蟹の味噌焼きはその場で焼く。うん、値段の割りにお得感あふれる店だ。その店からかっぱらってきた方言早見表。「手袋をはく」そう言えば大学に入って最初の飲み会で北海道出身の奴とそういう話をしたなあ。「なまら」−めん。これは有名。「雪はね」雪かきのことらしい。大阪には全くもって縁の無い話だ。「ぎる」盗む。アレ、これって全国共通ヤンキー用語でないのか?ワシらも「あの店いってガリガリ君5本ギッて来い」とかやらしたもんだ。

[なぜウニが乗っているのかは詮索しない] [誰が何と言おうと蟹だ]
多少の余裕を持たせつつ札幌ラーメンへと梯子する。何でも欅とかいう店が有名らしく大井北海道からも程近いので行ってみた。確かに行列が出来ている。ならばと味噌を頼み待つことしばし。まずは汁を一掬い。油多すぎないか?麺へと箸を伸ばす。これはよくあるねじれ麺。味噌にはこれがあう。何やらいろいろ乗っている。乗り過ぎていてラーメン本体の味がよくわからん。ワシの感想。長谷川>>>越えられない壁>>>欅。イヌイの感想。「はっきり言って不味いっすよ」。有名でも美味いとは限らないんだね。小雨が降ってきた。ワシは明日の帰宅の準備、イヌイは岩見沢へばんえい競馬の準備と仕事にとりかかる。雨は次第に強くなり、翌朝は大雨になっていた。ワシは時計台で降り、奴さんは岩見沢行きの特急へと向かった。折しも鐘が10度響き渡る。鐘は鳴る。されど我が金は成らず。

[おまけ1:ばんえい競馬]みんなコクオウ級にデカイらしい

[おまけ2:コクオウ級の馬が坂を登る] 2枚とも提供はイヌイ氏
2004年8月29日(日)
多機能体重計を買いますた
病気の方は快方に向かい、最近では20分くらいのジョギングができるようになった。退院直後は2,3段の階段すら上がれなかったのに。脳内疲労の方も5時間通しで麻雀が打てるまでになった。先週、今日と毎週日曜はせっせとフリーに通ってリハビリ中。気のせいか入院前より集中力が増したような気がする。他家のテンパイ気配が感じられたり、待ち牌の読みの精度が上がってきている。何よりダマテンに振り込む回数が減った。おかげで最近は頗る成績が良い。今日も連対率5分の6。
今後はかなり落ちてしまった基礎体力の回復から始めてインナーマスッルの強化を経て、せめて大学入学当時の水準まで体力を戻したい。そのために客観的な数字で表される多機能体重計を買ってきた。体重、体脂肪、内臓脂肪、筋肉レベル、基礎代謝などが計測できて8,000円。勿論、出所は雀荘だ。帰宅後、早速計ってみた。体重は函館遠征の風呂場で計測した時よりも1キロ増加していて入院前と比較して3キロ減。これはよい傾向。体脂肪は去年の定期健康診断と比べて5%マイナス。これは只単に汗かいたり食欲減退の時期があったためと思われるが思ったほど悪くはなくいわゆる成人男性20代の平均値と思ってもらえれば結構。内臓脂肪はレベル2とほぼついていない状態。これは予想以上に好成績だ。筋肉レベル−2。やっぱりかなり低下していた。腕立ても20回が限界だしなあ。全盛期には100回くらいはできたものだが。これはショックだが、ある程度は予想はしていたこと。入院中は全く運動なんかしてないし、1,2ヶ月は5分走っただけでも眩暈と頭痛と胸の痛みにやられて何も出来なかったわけで。
それよりも衝撃的な出来事。久しぶりにバッティングセンターに行ったら110キロが打てない。なぜか120キロは打てる。が、全般的にボールより高目を振っているらしく当たってもボテボテ。2回目の途中で漸くアジャストできるようになってヒット性の当たりも何本か出たが全く満足できない。体が暖まったところでストライクアウトに挑戦。別にステージクリアを目指すわけではなく球速が知りたかっただけなんだが、まずはキャッチボールの感覚で76キロ。徐々に慣らして5割で85キロ。30球くらい投げたところで96キロ。これがこの日の最速。ショックだ。5年ほど前に神宮で計ったときは110くらい出ていたのに…。その間の都合2回(肺炎と今回の騒動)の入院、それぞれ2週間でこんなにも体が鈍っているとは。トレーニング用のチューブと比較的軽量のダンベルを即、購入。腕から脚までもう一度鍛えなおしや!何がそこまで自分を駆り立てるのか?
野球がしたいんや!!
2004年8月10日(火)
新鮮組放浪紀

