祝部成仲 はふりべのなりなか 康和元〜建久二(1099-1191)

日吉社禰宣成実の息子。父の職を嗣ぎ、日吉社禰宣惣官となる。正四位上大舎人頭に至る。子(一説に孫)の允仲(まさなか)、孫(または曾孫)の成茂後鳥羽院下野も勅撰歌人。その他子孫には多くの歌人が出た。
永万二年(1166)の重家家歌合ほか多くの歌合に参加。歌林苑の会衆として俊恵の歌会にも参席した。承安二年(1172)には白河尚歯会和歌に加わる。文治四年(1188)五月、九十賀を催す。藤原隆信清輔教長賀茂重保らと親交があった。家集『祝部成仲集』がある。詞花集初出。勅撰入集は計三十一首。

帰雁の心をよみ侍りける

かへる雁いく雲ゐとも知らねども心ばかりをたぐへてぞやる(千載39)

【通釈】北へ帰ってゆく雁よ――どんなに遠くまで雲の中の道を辿るのか知らないけれども、せめて心だけはおまえと一緒に連れ添って行かせるよ。

【語釈】◇いく雲ゐ 幾雲居。いくつの雲。計り知れない距離をあらわす。◇たぐへて この「たぐふ」は「添わせる」の意。

【参考歌】伊香子淳行「古今集」
思へども身をし分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる
  右大臣北方(源隆子)「後拾遺集」
あくがるる心ばかりは山桜たづぬる人にたぐへてぞやる

日吉(ひえ)のやしろの歌合とて人々よみ侍りける時、よめる

さざなみや志賀の花園みるたびに昔の人の心をぞ知る(千載67)

【通釈】さざ波寄せる琵琶湖畔、志賀の美しい花園を見るたびに、昔ここに宮を営んだ人々の心が知られるよ。

【語釈】◇日吉のやしろ 日吉大社。滋賀県大津市坂本本町にある比叡山の鎮守。◇さざなみや 「さざなみ」(楽浪)は琵琶湖西南部一帯の古名。この歌では「さざなみや」で「志賀」にかかる枕詞として用いている。◇志賀の花園 琵琶湖西南岸の志賀の地にあった桜の園。

【主な派生歌】
古りにける朧の清水結びあげて昔の人の心をぞくむ(藤原俊成)
のこりける都の春の光かな昔語りの志賀の花園(藤原良経)
ふりにけるあととも今朝はみえぬかな志賀の都の雪の花園(藤原雅経)

子の身まかりにける次の年の夏、かの家にまかりたりけるに、花橘のかをりければよめる

あらざらむのち偲べとや袖の香を花橘にとどめおきけむ(新古844)

【通釈】「花橘の香をかげば…」というが、橘の花に、死んだあの子の袖の香りがする。いなくなってしまったあと、自分のことを思い出してくれと、袖の香を橘の花に移し留めておいたのだろうか。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

【主な派生歌】
枯れはてむ後しのべとや夏草のふかくは人のたのめおきけむ(源実朝[新拾遺])
別れての後しのべとや行く春の日数に花の咲きあまるらむ(衣笠家良[新拾遺])
面影をのち偲べとや有明の月をのこして花のちるらむ(*二条良基)

題しらず

別れにし人はまたもやみわの山すぎにしかたを今になさばや(新古890)

【通釈】別れてしまった人は、またいつか見ることができるだろうか。過ぎてしまった昔を、今に取り戻したいものだ。

【語釈】◇みわの山 大和の三輪山。「見」を掛ける。◇すぎにしかた 三輪山は杉の名所なので杉を出して「過ぎ」と続けた。

【補記】「みわの山」は「見」という語と「過ぎ」という語をつなげる虚辞として用いられているが、古今集の名歌をほのめかす効果も上げている。全体として、参考に挙げた皇太后宮陸奥の歌の模倣が著しいが、技法としても調べとしても、成仲の歌の方がより洗練されている。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉たてる門
  「伊勢物語」第三十二段
いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな
  皇太后宮陸奥「後拾遺集」
逢ふことを今はかぎりとみわの山すぎのすぎにしかたぞ恋しき

題しらず

君恋ふる涙しぐれとふりぬれば信夫(しのぶ)の山も色づきにけり(千載690)

【通釈】あなたへの恋しさに涙が時雨のように降るので、まるで信夫の山の紅葉が色づくように、あなたを偲ぶ私の涙も紅く変わってしまった。

【語釈】◇しぐれ 時雨。ぱらぱらと降ってはやむ、晩秋から初冬にかけての通り雨。和歌では涙を暗示する場合が多い。また木々を紅葉させるものと考えられた。◇信夫の山 旧陸奥国信夫郡、いまの福島市内にある山。「しのぶ(偲ぶ)」を掛ける。

【主な派生歌】
君恋ふる涙や空にかよふらむ思ひはてける宵の村雨(後鳥羽院)

和歌の浦をよみ侍りける

ゆく年は波とともにやかへるらむ面がはりせぬ和歌の浦かな(千載1051)

【通釈】過ぎ行く年は、寄せては返す波とともに、返ってくるのだろうか。和歌の浦の景色は老いた様子もなく、いつ見ても若々しく美しいことよ。

【語釈】◇面(おも)がはり 面変り。◇和歌の浦 紀伊国の歌枕。玉津島神社がある。同社の祀る玉津島姫は衣通姫と同一視され、和歌の神として尊崇されるようになった。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年05月31日