それは深い悲しみや、やりきれないつらさの記憶ほか、思い出すたびに自己嫌悪にかられ、自らを繰りかヘし責め続けるような後悔だったり、愛するが故に、肉親なるが故に、何としても許し難い事情など、「あの事さえなければこんな人生を送らなくてもよかったのに」とか、しまいには「自分は生まれて来るべきではなかった・・・」と過去の自分の運命を嘆き続ける人も結構多いものだ。
理性では分かっている。
過去へこだわり続けることは今更全く意味のない事だ、不毛なことだということは・・・。
だが、思い出しては不快になり眠れなかった夜がどんなに多かったことかと嘆く人もいる。
自分からは人に非情なことはしない。約束も守るし、誠意もつくす。
しかし人から受けた納得出来ない行為や非情な仕打ちは、深い精神外傷となって何年、何十年と忘れることはなく心の底に残り続ける。あたかもヘドロのように。
記憶から消し去りたいとも思う。
だが忘れることができない。
そんな過去を背負いながら生き続けている人は、あなたも含め世の中には多勢いるだろう。
人によっては、過去へのこだわりが人生観や性格迄もゆがめ、人を信じなくなったり、自分は人より不運に違いないと思いこむようになったりもする。
かけがえのないあなたの人生を心から惜しむからあえて言いたい。
頑迷に過去にこだわり続けたとして、そこからは何も生まれてくるものはない。
人生は有限なのだから無駄なこだわりに時間を費やすのは如何にも勿体ないことなのはあなた自身も理性では充分承知していると思う。
過去にこだわり続けるという染みついた習慣から、どうすれば方転換出来るのかを今こそ真剣に考えてみなければならない。時計の秒針を目で追ってみよう。
そこには過ぎていく人生の早さがはっきり現れている。
このスピードで人は年をとり人生を終えていってしまうのだ。
過去にこだわり続ける空しい生き方をしていていいのか?
もともと感受性が強く傷つきやすいあなただ。その過敏な神経で分からないはずはない。我々は生きれば生きるほど残り時間は少なくなるという、厳然とした反比例の現実の中に生きている。「勿体なかった、不毛なこだわりに多くの時間を費やしてしまった」と気がつき、建設的な生き方をすべきだと心から思うようになるのは、したたか年を取ってからなのだ。若いときは時間に切実感がない。だからこだわり続けたり、ぐれたり、反抗したりして時間を無駄に使える。
そのようなあなたに冷たいようだがあえて重ねて言う。
もう充分こだわった。
過去の旧い衣はいい加減にいさぎよく脱ぎ捨ててしまおう・・・と。
感傷を一切捨て新しい道に向かい、自分の能力がどんなに素晴らしい未来を勝ち取れるか試してみる時期ではないだろうか。
過去へこだわる習慣は、「だから現在の自分がこうあるのは仕方ないんだ」という、免罪符になってはいなかっただろうか?それを理由にやるべきことを放棄して、全く進歩のない毎日を送っていたということではなかっただろうか。
記憶のあるかぎり一生ついて回る過去へのこだわりも色あせれば痛みはなくなる。苦しかった体験がむしろあなたの人格の深みとなる。
一般的には自分のことは自分が一番良く知っていると言うが不遜な言葉ではなかろうか。どれほどの能力が自分にあるか試しきったと言える人が何人いるだろうか。極限におかれたとき人間は思いがけない力を発揮するものだ。
後で絶対再現は不可能ということだってあるほどの力だ。
あなたはどれほどの能力を持っているか分からない自分という希少価値を、興味深く観察し直し、大切に楽しみながら育て直して欲しい。(自己開発)
未知の自分との遭遇だって夢ではない。
こだわりから早急に脱皮をし華麗に変身して貰いたい。
(詳細は自著「悩みは何ですか?」を参考にして下さい)