どのような家庭に生まれ、どのような親に育てられたかは人間の一生に取って最も重要なことである。幼児期に人間性や生き方の基礎が形作られていく。
物や金のあるなしは関係ない。父親は人生、社会性、自立といった枠組みを、母親は心の優しさ、思いやり、日常生活のしつけなどに気を配る。父親がハードなら母親はソフトといった役割ではないだろうか。
子供は別人格。
親は自分の血を引くという事実と、だから自分と同質である筈という先入観で子供に思いどうりの結果を期待するのは止めよう。たとえ自分の血を引いていても子供は親に反発こそすれなかなか同化はしない。育った時代背景も違うし受ける教育も違う。親の理想にはまらないのが普通だと思う。子供の意志には確固たる個人としての主張があるのだ。
本人の意志の決定や判断を尊重する。
「親が言うことは間違いないすべては子供のためなんだ」などと本人の意思を無視して親の希望や考え方を押しつけるのはやめよう。決めるのは本人である。但し、子供が小さいうちから人並み以上の特殊な才能が見えていると言う場合や、身内に遺伝している際だった才能がその子にも現れている等の場合はその芽は大切に見守らなければならない。
大切な希少価値は時として国の宝、人類共通の宝とも言える。
但し世の中は我々のようにごく一般的な能力の人間の方が圧倒的に多いわけだが、突出した才能とまでいかなくても、それぞれの子供にも興味がありその上得意でもあるというものの一つや二つは大抵持っているものである。
親は生まれた時から継続してその子の性格や特徴をみてきた。
その子の得意分野を見逃さず必ずそれを伸ばしてやって欲しい。
一人一人の子供の性格をよく理解しよう。
姉弟が何人居ても一人一人の性格が違うのは、子供を育てた経験のある人は誰でも知っていることだ。叱られても気にしない子もいれば深く心が傷つく子もいる。叱られた原因を納得せず反抗心をむき出しにしてくる子もいる。
一人一人の性格が違うのに対応が一律ではうまくいかない。
個々の性格の特徴をしっかり認識して性格にあった指導をするよう心がけよう。
国際人として育てよう。
21世紀は世界中がネットで繋がりボーダレスな時代だ。
英語やパソコンに堪能かどうかは就職の際の重要なファクターになった。
世界共通語とも言える英語と自国の国語である日本語と二カ国語を話せることは将来常識になるものと思う。英語やパソコンは今もこれからも必須科目。
勉強という事でなく日常の中で遊びながら楽しみながら身につく工夫は出来ないものであろうか。我が子の将来の舞台背景は世界であり、世界の中の日本、そして日本人というスケールでものを考えるグローバルな意識と視点が欠かせない。
自分の意見をきちんと言える子供に育てよう。
自分の考えを持っている、そして表現出来るという能力は、これからどんな道を進むにしても最も必要な能力である。「沈黙は金」等と言ったのは昔のこと。
何を聞かれてもはっきりしないと「この子は質問を理解できなかったのかな?」と思われてしまうが実は分かっているが表現する能力に乏しいという場合が意外と多いのだ。
表現能力がない場合は本人の実力の半分しか認めて貰えず残念の極みだ。
家庭内での会話の重要性がここにある。理解力・判断力と共に言葉の表現力を身につけ、更にいろいろなテーマに対応出来る柔軟性があればあなたの子供が有能な人材と見なされて当然と思う。
子供には性別に関係なく生活全般をこなせる能力を身につけさせよう。
女性の弱点は生活力や自立の精神、男性の弱点は家事能力など、性別による不得意分野を克服しておけば、将来の人生途上においてどんなことに出合っても大丈夫だ。女性は子供を抱えても強く生き、男性も高齢一人暮らしになってもやっていける。子育ての話しに何十年後の人生迄・・・と思うかも知れないが人の一生は子供時代が基礎。
性別を免罪符にしてるようでは自己責任を果たせる人間には育たない。
学校教育も長い人生をよりよく生きるための手段にすぎず、幼児期に人生の基礎を固めておくためには親は信念を持ち意図して性別に関係なく、自立できる子供を育てておくべきだと人生先輩の筆者は経験上強くそう提言する。
親の意識が子供の生涯に影響することを銘記しておこう。