又、枝葉の理由としてはやってみたら思ったほど面白くなかった、難しかった、環境になじめなかった、指導する人が尊敬出来なかった、お金がかかりすぎた、途中から興味を失った、他にもっと興味を引くものが出てきた、根性が足りなかったなど、これも又いろいろあるだろうと思う。
だが経験という付加価値があなたのものになった。無駄な時を流してしまった訳ではない。
「ほんの一寸かじっただけです」と自らの努力を謙遜する人がいるが、その僅かな経験が長い人生の過程で思いがけない時にどれ程役に立つことか計り知れない。
いくら情熱的に何時かやってやる!とか、やろうと思っているとか、熱血を持って語ったところで緒にも付かなければ誇大妄想狂だのほら吹きといった評価を貰うだけだ。
意欲や意志があったそして実行もした。
あなたは一応はやってみたのだ。だから卑下することはない。
続かない人はあきやすいとか我慢が足りないとか非難されるが、我々には生活があり収入がなければ生きていけないのに、己の社会人、家庭人としての義務を放棄し、続かない、止めてしまう、ぶらぶらする、何時の間にかサラ金などから多額の借金をしてしまう。
こうゆうケースはあまりにも世の中に多すぎるので続かない人の評価は低いのである。
続かないあなたのケースは、こう言う人とは違うという前提のもとに提言している。
人の評価を気にする事は一切ないが、家族や周囲の人に迷惑を掛けながら性懲りもなくと言われる事だけはしないようにしょう。
幾度も職はかわるが、ちゃんと家族は養なっているという人も少なくはない。
例えこれだ!というものに出会えなくて、転職を繰り返しても義務や責任を果しながらの上でなければならない。それなら家族も理解してくれるし応援もしてくれる。
なかなかこれだ!と思うものに出会えなくて模索が続くのと、性格的に続かないと言う場合は根本的に違う。
何をやっても続かないあなたは今、自分が本当に何を求めているのかを模索する過程にあると察する。何もやらない人よりは数倍も生き方としては真剣だと思うのは確かだが、但し一生それだけでは困る。なぜ継続に弱いのか、原因だけははっきりさせておかないと一生道のない砂漠をさまよいつづけて行き倒れてしまうことになる。
ここでしみじみ考えなければならないことは、我々は有限の人生という宿命の中に生きているということだ。若い日は長くは続かない。
平均寿命なるものもある種心情的には「まやかし」といっても過言ではない。
我々が平均寿命まで生きるという保証などどこにもない。
又運良くそのとうりの人生を生きたとしても、終末の10年は人手を借りる状態かも知れないし自分の名前さえ分からない状態かもしれない。