[今回の目的地]
函館競馬突撃記であります。土曜の昼に函館空港へ着く便で伊丹より出発。園田競馬を眼下に一路北へと思いきや東へ進んでいく。すると見えてきました、琵琶湖。そのまま直進しはっきりと栗東トレセンが見える。こいつは昼から縁起がいいわ。

[函館競馬場] [海が見えるスタンド]
その後、寝ている内に到着。時間は2時。さあバスなんか待ってられない。タクシーで渇徒武。何とかメインのパドックに間に合う。これが今週の勝負レースであります。みなみ北海道S。OP特別なのにOP馬が2頭しかいない非常に簡単なレースであります。ここでまずガツンと日曜の資金稼ぎと行きたいところ。ハッピールック単勝と2点流しだ。レースは当然の様に決着。これが意外とつくのだ。単勝1倍台は覚悟していたのだが。

[単勝オヤヂ久々に登場] [馬単もキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!]
_、_
( ,_ノ` ) n
 ̄ \ ( E) ホワイト,グッジョブ!!
フ /ヽ ヽ_//
したら、ホワイトも返してくれたよ。いいやつだな、ホワイト。

[勝ってると余裕もあるものだ] [恐らくJRAで最も競馬場から近い駅]
さて軍資金もできたことであるし、早速、宿へ直行。周辺を見て歩くが、函館駅前って何にもないんよね。アレって拍子抜け。遊ぶとこないじゃないか。まあとりあえず飯だ。ここまで来て海産物を食わない手はないだろう。まずは地元でも有名な海鮮居酒屋へ行く。とりあえずおすすめのブリを頼んでみる。う、うまい。一見、普通のブリなのにトロのようなとろける舌触り。さすが漁港直送だけのことはある。勝ってるのでついでに毛蟹なんぞ注文してみる。普段なら尻込みする値段だが今日は銭の心配はいらん。これはさばいたり茹でたりで時間がかかるので地元名産のイカを一夜干しで頼んだ。丸ごと一杯来た。こんなに食えんって。しかし美味い。毛蟹も来た。新鮮だ。やはり東京、大阪辺りとは鮮度が違う。死ぬほど食って5000円。安すぎる。

[これだけ出てきて2000円は安すぎるぞ!]
腹も満たされたところで宿へ帰って予想せねばならん。だが、何とかと煙は高い所へというがやはり行ってしまった。函館山。道中は中山の急坂より勾配のある道を歩き、蛆ほどたかる人並には参ったが夜景は綺麗だった。横浜、神戸、長崎と日本で著名な夜景はほぼ網羅した。しかし、人いきれで疲れたので帰りは当然タクシーだ。なあに銭の心配はいらん。

[函館の夜景] [
何の貸切かと思いきや…]
温泉でリフレッシュされた脳をレッドゾーンまで回して予想した日曜。途中から合流のサネさんと函館最終日である。サネさんは初めから小刻みにヒットを繋いできているがワシの方はブンブン丸である。そして初当たりが来た。「アナタゴノミ」複勝。何にも考えなんと買った。余り喜べんなあ。しかし勢いを取り戻したワシはついに本日初の勝負に出る。まず人気になるであろうと思われたが休み明けが嫌われたか人気の盲点になっていてパドック周回時には9倍もついていたのである。レースは先行し4角では先団に取り付くソツのない競馬。後は直線での競り合いである。乗っている藤田も函館リーディングがかかっている。賭けてるワシも財布がかかっている。差せぇぇぇぇぇぇぇぇっぇぇと絶叫が利いたのか2日連続単勝オヤヂ炸裂。うーん3年前の新潟を思い出した。

