日本は一夫一婦制の法治国家であることは誰しも分かっている。
分かっていながらみのらない愛に苦しむ人は跡をたたない。
だが二人は宿命的な愛と思へばこそ、理性をなげうって茨の道を歩いてしまう。
どちらにも家庭がある場合もあり、一方に家庭のある場合もある。
本来なら激しい感情には流されず人道的にも法治国家の規律は守らなければならない筈。それは重々分かっていながらいばらの道を歩いてしまう人はあなたばかりではない。
だがその道はお互いにあまりにも失うものが多すぎて傷つく人も多すぎる。
このように大きな犠牲の結果の愛であっても永遠に互いの思いが変わらないという保証はない。いかに宿命的な愛と思えたとしてもやはり終わりは来てしまう。
最終的には利害と自己保身が絡みずるさ、汚さ、愚かさで双方がぼろぼろになって散り果てるところまでいかなければ別れられないという業の深いケースも珍しくない。結果、嫌悪や憎悪で終幕となる。
ここからは家庭持ちの男性と独身の若い女性の道ならぬ愛について話そう。
彼は職場の上司だとする。立場上の立派さもあり頼りがいや包容力を感じさせずにはおかないタイプ。人間にはあえて言葉に出さなくても好意を伝達する能力と、それを受け止める感度がある。理性では隠しきれなくなった愛が衝動となっていばらの道に踏み込んだとき、あなたの失うものが如何に大きいかはその時点ではまだ自覚されない。自分たちの愛は宿命的であり形はどうあろうとも何の見返りも求めない純粋なもの。
道ならぬ愛への自責の念とこの愛が無ければ今日一日として生きてはいけない激情との狭間で呼吸さえままならないような時が流れていく。
そうして長年別れられず先の展望もないままむざむざと大切な青春を失ってしまう。理不尽な愛であろうとも愛を信じ、愛に燃えている最中は、炎の消え行く日が来るなんて信じられないものだ。しかし必ず来てしまう。
人は追いつめられたときその人間の本性を見せる。
築き上げた家庭や、社会的立場、仕事等を失うかどうかの瀬戸際、あなたから見た彼は立派だろうか?その時、あんなに優しく暖かく包容力のあった立派な人格までが、信じられない変貌をとげる。時には相手にすべての罪を着せ、自分は被害者であるかのごとき卑怯さを見せる人さえいる。多くは醜態を演じ背中を向けて去っていく。
立派な人格を保っているのは、秘密が守られているあいだだけと思っていてほぼ間違いない。あなたの相手を誹謗するのではなくものの理屈で考えてみれば分かることである。さりとて万が一彼が妻子を捨てあなたの元に来るとすれば心優しいあなたは手放しで喜べるだろうか。あなたの理性が妻子に冷酷な仕打ちができた彼に一抹の不安を覚えて当然である。
何故ならやがて同じ様な冷酷さであなたを置き去りにするかも知れないという想像が働くからだ。又、社内の重要なポストにいてこそ立派に見えた彼がもし職場を離れたとしても立派に見えるだろうかという想像も働かせてみて貰いたい。
大体が家庭持ちの男性は、妻とはうまくいっていないと言う。(ほとんどが)
自分なら「誰よりも彼を幸せに出来るのに」と思ってしまうだろう。
そこが落とし穴になる。許される愛も許されない愛も人を慕い思い詰める気持ちに変わりはない。そうは言っても一方は家庭持ち。子供もいるとなれば先の展望は殆どない。彼も又、家庭、仕事、世間体、すべてをなげうつ覚悟でここに至ったわけではない。不倫の結論は彼への不信と、失ったあなたの二度と帰らない貴重な青春の喪失で幕が下りるということになる。
どっちへ転んでも救いのないのが、法的にも心情的にも不合理なこの種の愛の姿なのだ。さもなければ家庭を精算し、あなたと結婚するなどの言葉に迷わされ、何時までも約束を果たさない彼を優柔不断、ずるい、うそつきなどと責めたてる結果になるだろう。だが男性側からすれば妻子、あなたのいずれも断ち切れず迷い続けながら苦悩の日々が流れて行く。何度思い切ろうとしても、互いになかなか思い切れない。これが男女の業でもあろう。
どうすればこの不合理な愛の精算が出来るのか。
一つには彼が家族と一緒のところを見る機会があれば一目瞭然。そこには長年築かれた家庭の重みがしっかり根付いているのが感じられる筈だ。あなたの彼以前に、責任ある家庭の大黒柱としての夫の姿、別人の様な父親の姿がある。誰かを不幸にしてまで得た幸せは、あなたのように心優しい人には似合わない。願わくば胸を張って生きれる道を選んで貰いたい。
賢明なあなたならそうするだろう。
(詳細は自著「悩みは何ですか?」を参考にして下さい)