平貞文 たいらのさだふん(-さだふみ) 生年未詳〜延長元年(?-923)

桓武平氏。仲野親王の曾孫。茂世王の孫。従四位上右中将好風の息子。宇多天皇の母后班子女王は大叔母(大伯母?)にあたる。名は定文とも書き、平中(平仲)とも称された。
貞観十六年(874)、父と共に臣籍に降り、平朝臣の姓を賜わる。寛平三年(891)、内舎人に任ぜられ、右馬権少允・右兵衛少尉を経て、延喜六年(906)、従五位下外衛。その後、参河介・侍従・右馬助などを経て、延喜十九年(919)正月、左兵衛佐に任ぜられ、延喜二十二年(922)従五位上に昇叙される。その翌年、延長元年(923)六月、参河権介を兼任したが、九月二十七日、卒去。五十歳前後か。
延喜五年(905)・同六年、歌合を主催し、紀貫之・壬生忠岑・凡河内躬恒・在原元方ら、当代一流歌人を招いた。
歌物語『平中物語』の主人公に擬せられ、色好みとして名高い。後世の『今昔物語』には「品も賤しからず、形有様も美しかりけり、けはひなんども物言ひもをかしかりければ、そのころ此の平中に勝れたる者世になかりけり、かかる者なれば、人の妻、娘、いかに況や宮仕人は、此の平中に物言はれぬはなくぞありける」とある。中古三十六歌仙の一人。『夫木和歌集』によれば家集が存在したらしい。古今集初出。勅撰入集二十六首。

稀代の色好みとして名高い平貞文も、歌人としては不遇と言えよう。公任撰三十六歌仙にも選ばれていないし、恋歌をあれほど多く収めた定家の小倉百人一首からも漏れている。時に業平とも併称される彼には、しかし業平のような冒険的ヒロイズム、余情あふれる真情表現、影のあるダンディズムといったものが、さっぱり欠けているのである。とはいえ、巧みで如何にも「数寄者」らしい彼の歌は、恋の遍歴譚の中では、精彩を放っている。気分屋でひねくれ者で、どこかとぼけた味もあり、しつこい反面、妙に諦めのよいところがある、デカダンな彼一流の恋愛美学を知るためには、『平中物語』を一読されたい。

  1首  3首  13首 計17首

題しらず

風吹けば花咲くかたへ思ひやる心をさへも散らしつるかな(新千載122)

【通釈】風が吹くたび、花の咲いている方が気になる。そんなふうに心配しているうちに、風は私の心さえ散らしてしまったことだ。

【補記】新千載集に入集する前、建長五年(1253)か六年頃に藤原基家が編纂した私撰集『雲葉和歌集』に採られている。原拠は不明の歌。

寛平御時、蔵人所のをのこども、嵯峨野に花みむとてまかりたりけるとき、帰るとて、みな歌詠みけるついでによめる

花にあかでなに帰るらむ女郎花おほかる野辺に寝なましものを(古今238)

【通釈】花をじゅうぶん堪能しないで、どうして帰るのだろう。女郎花(おみなえし)がたくさん咲いている野辺で、寝て行きたいものを。

【補記】『平中物語』十四段(段分けは岩波古典大系本による)にも同じ歌がある。

【参考歌】小野美材「古今集」(先後関係は不明)
女郎花おほかる野べにやどりせばあやなくあだの名をやたちなむ

【主な派生歌】
花に飽かでつひに消えなば山桜あたりをさらぬ霞とならん(藤原俊成[風雅])

題しらず

今よりは植ゑてだにみじ花すすき穂にいづる秋はわびしかりけり(古今242)

【通釈】薄など、もう植えてみようとさえ思わない。穂が出ると、秋の気配が身に染みて、わびしくなるから。

【語釈】◇穂にいづ 薄の穂が出る意に、(秋の)気配が目にたつ意を掛ける。

【主な派生歌】
花すすきまだ露ふかし穂に出でて眺めじと思ふ秋のさかりを(式子内親王[新古今])

仁和寺に菊の花召しける時に、歌そへてたてまつれとおほせられければ、よみてたてまつりける

秋をおきて時こそありけれ菊の花うつろふからに色のまされば(古今279)

【通釈】秋以外にも盛りの時があったのですね、菊の花は。色が変わったと思った途端、その色がいっそう濃くなったのですから。

【語釈】◇菊の花召し 主語は仁和寺に住んだ宇多法皇◇うつろふからに色のまされば 白菊は萎れてから紅や紫に変色する。そのさまに、譲位後ますます盛んな力をもった宇多法皇を喩え、讃美している。

題しらず

白河のしらずともいはじ底きよみながれて世々にすまむと思へば(古今666)