[単勝オヤヂ再来]
メインは出発前からディープサマーと決めていたが予想外に人気して単勝は1倍台。これなら馬単穴狙いである。負けても銭の心配はいらん。これがまた直線で最高目がやって来る。しかし、前にホワイトのアンブロワーズ。一旦諦めたが再度巻き返し始めたので来ぉぉぉぉぉい!絶叫するが無念の2,3着。ところが、である。審議の青ランプが点いている。「直線走路で15番ディープサマー号及び13番カズサフラワー号が不利を受けたことに対して審議をいたします。」ちょっと待て。直線でその2頭の前にいたのはアンブロワーズだけ。まさかとは思ったが、新潟、小倉のメインが終わっても確定しない。これは降着来るか!?「審議の結果到達順位の通り確定いたします」無念…。ホワイトのアホ。
最終日とあって本馬場の一部が開放されたのでとりあえず1Fぐらい走ってみた。

[ゲートへ向かうファン達]
函館は洋芝なので走りづらかった。近くでよく見ると確かに内外の荒れ具合がはっきりと分かった。実際、走っていて内は足元を掬われそうになった。なるほどスタンドから見た以上に差があるもんなのだと感心。

[普段と反対側から見ると新鮮だ] [ゲート]

[ゴール板]
翌日は一旦東京経由である。東京の常宿は調布と決めているので今回も府中に用事もないのに反射的に決めてしまった。まだ飛行機の時間があるのでまた高い所に登ってみた。五稜郭タワーである。城も好きなワシはとりあえず時間を割いてでも見に行こうと思っていたが昨今の新選組ブームで人が多い。結局タワーしか時間がなく城郭跡には行けなかった。これは次回への課題として取っておこう。

[誠に7番のコインロッカーとは縁起がいい]
土産に丁度いいネタがあった。「誠参上」饅頭。これに「今岡」とかつけて土産にすることにした。いいなあ。何でか知らんが「誠」シャツまで買ってしまった。これではまるで新選組フリークのようではないか!

[今岡 誠 7] [あるいは、萩原 誠 31]

[五稜郭]
東京行きの飛行機もやはり眠ってしまった。起きたら霞ヶ浦が見えた。まさか、と思って下を見る。トラックが2つ見えた。おお、往復で東西のトレセンを上空から眺めてしまったぞ。つくづく競馬三昧な旅行、だったはずなのだが…。羽田から調布へ向かう。駅に着いた。降りた。改札を出た。一面新選組になっている。調布は近藤勇ゆかりの地であったことを初めて知ったのだ。

[調布駅前のFC東京のフラッグまでもが…]
調布市から歩いて5分の三鷹市に住んでいながら今まで知らなかった。待てよ、ここで五稜郭の土産袋をぶら下げて歩いているワシは傍から見ると完全に新選組フリークではないか!断じて違う!だがやはりそう見えてしまうんだろうなあ。

[今回の特選物件・
「神様」八木] [こちらはアニキ金本の店?]

