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       セブンアンドワイ(インターネット書店)
 

不登校や引きこもり

自分だけの世界で
 あなたは繊細な花を咲かせる。
本当は一番素敵な花だから
窓の外に飾って欲しい。

近年不登校や引きこもりの話題は一つの社会現象として度々メディアに登場する。半世紀前は不登校も引きこもりも全くなかった。
戦争という過酷な運命の中で子供でさえ明日は生きていられるのか
?が最重要課題。要は今、命がけの運命に対峙しなければならなくなったら不登校も、引きこもりも、いじめも瞬時に消えてなくなってしまうと断言出来る。
人間は極限に置かれれば何が命にとって一番大事なことかを本能が決める。

現在、国は平和であり食べ物にも事欠かず、住むところもあり物に溢れ、贅沢限りない筈の幸福な環境の中で、子供社会とも思えない陰湿ないじめが多発する。
そこには稚拙で身勝手な自己中心と、相手の痛みを思いやる想像力も涙のかけらもない、冷酷偏狭な人間像が浮かび上がってくる。

不登校の子供にそれでも「行きなさい」とは言えないほど、学校の教師の権威も地に落ち弱い子を「守りきる」という気概のある教師も少ない。
いじめにあい不条理に我が子を失った親の苦しみに思い至れば、一つ一つの事件を記憶のある限り忘れる事は出来ない。

不登校と言えば心の弱さや神経の過敏さを指摘されるかも知れない。
社会や組織になじめない固有の性格も云々されるかも知れない。
しかし、今日も明日も重い心を引きずりながら、いじめや危険を感じる学校へ、日々人格を傷付けられ続けながらも「何故行かなければならないのか?」と聞かれた時、昔「耐える」ことをしっかり躾られた我々でさえ休むことを容認せざるを得なくなる。

不登校の子供や引きこもってしまった人を一緒に論ずるのは乱暴な話しかもしれいが、生活の状況としては自分だけの世界の中に生きている実状に同じような孤独を感じないだろうか。本人達も理性のある限りその状態がいいとは決して思っていない。身を守り心を休めたくてとった非常手段で外部から自分を守ることが出来ても、家族の困惑を強く感じたり自分の理性が自分を責めるという心の葛藤も起きてくるだろう。

人間の思考や感情に永遠の停滞はあり得ない。
ある時期がくれば必ず変化の時は訪れる。心も何時か癒され長すぎれば休息でさえつらくなり意識下で次のステップを模索するようになるだろう。
我々人間は複雑な精神構造を持ち、個々の性格も多種多様、僅かな精神外傷にも耐えられず、回復するのに時間のかかる人もいれば、ぶたれてもけられても素早く再起出来る人もいる。引きこもりや不登校の人は、鋭い感受性、傷つきやすい心、ある種の劣等感、協調性や妥協性の乏しさ、組織になじめない性格、神経症的傾向など色々考えられる。いじめや裏切りや人の冷たい心に立ち向かう強さのある人はこうはならない。

立ち直りの方法論だが、神経症の治療法に只ひたすらに休息状態(消極的療法)におき何かしたいという意欲の湧いてくるのを待つという方法や、逆に高い目標に向かって挑戦(積極的療法)させ現状を超越させるという方法などがある。
始めは消極的療法で後には積極的療法を取り入れてみるのはどうだろう。

引きこもりや不登校で休息状態(消極的療法)になってから、その後「このままでいいのか?」と本人の心の中に葛藤が起きる頃、生き甲斐探し(積極的療法)をやってみよう。あまりにも休息期間が長引きすぎると完全に無気力になり惰性に絡め取られてしまう。本人の気の向くことを探しだして貰おう。
この期間を利用して特殊能力を(付加価値)身につけるよう誘導して貰いたい。
強制をしてはいけないが、休息中に何かの達人になってみないか?と話してみよう。好きなこと、やってみたいことがあれば全面協力することをしっかり伝える。

親元を離れ田舎留学で大自然の中を駆けめぐり大地とともに生きてみる。それも良い。創作が好きな人には土と対話出来る陶芸も心休まるものだ。
一人旅もよい。陰からサポートをして冒険させてみる。選択肢は無数にある。
引きこもりの人にも同じ事が言える。マイコンピュター作りなどはどうだろう。
何か興味の持てるものが必ず一つや二つある筈だ。只テレビを見続けたり、指の感覚がなくなるほどゲームで遊んでも、それだけでは理性があれば満足はしないだろう。むしろ空しいと思い、こんな生活を続けることの敗北感にかえって苦しむようになるのが普通だ。何か目標を持って貰うことが大切なのだ。
目標が出来れば必ず良い方向へ向かう。
その達成感こそが不登校や引きこもりの人を救う。

要は休んでいる間に人より優れた経験や体験を積むことにより、自信や生き甲斐をもって貰えれば必ず再生モードにつながると信じている。
冬眠をおえた生きもののように必然的に活動期に入るだろう。
家の中で休んでることの罪悪感や劣等感にさいなまれる生活からも卒業だ。
本人達もそうこうしながら成長もし、変化もする。
今の状態が笑って話せる日がくるのは目にみえている。
長い人生のほんの一過程にすぎない。
                                                            (詳細は自著「悩みは何ですか?」を参考にして下さい)