【通釈】貴女のことを知らないなどとは言うまい。白河の流れがいつも澄んでいるように、いつまでも、濁りのない心であなたの所へ通おうと思っているのだから。

【語釈】◇白河 比叡山に発し、賀茂川に注ぐ川。「しらず」を導く。

【補記】この歌は『平中物語』第九段にも見える。女の家から出て来るところを、その女の親族に見られてしまった時、女から「知らずと言へ」と歌を送ってきたのに対する返し。

【主な派生歌】
白川のたえぬ流れを尋ねきて万代契る友千鳥かな(覚助法親王[新千載])

題しらず

枕よりまた知る人もなき恋を涙せきあへずもらしつるかな(古今670)

【通釈】枕のほかに知る者もなかった私の恋を、涙がふせぎきれなくなって、とうとう人に知られてしまった。

【主な派生歌】
我が恋はしる人もなしせく床の涙もらすなつげのを枕(式子内親王[新古今])
忍びあまり落つる涙をせき返し抑ふる袖ようき名もらすな(読人不知[新古今])

題しらず

秋風の吹きうらがへす葛の葉のうらみてもなほ恨めしきかな(古今823)

【通釈】秋風が吹いて裏返す葛の葉――その「裏見」ではないが、いくら「うらみ」ても、恨み足りないですよ。

【補記】すげない恋人を恨む歌。「葛の葉の」までは「裏見」から「恨み」を導く。なお『平中物語』十八段には第二句「うち吹きかへす」として載る。

【主な派生歌】
葛の葉にあらぬ我が身も秋風の吹くにつけつつ恨みつるかな(村上天皇[新古今])
葛の葉の恨みにかへる夢の世を忘れがたみの野辺の秋風(俊成女[新古今])
今よりの秋の夜風やいかならむ今朝だに葛のうらみ顔なる(寂蓮[続後撰])

つかさとけて侍りける時よめる (二首)

うき世には(かど)させりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする(古今964)

【通釈】この憂き世という世界には、門があって閂がさしてあるとも見えないのに、なぜ我が身は家から出にくいのだろう。

【補記】『平中物語』によれば、恋敵の男に恨まれ、宇多天皇に讒言されるなどして嫌気がさし、鬱状態に陥った平中が、怠慢を理由に衛府の役を取り上げられた時の歌。

 

ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな(古今965)

【通釈】限りある命が終わるまでを待つ、僅かな間くらい、憂鬱なことをあれこれと思い煩わずに過ごしたいものだ。

【補記】古今集では上記「うき世には…」の歌と併載。

【他出】新撰和歌、伊勢集、大和物語、和歌体十種(直体)、俊頼髄脳、後六々撰、和歌色葉、定家八代抄、時代不同歌合

【主な派生歌】
ありはてぬ命をさぞと知りながらはかなくも世を明け暮らす哉(藤原定家

題しらず

春の野のしげき草葉のつまごひに飛びたつ雉のほろろとぞなく(古今1033)

【通釈】春の野に隙間なく茂っている草葉のように絶え間のない妻への恋しさ――それで、雉の鳴き声にさえほろほろと落涙してしまうのだ。

【補記】「ほろろ」は雉の鳴き声の擬音。ほろりと落涙する意を掛ける。

大納言国経朝臣の家に侍りける女に、平定文いとしのびて語らひ侍りて、ゆくすゑまで契り侍りける頃、この女、にはかに贈太政大臣に迎へられてわたり侍りにければ、文だにもかよはす方なくなりにければ、かの女の子の五つばかりなるが、本院の西の対にあそび歩きけるを呼びよせて、母に見せ奉れ、とて、腕(かひな)に書きつけ侍りける

昔せし我がかねごとの悲しきはいかに契りしなごりなるらむ(後撰710)

【通釈】昔私たちの交わした誓いが悲しいことになったのは、一体どのように契った結果生じたものなのでしょうか。「ゆくすえまでも」と約束したはずなのに。

【補記】定文は大納言藤原国経の「家に侍りける女」(侍女か、または婉曲に妻を指すか)と密通し、将来までもと約束を交わしたが、女は俄に贈太政大臣藤原時平に娶られてしまった。手紙を通わす方途もなくなった定文は、五歳ばかりの娘が本院(時平邸)の西の対(女の住居であろう)で遊んでいたのを呼び寄せ、「母に見せよ」と言ってその腕にこの歌を書き付けたという。女の返しは「うつつにて誰ちぎりけむ定めなき夢路にまどふ我は我かは」。
同様の逸話は『今昔物語』巻三十などにも見える。谷崎潤一郎の小説『少将滋幹の母』はこのエピソードをもとにしたものである。

題しらず

我のみや燃えて消えなむ世とともに思ひもならぬ富士の嶺のごと(後撰647)