[北海道のお約束]

[ターフィー号は生きていた!]
2004年7月28日(水)
山陽本線放浪記
1
日記エディタをようやく拾い出して、こばくち日記を再開することにした。ところが最近はめっきりこばくちなネタが少なくて困っている。というのも、今年に入って以来体調を崩しっぱなしで救急車を呼んだこと数知れず、救急隊員には「また君か。」とあきれられる始末。はっきり言うと、最近は普通の病院には通院してない。物心ついたころからネタ要員として常にキチガイ貴鳥であったワシであるが、本物のキチガイになってしまったようだ。あと一歩でリタリンなぞ出されてしまうような、そんなところに行っている。「鬱だ氏脳」なんて言ってたらホンマに軽い鬱になったようだ。正確にはパニック障害という病気らしい。手足の震えだとか動悸・息切れ、恐怖心などが主な症状。うーん、確かに動悸や息切れがして救心飲もうかと思ったこともあったぞ。麻雀ぶってて役満テンパったときに手が震えたぞ。万馬券取った時も手が震えたぞ。今回のネタはまだ健康でハイテンションで(今まで常にハイテンションだったが)、半ば躁状態の去年の9月の話。
調べるのも億劫だが確か9月10日頃だった。遅めの夏休みを取り、さりとてやるべきこともなく、何となく日が暮れるのも惜しいので旅に出ることにした。恐らく1,2年後には東京へ送還されるであろうから西側へ行こうと思った。
2
ワシの旅であるが、飛行機や列車などの切符を予め用意して宿の手配も済ませ、時刻表を繰っては乗り換えの予定まできっちり調べつくすタイプと、全く何にも考えずにとりあえず家出してしまうタイプと極端な2通りのやりかたがある。今回はまさに後者で、梅田に出てからどこへ行くかは考えようと出かけてみた。行き先は主に3つ。まずは湖西線経由の北陸行き。次に宝塚線経由の山陰行き。そして山陽線だ。北陸は小さい頃に何度か連れて行かれたこともあるので今回はやめて、山陰か山陽か。実は1つ行ってみたい所があった。尾道。志賀直哉先生の寓居跡が資料館になっていると聞き、また、東京で何度か賞味した尾道ラーメンを本場で堪能してみたかったのである。巧い具合に11時丁度発の新快速姫路行きがありどこまで行くのかどのように帰るのかと考えず、とにかく山陽線の下関まで切符を買った。途中で払い戻ししても良し、買い足して旅行を続行するも良し。ただし、1つだけ条件があった。阪神優勝には万全の状態で大阪に戻っていること。そう、当時はもうマジックが残りわずかであったのだ。
それはともかく相変わらず京都以西の新快速は速い。停まらない。阿房列車で著名な内田百關謳カはレールを刻む音で速度を計ったらしいが、ワシには到底そんなマネはできない。だが、キロポストと腕時計を睨め合いながら「うむ、現在時速120キロ。順調である。」などと一人座っていると周りには誰も人がいなくなってしまった。
新快速は須磨明石と浜辺沿いにひた走り終点の姫路に着いた。ここで岡山行きの鈍行に乗り換える。ひたすら山々である。山と田園風景で飽きが来た頃に漸く岡山到着。ここで腹が減ったので駅そばなんぞへ這入ってみた。駅そばであるからして期待はしていなかったがものの見事に裏切られた。後楽園ウインズの天そばの100倍以上美味い。茹でも注文を受けてからなのでコシが残っていてなかなか。満足しながら向いのホームより快速下関行きが発車するので乗り込んだ。
電車が動き出し都会から田舎へと景色が移る頃、重要なことを忘れていたことに気がついた。岡山のタイガースタクシーだ。無念だが、岡山は新幹線で1時間。すぐに来られる。また次回と諦めて帰途のことについて考えた。新幹線で帰るか、山陰線で帰るか、門司から船で帰るか。新幹線は小倉突撃の際に使っているのでパス。山陰線は、と時刻表を眺めてみる。う、これはひょっとして鳥取辺りで阪神優勝を迎えてしまうかもしれない。ということで船で帰ろう。これなら帰阪してからも非常に楽である。当然、切符はまだ、ない。まあなけりゃないで新幹線で帰るかあ。腹を括って尾道で下車する。
