自分は駄目な人間なんだ、と言う人にもAタイプとBタイプがある。
Aタイプ = 本当に自分は駄目だと思っている人。
Bタイプ = 内心はそう思っていないがそういう事にして惰性に安住してる人。
Aタイプについて。
あなたは外を歩くとき視線が低くないだろうか。
自信なげに下を向いて歩いているとすれば、まずその姿勢から改めて貰いたい。
この大自然のなかに我々の存在が如何に微々たるものか言うまでもない。
あなたも含め造物主に生かされている。みんな同じ運命の生物にすぎない。
あなたも、どの人も、存在価値において優劣をつけてみても大した差はない。
だが希少価値と言えばあなたはこの世にただ一人の存在だ。
自然の摂理や、目に見えない世界での熾烈な競争、又は全くの偶然といった種々の要素の結果、命一つ、ここに存在する。
まず自分の存在価値に敬意を表し、改めて自らを認識し直すことからはじめよう。
さて問題は中身。
あなたの価値はまずあなた自身が認めなくてはならない。
有限の人生の与えられた時間の中で、この世でだだ一人という希少価値をもったあなたは、何をなすべきか?自分の存在を惜しみ人生を惜しめば生き方も真剣になる。自虐的なマイナス思考におぼれている間は真剣とは言えない。
時は思いがけない早さで流れ何の成果もみないうちに老廃の身を嘆くようになる。
何か一つでも真剣にやっていたら短いとはいえ人間の一生何らかの成果はあがる。
真剣に取り組める何かを探し果敢に挑戦しよう。
やるか、やらないか、ただそれだけだ。
今のところ、あなたの能力はまだ全開されていない。
過去に競争にやぶれ敗北感にまみれた思い出があったとしても人には得手不得手というものがある。競争の対象になったのはあなたの全能力のある一部分に過ぎない。あなたにも必ず人よりすぐれたものがある筈なのだ。やるだけやってみてからでなければ自信喪失などと言ってはいけない。
学業や会社の仕事の出来不出来だけで自分は駄目だなど思い込むのは愚かなことだ。生き方も多様、生きる道も無数、狭い考え狭い判断で自分を評価して、良いとか駄目とか決めつけてはいけない将来美しく見事に咲くはずの花の芽を、自らの手で摘んでしまうことにもなりかねない。自分は自分なりの特徴を生かし、生き甲斐のある人生を送ってみせると宣言して欲しい。
Bタイプについて。
内心は自分を駄目だと思ってはいないが特に真剣に考えた事もないので何をしていいかもわからない。何かやれば出来ると内心思うが努力の継続も面倒くさい。
そんな自分を自分の中の理性は何処かで批判しているので時としてふと「このままでいいのか」と思ったりもする。そんな形で何年も何となく生きてきてしまった。
真剣に人生を考える習慣もないので自分の生き方などを客観視したこともない。
大方は深くは思わず成り行きまかせに暮らしてしまう。
あなたの人生観はどうであろうか?
老いた日にもっと計画的にやればよかったと思っても過ぎたるは言うに及ばず。
あなたの場合は自分に絶望してるわけではないから原動力になる自尊心、向上心、時には虚栄心だってよい、それを自己改革のバネにして方向転換してみようではないか。計画的にプログラムを組み実行に移せば3年後のあなたは大化けしている筈。
自分に正直に生きるということは、 あなたの場合は駄目でない自分を引き出し、充分能力を発揮してみることである。やってみてその生き方は負担だと思ったら止めればよい。明日・・・とか、後で・・・とか実行力を阻む言いわけはいくらでもあるが砂時計を目の前にすれば流れ落ちる砂の早さが有限の人生のスピードをまざまざと教えてくれる。明日とか明後日という言葉さえ言いにくくなる。あせる必要はないが光陰は矢のごとしなのだ。時の後ろ姿に追いついた人はいない。