【通釈】私ばかりが心を燃やし尽くして消えてしまうのだろう。何年経っても火にならず、燻ぶってばかりいる富士山のように、思いを遂げることもできずに。

【語釈】◇思ひもならぬ オモヒのヒに火を掛ける。

【補記】『平中物語』十一段では第二句が「燃えてかへらむ」。また『平中物語』では、この歌に対する「女」の返し歌がある。「富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消たぬ空し煙を」これは古今には紀乳母の歌として載っている。

仁和御屏風に、七月七日、女の河あみたる所

水のあやをおりたちて着むぬきちらし七夕つめに衣かす夜は(拾遺1091)

【通釈】女は川に入って水の紋を織り裁ち、それを衣服にして着るのだろう。河辺に下り立って衣服を脱ぎ散らし、織女に貸した今宵は。

【語釈】◇仁和 光孝天皇の御代。七夕の夜、女が川で水浴する情景を描いた屏風絵に添えた歌。◇水のあや 水面の文様を綾織りに見立てる。◇おりたち 「(綾を)織り裁ち」「(河辺に)下り立ち」の両義。◇ぬきちらし 脱ぎ散らし。「ぬき」には「貫き」の意が掛かり、衣の縁語。◇七夕つめ 織女。

宮つかへしける女を語らひ侍りけるに、やむごとなき男のいりたちて言ふけしきを見て恨みけるを、女あらがひければ、よみ侍りける

いつはりをただすの森のゆふたすきかけつつ誓へ我を思はば(新古1220)

【通釈】偽りを糺すという糺の森の木綿襷――神かけてお誓いなさい。私のことを思っているのなら。

【補記】宮仕えしていた女と親しくなったところ、身分の高い男が割り込んで来て、三角関係になってしまった。定文は恨み言を言うが、女は男との仲を否定する。そこで賀茂の神に誓えとの歌を詠んだ、というのである。「ゆふだすき」までは「かけて」を起こす序であると共に、名所歌枕「ただすの森」を言って霊威強い賀茂神社を示唆している。『平中物語』三十四段にも同じ歌あり。但し第四句「かけて誓へよ」。

平中、閑院の御にたえてのち、ほど経て逢ひたりけり。さて後にいひおこせたる、

うちとけて君は寝つらむ我はしも露のおきゐて恋に明かしつ(大和物語)

【通釈】ぐっすりと心置きなくあなたは寝ていたのでしょう。私と来たら、露の涙に濡れて起きたまま、恋しさに夜を明かしてしまいました。

【語釈】◇露のおきゐて 「置き」「起き」の掛詞。露に涙を暗示。

【補記】『大和物語』四十六段。女の返歌は、「白露のおきふしたれを恋ひつらむ我は聞き負はず石(いそ)の神にて」。
なお『平中物語』『新千載和歌集』には以下の形で掲載されている。
 打ちとけて君は寝ぬらん我はしも露とおきゐて思ひあかしつ

女、言ひたり

思ひあつみ袖こがらしの森なれやたのむことの葉もろく散るらむ

【通釈】あなたへの思いが熱い余り、袖さえ焦がす私。こがらしの森だからだろうか、頼みとするあなたの手紙がはかなく散ってしまったのは。

返し

君恋ふと我こそ胸はこがらしの森ともわぶれ影となりつつ(平中物語)

【通釈】あなた恋しさに、私の胸こそ焦がれ、「こがらしの森」よろしく辛い思いをしていますよ。あなたに添う影となって。

【語釈】◇こがらしの森 駿河国の歌枕。(胸を)「焦がし」を掛ける。◇影となりつつ (私の心は)貴女を慕い、寄り添う影となっている。また、恋やつれで影のように命が薄くなっているとの意をも響かせる。

【補記】『平中物語』第十五段。久しく便りを交わしていた恋人の「上衆(じやうず)」めいた態度に、平中は近づき難い思いになり、文を途絶させていたところ、女から「思ひあつみ…」の歌を贈って来た。それに返したのが、上の平中の歌である。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
寄る辺なみ身をこそ遠く隔てつれ心は君が影となりにき

男、行かざりければ、女、家を見せじと思ひて、せちに怨じけり。されば、かくなむ

ことならば明かしはててよ衣手にふれる涙の色も見すべく(平中物語)

【通釈】どうせなら、すっかり明るくなるまでいて下さい。私の袖にふりかかった涙の紅の色が見えるように。

【補記】『平中物語』第二十六段。車の中で共に一晩を過ごした女が、暁方になって去ろうとするが、平中は女の家を確かめようと思って、その場を立ち去ろうとしない。家を見せたくない女が平中を恨んだので、平中が女に遣った歌。「明かしはててよ」には「あなたの家を白状してください」の意が含まれる。女の返しは「衣手にふれる涙の色見むとあかさば我もあらはれねとや」(大意:袖にふりかかった涙の色を見ようと、夜を明かすならば、私のことまでも知られてしまう。そうせよとあなたは言うのか)。


公開日:平成12年02月05日
最終更新日:平成17年04月01日