3
山陽線が初めてであるから当然、尾道も初めてである。しかも何の予備知識もない。狭い。海があってすぐに山だ。何もなさそうな予感。観光案内所へ行って観光地図を入手すると、観光地は寺しかない。あとは「時をかける少女」にちなんで映画のものがいくつか。観光客もほぼ皆無に近い。やってしまった。さてとりあえず志賀直哉記念館へと向かった。折からの残暑が厳しい。街は坂だらけで市制をとっているとはいえ下水道すら普及していなく、道端には家庭からの排水が流れ込みしばらく続いた暑さで悪臭を発している。迷路のような道を右へ左へと曲がり漸く記念館にたどり着いた頃にはすっかりへたばっていた。
記念館とは言いながら展示物はあまりなく、志賀先生の住んでいた当時の三軒長屋そのものが展示物といった様子で宜しい。余りゴタゴタと展示物を陳列されると辟易してしまう。三軒長屋の一番東に這入り、土間を抜け六畳間へ。さて風景はというと、『前の島に造船所がある。其処で朝からカーンカーンと鉄槌を響かせている。同じ島の左手の中腹に石切り場があって、松林の中で石切人足が絶えず唄を歌いながら石を切り出している。その声は市の遥か高い処を通って直接彼のいる処に聴えて来た』(志賀直哉「暗夜行路」より)。さすがに石切人足こそいないものの造船所や松林などは今もそのままであった。暫し時期遅れの蝉の音を聞きつつ目を閉じる。
千光寺という名刹もあるようだがロープエウェイで昇ってまで行く気力も失せ駅前のラーメン屋に這入った。本場の味はと期待していたが東京のものと大差ない。疲れていたからそう感じたのかそれともそれほどでもないのか。ワシはあの魚系のダシは割合好みであるので良いのだがわざわざ本場まで来て食すほどのものでもなかったようだ。
4
ここからは海沿いを走る呉線と山中の山陽線と2つある。呉線にはかなり惹かれた。だがしかし、である。時間的にどう見積もっても日中に広島へ着くのがせいぜい。その先は泊まるところなどなさそうな駅ばかりである。無念ではあるが今回は呉線は断念。山中を列車は走る。車窓からの風景は流れるようで同一の様でもある。次第に陽は暮れかかり、やがて闇になった。そろそろ晩飯のことも考えなければならない。勿論、宿泊場所もだ。道路を走るわすかばかりの車の灯りを眺めながらぼんやり考えていたが、これ以上走っても暗くて何も見えない。そう言えば中国地方随一の都市である広島市には一度も寄ったことがなかった。中国は広島出身アルよで有名なゼンジー北京の故郷である。まあそんなことはどうでもいい。とにかく、広島なら食いっぱぐれもないであろうし、宿もたくさんあるだろう。広島駅の観光案内所で聞いてみた。駅前にもホテルはあるが繁華街は少し離れたところらしい。ついでに路面電車にも乗ってしまおう。
八丁堀という所でおり本屋でガイドブックを買ってまずは宿を探した。幸い繁華街に近いホテルが空いており寝床は確保できた。次は腹の虫である。大阪と言えばたこ焼きや、広島と言えば広島焼きじゃけん、ガイドブックを見つつお好み村へ行き、各店の混み具合を観察してみた。ワシの理論によると混んでいる店は有名であるか本当に美味い店であり、空いている店は間違いなく不味い店である。当然、混んでいる店を選ぶことになるが、あまり混んでいても待ち時間が気になり気の短いワシなんぞは暴発したりすることもある。そこでさらに有名なだけであまり美味くないともう爆発である。よって、ほどほどに混んでいる店を選び、「おばちゃん、そば入り、ネギダクで頼むけん」。通はネギダクである。というのは嘘で、カウンターの端っこに座っておばちゃんの言われるまま観光客はコレ食えとカローラなみにどノーマルの広島焼きを頼んだ。大阪にもそばが入ったお好み焼きがあるがこちらはモダン焼きという。違いはというと生地の厚さにある。大阪モダンはお好み焼きを2枚焼いてその間にそばが挟まっていると言ったら良いのだろうか、とにかくお好み焼き並みに厚い。対する広島焼きは薄い生地で代わりに中には大量のキャベツとその他の具が乗せられている。ボール1つ丸々キャベツをぶっこまれた時にはどんな物が出来上がるのかと心配であったが焼いてみると存外縮まるものである。食いながら思ったんだが、これはクレープだ。大阪でお好み焼きクレープやたこ焼きクレープを売ればきっとナウなヤングにバカ受けだろう。脱サラしたらこれしかない。なかなかの名案である。
さて腹が満たされたところでちょいと遊んでいきますか、と。ところが、である。まだ9時というのにもう大半の店が閉まっている。飲食店は開いているが生憎そちらの方はもう十分である。腹の虫の次に湧き出てきたのは。博打の虫である。雀荘でも行こうかと近辺をうろついてみたが端々に明らかに筋モンの人がいたりして、ハンパな店に入ろうものなら「アンちゃん、銭ばないんなら、1本もらうけんの」とかなっても困る。横筋に1軒全国チェーンの店が見えた。これなら吉祥寺や江古田で入ったことがあるのでルールも知ってるし安心である。
「いらっしゃいませ」全国共通でタキシードのお兄さんが笑顔で迎えてくれる。「当店は初めてですね」「東京の吉祥寺とかで何年か前に行ったことがあります」「ああ、じゃあルールが変わったの御存じないですね?」え????何?「一人浮きは云多良感多良」「めんどくせえ、要は勝ちゃあいいんだろ?」「まあ、そうですね。では早速ご案内です」通された卓は明らかに自営業のオッサン3人。東京と同じだ。最初は慎重に打ってみる。オヤヂらリーチかかろうがブンブン丸池山。一人で回し降りして3000点取られた。真っ向勝負なら受けてやるけん覚悟せい。4人ブライアントがいると想像してもらえばよかろう。ビギナーズラックとは有難い物でマルAだとかで結構稼がせていただいた。そんな調子で3半荘打ってまず満足したところでやめておいた。諭吉っつあんが一人増えていた。無いも同然の銭。どこかでちょっと飲んで行こうかと、ガイドブックを見てみたが良さ気な所は少々遠い。まあこれだけの街なら歩いてりゃすぐに何か見つかるさと適当な方向に歩き始めた。
店は閉まっているとは言えこれだけの都会だ。東京も大阪も一緒。一人アコギで尾崎を熱唱しているのもいればセイガクがチャリンコで蛇行しているのもいる。交差点の角に屋台が出ていた。「カープカープカープー」。熱いぜ、広島。どうやらカープが勝ったようである。マジック対象チームだからまた優勝は1つ遅れた。その交差点を渡り雑居ビルにバーの看板が出ている。インスピレーションで這入ってみた。ビルの7階だか8階だかまで上がるとこじんまりとした隠れ家風のいい雰囲気である。もう12時に近いので客は一人もいない。カウンターに腰掛けまずはいつもの台詞だ。「ジョニ黒ロックで」。こういう店でやるとなかなか決まるものだ。出されたグラスを呷っているとマスターから話しかけてきた。お仕事で?いや遅いヴァカンスさ。お客さん、大阪からでしょう。ど、どうしてさ、僕は東京から来たのさ。イントネーションおかしいですよ。バレたらしゃあないな。最近、完全にイントネーションが元に戻ったようだ。「お客さん、大阪言うことは、阪神ファンですな?」「生まれる前からそうや。そうそう、金本、有難う。済まないね」「いやいや活躍してくれれば嬉しいもんですよ」。このマスターかなりの野球通である。他に客もなし。話題はどんどんディープな世界へ。広陵もバッテリーがええけん、今年は狙える! スマン、マスター。この間その西村君をボコボコにしたのは阪神や。讀賣なんかに行くから…。で、何だか分からん内に話題はベストナインへ。「ピッチャーは?」「やっぱ井川でしょう」「まあ仕方ないね。今年の成績はええけんね。でキャッチャーは?」「矢野でしょう」「古田は?」「もう歳でしょう。そろそろ監督でもしたらええんや」「セカンドは今岡」「そやね」「サードは?」「片岡。あいつ以上に揉める男はいてません」「揉める?何かよく分からんけどショートは?」「…。み、みやも、と、かな」。そんなこんなで1時間半はいたかな?ジョニ黒とマティーニだけでえらく粘ったものである。だが、マティーニも数種類ジンを置いていたようでワシは迷わずボンベと来たがこんなイカしたバーは滅多にない。店構えとマスターの野球話のギャップが最高だ。
5
翌日はチェックアウトギリギリまで寝ぼけていたが動かなければどもならんので億劫だが動き出した。広島まで来て、あえて原爆ドームも宮島も見ずにそのまま再び山陽線に乗り込み西へと向かうのである。面倒くさいのと名所観光地めぐりは余り好かんのだ。皆が見るような所へ行ってもしかたあるまい。宮島はそのうちとは思うが。
さてそろそろ船のことも調べねばなるまい。時刻表を繰り出港時刻を調べそこから逆算する。どうやら1ヶ所くらいは降りられそうだ。そういえば岩国の錦帯橋の架け替えが佳境に差し迫っていると聞く。架橋し終える前に古い橋を見ておこうと思い立ち岩国で下車した。さて、どこへ向かえばいいのかと、案内所で問うてみたところ「バスに乗りまして20分くらいです」。おい待て、そんなに遠いのか。しかし一旦行こうと決めたからには行かずにはおられまい。バスに乗り田舎道を進んだ。
音に聞く名橋であるからしてひょっとすると観光客も多かったりするのではと思いながらバス停から川へ歩むが、一緒に下車した者ども以外には人気がない。すぐに着いたのだが穴場観光地だ。人少な杉。何でかなと思いつつも新旧混じった橋を渡り対岸には岩国城がある。何とかと煙は上へというので登ってみようと向かったが、人がいない理由が何となく分かった。橋と城以外、見るべきものが何もないのだ。かえって深閑の中で茶なんぞ飲んでいると忘我の境地に入り込んだりするものである。
6
いよいよ、山陽線放浪旅行も大詰である。海を見たり山を見たりしているうちに下関についた。ここで電気機関車連結のため10分ほどの停車となる。この隧道を越えれば最終地門司である。その次の小倉はもう競馬で行っているので今更用事もない。平日でもある。フェリー会社によると門司駅前から送迎バスが出ているということであるがまあすぐ着くであろう。万が一乗り遅れたら車でも拾って行けばいいかと思っていたが、バスに乗ること30分。山を2つ越えようやく辿り着いた新門司港は何にもないところだった。これで満席だったら大変だ。また門司まで帰らなければならない。が、辺鄙な時期の平日。満席なはずもなく無事寝台席を確保できた。まずはぐるり船中を探ってみる。甲板が上下に2つ。中は食堂に風呂まで付いている。正直、風呂は諦めていたがあるとは思わなかった。有るのならば這入るに如かず。しかしタオルなど用意もしていないので記念にと売店で購入を決める。上階には1等もあるが写真で見る限りおよそ船旅とは思われない。やはり船旅は貧乏旅行らしく行くべきだ。とは言え一人で雑魚寝室というのもなんであるから最低限の寝台席なのである。ところで、その雑魚寝室から汗臭い野郎共が食堂へやってくる。黄色と青のあのジャージ。正月とワールドカップくらいしか中継を見ない人間でも知っているぞ。国見高校蹴球部である。さすがにデカイ。ワシなんぞ見上げねばならんほどである。今から考えると平山もあの中にいたはずだ。サイン貰っとけばよかったな、と。
さて、いよいよ出港であるが陸地のほうは穏やかでない。稲光が激しい。ところが我々の船の周囲は全くの晴天なのである。中国地方、四国地方、どちらを見てもストロボのように光っている。そのうち船も雨雲に突入して霧雨が甲板を撫でて流れていく。それも束の間でやがて本四連絡橋の1つしまなみ海道の来島海峡大橋に差し掛かる。ここは海賊で有名だった地で潮の流れが激しく海面を見ていてもうねること山の如し。落ちれば如何なる水練の達人であろうと忽ちにして飲まれてしまうであろう。大橋の方はライトアップも派手ではなく期待外れではあった。瀬戸大橋は以前に見ているので明石海峡大橋を朝焼けと共に拝むため眠りに付く。
特に目覚ましなどは仕掛けていないのだが昂ぶる興奮と躁状態のためかまだ夜も明けきらぬ内に目が覚めてしまった。とにかく船に乗ることなど余りないものであるから朝から軍艦マーチを口ずさみながら明石海峡を今か今かと待ち兼ねる。淡路島はもう見えている。やがて島の輪郭がはっきりと浮き上がり薄暗い中に大橋の灯りがちらりちらりと見えつ隠れつする。思えばこの前に船に乗ったときにはこの橋すら架かっていなかった。もう随分と乗っていなかったものだ。明石海峡を過ぎるともう大阪湾である。やがて朝靄の中にコスモタワーを確認できるほどになった。いよいよ帰阪である。
そして阪神優勝
追記:写真は撮りまくったのだが水没PCに埋もれてしまい無念…
2004/2/2.(月)
傾向
先週は3つ重賞があったがどれもG1への結びつきは薄そうだ。フェブラリーSの前哨戦としての位置付けである根岸Sは実力馬が不利を受けるなどして凡走。指数も平凡。例年通りならデータ的にも根岸S組より平安S組を重視したい。最もガーネットS、平安S、根岸Sとどれを見てもアドマイヤドンを脅かす存在は皆無。直線で壁ができてまともに追えなかったブルーコンコルドの巻き返しに期待というところか。
東京新聞杯は上位の指数自体はこの時期のG3にしては優秀。だが、ここを使った組の目標となるG1は安田記念。果たして6月にもう1度ピークを持ってこれるか。ウインラディウスは去年のボールドブライアンと同じ藤澤厩舎所属。去年と同じく失敗か汚名返上か。むしろクラフトワークに期待したい。距離はもっと長いほうがいいタイプ。せめて中団からレースができればG1にも手が届くだろう。
京都牝馬Sは凡戦中の凡戦。指数的にも1600万程度。注目したいのは14着のエリモピクシーまで指数で50を超えていることだ。タイム差にしても0.8秒差。着順の悪かった馬が次走で人気薄激走する可能性がある。
新年になってからの古馬重賞にある傾向が見られる。順に連対馬の前走を見ていく。左から順に、レース名、1着馬の前走クラス及び着順、同じく2着馬について。
・中山金杯 OP・4着 OP・9着
・京都金杯 G3・4着 G3・3着
・ガーネットS G1・2着 OP8着
・日経新春杯 1600万1着 G3・11着
・AJCC G3・3着 1600万・1着
・平安S OP・8着 OP4着
・根岸S G3・3着 G3・6着
・東京新聞杯 1600万・1着 1600万・1着
・京都牝馬S 1600万・1着 OP・1着
ガーネットSを圧勝したマイネルセレクトは勝ち方から見ても別格というのが分かるように例外。他は1600万を勝ってきた馬かOPやG3で「そこそこ」走ってきた馬がほとんどだ。「そこそこ」というのが重要で、前出のマイネルセレクトの除けば前走をOPで連対していたのは京都牝馬Sのマイネアイルだけ。2桁着順も日経新春杯のマーブルチーフだけで大半は掲示板に載るかどうかというところ。冬場の重賞なので本当の格上はめったに出てこないし出てきても本調子に仕上がってなかったりする。状態のいい馬がその間隙を突くのだ。1600万勝ち直後という馬が5頭も連対していることは注目すべきことだ。例年よりも「格より調子」の傾向が今年は強いようだ。